長野の子
今回も参加させて頂きます。よろしくお願いします。
「おやおや、お疲れかな?」
中等部3年2組の担任、一色蒼は入室するなり最前列の席の生徒、太田悠里に声をかけた。
悠里は横向きで机に頭を預けていた。ラウンドフレームの眼鏡の向こうにある瞳は虚ろでヨダレを垂らしていて、お嬢様学校の生徒とは思えない行儀の悪さだった。
「いっちゃん……あたしの頭ん中でずーっと点Pが二次関数の上をチョロチョロ動き回ってんだけどどうしたらいい?」
「ははは、その様子だとこっぴどくやられたみたいだな。あと今はちゃんと一色先生って呼ぼうな? はい号令お願いね」
起立、という号令で悠里はパッと飛び起きた。数学はズタボロな結果ではあったが、後までズルズルと引きずるようなことはせず、終わってしまったものは仕方がないと割り切れることができた。
「みんな知ってるかと思うけど、今夜から明日にかけて大寒波が来るという予報が出ている。S県でも大雪が降るかもしれない」
大雪という単語を聞いた生徒たちがざわめき出す。S県は北に聳える大霊峰やさらにその北部にある山脈が雪雲をガードしているため、滅多に雪が降らない。万が一S県で大雪が降り、1センチでも積もろうものならそれは大事件に等しいのだ。
それでも悠里は特に感動を覚えなかった。悠里はS県ではなく雪国の長野県、北アルプス地域の生まれだからである。
「もしも雪が積もったときは足元によく注意しながら歩くこと。期末試験はあと一日、通学途中で転んでケガをしたら悲惨だよ。それと、自宅通学組はいつもより時間に余裕を持って家を出ること。いいね?」
みんなはーい、と返事した。
*
中等部桜花寮。ルームメイトの小口莉子が机にかじりついて明日の試験に向けて最後の抵抗を行っていたが、悠里は漫画を読み耽っていた。
「太田ちゃん、勉強しなくていいの?」
「あたしゃたった一日でどうこうできる程頭良くねえし」
「私は悪あがきするけどねえ。でもちょっと頭痛くなってきたな」
莉子は立ち上がって背伸びをした。机の側の壁には男たちが巨大な木にまたがって坂を滑り降りる様子を映したポスターが飾られている。諏訪の奇祭、御柱祭のポスターである。
莉子は悠里と同じく長野県民で、諏訪地方で生まれ育った。北アルプスと諏訪では若干の文化の違いが見られるが、異郷の地において長野県民どうしで仲良くならない道理はなかった。
「明日空の宮で雪積もったら20年ぶりらしいよ」
「えー。てことは20年も地元で雪だるま作ってねえんか。空の宮市民は」
故郷で雪とともに生きてきたを二人にとっては、雪がほとんど降らない土地は星花女子に来るまで想像できないものだった。
「北部の夕月市でも大霊峰付近まで行かないと雪見れないからね。てか太田ちゃん、前にいっぺん行ってたよね。大霊峰スキー場」
「あー、そこ行くぐらいなら正直、実家のスキー場の方で滑った方が遥かに良いわ」
悠里の実家はレジャー事業を営んでおり、スキー場経営も手掛けていた。スキー場は長野五輪の会場にもなった程規模が大きく設備も整っているので、彼女から見れば大霊峰のスキー場も物足りなく見えてしまう。
「今年の冬休みのスキー学習はその太田ちゃんとこでやるんだよね」
「それもそれでどうかと思うよ。せっかくの学校行事だよ? それを自分とこの庭で滑るってのはねえ。去年までみたいに北海道にしてほしいよ」
「太田ちゃんとこは天寿のお得意様だもん。しっかり接待してあげて」
「へいへーい」
悠里は立ち上がった。
「飲みモン買ってくるけど、おぐっさんも何か欲しいもんある?」
「じゃあ、何でも良いんで甘いものちょうだい。脳みそに糖分補給したい」
「よっしゃ」
すぐさまスウェットの上に学校指定のウインドブレーカーを羽織り、外に出た。
学園最寄りのニアマートは暖房がよく効いていた。近隣は住宅街なので門限前の時間帯はそれなりに客がいるのだが、寒波の影響なのか2、3人しかおらず、店内のBGMがやけに大きく聞こえるぐらいである。
BGMは「アルプス一万尺」に変わって、聞き覚えのある声が続いた。
『こんにちは、雨野みやびです。寒い冬こそ水分は不足しがち。潤いの足りないあなたにオススメなのが新感覚清涼飲料水「あるぷす」です』
人気若手女優の雨野みやびは星花女子学園高等部の生徒である。そして彼女が宣伝する「あるぷす」は、実は悠里の実家が手掛けている工場で生産されていた。
悠里の実家、オオタホールディングスはスキー場以外にもホテル、温泉、観光バス、食品工場と幅広く手掛けており、長野県の有名企業の地位に納まっている。その中で食品工場を運営するオオタ食品工業は昨年天寿の食品部門と業務提携し、清涼飲料水「あるぷす」のOEM生産を手掛けていた。「あるぷす」は北アルプスの雪解け天然水にりんごの風味を添加した飲み物で、この新商品を雨野みやびのCMで宣伝したものだから、またたく間に一番の売れ筋になった。
現に、店に置いてある「あるぷす」はあと一本しかない。
「まあ実家帰りゃ飽きるほど飲めるしね。こいつはおぐっさんにあげよう」
悠里はラスト一本をカゴに入れた。自分の分はゼロカロリーコーラを選んで、ついでにアイスもカゴに入れた。
精算を終えて店外に出ると、悠里は「うお」と声を上げた。
「降ってきたなあ」
空から大量に降ってくる白いもの。星花女子学園三年目にして、空の宮市で初めて見る雪である。向こう側の歩道を歩いていた若者たちがしきりに「やべえ!」「すげえ!」を連発している。
「こんぐらいでやべえ、すげえって。ここの人間は本当に雪見たことねえんだなあ」
まだまだ故郷の雪に比べたら可愛いものである。それでもこの調子だと明日には積もるかもしれない。
少し歩いたら、誰かうずくまっているのが見えた。ちょうど街灯の明りが当たらない場所なので良く見えないが、確かに人がうずくまっていた。悠里はすぐさま声をかけた。
「もしもし、大丈夫ですか?」
「うっ……ひぐっ……」
泣いているらしい。体調を悪くしているのだろうか。
「立てそうですか?」
悠里はしゃがんで尋ねたが、返ってきたのは怒りを含んだ鋭い女性の声だった。
「関係ないでしょ! ほっといて!」
その人物は立ち上がるや駆け出していった。その方向にある街灯が後ろ姿を照らす。悠里と同じく、学校指定のウインドブレーカーを羽織っていた。
善意を反故にされたが、特に何とも感じていなかった。
「まっ、体調不良とかじゃなさそうで良かったな」
恐らく星花の寮生だろうが、もしもこのとき足元に落ちていたものに気づかなければそれ以上気に留めることは無かっただろう。
「ん、何だこりゃ」
たまたま目線が下にいったら、くしゃくしゃになったハンカチを見つけた。寮生らしき子が座っていたところ、彼女が落としたと考えるのが自然だ。
拾い上げると、ファンシーな書体のアルファベットが様々な色で描かれていて、一単語を形成していた。
"ZUKUDASE"
恐らく一目見ただけで単語の意味を理解できる人は少ないだろう。しかし悠里は別だった。
「マジかよ……今日は良い日だなあ、おい!」
悠里はハンカチを握りしめて、スキップしながら寮へ戻っていった。
ゲストの方々
一色蒼(桜ノ夜月様考案)
中等部3-2担任で美術部顧問。みんなに平等で優しいので慕われている。
作品:『捕食』(桜ノ夜月様作)
https://ncode.syosetu.com/n4332hn/
雨野みやび(五月雨葉月様考案)
本名天野雅。高等部生にして若手実力派女優。
今回は店内放送のみでの出演。
作品:『わたしをわたしで在り続けさせて 〜女優とアイドルのフクザツなカンケイ〜』(五月雨葉月様作)
https://kakuyomu.jp/works/1177354055381098496