目覚めは突然に
"その日"が来るのは、突然だった。
(………………)
ぱちりと目を開くと、窓辺から柔らかく日が差し込んできていた。
「おはようございます、お嬢様。本日のご予定ですが……」
うつらうつらしつつ、上半身を起こす。メイドがいつも通り一日の予定を読み上げるが、幼子の予定など社会人の仕事と違ってそう変わることなど無い。概ね毎週似たようなものだ。今日だって先週と変わらないじゃないか。子供の頃から代わり映えのない毎日なんて、貴族令嬢もラクじゃない。子供は子供らしく遊び倒していればいいのにと思うけどこの家の、というかお貴族様の教育方針は違うらしい、というのはこの身をもってよくよく知っている。
そう、"この身をもって"よく知っているのだ、私は。
「本日のご予定は以上になります。……お嬢様?何処か御気分が優れませんでしょうか?」
「ああいえ……そういう訳ではないのよ」
「失礼いたしました。重ねて差し出がましい様ですが、もし御気分が優れない際はすぐに仰ってください」
「はい……」
急な敬語に疑問符を浮かべているメイドを他所に、どこか遠い目をしてしまった。私も浮かべたい。というかまあ多分浮かんでいる。
何故ならば──私、ヘンリエッタ・フォン・グレイはまさにたった今、自身の前世について思い出したからである。
「……お嬢様、それでは私はこれにて一旦下がらせていただきます」
起き抜けに神妙な顔をするお嬢様にメイドは内心どうしていいかわからず、とりあえず下がることにした。一先ず大事は無さそうだったので。
部屋を出ていくメイドを余所に、起き抜けのポーズのまま次々と思い出される前世の記憶を一通り整理し終えて、ふーっと息を吐く。思わず一言。
「……………………マジか」
マジか。マジか?普通こんな穏やかになんの前触れもなく思い出さなくない?前世の記憶を早速使うならこういう時って派手に頭ぶつけたり事故にあったり落馬したりして思い出すんじゃないの?一定以上の衝撃がいるんじゃないの?いらないの?こんな起きた時には記憶が備わってた無感動なパターンもあるんだ?
もし私が物語の主人公なのだとしたら、あまりにも呆気なく味気ない静かな導入になってしまったな。まあ私は主人公ではないのでこんなもんなのかもしれない。
ベッドからゆっくりと降りて鏡を覗いてみると、愛らしい子供の顔が映る。その時開かれた窓から風が入ってきて、ツヤのある髪がさらさらと揺れた。
凄いな、流石ゲームの世界。例え悪役令嬢でも顔面偏差値が凡人とは桁違いだ。
──改めて鏡を見て確信を得たが、ここは恐らく『塔の上で待ってる』、通称『塔待て』という乙女ゲームの世界だ。自分で冷静に説明するのもどうかと思うが、自身の名前と顔立ちからして明らかにそのゲームのご令嬢しか該当しないのだ。そう何人も名前がカタカナの知り合いがいるような前世ではなかったし、そもそもこんな美人がリアルに知り合いでいたら忘れようにも忘れられない。と言ってもこの世界では普通というか、やや地味な顔立ちとされていたはずだが。改めてこの世界ヤバすぎる。
というか本当にヤバいのはそのことではない。本当にヤバいのはヘンリエッタ・フォン・グレイがただのご令嬢ではなく、俗に言う悪役令嬢である、ということである。
一人娘ということで両親にとてつもなく甘やかされ、(この世界では)地味顔のくせしてプライドがクソ高いこのご令嬢はそれはそれは傲慢に育ち、どこに行っても好き勝手やりたい放題、その上気に入らないことが起きると両親にチクって社会的制裁を加えるという、本当に最悪としか言いようがないご令嬢だった。なまじ侯爵という権力がある家系なだけに誰も逆らえないのだ。絵に描いたような最悪(二回目)。
そんな最悪令嬢は今からおおよそ十年後くらいにある学園に入学し、そこでこのゲームの主人公様、エミリア・クライトンに出会うのである。ある意味運命の出会いだ。何故なら、まあここまで話せばお察しいただけるだろうが敢えて言おう。ヘンリエッタにとってのエミリアは"死の使い"だからである。
入学初日に平民入学という特待生・エミリアをわざわざ野次馬しに行った挙句売らなくてもいい喧嘩を売り、そこから事ある毎に嫌がらせを繰り返したヘンリエッタは、エミリアがどの攻略対象と結ばれてももれなく攻略対象達から蛇蝎のごとく嫌われ、最終的に死ぬ。ほぼ死ぬではなく、死ぬ。要するに全ルートで死ぬ。ここまで来ると逆にすごい。一切救済がない。スタッフにも嫌われていたのかな?と思わざるを得ない仕打ち。とまあ、このままいけば私に待っているのは確実な死である。冗談抜きで本当にヤバい。
正直前世で死んだ時のことはあまりよく思い出せないけれど、こうして転生を遂げたということは事故死だかなんだかだったんじゃないだろうか。推測に過ぎないが。
しかしもしそうだとすれば折角の二回目の人生、今世こそは天寿を全うしたい。イヌやネコに囲まれて暮らしたい。そんな中前世の記憶というチートアイテムを手に入れたのだ。使わない手はない。
これはきっと『今世は無事に全うせよ』という神様からのチャンスだ。という適当は置いといても、私だって犬死にしたくはない。というかここまで訥々とヘンリエッタの生涯(?)を振り返って思ったが、まずヘンリエッタが最悪令嬢でなくなればこの死の運命は余裕で避けられるのではないか?元々地味顔なんだし、当たり障りない態度を取り、目立ちさえしなければ生き残れる可能性は大いにある。
「………なるほど」
思わず独り言ちる。そうか、コレだ。
前世を思い出して僅か数十分で、私の今後の人生方針は決まった。"波風立たせず、目立たず"だ。
さしあたっては当たり障りないご令嬢になれるように一通りの習い事はこなせなければ。ヘンリエッタは乗馬が苦手で避けまくっていたが、私という人格……人格?ならまた違うかもしれないし。できるできないではなくやるのだ。これが私の生存戦略なのだから。
頬をぱちんと叩き、身支度をしようと呼び鈴を鳴らした。今日からの私は(物理的に)ひと味違うぞ!
──こうして、私ことヘンリエッタ・フォン・グレイ侯爵令嬢の"生存チャレンジ"は、静かに幕を開けたのだった。