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最後の

 冬らしからぬ強い陽射しの中、悠里と佐瀬姉弟は静かな街中を歩く。


「希望、もうちょっとゆっくり歩いてよ」


 杏花は先に先にと進もうとする弟をたしなめたが、へへへーと笑うだけで言うことを聞くそぶりがない。


「じゃあ、先に公園で待ってなさい」


 仕方なく先に行かせることにした。


「もう、せっかちねえ」

「それよりも杏花さん」

「わかってる」


 悠里が聞こうとしたことを、先回りして制した。


 体が震えているように見えたが、寒さから来るものではない。昼過ぎの暖かい陽気に包まれている中でさらに防寒着を羽織っているのだから寒いはずがないのだ。


 杏花は今から最後の戦いに挑もうとしていた。


 向かった先は何の変哲もない小さな公園だったが、コブ状に不自然に盛り上がっている箇所があった。その上に希望がいて悠里たちに手を振っている。小さい子どもであれば登るのに少々労力がいるかもしれないが、さすがに希望ぐらいの年齢だと物足りない高さである。


「ちっちゃいときに希望とよくここで遊んでたの。あの高いところからゴロゴロ転がってね」

「へー、楽しそう。あたしも」

「やらなくていい」


 またも悠里に先回りした。


 杏花は深呼吸すると、弟を手招きした。


「希望。今からおねーちゃんが良いもの見せてあげる」

「なになに?」


 希望が目を輝かせながら下りてくる。入れ違うようにして、杏花がコブの上に上がる。


 杏花の足は先程よりも明らかに震えている。


「おねーちゃん?」

「のぞむっち。よーく見とくんだぞ」


 悠里は希望の肩に手をやると、スマートフォンを操作して曲を流しはじめた。


『雪溶けの地に花が咲く』


 かつて「ロゼ」のオーディションを受ける際に歌った曲。ほんの少し古いが今でも人々の心に残る、とある国民的アイドル歌手のヒット曲である。


 どことなく悲しげなイントロから始まると、杏花はうつむいた。去来する想い噛みしめているようにも見えた。


 Aメロが始まり、杏花はキッと前を見据えて歌いだした。


 静寂の空気を震わせて、耳に届けられる杏花の歌声は透き通っていた。聞いているうちに気持ちが安らいでいった。


 この歌のタイトルの他、サビにも「冷たい日々を終わらせる雪溶けの音」といったように、「雪溶け」というフレーズが組み込まれている。「雪解け」という文字を使わず、春の訪れではなく冬の終わりを強調したくてあえて「雪溶け」にした、と作詞作曲者は語っていたことを、後で悠里は調べて知った。


 辛いとき悲しいときを凍てつく冬に見立てて、それもいずれ終わりのときが来るのだというメッセージがこの歌にこめられていた。


 杏花の足の震えはもう止まっていた。連休の中日にも関わらず誰もいない公園で、杏花の澄んだ歌声とBGMだけが聞こえていた。


「ありがとうございました」


 歌い終えた杏花は、悠里たちに向かって一礼した。


 悠里は一人、歓声を上げながら拍手をしたが希望は呆然と佇んでいるままである。杏花が優しく声をかけた。


「おねーちゃんはね、実はもうアイドルやれなくなったの。だから今のは引退コンサートのつもり。ごめんね、急に」


 希望は首を横に振った。


「本当は俺、知ってたんだ。昨日、おねーちゃんがいないときにとーちゃんとかーちゃんから教えられて。でも前からなんとなくおかしいなって思ってた。全然帰ってこないし連絡もしてこないし。でもまさかひどい目にあわされてたのは知らなかったんだ。とーちゃんかーちゃんから何も知らないフリしとけとは言われたけど……こっちこそごめんなさい」

「希望……」

「おねーちゃんの歌、すっごく良かった。ありがとう!」


 杏花の目から大粒の涙が流れ出た。太陽の光に照らされて輝くさまが悠里には雪溶けの水のように見えた。


「そろそろ戻りましょ。のぞむっちがゲームしたがってるから」

「やろやろ!」


 希望が手を引くと、悠里ももう片方の手を引いた。


 杏花の手には何回か触れたことがあるが、今まで一番暖かく感じた。

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