10.芽吹く想い
作戦会議後、少し雑談してからは壁に背を預けて身体を休めていた。
地下では当然時間もわからなくて、後どのくらいで夜になるんだろう、と思案していたすみれのお腹が盛大に鳴った。孤児院への道中、お弁当以外何もお腹に入れていなかったので仕方ないのかも知れないが──静かな牢屋に思いの外響いて、結構……いやかなり恥ずかしかった。
(ルトやカイルさんの方がよっぽど空いているだろうに……私のお腹のばか!!)
「あいつら追い出して、あのキッチンでご飯作って皆で食べよ」
隣で並んで座っていたミアが、小さな声で言った。
「……うん。ここの子達、クッキーの練習凄くさせられたんだと思うの。
私のクッキーを食べる時戸惑っていたのは遠慮とかじゃなくて、嫌な思い出が蘇ったからじゃないのかなぁって……院長の話を聞いて思ったんだ。だから……あの子達に違うお菓子でも、食事でも……とにかく美味しいもの食べさせてあげたい……」
「うん……きっと喜ぶ」
「ミミは、何が食べたい?」
「あたしは……」
「! ……二人来ます。横になって、寝た振りを」
カイルの小さくとも鋭い声がして、一気に空気が張り詰めた。耳を澄ませれば確かに誰かが階段を降りてくる音がしたが、それもカイルが声を発してから優に二・三分はあった。ここから地上の音が聞こえたとでも言うのだろうか。
(そう言えばカイルさんは何の獣人なんだろう?)
ぱっと見、彼は人族に見える。
耳、尻尾、角という分かりやすい獣人の特徴を、何も持っていなかったからだ。しかしロープを引きちぎる腕力と、今回の感知能力を鑑みてやはり獣人なのだと十二分に思わされた。
(今はそんなこと気にしてる場合じゃないか)
地下に降りてきたのはやはりアインとイヴァンだった。
ガチャンと鍵が開いて、ルトがアインに抱えられて連れていかれる。
すみれは柔く縛られている両手をきつく握り締めた。
──何度も話し合った。このタイミングで彼らから鍵を奪い、その足で院長を拘束する案だって出た。
けれど証拠が弱い。
実際に子供を売り渡した事実があった方がいい、もし孤児院をくまなく捜索してもなんの証拠も出ず、院長を捕まえられない等ということがあってはならない。僕のことは心配しないで、ある程度魔術も得意なんだ──と言ったのはルトだ。
(ルトのこと、何も知らないんだ、私……)
彼がアレクシス王子ではなく、どこかの貴族だとしても。家名も、何処に住んでるのかも知らない。
何が好きで、何が嫌いで。趣味や、特技も。
(だって何を聞いても、本当かどうか疑っちゃうなんて、嫌だった)
彼が無事に戻ったら、きっとちゃんと話そう。
嘘ばかりついてごめんねってきちんと謝ろう。
(貴方のことが知りたいと、言ってもいい?)
アイン達が階段を登っていく音を聞いて数分経った頃。すみれの不安を感じ取ったのか、カイルが呟いた。
「大丈夫ですよ。彼はあの歳で、魔術を使えばオレより強いですから」
護衛としてはどうなんだろう、と思われる台詞だったが、自分を安心させようとそう言ってくれているのだろう、とすみれは思った。
しかし──。
「? ……戻って、来た?」
カイルの雰囲気が一瞬で変化した。足音は二つ。アインとイヴァンが戻って来たのか、それは何故? ルトはどうしたの? と思考を巡らせている間に、その人物はこの場へ現れた。
(院長……? 一体、何をしに……)
「さて困った。急にご子息がお越しになるとはね……彼は雌をご希望だ。一匹出せ」
「はい」
今の声は三番目に挨拶してくれたドーラだとすみれは思った。目を閉じているので、確信はないけれど。
またガチャンと錠の開く音がして、ドーラが牢の中へ入り、うろうろと歩く靴音が響く。どうやら自分達の顔を覗き込んでいるようだ。
「三人、いますが……どの子ですか?」
「……彼は痛め付けるのも抵抗されるのも好きだったな……よく泣きそうなその小さいのでいい」
「……はい」
ドクドクと、心臓の音がまるで耳許で鳴っているみたいに五月蝿い。
今の言い分だと、確実にすみれやミアでなく、あの名も知らぬ女の子が連れていかれる。
ルトが連れていかれた後、こういうことを想定してなかった訳じゃない。
もしそうなった時は、誰であっても黙って連れていかれるのを見送る、と決めてあった。こんなに直ぐなのは予想していなかったが。
(本当に、大丈夫? このまま見送って。間に合う? この子が傷付く前に、助けられる?)
信じていないわけじゃない。けれど。
助けが来ると知っているのと、知らないのでは恐怖の度合いが違う。絶対に、違う。
(怖い、すごく怖いけど……)
全員目覚めていないことを前提とした計画だったが、ここですみれが目覚めているのは、アインやイヴァンが既に報告しているかも知れないしと開き直った。
とにかく、ルトとそう歳が変わらなそうな女の子を、危険には晒せない。
(ごめん。ルト、皆……)
すみれは、某舞台から飛び降りる心地で、ドーラがその子に近付くのを遮るようにして身を起こした。
「な……」
「私を連れていって」
「でも……」
ドーラはルトより年上で、アインやイヴァンより年下といったところだろうか。
すみれの訴えに驚き、どうすればいいか分かりかねて院長を振り返る。
「おやおや。目覚めていましたか」
「ええ。ついさっき。この手首が痛みまして」
「加減を間違うとは、お仕置きですねぇ……まぁ、いいでしょう。要望通り、その方をお連れして差し上げなさい」
「…………はい」
牢屋を出された後ろで、鉄格子が錆びた不協和音を鳴らす。それがやけに耳に響いた。
前方に院長、それからすみれ、後方から鍵を掛け終えたドーラが続いて階段を登って行く。
「そろそろ風呂が空いた頃だろう。そちらへ案内しなさい」
「はい」
小屋を出て直ぐそう告げた院長はすみれが連れられて行く方とは異なる方向へ消えて行った。
ドーラと二人きりになって、昼間案内された廊下を進む。
「ここで、全身洗って。一人で出来ないなら下の奴ら連れてくるけど」
「大丈夫。一人で出来る」
「脱衣場に服を置いてる。それに着替えて出て来て。なるべく早く」
「ドーラ」
「話掛けないで。おれは何もできない」
彼は「扉の前で見張ってるから、変な気起こさないで」と言い置いて、すみれを押し込んだ脱衣場から出て行った。
こんな時になんだが、風呂に入れるのはありがたかった。牢屋は掃除が行き届いているとは言い難かったし、そんな所の床で横になっていた服は至るところが汚れていて、クモの巣がくっついていたりと惨澹たる有り様だった。
昼間見た浴場には湯が張られていて、ここで少し前までルトが入らされていたのかもと思うと気が滅入る。
(ルトも心配だけど、今は自分の心配しなきゃね……)
すみれは十八歳の、ただの高校生だ。獣人のように膂力があるわけでもなく、魔術が使えるわけでもない。
(でもミアが……皆が助けに来てくれるから大丈夫)
手早く全身を洗って脱衣場にとんぼ返りしたすみれは、着替えとして置かれていたネグリジェを頭からスポッと被る。足首まである白い寝間着はこの孤児院の子供達が着ている物より上等で、すみれの胸中は怒りでパンクしそうだった。
(こっちの服は持って行けないんだろうな)
さっきまで着ていたワンピースのポケットから、肌身離さずにと口酸っぱく言われていた獣人の匂いのする香水を取り出し、満遍なく吹き付ける。
初めて渡された時はアレクシス王子にすみれ─異世界の人族─だと思われないようにする為に、獣人の姿をして匂いまでつけるのだと彼女は思っていた。
が、よくよく聞いていると、太古の戦争の傷は未だ両族の間に溝を作っていて、例え誰かの番だとしても、誰の番だとしても、人族としてこの国を歩き回るのは危険だと言うのだ。
(院長も人族なら──)
コンコン、と脱衣場の扉が鳴らされて、すみれの肩が驚きに揺れる。
(大丈夫、大丈夫…………)
震える指先で、脱衣場の扉に手を掛けた。
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