夢の中
悠里はゲレンデの中にいた。それなのに寒さは全く感じず、雪の上を歩いても綿を踏みつけているようで本物の雪の感触とは程遠い。そのことに対しておかしいとも何とも思わないのが夢というものだ。
『ただいま、レストハウス前におきまして福引大会を実施しております。信州リゾートスキー場開場40周年を祝いまして……』
というアナウンスが聞こえた後、悠里の体はいつの間にかレストハウス前に瞬間移動していた。そこにはテントが張られており、
『信州発ご当地アイドルflip-flop 握手会&福引大会』
という看板が傍らに立てられている。順番待ちの客がいたにも関わらす看板の文字を読んだ次の瞬間、もう自分の順番になっていた。
「よろしくおねがいしまーす!」
目の前にいるのはまふゆだった。現実の世界で最後に見せたけばけばしい姿とは違い、まだ純朴で垢抜けなく目は澄んでいた。
悠里が抽選器を回すと、茶色い玉がコトンと出てきた。
「5等でーす!」
5等の商品はハンカチだった。それには「ZUKUDASE」という文字が書かれている。福引の景品として悠里の実家の会社が製造した非売品だ。
ハンカチをまふゆから受け取ると、「ずくだしてくださいね」と言って握手をしてもらった。柔らかい感触と温もりを感じた途端に彼女の姿は消え、悠里は再びゲレンデの中にいた。さっきまでいたスキー客は誰もいない。
何とも言えぬ悲しさを覚えたが、殺風景な白い空間は悠里の心象を表しているかのようだ。
ゲレンデにいるにも関わらずスキー板も無ければストックも持っていない。それでも悠里は斜面を歩いて登りだした。
すると、ハンカチが落ちているのを見つけた。拾ってみると、まふゆから貰った福引のハンカチと全く同じものだった。
顔を上げると、女の子がいた。今にも泣きだしそうな表情でこちらを見ている。
「どうしたの?」
悠里が声をかけると、女の子は涙目を大きく見開いた。
「それ、私の……!」
「太田ちゃん! 太田ちゃんったら!」
「ううん……?」
目を開けると、ルームメイトの小口莉子の切羽詰まった顔が悠里を見下ろしていた。
「太田ちゃん、すっごいうなされてたよ?」
「マジか!?」
「何か悪い夢でも見ちゃった?」
「いや、悪い夢というか何か生々しかったんだけど……スキー場にいて……何かしたんだけど何したんだっけ」
「ま、まあとりあえず、ご飯にしよ?」
時計を見ると午後六時を過ぎたところであった。
「先に風呂入ってすっきりしてくる……」
「ほんと大丈夫?」
「太田ちゃんはいつも元気だぞ」
着替え一式を持って部屋を出たが、すぐに眼鏡を忘れたのに気づいて戻り、さらに心配をかけさせてしまったのであった。
*
高等部入学試験前日、ホームルームの時間を使って校内と近隣の清掃が行われた。星花女子学園高等部に芸能人が複数在籍している関係で、入試前日と当日はメディアの取材が入ることになっていた。清掃そのものは例年実施していたが、今年はメディアへのアピールもあるたるいつも以上に念入りに行うよう、学園長から教職員、生徒たちに指示が降りていた。
悠里の所属する中等部3年2組の担当は郊外、商店街出口から学校までの道路である。住宅地の真ん中なので騒がないよう気をつけながらゴミ拾いなどを行っていたが、途中でカメラを向けられたり、レポーターのインタビューを受けたりした。
flip-flopのスキャンダルについての質問は一切なかった。学園側の情報統制が上手く効いていたようだが、そもそも所詮はローカルアイドルのスキャンダルだからか、あっという間に報道されることがなくなった。それとともに星花生の間でも話題に上がることがなくなり、一ヶ月足らずで忌まわしい記憶は忘れ去られようとしていた。
「こんなとこに捨てんじゃねえ、気分悪ぃ!」
「こわっ」
悠里が珍しく毒づいたことに、近くにいた羚衣優がすくみ上がった。
「悪ぃね。フツーのゴミだったら何とも思わねえんだけど」
悠里が火ばさみでつまんでいたのは、空になった「あるぷす」のペットボトルであった。実家が作っている飲料を無造作に捨てられているのを見て、さすがの悠里もカチンときたらしい。
「しかし結構ゴミ落ちてるもんだなー……神野はどんだけ拾った?」
「こんだけ」
羚衣優のゴミ袋を見ると、悠里の半分も拾えていない。
「もうちょい頑張れよー」
「頑張りたくない。わたし寒いの嫌い。早く帰ってまっちゃんといちゃつきたい」
ロボットのような抑揚のない声で言い返された。
今現在の気温は11℃と2月上旬にしてはかなり高い。雪国育ちの悠里にとっては「寒い」の内に入らず制服だけでも十分だが、羚衣優はスクールコートにマフラーを着用し、さらにスカートの下に体操服の長ズボンを履くという重装備ぶりである。それでも体を震わせている有様で、よくこんな寒がりでスキー学習に行けたなと悠里は思った。
「おーい、みんな集合ー。そろそろ終わるよー」
担任の一色蒼が声をかけると、今まで動きの悪かった羚衣優が真っ先に担任の下に駆け寄った。悠里は呆れながら後をついていき、一色先生が持ってきた大きなゴミ袋に自分の集めたゴミを入れた。2組全員が集めたゴミの量はそれなりのものだった。
「ふー、これでだいぶ綺麗になったろう? なあ神野」
「まっちゃーん!」
学園に戻る途上で合流した中等部生徒会たちの中に、恋人の姿を見つけた羚衣優が先程よりも良い動きで駆け寄っていった。周りの目があるにも関わらずさっそくいちゃつきだす。
「うーん、このバカップルは本当に……」
「太田さん」
「はい!?」
後ろから急に声をかけられて少々驚いた悠里だったが、振り向くとさらに驚いた。
「あっ、佐瀬さん! 佐瀬さんも外掃除だったんだ」
「ちょっと時間ある?」
「?」
悠里はクラスから離れて、杏花と連れ立って歩きはじめた。
「次の三連休、みれいの墓参りに行こうと思うの」
「長野に帰るんすか?」
周りが振り向くほどの大声が出てしまったが、杏花は咎めることもなく続ける。
「うん、一区切りつけられたから。ついでに、と言っちゃ何だけど実家にも顔を見せとかないと」
「でも、大丈夫すか? 雪を見るのも嫌なぐらいって言ってたでしょ」
「だから、太田さんにお願いがあるの」
杏花は急に悠里の手を取った。
「あたしと一緒に来て」
「さ、佐瀬さん?」
冬にも関わらず、杏花の手は若干汗ばんでいた。