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帰省

 冬休みに入った。スキー学習のしおりも完成して、参加希望者は口々にお楽しみ企画について噂した。悠里は実家のスキー場のことなので何か知っているんじゃないかと何度も聞かれたが、その都度はぐらかして企業秘密を漏らすことはしなかった。同室の小口莉子も例外ではなかった。


 その莉子は合唱部恒例となっている市のクリスマスイベントでのコンサート参加し、悠里もこっそり聞きに行っていたが、莉子の独唱は大好評だった。彼女の地元諏訪では主に御柱祭で歌われる木遣りが伝承されており、莉子は木遣りによって歌唱力を鍛えられたのである。ちなみに莉子はイベント後に恋人の先輩と思う存分甘いひとときを過ごして、門限ギリギリで帰ってきた。翌日には悠里と一緒に帰省するにも関わらず。おかげで悠里は夜明け前に起きて莉子の荷造りを手伝うはめになったが、文句一つ言わなかった。


 午前7時には朝食を終えて寮母さんに挨拶を済ませ、荷物を持って裏門の方に出た。


「本当にいいの? ご一緒しちゃって」

「全然だいじょーぶだいじょーぶ。ドライブ中の話し相手が増えるって喜んでたし」


 悠里のスマホが鳴る。


「もしもし? どこにいるかって? いや門のとこにいるけど? あー、違う違う、裏門だって。そっからぐるっと裏まで回ってきてー。はいよー」


 通話を切ると、「間違って正門の方に来た」と莉子に説明した。


 やがてすぐに、ポルシェカイエンがゆっくりとやってきてハザードランプを出して二人の目の前に止まった。運転席からは男、助手席から長身の女が降りてきた。女の方は悠里と同じタイプの眼鏡をかけており髪型も同じくボブカットで、顔の作りも悠里に似ている。悠里をそっくりそのまま大人にしたような容貌である。


「悠里、元気してたー?」


 女が声をかけると、悠里は「おう、元気元気!」と元気そうに答えた。


「変わりなくてよかったわ。じゃ早速だけど乗って。最後の最後で間違えたツメの甘い愚弟に変わって私がエスコートしてあげる」


 男がムスッとした。色黒、茶髪、ピアスといかにもチャラ男という感じだが、背丈が女より頭半分ほど低いせいかあまり威圧的には見えない。


「メッセージ見たら『門の前で待つ』しか書いてなかったし。門つったらフツーは正門だと思うだろ?」

「どの門か確認取らなかった方が悪い。こんだけ大きな学校なのに門が一個しかないわけないでしょ? そんないい加減な姿勢だと社会出たら苦労するよ?」

「姉貴だって社会出て一年も経ってねえのに何をエラソーに……」

「何か言った?」

「いいえ!」


 悠里が「ほい、タイムタイム!」と両手でTの字を作って二人の間に割って入った。


「きょうだい喧嘩は後回し。お友達待ってんだよ?」

「すみません、よろしくお願いします」


 莉子が恐る恐る頭を下げた。


「悪ぃな。あれでもホントは仲良しなんだ」


 と莉子に耳打ちすると、莉子は仕方ない、といった感じの苦笑いを浮かべた。


「じゃあ、行くよ!」


 今まで悠里は列車で帰省していたが、今年の秋に父親が家族共用車として新たにカイエンを購入したので、悠里の姉の(れん)と兄の(みのる)がお披露目がてらに悠里をカイエンで迎えに来たというわけである。途中で諏訪を通過するので、悠里がついでに莉子も乗せていって欲しいと頼んだところ快く引き受けてくれた。


 恋が今度は運転席に座り、稔が助手席に座る。悠里と莉子が後部座席に座ると、まだシートベルトも締め終わってないのにも関わらず急発進して、すぐに急ブレーキがかかった。慣性の法則に従って悠里と莉子の体が前につんのめる。


「姉ちゃん何してんの!」

「ごめんねー。私カイエン運転すんの初めてだから」


 恋は普段バイクに乗っており、自家用車をほとんど運転したことがないのを悠里はすっかり忘れていた。


「……おぐっさん、今のうちに遺書書いとく?」

「ひええ」

「俺はまだ死にたくねえぞ!」

「だいじょーぶだいじょーぶ。さあ仕切り直しよ!」


 とは言いつつも恋のハンドルさばきはところどころ怪しく、幾度もヒヤリハットを経験させられた。それでも高速道路に乗る頃にはどうにかコツを掴んだようで、車内には雑談できるぐらいのゆとりができた。


 車内からは雪化粧をした南アルプスや八ヶ岳連峰が眺められ、山に囲まれて育ってきた悠里の心がいよいよ弾んでくる。途中で休憩のためにサービスエリアに寄り、山々の画像を撮影して一番見栄えが良いものをメッセージアプリの料理部グループに流した。するとたちまち料理の画像でトーク画面が埋め尽くされた。料理部ではなぜか「いいね!」系のスタンプ代わりに料理の画像を送るのが習わしになっていた。


「ちょっと太田ちゃーん、飯テロやめてよー」


 種々の料理を見せつけられた莉子が訴えるが、彼女はソフトクリームを食べていた。八ヶ岳で生産された牛乳を用いたものだ。それでも莉子の腹がぐー、と鳴ったのを悠里は聞き逃さなかった。


「ウソだろ? ソフトクリーム食ってんのに全然足りてねえの?」

「そっ、そりゃこんな美味しそうな画像見せられたらさあ……」

「なら追加しねえと」

「いや、我慢する。家族がご飯用意して待っているって言うから……」

「おー、法月(のりづき)先輩がすげえもん送ってきた。月見屋食堂冬季限定メニューメガ盛りカキフライ丼だって。おりゃ見ろ見ろー」

「ああああ!」


 ふざけ合っているところに、恋がやってきた。


「あれ、稔どこ? もうそろそろ出発したいのに」

「んー、多分クソしてんじゃねえの」


 悠里の露骨な物言いに恋が顔をしかめた。


「あんたったら、小口さんがモノ食べてるときにねえ……」

「いえ、助かりました。今ちょっと食欲が湧きすぎてたんで」

「そう?」


 稔がトイレから出てくるのが見えた。憑き物が落ちたかのような爽やかな笑顔でこう言った。


「ああ、色も形もツヤも完璧なのがブリッと出た」


 恋が軽くではあるが、稔の尻に蹴りを入れた。それでも当たりどころが悪かったのか、稔は「オフッ!」とくぐもった悲鳴を上げて飛び上がった。


「小口さんいるの忘れてたでしょ? ほんっとデリカシーのかけらもないのね!」

「姉貴こそ人前でパワハラすんじゃねえよ……」

「太田恋の辞書にはね、パワハラという文字はないの」

「うわー、最悪。新人社員研修受け直してこい」

「ほら、ブツクサ言ってないで行くわよ!」


 悠里と莉子はきょうだいの後ろをついていったが、莉子が小声で悠里に話した。


「気を悪くしないで欲しいんだけど、太田ちゃんもだけどお姉さんお兄さんもあんまり上流家庭の育ちって感じがしないよね」

「太田家は堅苦しいのを嫌う家風なんで、親戚含めてみんなあんな感じだよ。あの山々みてえに、あるがままの自然体で生きてきたんだ」

「なるほどねえ。太田ちゃんの人となりは山が作ってくれたんだねえ」

「おうよ、山は良いもんだぞー。山岳部がまともな活動してたらそっちに入ってたんだけどなあ」


 星花女子学園の山岳部は実質的には山の周辺文化を学ぶ郷土研究部と化しているので、勉強が不得手の悠里にとっては敬遠材料に他ならなかった。


 一行は再び動き出して北へ進んでいき、長野の県境を越え、諏訪地方に入っていった。ここで一旦高速道路から降りて、予め莉子が指定していたコンビニに向かった。莉子はここで家族に迎えに来てもらう手はずになっている。


「ありがとうございました! じゃあ太田ちゃん、また来年にスキー場で会おうね」

「おう、体に気をつけてなー。よいお年を!」


 莉子に見送られながら、カイエンはコンビニから出ていった。どこからか防災無線放送を通じて音楽が流れてくるのが聞こえたが、ちょうど正午の時間らしかった。


「さて、どこでご飯食べようか?」


 恋が尋ねる。


「太田家は松本から南に行くことなんか滅多にねえから、ここら辺もよくわかんねえんだよなあ。おぐっさんにおすすめの店聞いときゃ良かった」

「店はあるけど、せっかくの遠出だし良いもの食べたいよねえ」


 スマホをいじっていた稔が言った。


「岡谷の方に行きゃ美味しそうなうなぎ料理の店があるぞ。うなぎ食おうぜ、うなぎ。今が旬だしさ」

「いいねえ」

「異議なーし」


 たちまち満場一致で行き先が決まり、恋は稔の指示通り諏訪湖沿いに車を走らせ、釜口水門の近くにあるうなぎ料理店にたどり着いた。中は満席だったが、すぐさま四人連れの客が食事を終えたためにそれ程待つことなく小上がり席にありつけた。


 うな重三人前を頼んで待つ間、莉子がいる間にできなかった話を悠里は切り出した。


「スキー学習の企画で、flip-flopがゆりりんとコラボライブするって聞いたけどマジ?」

「えっ、ちょっと、誰から聞いたの!?」


 恋の眼鏡がずり落ちた。本人の口から聞かなくても、本当のことだというのは明白だった。


「うちの学校には情報通がいるんでね」

「はあ……誰にも言ってないよね? 小口さんにも」

「当たり前だ、言ったら大騒ぎになるよ」


 稔が口を挟んだ。


「ゆりりんって、あの美滝百合葉?」

「うん。雨野みやびも一緒に来るって」

「マジで!?」


 恋が唇に人差し指を当てて、「静かに!」小声で叱りつけた。


「ぜっったい誰にも言わないでよね。私が言いふらしたと思われたら始末書ものだから」


 恋は4月にオオタホールディングスに入社したばかりで、有り体に言ってしまえばコネ入社だが扱いは新人社員と同じであり、今はまだ下積みの段階である。その恋が言うには「あるぷす」の新CM撮影、flip-flopのコラボライブの件は広報部主導て行っているとのことである。ただし恋は総務部配属なので直接企画に携わっているわけではなく、社内情報として知っているに過ぎなかった。


「なるほどな。ところで姉ちゃん、片寄沙樹って子知ってる?」

「誰それ?」

「じゃあ姉ちゃんが情報源じゃないな」

「もしかしてその子? 悠里の学校にいる情報通ってのは。あー、私がリークしたと疑ってるなあ?」

「ごめんよ。万が一にもねえだろうけど一応聞いただけなんで。へへへ」

「へへへ、じゃないわ」


 恋がムッとすると、稔が笑い出した。


「ま、疑うよなあ。姉貴結構ウソつくからなあ。恋愛でも平気で二股しやがるし」

「えっ、そんなことしてたん?」

「コホン……まあ大学時代にね。もう済んだことだけど、つい調子に乗っちゃったというかなんというか……ていうか、稔も大概でしょ。高一から今まで彼女作っては飽きて別れ作っては飽きて別れて、先月も5人目の彼女とも別れたばっかでしょ? 年イチでとっかえひっかえしてどうすんの」

「兄ちゃんさ、前に家族連れでステーキ食い行ったときに新しい彼女さんの自慢してたじゃん。もう別れたん?」

「……悠里、恋愛はいいもんだぞ。姉貴と兄貴を反面教師にして良い人を見つけろよ」


 何とも言えない空気が流れ出す中、悠里は片手を広げ、もう片手は二本指を立てた。


「姉ちゃんはチョキで兄ちゃんはパー。あたしゃ恋人できたことねえからグー」


 と言って両手の拳を握り、「おあいこだ」と言って自分で大笑いした。恋と稔は苦笑するに留まったが、それでも空気を変えるには十分だった。


 やがてうな重定食が運ばれてきて、きょうだいは季節の風味を存分に楽しんだのであった。

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