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まふゆからの手紙

 渡された封筒は、悠里宛てのものよりも分厚く、まだ封は開けられていなかった。


「あんたが読んで」

「あたしがですか?」

「あいつの手紙なんか読みたくもない」

「いやでもこれ、佐瀬さん宛ての手紙じゃないすか」

「読めって言ってんの!」


 杏花の口から大量の白い息とともに鋭い怒鳴り声が吐き出され、悠里は首をすくめた。


「その手紙にはきっと、あんたの知らないflip-flopが書かれてる。あいつらの本性が書かれてる。それをあんたは知る必要がある。人の触れられたくない事情に踏み込んだ責任を取ってもらうから」

「わ、わかりましたよ」


 悠里は封を破って便箋を取り出した。冒頭には「あんずへ」と、杏花の芸名が書かれていた。


 最初は体調を気づかっており、ここまでは普通の手紙のやり取りであった。しかしその先からは、一字一句読むごとにハンマーで頭を叩かれるような思いをすることになった。


 決して表に出ることのない、flip-flopの裏の面が明け透けに書かれていたからである。


 flip-flopにはあんず、そしてもう一人、みれいという研修生がいた。あんずは千曲市、みれいは天龍村出身で、それぞれの生まれは北信と南信で離れていたいたが、同い年とあって仲は親密であった。


 だがアイドルとしての技量は、あんずの方がみれいよりも遥かに上回っていた。みれいに素質が無かったわけではなく、あんずが天才的だったのである。


 あんずが一足先にデビューすることが決まり、みれいは口ではあんずのことを祝福していたが内心焦りがあったのであろう。どうすればあんずに追いつけるのか、とまふゆに相談を持ちかけた。


 まふゆが出した答えは、技量的なものではなかった。


 まだ年端もいかぬ身にも関わらず、flip-flopが所属する事務所の社長と肉体関係を結ばせたのである。


 この社長は過去に在籍していた者も含め、flip-flopのメンバー全員と関係を持っていた。それどころかどうしても欲しい仕事を取りたい場合、相手先の偉い方にメンバーを抱かせるという、鬼畜生のごとき所業もやっていた。


 それをまふゆは、さも当然かのように淡々と書いていたのである。


 みれいは初めは我慢していたようだが、やがて姿を消した。しかしまふゆは手紙の中で、みれいのことを競争社会からはじき出された負け犬だと散々にこき下ろしていた。


 悠里は胃液がこみ上げるのを感じた。人気ローカルアイドルのグロテスクな一面を見せつけられて、平静を保っていられるはずがなかった。百合葉に対しては「辞めた理由を知りたい」と言っていたが、本当に辞めた理由がわからないのであれば正気ではないとしか言いようがなかった。


 それなのに手紙の最後では急に甘えたような感じになり、戻ってくるよう懇願していた。何とも言えぬどす黒い感情が悠里を包んだ。


「も、もういいです……」


 悠里は手紙を突き返したが、


「何が書いてあった?」


 問い詰められても、口にすることができない。


「あんたの反応で大体想像がつくわ。まふゆ、あたしにはバカ正直に何でも打ち明けてたから手紙でもバカ正直に書いてたに違いない」


 杏花は手紙を取り上げるとくしゃくしゃに丸め、形相は一気に険しいものとなった。


「あいつ……あいつのせいであたしは夢を諦めて故郷を捨てなくちゃいけなくなった。でもあたしはまだやり直せるからいい。やり直しの聞かないところまで堕とされた子もいる。その子と一緒に逃げられなかったことを後悔している」


 丸めた手紙が悠里の顔に投げつけられたが、避けなかった。避けることができなかった。


「あんたみたいなね、ぬくぬくとした温室で育ってきてそうなヤツにあたしがどれだけ辛い思いをしたかわからないでしょ! あんた、あんたなんかには……」


 突然、杏花の体がふらつきだして前のめりに倒れそうになった。


「あっ!」


 曖昧になりかけていた悠里の意識が戻る。慌てて杏花の体を支えようとしたが、勢いがついていたためか押し倒されるような格好になり、尻もちをついてしまった。


「だっ、大丈夫ですか佐瀬さん?」

「離して! 立てるから!」


 だが杏花の体は立ち上がることはなく、ズルっと悠里の体から滑り落ちて地面に這いつくばってしまった。


「あああ、全然立ててねえし」


 悠里は助け起こそうとしたが、動く素振りがない。体をひっくり返すと、目が虚ろで唇が震えていた。


「佐瀬さん!?」


 体を揺すったが何の反応もない。非常によくない状況だと悟った悠里は助けを呼ぼうとしたが、ちょうど寮から生徒が出てきた。


「すんません手を貸してください! 緊急事態です!」

「……佐瀬さん?」


 生徒が杏花のルームメイト、衛藤譲葉でなければもっと大騒ぎになっていたかもしれない。


 *


 とりあえずは重篤な病気ではなさそうだったので、杏花をベッドに寝かせるだけにとどまった。


 譲葉は悠里を広間まで連れ出してお礼を言った。


「ありがとうね」

「いえいえ」

「あなたもあまり顔色が良くないけど、大丈夫?」


 そう言う譲葉も、元からなのかもしれないが土気色の肌をしている。


「あたしは大丈夫ですから、佐瀬さんの方を心配してあげてください」


 悠里は笑顔を作って平静を装った。


「そうね……あの子、冬休みにも晩ごはんの最中に倒れたし」


コラボライブが星花の4つの生徒寮の食堂に配信されていたことは悠里も知っている。杏花が倒れた原因はまさか配信を見たせいじゃないだろうか、と勘ぐらざるを得なかった。


「ところで太田さん、だっけ。佐瀬さんと知り合いのようだけど」

「はい、実は同じ長野県民なんです」

「あの子、長野生まれなの?」

「えっ……? ルームメイトなのに知らないんですか?」

「佐瀬さんとはあんまりしゃべらないから」


 同じ部屋に住んでいるのに、どこの出身なのか聞いたこともないのだろうか。


「もしかして、仲がよろしくない……とか?」

「険悪ということもないよ。お互い不干渉なだけ」


 悠里にとっては想像し難いことではあるが、それ以上二人の関係について深入りしないことにした。


「今日のところは帰ります。佐瀬さんのことをよろしくお願いします」

「あなたもゆっくり休んでね」


 譲葉の言う通り、このまま明日も学校を休んでしまいたかった。flip-flopの闇の部分を垣間見てしまい、どんな嫌なことがあっても立ち直りが早い悠里でも相当精神的に参っていた。


 気がつけば中等部桜花寮215号室の前にいた。頭の中を黒いものがグルグル回っていたせいか、記憶回路が正常に働いていなかったらしい。これはまずい、と自覚した悠里は自分の頬をバシバシと叩いて喝を入れ、深呼吸してからドアを開けた。

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