帰宅
つづら折りやアップダウンの多い下道を抜けて再び高速道路に乗ったのだが、稔はフラストレーションが溜まっていたのだろうか、ここぞとばかりにスピードを出し始めた。しかも先行車に追いつきそうになるたびに右に左にとせわしなく車線変更を繰り返す。百瀬の丁寧な運転に比べると雲泥の差である。
「ひょー、やっぱ高速は気持ちいいな!」
「気持ちいいのは兄ちゃんだけだろ、もうちょっと丁寧に走れ!」
悠里が抗議の声を上げる。同時に、左腕に圧がかかっていたのを感じ取った。杏花が腕にしがみついていた。表情はあからさまに強張っている。
「佐瀬さん大丈夫?」
「あっ」
杏花は声を上げて腕を離した。無意識的にやっていたらしい。
「いいですいいです、しっかり捕まっててください。ほらー兄ちゃん、佐瀬さん怖がってんじゃん!」
「わーったよ……」
どうにか耐えられるスピードにまで減速したが、今度は莉子に異変が起きた。
「太田ちゃんごめん、なんか気分悪くなってきた……」
「えっ!? もしかして車酔い!?」
「多分……さっきまで大丈夫だったんだけど……うっぷ」
「わー! 兄ちゃんどうにかしろ!」
「百瀬ー! 袋出してくれ袋ー!」
「はいはい」
百瀬の処置は間一髪で間に合ったものの、サービスエリアで休憩を取る予定を変更してその一つ前の小さなパーキングエリアに立ち寄ることになった。
「ふー、だいぶ楽になった。みんなごめんなさい、迷惑かけちゃって」
トイレで口をすすいできた莉子だが、顔色はまだ土気色のままだ。
「謝るのはおぐっさんじゃなくて兄ちゃんの方だよ。兄ちゃんは次の彼女ができてもドライブデート禁止!」
「はあ……」
普通ならうるせえ、と毒づくところだろうが、妹の友人を酔わせるほど乱暴な運転をしてしまった負い目があるからか、何も言い返してこなかった。
「小口さん、炭酸飲める? 乗り物酔いには炭酸がいいんだって」
百瀬はいつの間に自販機で買ってきたのか、炭酸入りのジュースを差し出した。
「ありがとうございます……」
「いやあ、気が利きますねえ。どっかの誰かと違って」
「はあ……」
うなだれる稔。
「良い車だから飛ばしたくなる気持ちもわかる。みんなを迎えに行くときの稔も結構飛ばしてたしね。ここから先はまたボクが運転した方がいいかな」
「お好きにどうぞ……」
稔は泣く泣く交代することになった。
「佐瀬さん、本当に大丈夫? 自分も実はちょっと頭痛いんすけど」
「ええ? じゃあ、今度はあたしが真ん中に座るからあんたは窓側に座って。外の景色を見るのも乗り物酔い防止に良いらしいから」
そういうわけで今度は座席の位置を変えることになった。百瀬の丁寧な運転に戻ってからは頭痛も和らいでいき、車内は平穏を取り戻した。
高速道路は木曽山脈と赤石山脈の間を通っており、左右の車窓からは遠くに冠雪している山々の姿を見渡せる。
「雪山って、こんなに綺麗なものだったかな」
杏花がつぶやく。
「もう少し雪積もってたらもっと綺麗だったかもですね。でも、雪ってやっぱりいいもんでしょ?」
「前までは見るのもイヤだったのに……こんな急に変われるものなのかなって自分でもびっくりしてる」
今まで杏花から漂っていた険しさはもう見られない。
*
どうにか回復した莉子は予定通り諏訪市で下ろしてもらい、その後無事に実家に帰ることができたとスマートフォンにメッセージが届けられた。とりあえず一安心である。
車はさらに北上し、空が夕焼けに染まり始めた頃、杏花のスマートフォンの着信音が鳴った。
「もしもし? うん、今麻績村に入ったところだからもう少しで着く」
家族からの電話らしい。久しぶりの帰省とあって家族も待ちわびていることだろうが、杏花はどこか浮かない様子である。
「やっぱり、不安です?」
「正直、ね。今まで散々迷惑かけちゃったし、髪の毛も染めたまんまだし。お説教は覚悟しなきゃと思ってる」
「そん時はあたしも一緒に正座してつきあいますよ」
「調子の良いことを」
口調はきつめだが、表情は穏やかである。
高速道路を下りてから最寄りのコンビニエンスストアで、二人は下ろしてもらうことになった。
「ここでいいの?」
「はい。百瀬さんに稔さん、ありがとうございました」
「兄ちゃんにはお礼言わなくていいですよー」
悠里がちゃちゃを入れると、稔から「ああん?」と睨まれた。
「それは冗談として、気をつけて家まで帰りなよ。事故らないように!」
「おう、お前も気いつけて学校まで帰れよ」
きょうだいの遠慮のないやり取りが終わると、今度は稔の運転で走り去っていった。一応車の姿が見えなくなるまで見送る、というより見張っていたが、速度を飛ばしていないようで悠里は安堵した。
「家まで少し歩くけど」
「全然構いませんよ。いやー、実は千曲へは中学の頃に行ったきりなんですよねー。社会見学で歴史館に行ったとき以来で」
「あたしは小学校のときに行ったな」
などと会話しつつ、二人連れで夕暮れの町を歩く。道の左右に住宅が立ち並ぶ閑静な町並みを見て、杏花は「当たり前だけど、全然変わってないわね」と言い、
「帰ってこれて良かったな、本当に」
と、大きく深呼吸した。久しぶりの故郷の空気を堪能するかのように。
佐瀬家は線路沿いにあった。少々年季が入っている一軒家である。杏花はもう一度深呼吸をしたが、さっきとは違う意味合いが込められていたのは明らかだ。
玄関にはインターホンではなく、通話機能がついていないチャイムが据え付けられている。杏花がそれを押すと、ドタドタという足音がドア越しに聞こえてきた。
「ねーちゃんだ! おかえりー!」
ドアが開くなり、少年が飛び出して杏花に抱きついてきた。
「こら、ノゾム。お客様いるって……」
ノゾムと呼ばれた少年はごめーん、と軽い調子で謝った。
「弟さんです?」
「そう。ほらノゾム、挨拶しなさい」
「佐瀬ノゾムといいます。希望と書いてノゾムと呼びます。よろしくお願いします!」
希望はぺこり、と悠里に頭を下げた。
「太田悠里です。よろしくお願いしまーす。いくつかな?」
「じゅういち!」
「小学生かー。口元がねーちゃんそっくりだねえ」
希望はえへへー、と笑う。杏花は照れくさいのか、わざとらしく大きく咳払いした。
「父さんと母さんが待ってるよ。ほら早く入ろ?」
「ちょっと……」
希望が杏花の手を引っ張る。
「佐瀬さん」
悠里が自分の胸を軽く叩くジェスチャーを杏花に見せる。
「わかってる」
三度目の深呼吸をして、一年ぶりに実家の中へと入っていった。