幻のメンバー
長野県クイズが終わり、コラボライブは後半に突入した。
まずはflip-flopの曲『スキーパラダイス』が披露された。スキーを楽しく滑る様子を歌った親しみやすい曲で、長野県各地のスキー場で流されているために知名度は大きい。何よりスキーの動きを振り付けに取り入れたユニークなダンスが特徴で、これが生徒たちに受けた。
百合葉も一緒に歌ったが、歌詞は当然ながら振り付けも完璧にマスターしていた。例えローカルアイドル相手との仕事であろうと一切手を抜かないプロ根性が垣間見えた。
それから百合葉の所属するユニット、mizerikorudeの曲をまふゆがメインで歌い、flip-flopの曲を百合葉がメインで歌った。長野県のアイドルファンでも見られない光景を星花女子学園の生徒たちは楽しんでいたが、時間はあっという間に過ぎてしまい、残すところ最後の一曲となった。
「最後は、長野県民ならみんな知っているあの歌をお送りします。何だかわかりますかー太田さん?」
まふゆはステージ下に戻っていた悠里を名指しした。
「信濃の国!」
「そうです! 長野県には『信濃の国』という県歌がありまして、100年以上前に作られた歌なんですが県民に親しまれ続けて今でも歌われ続けています。私たちflip-flopはライブの終わりに必ずこの歌を歌います。今日はこの歌をみなさん、そしてゆりりんに覚えて頂いて、長野での思い出の一つにしてください!」
イントロで流れ出したゆったりとしたピアノとバイオリンの音色は、今までの曲調とは違うものであった。
全六番からなる歌詞をまふゆたちはしみじみと歌い上げた。熱気に包まれた宴会場を少しずつクールダウンしていくかのように。中でも「尋ねまほしき園原や」から始まる四番だけは曲調がさらにゆっくりになるのだが、まふゆはその部分だけをソロで力強く歌い上げた。
尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚めの床
木曽の桟かけし世も 心してゆけ久米路橋
くる人多き筑摩の湯 月の名に立つ姨捨山
しるき名所を風雅士が 詩歌に詠てぞ伝えたる
その歌唱力は間違いなく、全国区のアイドルに並ぶものであった。
*
「♪信濃の国は~十州に~」
ライブが終わって部屋に戻った後も、余韻冷めやらぬ悠里は信濃の歌を口ずさみながらウロウロと歩きまわっていた。
「ははっ、その様子じゃいかがだったかな、なんて聞くのも野暮みたいだね」
沙樹がからかうように言う。
「もう最高だった! 今日はまっちゃんとれいれいがイチャイチャしようが許してやんよ!」
「まっ……?」
悠里は羚衣優のことをいつもは名字の神乃と呼び捨てにしている。あだ名で呼ばれて気味悪く感じたのか、一緒にベッドの上に座っている恋人の茉莉の方に体を寄せた。
「太田先輩が興奮するのもわかります。あれだけのライブを見せられたらあたしも今夜寝られるかどうかわかりませんから。でも大盛り上がりで良かったです。flip-flopさんの実力はあたしの想像以上でした」
「わははは!」
自分が褒められたように錯覚している悠里は高らかに笑った。
「サインまで貰っちゃいましたし」
部屋のデスクには、flip-flopのサイン色紙が飾られていた。メンバー四人分全員のサインと、「星花女子学園さまへ」というまふゆの文字が書かれている。
「なあ、いくら出したら売ってくれる?」
「売りませんよ!」
茉莉は即拒絶した。
「冗談だよ、大事にしときな。さて、あたしはちょいと頭冷やしに行ってくるわ」
昂ぶる気持ちのおかげで体温が上がりっぱなしになっていたから、悠里は外の空気で冷やそうと考えた。
外に出ても風はそれほど吹いておらず、思ったほど寒さを感じない。静寂な銀世界がナイター設備の照明に照らし出されている。営業時間は終わっているものの、部屋から銀世界から堪能したい客のために遅くまで照明が灯される。
「♪旭将軍~義仲も~」
小声で信濃の国を口ずさみながらゆっくりと歩いていると、人の気配を感じた。ホテルに隣接している平屋の建物の側の方を見やると、果たして複数の人影が、うっすらと照明の光に当たって浮かび上がっていた。
建物は駐車場の管理事務所だが、職員ではないことは一瞬でわかった。
美滝百合葉の姿があったからである。
残りの人物は、flip-flopのメンバーだった。あと一人、百合葉の横でペコペコとflip-flopに頭を下げているのもいたがこちらは男性だった。邪魔をしてはいけないような雰囲気だったから、悠里は物陰に隠れて覗き込むことにした。
「話は進めさせて頂きますので……」
耳を澄ますと、そう聞こえた。
(あ、メジャーデビューの話か!)
沙樹の話を企画委員から間接的に聞いたことではあるが、flip-flopには天寿の芸能事務所からメジャーデビューするという話が持ち上がっている。コラボライブには天寿側が彼女たちの実力を見定めるためという、もう一つの目的があった。
男性は恐らく天寿側の芸能事務所の関係者と思われる。話を進めさせて頂く、と言ったということはメジャーデビューにGOサインを出したということではないだろうか。
(おお、ついに全国へ……)
感動を覚えつつもう一度覗き込むと、今度は百合葉やまふゆたちもお互いに頭を下げていた。お別れが近いようである。自分もそろそろ戻ろうとしたとき、まふゆがこう言ったのを聞いた。
「最後に聞きたいんですけど、星花女子にサセキョウカという子がいますか?」
心臓がドクン、と高鳴った。
(佐瀬杏花……?)
確かに、そう聞こえた。悠里は再び意識を向こう側に向ける。
百合葉が答えた。
「サセ……って子はうーん、いたかな……少なくともスキー学習には来てないです。でもサセさんがどうかしたんですか?」
「実は、flip-flopには幻のメンバーがいましてね。その子がサセキョウカで、『あんず』という名前で所属していました」
(え?)
記憶の糸を手繰り寄せてみたが、「あんず」という名のメンバーは知らない。立成13年の結成当時はあいな、かれん、りなの三人組で、二年目にまふゆが加入。三年目にみらが、四年目にはしずくが加入、しずくと入れ違いになる形であいなとかれんが卒業しまふゆがリーダーに。新株のはづきはちょうど昨年に加入したばかりで、入れ違いでりなが卒業。悠里が知っているflip-flopの歴史はこの通りのはずだ。
「でもどういうわけか私たちの前から突然姿を消してしまって……でも私は最近になってようやく突き止めたんです。あの子が愛知と神奈川の高校、そして星花女子学園を受験していたことを」
(ウソだろ)
星花女子学園には佐瀬杏花以外にサセキョウカと名前を持つ生徒はいない。よって「あんず」が佐瀬杏花であることはほぼ間違いない。しかしまふゆの言い様から、いい形で別れたわけではなさそうだと直感した。
「もし『あんず』がいたら、連絡してくれませんか。flip-flopにとって大切な子なんです。あの子がいればアイドル界の頂点にだって……あっ、すみません。百合葉さんの前で大それたことを」
「相当凄い子みたいですね。だけど、何で辞めてしまったんでしょう?」
「ですから、それを知りたいんです。せめて連絡がつければ……」
そこまで聞いて、悠里はそそくさとその場を離れた。
「えらいこと聞いちまったな……」
佐瀬杏花がflip-flopのメンバーだったことを知って、気持ちを落ち着けるどころかかえって昂ぶってしまった。しかしなぜアイドルを辞めて星花女子学園に入学したのだろうか。以前に悠里に対してつっけんどんな態度を取ったことを考えると、アイドル経験者とは正直思えないのだが。
かなり暗く深い理由がありそうなのは確かである。まふゆがコンタクトを取ろうとするのは好ましいとは思えない。
「かといってゆりりんに佐瀬さんのこと教えるのは待ってとは言えねえよなあ、立ち聞きしたのがバレるし……そうだ」
悠里は早足で部屋に戻った。沙樹がいなくなっており、茉莉と羚衣優がいちゃついていた。無視して自分のスマホを取り出す。
「イヤだろうけど頼むぜ、おぐっさんよ」
メッセージアプリを開いて、莉子のアカウントに対してメッセージを打ち込んだ。