覚悟を決めて
入るように言われてないのに、悠里はズカズカと理事長室に入っていった。
「あたしだってまふゆさんに言いたいことがあるんですよ。一緒にガツンと言ってやりましょう!」
拳を振り上げる悠里に、杏花が詰め寄る。
「ちょっとあんた、これは私の問題だから……」
「理事長さん、お願いします!」
悠里は杏花を無視して波奈に頭を下げた。
「わかったわ。あなたのお家にも関係があることだし、文句の一つや二つ言う権利ぐらいあるでしょう」
「ありがとうございます!」
「そういうことで佐瀬さん。太田さんと私も同席します。いいですね?」
杏花は返事をしなかった。
「理事長、本当によろしいのですか?」
七海が問うと、波奈は大きくうなずいた。
「ここから先は、百合葉と先生は席を外してもらえるかしら。乙室長も」
「はい、承知しました。では御二方、すみませんがこの辺で」
七海は二人を連れて理事長室を出ていった。
「佐瀬さん、太田さんとはお友達?」
「え、その……」
杏花は口ごもる。
「あなたがどう思っていようと、太田さんはあなたのことが心配で仕方なかったみたいだけど」
えへへ、と悠里ははにかんでうつむいた。
「何の意図があってそんなことを言いだすんですか?」
理事長相手でも棘を含んだ言い方をしたが、さすがにまずいと自覚したのか、即座に「すみません」と謝った。
波奈は軽く微笑んで答える。
「実はスキー実習最後の日、太田さんの実家に寄ったのよ」
「え?」
杏花が悠里の方を見てくる。
「太田さん、話していい?」
「いいですよ。佐瀬さん、全部知ってるんで」
「わかったわ。その日は太田さんのお姉さんの命日でもあったから、お線香を上げに行ったの」
悠里の年子の姉、愛里が星花女子学園を受験するということを波奈は悠里の祖父から教えてもらっていたが、不幸なことに愛里が事故に見舞われたのはその翌日のことであった。
愛里の葬儀は親族だけで執り行ったが、葬儀が終わった後、波奈は忙しい合間を縫ってお悔やみを述べに来た。いち受験生に過ぎなかった愛里のために理事長自ら来てくれたことに悠里は心底から感謝し、星花女子学園の受験を決めるきっかけとなったのだ。
それから波奈は愛里の命日のたびに線香を上げに来てくれていた。妹の学校生活を報告するために。
「あのとき、太田さんはその場で『来年受験します』って決意表明してくれてね。あのときの真っ直ぐな瞳は今でもはっきり覚えてる。強くていい子だなあって思ったわ。ねえ太田さん?」
「そんなに褒めないでくださいよー」
悠里は背中にむず痒さが走るほど照れていた。
「つまり何が言いたいのかとうとね、太田さんは信用できる子ってこと。きっと佐瀬さんの助けになってくれるわ」
「そうですよ! あたしを頼ってくださいよ!」
悠里は自分の胸をドン、と叩いたが、強く叩きすぎて「いてええ!」と口走ってしまった。
「……まったく」
杏花は胸をさする悠里を見ながらため息をついた。それでも顔つきは優しげだった。
「わかった。あんたもついてきて」
「……ありがとうございます! おーいてて……」
「まったく……」
「あと、もう一人連れてきます。この人がいれば絶対安心ですから」
「誰よ?」
「そりゃああの人しかいないでしょー、ねえ理事長」
波奈は黙ってうなずいた。
*
後日、空の宮市北東部にある天寿の本社ビル。現役の星花女子学園の生徒が赴くことはまずない場所である。人目を避けるため、悠里たちは七海の計らいで普段は幹部社員しか使えない、社長室のある最上階への直通エレベーターを使わせてもらった。
「こちらへどうぞ」
社長室横の応接兼会議室に通された悠里は「すごっ!」と声をあげた。
壁には大きな抽象画が掲げられ、反対側にはショーケースがありその中にさまざまな形のオブジェが飾られてある。芸術に疎い悠里でもどれも安物ではないことぐらいは理解できていた。
「じぃじの会社のより立派だなあ……それにこのソファー。めっちゃ柔らかそう」
悠里は一人がけのソファーにどかっと座り込むと、柔らかさを堪能する前に杏花が声を荒げた。
「こら! 勝手に座らない!」
びっくりして飛び上がる悠里。そこに社長室から波奈が現れる。
「ふふっ、どう? それ、これぐらいしたのよ」
波奈は指三本を立てた。
「3万円ですか?」
「あと一桁少ないわ」
「次からはもうちょっと丁寧に座ります……」
「それより、二人とも大丈夫かしら? もうそろそろやってくる頃だけど」
「覚悟はできてます」
杏花が答えると、悠里も「できてます」と同調する。
壁掛けの電話機が鳴り、七海が出た。
「社長、来ました」
「通しなさい」
七海が電話越しに指示を出してから数分後。ドアがノックされた。