スキー学習始まる
年は明け、立成20年。
スキー学習は冬休みの後半を利用して3泊4日の日程で行われる。参加者数は昨年度比でおよそ4倍にも上り、生徒たちはゾロゾロと駐車場に停まっているバスへと乗り込んでいった。
とはいえ全体的に見ればスキー学習不参加の生徒たちの方が多数派である。不参加の理由は様々で、例えば高等部三年生の外部受験組は当然参加できないし、星花女子大学に進学が決まっている者や就職組でも運転免許取得のために教習所に通ったり、資格試験の勉強をしたりと卒業後に備えている。あとは部活動の関係で、とりわけ吹奏楽部や陸上部のように活動が活発なところの部員は参加していなかった。
弓道部の佐瀬杏花は不参加組の一人である。弓道部には射初会という行事があり、毎年スキー学習の日程と重なるため参加する弓道部員はいない。だが杏花が仮に弓道部員でなくても、スキー学習に行く気はさらさらなかった。
ただでさえ雪が嫌いなのに、そのきっかけを作った場所に戻るなんてありえなかった。
杏花はルームメイトのいない部屋の中で、鏡の前でゴム弓を引いていた。ゴム弓とは棒にゴムがついている練習道具で、これがあれば弓矢無しでも場所を選ばずに鍛錬することができる。
全神経を指先に集中させる。目の前には的ではなく、鏡に映った自分の顔がある。目つきは鋭いが、瞳にはどこか虚無感が漂っている。過去の自分の痕跡は今となってはほぼ消えているが、一番変わったところは目の部分だと自覚していた。
右手を離す。ゴムは棒に固定されているので鏡まで飛ばず、そのまま左手に絡まった。もちろん残心の動作を忘れない。
暖房は入れていないが、ゴム引きを何射も行っているうちに体はじゅうぶんに温まった。
もう一射引こうとしたとき、外からけたたましいエンジン音が聞こえてきた。バスが出発するらしかった。
一瞬、あの中にはハンカチを拾った生徒が乗っているのかと思ったが、そんな雑念を抱いた自分が腹立たしくなってきた。弓道に不必要な感情を鎮めるために深呼吸をする。エンジン音が聞こえなくなったところで、改めてゴム弓を構え直した。
太田悠里が生徒たちより一足先に忌々しい思い出の場所にいることを、杏花は知らなかった。
*
悠里の故郷は人口一万人にも満たない小さな村だが、ウインターースポーツの聖地としてその名は日本だけでなく、世界にも知られている。遡ること約20年前に長野オリンピックが開催されたことがきっかけで外国人観光客の誘致に力を入れるようになり、今や小さな国際都市の様相を呈している。
その村にある信州リゾートスキー場は、「リゾート」の名がついているものの、種々のスキー競技大会が催される、日本でも指折りの大規模スキー場である。長野オリンピックではアルペンスキーの会場となり、村の人口を遥かに越える観客を集めた。彼らのための宿泊施設の建設もあちこちで進んだが、その中の一つに「ソレイユ・ルヴァン」がある。信州リゾートスキー場の経営母体、オオタホールディングスが建設した大型ホテルで、日の出を意味する名には日本代表の応援の意味も込められていた。
そしてこのソレイユ・ルヴァンの特徴として、独特な外観が挙げられる。外壁は白を基調としているが、真ん中に大きな赤い円が描かれている。そう、建物自体が日本国旗を模しているのである。建物の縦横長さの比率は2:3、日の丸の直径は縦幅の5分の3という、日本国旗の規格を反映させるというこだわりようであった。
さて、現地に到着した星花女子学園の生徒たちは12月に空の宮市に降ったものとは比べ物にならない程の雪の量を堪能していたが、バスから降りてソレイユ・ルヴァンを見たとき、一様に度肝を抜かれた。
中に入るとこれまた驚く点があった。フロントにはきらびやかな天井画が描かれており、シャンデリアがいくつも飾られている。さらに金細工彫刻もあちこちに配置されていて、さながら小さなヴェルサイユ宮殿のようである。
しかしながら、建物の外観は色使いはともかく造りは無骨だからそれに比べるとミスマッチも甚だしかった。
「うん、はっきり言ってこれは無いな」
そう漏らしたのは悠里のクラスメート、片寄沙樹である。星花女子には一学年に何人かは女子校の王子様と呼ばれるわうな中性的な顔立ちの生徒がいるが、その中でも沙樹は格別の人気がある。何より彼女には前生徒会副会長という肩書きがあり、高等部でも生徒会で学園を牽引する立場になることを期待されている人物だ。
「この壁に飾っている絵も見てごらんよ。雪景色の中スケートをやっている人が描かれているからという理由で飾っているんだろうけどね、この空間にふさわしい絵柄じゃないよ」
絵はブリューゲルの『雪中の狩人』である。美術の教科書に名を連ねるほどの名画家ではあるが、農民の日常風景を描くのを得意としていた画家の絵を豪奢な内装のフロントの中に飾るのはドレスコードを指定されたパーティにラフな私服で参加するようなもの。そう周りに説明して感心を買っていた沙樹に、何者かが後ろからそっと忍び寄って「わっ!」と大声を出した。
「ああ、太田ちゃんか。来てたんだね」
「うわ、平然としてるし……さすがだわ」
悠里は自分のスキー用具を持参しており、その後ろには小口莉子もいる。地元県民の二人は特例として現地集合が認められていた。
「実家はすぐそこなのにホテルに泊まるのはどんな気分だい?」
「ここに来ること自体実は初めてだけどさ……うーん、何考えて造ったんだろうな、うちのじいじは」
悠里も沙樹と同じ感想を抱いていた。ちなみにじいじとはオオタホールディングス社長である祖父のことである。
「ということは、どうやらこのホテルについては君よりも僕の方が詳しいようだね」
「まー、片寄のことだから何でも知ってんだろうし。いろいろと頼むわ」
「それじゃ、部屋割を渡しておこう」
沙樹は車内で配られた部屋割表を、悠里と莉子に渡した。一部屋あたり4人ないし5人、基本的には同じクラスの生徒どうしだが、悠里の入る1515号室は違った。自分の名前の上に片寄沙樹の名前があり、◎がついている。これは部屋の責任者を意味していた。
「何じゃこれは?」
「僕と同じ部屋さ。よろしく頼むよ」
「いやそうじゃなくて」
何で、と言葉を続けようとしたところで、引率の教師が部屋に荷物を置いてくるよう指示を出した。
*
「よろしくお願いします」
ふわふわシニョンの茶髪の生徒がぺこり、と頭を下げる。その傍らにはツーサイドアップの金髪の生徒が寄り添っている。
金髪の生徒の方は神野羚衣優といい、沙樹と同様悠里のクラスメートで前年度の中等部生徒会書紀を勤めていた。そしてもう一人はクラスメートどころか同級生でも無かった。一学年下で名前は望月茉莉、沙樹と同様前年度は中等部生徒会副会長であり、今年度は会長に納まっていた。
この二人が恋人どうしということは公然の秘密である。
「まあ、よろしく」
悠里はそうとしか答えられなかった。
「一応、こういう部屋割りになった理由は聞いときたいかな。現生徒会長と元生徒会二人とあたし。あたしだけ外様なんだよねえ」
沙樹に目線をやると、彼女はスラスラと淀みなく理由を語りだした。
「このスキー学習は例年中等部生徒会が主体となって行う行事。づきちゃんにかかるプレッシャーは大きいし、今年は例年にない数の生徒が参加するから尚更さ。その中でベストパフォーマンスを発揮させるためにはれいちゃんの側に置いた方が良いと思ったんだ」
「うー、まあ会長さんはわからんでもないわ。だけどあたしじゃなくて、四月一日とか沢田のたまきんを入れて元生徒会組で固めた方がバランス良かったんじゃねえの」
悠里は前年度の会長四月一日絢愛と会計の沢田珠希の名前を出した。
「太田ちゃんはしおり作りに協力してくれたからね。そのご褒美だよ」
「ご褒美? どういうこったよ」
「づきちゃんは次世代の星花を担う人材。仲良くしておけばこの先良いことあるかもしれないよ?」
「うーん……」
ちらりと羚衣優と茉莉の方を見たら、二人とも何か懇願するような目で悠里を見つめている。そんな目で見られればもはやノーとは言えない。
「まあ君が部屋の責任者だし、何かあったら君が何とかして」
「もちろんさ」
片寄のことだからまだ何か理由があるんじゃないか、と悠里は勘ぐったが知ったところで今更どうしようもないので何も聞かないことにした。
羚衣優は心底嬉しそうにに、後ろから茉莉を抱きかかえる。茉莉も羚衣優の頬を撫でる。イチャイチャぶりを悠里に見せつけているかのようだ。
「あのー、ほどほどにな」
二人は悠里の言葉に明確な返事をしなかった。
お借りしたキャラ
神野羚衣優(早見春流様考案)
望月茉莉(五月雨葉月様考案)
片寄沙樹(早見春流様考案)
登場作品『依存性♡デュアルネイチャー』(早見春流様作)
https://kakuyomu.jp/works/1177354055396012875