動き出す杏花
その日、杏花は自分の所属する3組ではなく、生徒会室に向かった。一年生の教室と生徒会室は同じ二階にあるから、同級生に見つからないようこっそりと行く必要があったが、生徒会室周辺で生徒や教職員の姿が見られなかった。
生徒会室前には目安箱が設置されている。生徒たちは学校生活での不平不満や意見提案、その他諸々を書き込んで提出できるようにしているが、実際に運用されているかどうかはわからない。生徒会広報紙に「目安箱の意見を取り入れて政策に反映しました」ということが書かれた記憶がないし、そもそも投書する生徒がいるのかどうかすらわからない。高等部会長を初め副会長以下、中等部生徒会も憧れの存在であることが多いからファンレターじみたものは送られているかもしれないが。
杏花はこのブラックボックスに、封筒を投入した。中にはルーズリーフが入っている。高等部会長、百合葉宛ての手紙である。
前に悠里が送りつけてきた忠告によると、まふゆが百合葉に杏花の安否を尋ねていたらしい。つまりは、自分が星花女子学園にいることがバレたのは百合葉づて以外考えられない。
だが百合葉はflip-flopの実情を知らないだろうから、悪気があってしたことではないのは理解していた。だから手紙には非難めいたことを書かなかった。
佐瀬杏花はかつてflip-flopに所属する研修生であったこと。辞めた理由。まふゆが再び接触しようとしていること。そしてそのことに対して学校側にして欲しいこと……。
本人の目に届くかどうかはわからない。だが百合葉はきちんと生徒の耳に傾けてくれる。自分が置かれた事情を知ったら放っておくことはできないはずだ。
平穏な生活を取り戻すために、杏花は動いた。そうさせたのは同郷の後輩だ。自分と違い逃げなかった者。自分の怒り悲しみをぶつけても否定せず聞いてくれただけでも、随分救われた。そのことは性格上、口にはしなかったが。
だが、ここからは杏花自身の戦いだ。いくら協力してくれるとは言ってくれていても、元は自分が撒いた種なので迷惑をかけるわけにはいかない。自分にかけられた呪いは、自分で断ち切らねばならない。逃げるのはこれで最後だ。
*
料理部では三学期になるとスイーツを作ることが多い。バレンタインデーとホワイトデーでスイーツ作りに勤しむ生徒が増えるため、料理部も感化されるからだ。
しかし悠里の作るスイーツは他部員のものとは一線を画していた。
「へい、お待ちぃ!」
作ったのはりんごおやきである。りんごはもちろん長野産だ。
今回、味を批評するのは高等部の先輩たち。中等部の部員が作った様々なスイーツを批評し、技量向上に活かすのである。
「うん、甘すぎず重たくなくてあっさりしてていいね」
と、香野美咲の評。
「前にお肉入りのおやき食べたけど、りんごもいけるよね」
と、朝倉夏樹の評。
「……」
野々原茜はおやきを二つに割って、中身を慎重に見ている。具の出来具合を見ている感じではなさそうだ。
「野々原先輩、どうかしました?」
美咲が聞く。
「みんな大丈夫だった? その、『アレ』が入ってたりしなかった?」
「アレ? あっ……ちゃんと見てなかった」
美咲も夏樹も「しまった」と言いたげな顔つきになった。悠里は苦笑いを浮かべる。
「虫を使いたかったんすけど、今回はりんごの良さをフルに活かしたかったので断念しました!」
「入れなくていいから」
高等部の先輩たちが異口同音に突っ込む。茜は念のためなのか、もう一個おやきを二つに割って中身を確かめた。
「この前、茶道部に作ってあげたお饅頭にバッタの佃煮を混ぜてたって聞いたよ……」
「あれは向こうが饅頭ロシアンルーレットやりてえって言うから……」
「えー、太田ちゃんそんなことしてたの?」
「食べ物で遊んじゃだめだよ!」
美咲と夏樹が集中砲火を浴びせる。
「うう、ちゃんと食べられるものなのに」
「ちゃんと食べられるものを罰ゲームのハズレみたいな扱いをするのはどうかと思うよ」
「うぐ」
何も言い返せなかった。茜はようやく大丈夫だと判断したようて、一口食べてくれた。
「生地がサクサクしてる。甘さは控えめだけど、あっさりしてていくらでも食べられそう」
「あざーす!」
他の先輩たちもなかなか高い評価のコメントを頂いた。
「さあ、りなりー先輩はどうすか!」
悠里が最後にりなりーこと愛海りなに評価を求めた。彼女は味見専門という珍しい立ち位置にいる部員だが、人一倍食べる分舌は肥えていた。
「うーん、りなりー的にはもうちょっとパンチ効かせて良かったかも。前のお肉おやきの方が美味しかったかなあ」
と言いつつ完食していたから、手放しで褒めてもらえると思っていた悠里としてはがっくりと来た。
「パンチかあ……遠慮してたけどやはりハチノコを入れるべきだったかなあ」
「入れなくていいから!」
また異口同音にツッコまれる。
「ハチノコ、栄養あんのにー……」
ぶつくさ言いながら空になった皿を下げようとしたとき、校内放送が流れた。
『高等部1年3組佐瀬杏花さん。1年3組佐瀬さん。理事長室まで来てください』
ガシャン、という音に続いて軽い悲鳴が上がった。
「うわー! やっちったー! すぐ片付けます!」
悠里は秒の速さでほうきとちりとりを持ってきて、あちこちに飛散した皿の残骸を手際よく回収して新聞紙にくるんだ。
「ふー、お騒がせしました」
「太田ちゃん、怪我してない?」
「こっちは何ともないです。香野先輩こそ大丈夫です?」
「私は大丈夫。夏樹も大丈夫、よね?」
「う、うん」
「本当に大丈夫?」
「私じゃなくてクラスメートの子が大丈夫かなって……」
「あ、そうか。さっき呼ばれたの3組の子だったね」
夏樹は杏花と同じクラスだったことを、悠里は思い出した。互いの関係性について聞いたことはないが、悠里と同じく理事長室への呼び出しに不安感を抱いているようだ。
「理事長室に呼び出しって、何したらそうなるんだろう?」
りなが聞く。
「よほど褒められることをしたか、よほど悪いことをしたかのどっちかでしょ。佐瀬さんのことはよく知らないけど、夏樹なら知ってんじゃないの?」
「ごめん、私あまり佐瀬さんと会話もしたことないから……悪いことをする子ではない、と思いたいけど」
夏樹の答えが歯切れが悪いのは、杏花の見た目が人によっては不良と見られてもおかしくないぐらい、威圧感を与えるからかもしれない。
それにしても、ただ事ではなさそうだ。
「ちょっとトイレ行ってきます!」
悠里はエプロンと三角巾を外すと、調理室から出ていった。すぐ近くにトイレはあったが無視して、階段を降りていった。
一階まで降りるとすぐそこにトイレがあったが、そこにも入らず長い廊下を物陰から伺った。右手に職員室があり、左手には様々な部屋があるがその中の一つに理事長室がある。生徒たちはまず用の無い場所だ。
理事長室の前では、進路指導の教師が立っていた。杏花が落としたZUKUDASEハンカチを届けた相手である。右に左にとあちこち見回して落ち着きがない。
「あ、佐瀬さん!」
教師が、向こう側からやって来た杏花を呼び止めた。悠里はサッと体を隠し、耳に神経を集中させる。
「何があったの?」
「わかりません」
「とにかく中に入りましょう」
教師がドアを強くノックして、ドアが開く音を聞いた。
「先生も呼び出しの理由を知らねえらしいな……」
悠里は理事長室の前に移動して、大胆にもドアに張り付いて耳を押し当てた。声がかすがだが聞こえてくる。人の往来に気を配りつつも聴覚をさらに研ぎ澄ませた。
ご登場頂いた料理部の愉快な仲間たち
香野美咲(しっちぃ様考案)
朝倉夏樹(藤田大腸考案)
いずれも登場作品は『恋を咲かせる秘密のレシピ。』(しっちぃ様作)
https://ncode.syosetu.com/n4260hn/
野々原茜(しっちぃ様考案)
登場作品:『茜さす君に見初むる幸ありて。』https://ncode.syosetu.com/n2860fz/
愛海りな(早見春流様考案)
登場作品:『感情とおっぱいは大きい方が好みです ~爆乳のあの娘に特大の愛を~』(楠富つかさ様作)
https://www.alphapolis.co.jp/novel/161310123/427702274