スキー学習一日目の夜
「それでは皆さん、いただきます!」
「「「いただきます!」」」
和室の大宴会場で中等部生徒会長、望月茉莉の号令に合わせて夕食が始まった。出されたのは鹿肉のステーキにぼたん鍋、信州サーモンの刺身、冬の山菜とわかさぎの天ぷらなどなど、長野の山の幸川の幸をふんだんに使った御膳である。
「信州サーモンとは言うけど、実はニジマスとブラウントラウトをかけ合わせたマスの交雑種なんだよ」
沙樹のうんちくに周囲は耳を傾けて、しきりに感嘆している。
「本当は馬刺しが出る予定だったんだけど、馬術部の子が気を悪くしたらいけないから信州サーモンの刺身に変えてもらったんだ」
さすが気配り上手、といった称賛の声が飛ぶ。
沙樹の隣の席では悠里が糸の切れた操り人形のようにうなだれていたが、みんな気を使ってか誰も声をかけようとしない。だがちょうど真向かいの席に座っていた莉子が見かねて話しかけた。
「太田ちゃん、元気出しなよー」
悠里は莉子の声に全く反応しない。
「太田ちゃんなら凹んでも一時間もすりゃ立ち直るのに、こりゃよほどこっぴどく叱られたんだな……」
「だって、自分で生徒立入禁止指定しておいたところを滑っちゃったからね」
沙樹がそう言った途端に、悠里は突然「ウボァー!」と叫んで座椅子ごと後ろにひっくり返った。
「大丈夫かい?」
「ううう、飯食ったら別室で反省文だよ……うあああ……」
「とりあえず起きようか。よいしょっと」
悠里は沙樹に起こされて、ついでにズレた眼鏡の位置も直された。
「君にとってこのスキー場は実家の庭当然だけど、特別扱いされずきちんと罰を受けることになったでしょ。おかげでみんなの気が引き締まったよ」
沙樹のもう片方の隣に座っていた神乃羚衣優もうなづく。
「そうだよ。こういうの一罰百戒……って言うんだっけ? まっちゃん」
「そうそう、一罰百戒」
羚衣優と茉莉の二人は食事の席でも隣同士で肩を寄せ合っていたから、悠里は何とも言えない顔つきになった。
「あんたら、ホンマに仲がよろしおすなあ」
「もー、京都弁使ったら嫌味にしか聞こえないよ」
羚衣優は文句言いつつもいちゃつきをやめようとしない。
そこへ、莉子が自分の鹿肉ステーキ一切れを箸でつまんで悠里にの眼前に突き出した。
「太田ちゃん、とりあえず馬鹿になろう。ヒヒーンって馬の真似しながら食べな」
「はあ?」
「馬刺しと一緒に食べさせたかったけど、馬刺しがねえから代わりに馬の真似すんの。ほれ!」
莉子は真剣だった。どうにかして立ち直らせようと彼女なりに必死になっているようだ。友人の意気を汲み取った悠里は、とことん馬鹿になってやることにした。
「ヒヒーン!!」
いなないてガブッ、と勢いよくかぶりつく。肉を咀嚼する様は馬ではなく肉食獣のようである。
「そうそう、その調子。ほら、片寄さんも食べさせて」
「よしきた」
沙樹は自分のではなく悠里の鹿肉を使った。悠里は目を吊り上げて再びヒヒーン! といなないてかぶりついたが、ガチンという音がして肉が口から落ちてしまった。
「うぎゃーッ!! お箸噛んだー!!」
口を抑える悠里。周りは大爆笑である。
*
「うへ、うへへへへ……」
危ない薬をキメた危ない人のような顔つきをした悠里がふらつきながら自分の部屋に戻ろうとしたとき、莉子に呼び止められた。
「おつとめご苦労さまでした。はいこれ」
莉子はアイスモナカを差し出してきた。
「ありがてえ、ありがてえ……おぐっさんマジ神」
「反省文で済んで良かったじゃん。風紀の女軍曹がいたら雪山で木を数える仕事をさせられてたかもよ?」
「あり得るな。ははは」
悠里は渇いた笑い声を上げた。その場でアイスモナカを平らげると、改めて莉子にお礼を言って部屋に入った。
「おいーっす。懲役終わったぞー」
「ご苦労さま」
沙樹だけが返事した。あとの二人は窓の外を食い入るように見ている。
「まー、二人だけの世界に入っちゃって」
「違う違う。外でゆりりん先輩とみやび先輩がCM撮影してるんだよ」
「え?」
スキー学習の合間に撮影するものだと思っていたから、不意を突かれた格好となった。
「お二人さんちょいと端っこに寄ってくれるかなー」
悠里はくっついている羚衣優と茉莉を窓の端に寄せた。二人の体の間から覗き込むこともできたが、それだと二人の仲を邪魔するような形になるのでそこは気を使った。
部屋はゲレンデ側にあり、しかも最上階だからゲレンデが一望できる。ナイター設備の灯火が白い風景を映し出しているが、今はとっくに営業時間を過ぎている。だが確かに無人ではなかった。
その姿は遠い場所にあるため小さく見えるが、複数のカメラ機材と撮影スタッフ、そしてスキーウェアを着た雨野みやび(本名:天野雅)と美滝百合葉が確かにいた。
「おおお、ホントだ。『あるぷす』飲んでる。こんなクソ寒い中で水飲んだらおトイレ近くなるぞー」
両眼の矯正視力1.0でも細かい動作が見える。
「ナイタースキーでひと滑りした後の水分補給、ってところかな?」
と羚衣優。
「あの人ら、初心者班だからプルークボーゲンぐらいしかできねえはずだけど」
「今は映像技術が発達してるから、映像処理でどうにでもなりますよ」
と茉莉。
「なるほど。しかし、ここにひさかべちゃんもいたら超豪華なCMになったろうな……」
ひさかべちゃんとはアイドルグループ「椚坂108」のセンター姫咲部律歌のことで、彼女も星花女子の生徒だが残念ながら仕事の都合で今回のスキー学習に参加していない。そもそも彼女は天寿の商売敵が販売しているミネラルウォーターのCMに出ているため、百合葉と共演することは不可能だ。
撮影監督らしき人が手を叩いている。雅と百合葉はお辞儀をしている。どうやら撮影が無事終わったようだ。
「このCMが流れたら、うちの工場はまたパンク寸前になるんだな」
「あるぷす」の生産を手掛けているのはオオタホールディングス傘下のオオタ食品工業である。雨野みやびのCMのおかげで飛ぶように売れ、年末年始も返上で生産したと聞いている。社員にはちゃんとボーナスを払ってあげて欲しいと悠里は切に願った。
「さて、そろそろ消灯時間だね。明日は早いよ」
「おう、おつとめから解放されたらクソ眠くなってきたわ。ふぁ~……」
悠里は大きなあくびを一つすると、眼鏡を外して眼鏡ケースにしまいこみ、そのまま「おやすみ!」と挨拶して自分のベッドに潜り込んだ、寝息に変わるまではほんの数秒だった。
「ふふふ、おつとめはまだ終わってないんだけどね」
元生徒会組と現生徒会長がクスクスと笑いあっていたことを悠里は知らない。
*
スマートフォンのアラームが鳴ると同時に、悠里は大きなあくびをしてベッドから下りた。眼鏡をつけて頬をぺしぺしと叩き気合いを入れる。目覚めは良好で昨日のことはすっかり忘れており、起きがけからテンションは高かった。
「朝が来たぞー、みんな起きろ起きろ起きろー」
まず隣の沙樹のベッドをまさぐろうとしたが、沙樹の姿がない。
「ん? トイレか?」
続いて向かいにある羚衣優のベッドに向かったが、こちらももぬけの殻になっている。しかし隣の茉莉のベッドを見るとベッドカバーが異様に膨らんでいる。床には下脱ぎ散らかされた下着が落ちている。嫌な予感がした悠里はベッドカバーをめくった。
茉莉と羚衣優が生まれたままの姿で抱き合って寝ていた。
「おう、おうおう……」
心の準備はしていたので特別驚くことはなかったが、自分が寝ているにも関わらず愛し合う度胸に感心してしまった。
羚衣優がうっすらと目を開ける。悠里を見るや悲鳴を上げて飛び起きて枕を投げつけたが、悠里は上手くキャッチした。
「おおう、ナイスボール!」
「何がナイスボールよ! ヘンタイ!」
滅多に怒らない悠里だが、このときはさすがにイラッときてしまった。
「人様が寝てる中でする方が余程ヘンタイじゃねえか! 100マイルのストレートをくらえー!」
「きゃーっ!」
「と見せかけてチェンジアップ!」
悠里は枕を思い切りぶつけるフリをして山なりで放り投げた。枕は茉莉の体の上にポフッと落ちると、茉莉はゆっくりと起き上がった。
「はいおはよう!」
「んんー……れいゆせんぱいおはようございます……」
悠里を差し置いて羚衣優にしなだかれかかって挨拶をした。
「あたしは無視かい……」
ぶつくさ言ってたら、急にノックも無しにドアが開いた。
「やあみんな、おはよう」
部屋に入ってきたのは沙樹だった。
「おう、おはよう。どこ行ってたんだ?」
「隣の部屋でぐっすり寝させてもらってたんだよ。まあその、ね」
沙樹ははぐらかしたが、茉莉と羚衣優の邪魔をしないために出ていったということははっきりとわかっている。爆睡している悠里をほったらかして。
「しょうがねえ奴らだなあ……」
寛容と諦念で受け止めた悠里であった。
ひさかべちゃんについては五月雨葉月先生の『わたしをわたしで在り続けさせて』も合わせてご覧くださいませ。
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