帰還
四日間にわたるスキー学習は全員大きなケガもなく、無事に終えることができた。
生徒たちは程よく心地よい疲れを感じていたが、明後日には三学期が始まることを考えると憂鬱になりもした。だから帰りのバスでは日常に戻る前の憂さ晴らしということでいろんなレクリエーションが催されていたが、中等部3年1組と2組の生徒が乗る3号車ではカラオケ大会で盛り上がっていた。
「♪あんた どこにい~るのお~ あんた あい~たいよお~」
小口莉子がこぶしを利かせて演歌を朗々と歌い上げると、車内は拍手に包まれた。
「莉子ちゃん、演歌歌手になれんじゃない?」
「いやーそこまでは」
と謙遜して、隣の席の子にマイクを渡そうとしたが、後ろの席へどうぞと手の動きで指示されて、仕方なく後ろに渡した。
「片寄さん歌わなくていいの?」
「君の心の中で歌っておくよ」
と言ってまた外の景色を眺めだしたから、「何言ってんのこの子」と口走りそうになったが飲み込んだ。今まであまり接点が無く帰りのバスで隣同士になったのをきっかけに仲良くなれそうかなと思ったものの、達成は少々困難なようである。
そもそも、帰りのバスも行きと同じく、隣の席には友人の太田悠里が座るはずであった。しかし悠里は学園側の許可を得て実家に帰っており、一人で学園に戻ることになっていた。
理由は家庭の事情、とか知らされていない。
しかし、悠里は莉子に対して「お土産」を手渡していた。ただしそれは一人の人間を除いて誰にも手渡してはならないものである。
「はあ……太田ちゃんのこれ、どうしたもんかな」
莉子は誰にも聞こえないよう呟いて、スマホのメッセージアプリを立ち上げて「お土産」を見た。
*
「じゃあ、また帰ってくるときに連絡頂戴ね」
「うん。みんなもお達者でー」
悠里は家族に見送られ、兄の稔が運転するカイエンに乗り込んで実家を後にした。
「へへっ、大漁大漁」
「お前ホント虫好きだよなー」
信号待ちの間、お土産として持たされたイナゴやコオロギ、その他いろんな昆虫の甘露煮の瓶詰めを見つめながらニヤニヤする悠里を、稔はため息まじりに見た。
「特にムカデみてえなきしょいやつ。何だこれ?」
「ざざむし。伊那の方で売られてるんだと。一ついっとく?」
「やめろ!」
フタを開けようとしたものだから、稔は本気で怒った。
「ったく……電車の中で食うなよ?」
「食わねえよ。料理部の連中に振る舞うから」
「お上品なお嬢様たちの口に合うとは思えねえけどな」
信号が青になり、カイエンが走り出す。姉とは違いカイエンに乗り慣れているようで、運転は丁寧だった。
駅までは5分もかからないが、そこからが長い。松本経由で甲府まで行き、甲府から特急に乗り継いで空の宮まで6時間弱かかる。お昼前から出発しても、学園に着く頃には夕食の時間帯である。食べて風呂に入って荷物を整理した後に莉子とスキー学習の思い出話をして、それから寝て起きれば三学期の始まりだ。
「ちゃんと一人で帰れるのか?」
「何を今更。今までそうしてきただろ」
「まあ、今日が今日だけ(傍点)にな」
そう言われると、悠里は「まあな」としか返せなかった。
「あ、そうだ。兄ちゃん、去年あたりにflip-flopに『あんず』ってメンバーがいたの知ってる?」
どうしても聞いておきたかったことを、ここで聞きだした。
「あんず……? いや、知らねえな。いきなり何だ?」
「幻のメンバーでいた、って噂を聞いてさ」
「幻の……あ、もしかして研修生と勘違いしてるとかもな」
「flip-flopに研修生制度あったっけ?」
「研修中に表に出るか出ないかの違いはあっても、どこの芸能事務所も研修ぐらいはやってるだろう。オーディションに合格してもレッスン受けてアイドルにふさわしい品格を身に着けなきゃ、人様の前に出せねえだろうからな」
あのとき、まふゆはあんずのことを幻のメンバーと口にしていたが、相当期待をかけられていたようだった。研修生であったとしても正メンバーの座が確約されるところまでたどり着いていた可能性が高い。
それなのになぜあんず――佐瀬杏花は去ってしまったのか。まふゆもその理由を知らないようだったから、答えは杏花本人の中にしかない。それを聞く機会が与えられるのかどうかは、親友の手にかかっている。
「大変だなー、アイドルって」
「ああ、あのゆりりんもトップアイドルに上り詰めるまで相当苦労してきたに違いねえさ。それでも学校にちゃんと通いながら仕事やってるってんだからなあ。お前も頑張らねえと罰当たるぞ」
「そうだなあ」
やがてカイエンは駅に着いた。ロータリーに停まると、悠里はドアを開けて外に出て白雪を踏みしめた。
「悠里、今日はありがとうな」
「何だよ急に」
「明日から学校なのにつきあってくれて、あいつも喜んでるよ」
「当然でしょ。だって……」
言いかけたところで、上り線電車の接近を知らせる放送が流れてきた。これを逃すと三時間以上電車が来ないので乗り遅れると致命的である。
「おっと、じゃあもう行くわ」
「おう、気いつけて帰れよ」
お互いに手を挙げて軽く挨拶を交わした。
短いようで長く、長いようで短い帰省であった。
*
「たっだいまー」
「ああ、太田ちゃん! またいろいろ持って帰ってきて……どうせ昆虫の甘露煮だろうけど」
莉子が悠里の手荷物を見てそう言った。
「当たりー。今回はざざむしが手に入ったぞー」
「うぎゃー!」
ざざむしの瓶詰めを見せつけられた莉子は飛び上がった。
「な、何これ! ムカデじゃない!」
「ざざむしだっての。じいじの会社の役員の一人が伊那の人でさ、その人がいっぱいくれたのをおすそ分けしてもらったんだ。見た目グロいけどすげー美味いから食ってみ?」
「やだ!」
莉子は即拒絶した。
「んだよー。まあいいや、料理部のみんなに食わすから。ひひひ」
「ひひひじゃないよ……」
「ところでアレどうなった?」
「ああ、アレね。手紙にして渡しといたよ」
「何か言ってた?」
「いいや、直接会ってないし。向こうの寮母さんを通じて渡した」
「あれ機密中の機密情報なのに大丈夫か?」
「かと言って私が直接渡しても怪しまれて読まないよ。てか私、正直言ってあの人嫌いなんだけど」
「まあそう言ってやんな、同郷なんだし」
悠里は立ち聞きしたまふゆの話を踏まえ、莉子経由で杏花にメッセージを送った。訳ありでアイドルを辞めたのは明白だったからその辺のくだりはさすがの悠里でも気を使い、慎重に言葉を選んで書いた。まふゆが探ろうとしているから気をつけた方が良いという警告、もしも百合葉が接触してきてアイドル時代のことを根掘り葉掘り聞いてきても、波風を立てるようなことはしないで欲しいことを伝えた。
拾ったハンカチから接点が見つかり、今回のスキー学習でも良い形ではないが、新たな接点が見つかった。悠里にとってはもはや杏花のことを赤の他人とは露とも思っていなかった。
そして三学期が始まってすぐのことであった。悠里が料理部でざざむしを振る舞って大顰蹙を買い、打ちひしがれながら帰寮したのだが自分の部屋に入るなり、先に帰っていた莉子がいきなり「これ見て!」と封筒を渡してきた。
差出人の名前を見て仰天した。
「これ……まふゆさんからじゃん!」
「そう。太田ちゃんあて」
丁寧に封を開け、便箋を取り出して読み始めた。そこにはコラボライブ前日に一緒にゲレンデを滑ったことから始まり、コラボライブで一緒にステージに立ったこと、クイズでの珍回答に笑わせてもらったが最後のりんごの問題を全的中させて驚愕、感心したことが綴られており、末尾にはあなたとの出会いに感謝します、という一言で締めくくられていた。しかもゲレンデをバックにした自撮り写真までもが同封されていた。
感激に打ち震えていると、いつの間にか後ろに回り込み覗き込んでいた莉子から「あんたまふゆさんと一緒に滑ったの!?」と問い詰められた。
「おい、覗くなよ!」
「何で黙ってたのよ」
「そりゃ、プライベートだったし……」
「ふーん」
実はコラボライブのことを本当は知っていたんじゃないか、と言いたげなのがひしひしと伝わってきたが、突然、寮内放送が流れてきた。
『215号室の太田悠里さん、215号室の太田悠里さん、1階ロビーまでお願いします』
呼び出しを受けたのは入寮以来初めてのことである。まさかざざむしの件が大事になって呼び出されたのかとビクついたが、呼ばれたからには行かなくてはいけない。「ごめん出るわ」と言い残して早足で1階ロビーに向かった。
そこには癖っ毛のショートヘアーで、前髪に金のメッシュを入れた、切れ長の目を持つ生徒が腕を組んで立っていた。
佐瀬杏花である。
「佐瀬さん!?」
「こっち来て」
手招きされて外に出た。雪こそ降ってはいないが例年を下回る気温で、雪国育ちの悠里でも堪える寒さである。
寮の裏側に回ったところで、杏花は封筒を差し出してきた。
「あんたの言った通りだったわ」
差出人の名前は平林真冬とあったが、まふゆの本名だということが明らかであった。