異床同夢
長野まで一緒に来てほしい。杏花に思わぬ提案をされた悠里だったが、放課後に場を改めて、旧校舎にある料理部部室で話を聞くことにした。
部室という位置づけではあるものの、実態は料理本や先輩たちが書き残した秘伝のレシピなどが置かれている資料室として使われている。めったに出入りしないため少々埃っぽいが、落ち着いて話し合える場所ではある。
入室するなり杏花が数々の資料を物珍しそうに眺めだしたので、悠里は本題に入る前に一冊抜き取って杏花に見せた。
「これは料理部の聖書みたいなもんで」
「『好きな人の胃袋を掴むカレーのレシピ』?」
表紙には可愛くデフォルメされた男女の絵とハートマークの絵が散りばめられているが、中身は本格的なカレーの作り方がびっしりと書き込まれている。レトルトカレーのアレンジにスパイスから作るカレー、昔懐かしい給食風のカレーから本場インドカレーの作り方まで網羅されていた。
「すごくマニアックなことまで書かれてるけど、わかりやすいわ」
「貸し出しできないけどコピーなら取れますよ」
「結構。寮にいると作る機会ないし」
杏花は悠里に本を返すと、ポケットからハンカチを取り出した。
「これ」
「おっ、ZUKUDASEハンカチですね」
「あたし、星花に入学した折に最低限の荷物しか持ってこなかったの。故郷を捨てるつもりでいたから。でもこのハンカチをうっかり持ってきてしまって。だけど、嫌な思い出しか詰まってないはずなのに捨てるに捨てられなかったの」
「あたしも今じゃちょっと嫌な思い出になってしまってますけどね」
悠里はそう言って、同じハンカチを取り出した。
「このハンカチ、前にも言いましたけど信州リゾートスキー場のイベントで配られた景品なんですよ。flip-flopがデビューしたての頃、まだまともだった頃にやって来て……佐瀬さん、あのときウチのスキー場にいましたよね?」
「ええ、まふゆから貰ったわ。あの頃は雪山みたいに綺麗に見えて、この人みたいになりたいと思って……」
「それでアイドルを目指したんですね」
杏花はうなずいた。話しづらそうなら話題を変えるつもりだったが、杏花は続けた。
「だけどついこの前、ハンカチを貰った後のことをふと思い出したの」
「貰った後?」
「うっかりハンカチを落としたのよ。スキー客だらけの中だし、雪に埋もれて見つかりっこないと思いつつも必死に探してね。だけど奇跡的に見つかった。でも拾いに行ったら、近くにいた子どもが見つけて拾われちゃって」
「あっ!」
悠里の頭の中で、唐突に雪景色が再生された。
遠い過去のものになったはずのあの日の記憶。この前見た夢の光景とともに、ありありと浮かび上がってきた。
「そ、その子もしかして……赤い眼鏡かけてませんでした?」
「あんたも思い出したようね」
信州リゾートスキー場開場40周年を迎えたスキー場開きの日。盛大なイベントが執りわれ、その中でデビュー間もないflip-flopの福引大会も開かれ、悠里が参加して貰ったのが5等景品のZUKUDASEハンカチだ。
夢と違うところは、開場初日とあってスキー客が大勢いたことである。長野五輪の競技場として使われるほどの規模と設備を備えたスキー場は人気があった。
ゲレンデに出てもうひと滑りしようとしたところで、新雪の上に何やら落ちているのを見つけた。近づいてみると、ZUKUDASEハンカチだった。誰かの落とし物であることは明白で、拾って案内所に届けようとしたところ、女の子が勢いよく駆け寄ってきた。
「それ、私の!!」
鋭い目つきで怒鳴ってきたが、その目には涙が浮かんでいた。
「あたし、実はついこの前そのときの夢を見てたんですよ。まさか佐瀬さんだったなんて……」
「あんたも夢見てたの? あたしも夢で思い出したんだけど……」
「マジで!?」
「こんなことってあるのね」
杏花の声が上ずっている。
「しかも、あの頃は知り合ってなかったはずのみれいが一緒にいたの。滑ろうよって言って手招きして、だけどいつの間にかいなくなってて。みれいを探していたら、あんたがハンカチを拾おうとしてるところに出くわして。夢っておかしいよね、みれいを探していたはずなのにいつの間にかハンカチを探していることになってて、『それ私の』って……」
細部は違うが、ハンカチを通じて出会ったところは同じだ。これを偶然の出来事、偶然の再会の一言で片付けられるのは簡単だが、二人はそう思っていなかった。
「みれいさんが教えてくれたんだなあ……」
「そうだと思う。きっと、あんたと仲良くしてあげなさいって言いたかったんだろうね」
「それであたしについてきて欲しい、と」
「ええ。あのときのハンカチを見つけてくれたお礼も兼ねてね」
杏花はありがとう、とはっきり口にして頭を下げた。
「いえっ、こちらこそですよ! これからはこのハンカチはいい思い出が詰まったものに変わりますよ!」
「そうね」
そっけない口調ではあったが、口元からは笑みがこぼれていた。それを見た悠里の胸が熱くなっていく。この人と出会えたのは、今は天国にいる姉、愛里の導きもあったのかもしれない。
「みれいさんのお墓ってどこにあるんでしたっけ」
「実家の天龍村よ。ここからだと遠いけど、交通費は出すから」
「いや、そんなことしてもらわなくてももっといい方法があります」
「いい方法?」
「超便利な無料タクシーがあるんです。それに乗せていってもらいましょう」
「無料タクシーって……?」
「めっちゃ便利ですよ」