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まふゆ

 到着してその日のうちにスキー学習が始まった。星花のスクールカラー、撫子色に近いペールピンクのスキーウェアを着た生徒たちは大まかに未経験者、経験者に分けられてさらに細かく班分けされたが、過去にスキー学習でしかスキーをしたことがない生徒は初心者班に振られていった。そのため経験者班はA・Bの2班しか編成されなかった。


 悠里と莉子は当然経験者班で、それぞれA班とB班で別れた。各々は経験豊富なインストラクターから指導を受けることになったが、悠里は小さい頃からスキーに親しんでいるので「もう少し上手く滑れるようにしよう」というレベルの指導では物足りない。しかも信州リゾートスキー場はいわばホームグラウンドで、目をつむってでも滑れるぐらい全コースを熟知しているから、他の経験者たちをあっという間に突き放してしまう。


 莉子も同じくスキーの熟練者で、B班の中では間違いなく抜きん出た技量を持っている。信州リゾートスキー場を滑るのは初めてだが全く関係ない。悠里はひょいひょいと斜滑降で他の班員を置いてきぼりにしていく莉子を見つけ、彼女の滑った跡をなぞるようにしてついていく。一番下まで降りきって、リフトに乗ろうとしたところで声をかけた。


「もう一つ上行こう。上級者向けコースがあるんだ」

「確か生徒は立入禁止のはずだよ? インストラクターに怒られない?」

「途中で今滑ってきたコースに合流するんでバレねえよ。おぐっさん、正直この程度のコースじゃ満足できねえだろう?」

「いや、遠慮しとくわ。ごめんね」

「なんだよー。まあいいや、気が変わったら来な」


 そういうわけで悠里だけリフトを乗り継いで、上級者向けコースから滑ることになった。先程のコースと打って変わって急角度であちこちコブがあるが、全くものともしない。


「うひょおおお!!」


 コースに滑走者が少ないのを良いことに奇声をあげる悠里。その傍らを一人のスキーヤーが猛スピードで追い越していった。風圧を受けてたなびく長い黒髪。スキーウェアは白雪の上ではよく映えて見える赤色である。


「うおっ、速ぇ!」


 相当の熟練者と見たが、下手に競争意識を持たず自分のペースを守ることに専念した。安全第一である。


 やがて経験者組と一緒に滑っていたコースに入っていったが、自分を追い越したスキーヤーの姿はとっくに見えなくなっていた。悠里はそのまましれっと班に再合流した。


「よーし、バレてねえ」


 ニシシと笑っていると、自分の名前を呼ばれた。一瞬バレたか、とドキッとしたが、声をかけたのが自分の兄、稔だとわかると安堵した。


「何だ、兄ちゃんかよ」

「おう、兄ちゃんだよ。ちゃんとセンセーの言うこと聞いてっか?」

「はーい、いい子にしてまーす」


 悠里は右手を上げた。


「しかし星花の生徒さんらって可愛い子多いよなあ。インストラクターやるなら星花の子を教えたかったなあ」

「えー、手ぇ出しそうだし勘弁願いたいわ」

「アホ。んなことしたら学校でお前の肩身が狭くなるだろうが」


 割とドスが効いた声だったので悠里は一応ごめん、と謝った。ちなみに稔は2月の春休みから実際にインストラクターのバイトを始める予定である。見た目はチャラ男でも、SAJテクニカルプライズを取得している実力者で腕は確かだ。


「ところでゆりりんとみやびちゃんどこにいんの?」

「あの人らは未経験者班なんでこっちじゃねえよ」

「わかった」


 稔は一番難易度の低いコースに向けてスキーを滑らせた。悠里は後ろ姿に向かって叫ぶ。


「迷惑かけんなよ!」

「かけねえよ! 遠くから見るだけ!」


 稔はスイスイと遠ざかっていった。


「兄ちゃん大丈夫かな……ま、何かあったらそんときはそんときか」


 悠里は口笛を吹きながらリフト乗り場に向かった。待機位置に並ぼうとしたら、目の前には真っ赤なスキーウェアを着た長髪のスキーヤーが。先程悠里を追い抜いていったスキーヤーに他ならなかった。リフトは二人乗りで、ちょうど同じリフトに乗り合わせることになった。


 相手はどんな顔をしているのか興味本位で確かめてやろうとちらっと横目で見たのと、相手が振り向いたのは同時であった。


「あの星花女子学園の生徒なの?」


 そう聞いてきた。悠里が身に着けているゼッケンには「星花女子学園」の文字があり、見ればわかることをわざわざ聞いてきたのは深い興味を示している証拠だ。そうでなければ「あの」などという連体詞をつけるはずがない。


 しかし悠里は質問に答えず、逆に質問を返した。


「もしかして……flip-flop(フリップフロップ)のまふゆさんスか!?」

「そうだよ」


 長野県のローカルアイドルflip-flop。そのリーダー、まふゆの顔を悠里はよく知っていた。ゴーグルで目は隠れているが、唇の左側にある二つ連なったほくろの特徴はまさしくまふゆのもの。それにスキーウェアの赤色はまふゆのメンバーカラーでもあった。


「うわっ、マジでまふゆさんだ!」

「私のことを知ってるってことは、地元の子?」

「地元も地元ですし、私の実家がよくflip-flopのお世話になってるんで」

「実家が?」

「オオタホールディングス知ってますよね? 私そこのご令嬢なんスよ」


 悠里はストックに書かれた自分の名前を見せつけたが、


「う、うーん……この地域は太田さんがいっぱいいるから何とも……」


 村の中では太田姓が一番多いことを悠里はすっかり失念していた。


「あ、じゃあ降幡金志郎さん知ってます?」

「知ってる!」


 オオタホールディングスの広報担当の名前を出した途端に食いついてきた。flip-flopとの交渉は降幡金志郎氏が担当していることは世間一般の知るところではない。


「降幡さん知ってるってことは、本当にオオタホールディングスの娘さんなんだね。あ、だから星花女子に進んだんだ。あそこは全国からお嬢様や芸能人が集まる学校で有名だからね」

「長野でも星花の名が知られてるんスねえ。誇らしいなあ、ははは。ところでここにはプライベートで?」

「そうだよ」


 コラボライブのために来ていることは明白だったが、企業秘密をベラベラ話すのは当然実家の信用問題に関わるので伏せておいた。


 リフトの終点が来たが、成り行きでそのまま一緒に上級者コースに向かうリフトに乗り継いだ。周りのスキー客は誰もまふゆに気づいていないが、スキー客の大半は県外から来ているので長野のローカルアイドルのことを知らないのは当然かもしれない。


「もしかしたらどこかで会ってたかもしれないよね、私たち」

「ライブはまだ見に行ったことないんスけど、イベントではよく見かけましたよー。ここで開場40周年記念イベントやった折とか。あたし、福引きで5等賞のハンカチ貰ったんスよ。まふゆさんから」

「あのZUKUDASEって書いてあったものよね?」

「そうですそうです! まだガキンチョだったあたし相手でも『ずく出してください』って握手してくれたの、感動したなー」

「そうなんだ。あの頃の私、加入して日が浅くてまだ右も左も分からなかったんだけどに、太田さんは覚えていてくれていたんだね。嬉しいな!」


 まふゆはニッコリと笑って、こう続けた。


「もう一度ストック見せて」

「? どうぞ」

「太田悠里、か。じゃあこれから悠里ちゃんって呼ぶね」

「!? そっ、そんな恐れ多いことを……」

「お仕事で悠里ちゃんの会社のお世話になっているからじゃないよ。なんていうか、運命的なものを感じたから」


 悠里の頬が火照りだした。


「あわわわ、そんなこと言われたらガチ恋勢になってしまいますがな……」

「ふふふっ、嬉しい。じゃあ、思い出作りに一緒に滑ろうか」

「ハイヨロコンデー!」


 居酒屋店員のような返事をしてしまった悠里は、リフトから降りた後も心ここにあらずの状態のまま滑り出した。まふゆの後をついていく格好になったが、一緒に滑ろうと言ったことを忘れているのかかなりのスピードを出して悠里を突き放していく。


「まふゆさん、確か中学校の頃にスキーの全国大会出てるんだった。そら速いわ……ってこのままじゃまずい。すんませーん!! もうちょいゆっくりでオナシャス!!」

「ごめーん!」


 まふゆがスピードを落とし、悠里に合わせてくれた。赤に続いてペールピンクがなぞるようにして、右に左にパラレルターンを決めていく。


 ところがコース半ばに差し掛かったところで、まふゆが脇に逸れていった。その先には林があり、かろうじて人が滑れる程のスペースがある。滑っていけば別コースにショートカットできるが、滑走スペースの狭さと急斜面のせいで難易度が高すぎるため、コースマップには載っていない。


「そっち危ないっスよー!!」


 悠里は急停止して叫んだが、


「また明日ね、悠里ちゃん!」


 まふゆは片手を挙げて挨拶すると、林の中に突っ込んでいった。スピードを一切緩めずに、赤が木の間を塗って躍動していくさまが遠目でもよくわかった。悠里はただ「すげー」の一言でしか現せなかった。


「また明日、か……」


 スキー学習のしおりの上では2日目の夕食後に「お楽しみ企画」が催されることになっている。もしも悠里が企画について何も知っていなければ「また明日」がどういう意味なのか丸一日悩み、企画の時間になってサプライズが待ち受けている展開になっていたかもしれない。しかし知ってしまったとしても、明日がますます楽しみになっただけの話。まふゆに名前呼びされたことに対する嬉しさも相まって、悠里の魂はすでに明日に飛びかけていた。


 それが不幸にも注意力に鈍らせてしまった。前回の滑走と同じくしれっと元のコースに戻るつもりだったが、ちょうど合流地点に悠里の班を担当するインストラクターがいた。


「君、どこから滑ってきたの!?」

「あ」


 時すでに遅し、である。

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