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MIB 2nd contact  作者: 光輝
■3話:次世代ゲーム夢幻
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3-3:綿津見造船


綿津見(わたつみ)造船〕は、飛行場のように広かった。


割れたコンクリートは草がぼうぼうに伸びていて、剥き出しの鉄筋コンクリートの骨組みが今にも崩れ落ちそうなナリで組み込まれている。

添えるようなパイプ組みの足場はいくつか力尽き、地面にだらしなく垂れていた。

だが錆びたコンテナはなお健在に高々と連ねられ、まるでちょっとした迷路のようだった。かつてはさぞ賑やかだったのだろう。

今や茶色い鉄筋が夕日を飾る、哀愁漂う造船所だ。


人の気配はまったくなかった。

エレナはレンズを掲げながら、迷路のようなコンテナの間を突き進む。波の音が穏やかな中、空にゆっくりと夜のとばりがかかりはじめていた。

「ヤクザはいなさそうよ、センセ」

「バカいえ、ガキがうろつく場所でもないっての」


エレナはふと、いつか夜の学園でのパンを思い出していた。でもなぜ思い出したのかはわからなかった。

ふと振り返り、ロレンツォと視線が合う。パンと違ってハンサムでもないし、身長だって高くないしひょろひょろだし、車や身なりだって貧乏丸出しだ。この無精髭メガネは、MIBのような知識やパワーすらない。それどころかエレナよりもずっと弱いのに、守ろうと犬のようについてくる。エレナはそれが可愛いなと思った。もしトラブルがあれば守ってあげないと、とも。

ふとロレンツォが「……ツンツン頭に言っとけよ」と呟いた。


「何を?」

「テレマ研究施設の時もそうだ。下水道やこういうやくざな場所に潜入するのも、全部自分でやれってな。ガキに投げるにしちゃ腰の抜けた話だぜ」

エレナはまばたきひとつ、くるりと向き合った。

「さっきからガキガキうるさいなー。ガキじゃないわよ」とツンと乙にすます。

ロレンツォはフンと鼻で返した。

「へいへい。ガキは決まってそう言うんだよ」


波の音が穏やかに響く。見上げるほどの造船所は、忘れ去られた工事現場のような場所だった。

錆びた鉄板の床に、鉄パイプが転がっている。

エレナ達は、やがてどんつきの坑道のようなトンネル前にたどり着いた。中は明かりもなく、まるで深海のように暗い。


だがエレナのレンズはしっかりととらえていた。虹色に輝くその先……坑道の闇を指すかのように、うっすらと光が残っている。

おそらくエイリアンの足跡だろう。ミシェルを待つべきだろうが、あと数分で消え失せそうなほど心もとない残光だ。

エレナはレンズを降ろして溜息ひとつ。さてとロレンツォに振り返った。

「わんわんのお散歩はここまで。中の様子を見てくるから、ここで見張ってて」


ロレンツォはその足かせのような言い草に、噛みつくようにエレナを見返した。

「ここまできて1人で行こうってか? お前らに何かあったら、俺に全責任がふっかかるんだよ」


その返しをわかっていたのか、エレナは溜息ひとつ。

(もし敵に遭遇しても、センセー1人程度なら守れるか……)

口の中でつぶやき、やおら腰元のポシェットから髪ゴムを取り出した。ビー玉ほどの白い球がついたヘアゴムだ。エレナはそれをベルトの後ろに取り付ける。蓄光素材なのか、白い球が薄い黄緑に光っていた。


「足跡が消えかけてるから、このまま一気に行くわ。はぐれても置いてくから」

エレナは言ってすぐに、坑道の闇に向かってレンズを掲げ駆けだした。ロレンツォが慌てて後を追うも、すぐに暗闇で自分の手すら見えなくなる。先の白い球……エレナは暗闇を臆することなく突き進んでいだ。


(マジかよ……! あいつには何が見えてるんだ!?)

大きく息を吸って、ぐんと力をいれた。チャイナタウンでのエレナの走り幅を思い出し、それに合わせる。


やがて立ち止まったエレナが、土の壁に手をつき見上げた。……上の方に横穴が開いている。

足跡はその先をさしていた。

(まいったわね、ロッククライムできるほどの岩もないし……この先は、どうも嫌な予感がする)


ちょうどその時、ロレンツォがエレナの横の壁に手をついたのがわかった。背中にロレンツォの気配がする。手が伸び、エレナの肩に熱い手が触れる。エレナはちょっと笑ってその手を取った。……大きな手だ。

「いい子ね、センセ。こっち向いて……」

足音がじゃりと響く。ロレンツォがこっちを向いたのだ。

「スクワットみたいに膝を少し屈んで……そう」

エレナは言って、ロレンツォの膝に足をかける。


「……! おい」

ロレンツォが気付くも遅し、エレナはロレンツォの肩を踏み台にして、勢いよく横穴へとジャンプした。

「お散歩はここまで。センセーはミシェルと合流して、ここまで案内してあげて」

エレナは横穴から言って、ポシェットからライトをつけて下に落とした。受け取ったロレンツォの顔が一瞬見える。歯がゆい顔に少し胸が痛んだ。


ロレンツォは見上げて言った。

「待て! 戻ってこい……!」

受けとめようと両手を広げるも、横穴に消えるポニーテールの先が消える。遠ざかる小さい足音に、ロレンツォが奥歯を噛んだ。


小さい足音はやがて聞こえなくなり、ロレンツォはまるでお預けをくらった犬のように立ち尽くしたのだった。


……・……


針の先のような点が、夜空になる。


エレナが洞窟を飛び出した先は、ドック(作業設備の広場)だった。

球場にも似たドックの終わり目では、海が穏やかに凪いている。すっかり日は落ちていたのだが、坑道で目が慣れたのか明るく感じた。


(ん? あれは……)

エレナはじっと目をこらした。ドックの真ん中に、ぽつんと1つ影がある。

……必死こいて追いかけたドーロンが、静かに横たわっていた。

エレナはドーロンを蹴って、ひっくり返してみた。思考転写型伝送機があったであろう名残がある……


ふと足音がして、エレナが身構えた。音がしたコンテナの影から、細身の男性がゆったりとした足取りで前に出る。



「夢幻ビルで随分と暴れてくれましたね。……結構高くつくんじゃないですか」

暗闇から現れた男は知的な声音でそう言って、ニヒルな笑みでエレナを見た。


男は40代後半だろうか、ダークパープルのシャツに尖った白い革靴がキマッた、ラテン系のイケオジだ。

風貌は極道くずれのチンピラかホストだが、妙な雰囲気がある。夜なのにパイロットサングラスをはめているのも違和感に拍車をかけていた。


エレナは男をレンズで視た。

おだやかにゆらめく虹色の先……男は、灰色の異形のエイリアンだった。

いかにもSFパニック映画に出てくるようなエイリアンといえばわかりやすいかもしれない。登場キャラたちを次々と脅かしてから襲っていそうな、凶悪な見た目だ。

しかし、それ以外レンズに目立つ変化はなかった。いつもは残光だの煙だのが視えるのに、ただ灰色の異形の姿を映しているだけだ。こんな事は初めてだった。


だが1つ、エレナは経験上知っている事がある。〔人の言葉を流暢に話すエイリアンほど恐ろしい〕のだ。

人を欺き、騙し、懐柔する術を得ているということだ。目の前で流暢に話すこの男は、敵なのか味方なのか……。レンズの沈黙で、エレナは判断できずにいた。悪いエイリアンだったら、かまわずぶっ飛ばして転送できるのにと。


男は懐から名刺を取り出し、かっこをつけて2本指で差し出した。慣れたウィンクと軟派な笑みを添えて。

「どうも。夢幻ビルで次世代ゲームを開発してます、高橋(たかはし)です。お見知りおきを、お嬢ちゃん」


エレナは1歩下がって、射抜くように高橋を見た。

「あなたはどうして〔思考転写型伝送機〕で危険なゲームを開発したの?」


高橋はその言葉に目を細めた。

「……そのレンズ、ゾハルですね。専門用語も出るあたり、ただのガキじゃないってことですか」

名刺をおさめ、軽く両手を広げてみせる。

「あれは純粋なビジネスですよ。地球で生きるにはとにかく〔金〕ってやつが必要でね。俺たちエイリアンが手っ取り早く〔金〕を稼いで、〔奴らに報復〕するには、汚れた世界で手札を活用するしか……」


高橋が言い終えるより先に、エレナは矢のように飛び掛かり三段警棒を振る。

驚いた高橋が間一髪、大きくよろめきに警棒を避けた。

「ちょ……人がしゃべってる途中でしょうが! こういう時は待つでしょ、普通!」


動機に弾けたように、エレナは構わず隙なく追い詰めていく。

「ヒトの霊体を傷つけておいて、なにがビジネスよ! 公開なんて絶対させないわ!」


おっかなびっくりに避ける高橋の背がコンテナにつく。逃げ場なしとわかった高橋はひらりと身をかわし、エレナの三段警棒を掴んだ。その力のなんと強いこと! 警棒の先がトイレットペーパーの芯のように折れ曲がる。

しかしエレナは退かなかった。余裕な笑みを浮かべ、ぶっ刺す勢いで力を込める。

「時に高橋、あなた女の子を下水に捨てたりしてないでしょうね?」


高橋はそれに目を丸くした。皆目見当つかない顔だ。

「するわけないでしょ。冤罪は御免被ります、よ!」

言って掴んだ警棒を大きく振り飛ばす。折れた警棒が海に落ちた。


エレナは勢いままバク転しつつ、ホルダーからトンファーを抜いた。着地に構え、高橋を見る。そして軽い口笛を返し、指先で高橋を挑発した。

「二度とゲームができない体にしてあげるわよ、オジサン」


高橋は口の端に指先を当てた。血だ。バク転のさいに蹴りをくらった高橋は感心した。長年ヒトとして生きているとはいえ、こんな手練れの少女は初めてだったのだ。

「……お嬢ちゃん、あんた血の気が多いなぁ」

高橋は苦笑に指笛を吹く。指笛がドックに響き、横穴から厳つい声が返った。


「おどれ! 連れがどうなってもええんかい!」


エレナはちらと見て、舌打ちひとつ。横穴から飛び出した厳つい男が、気を失った男を突き出す。

気を失った男こと縛り上げられたロレンツォの姿に、エレナが高橋を思い切り睨みつけた。

「この卑怯者ッ!」と。


「それあんたが言います?! やれやれ……本当にゾハルの主か怪しいもんだ」

高橋が呆れに言って、拳を作り構えた。

「……あんたは夢幻ビルを破壊しただけでなく、俺たちの隠れ家まで暴いた。少女とはいえ、相応のお返しはさせてもらいますよ。こっちも手ぶらで帰すほどお人よしじゃないんでね……!」


エレナはフンと鼻で返した。視線は高橋まま、ロレンツォを人質にする厳つい男に声をあげる。

「言っとくけど、うちの犬に傷ひとつでもつけたら、高橋をミンチにするだけじゃ済まないわよ」


その言葉に厳つい手下が「何やとぉ!? おどれ、いてこましたろかい!」と怒号をあげる。


エレナは言い伏せるように、ドスをきかせて返した。「やってみなさいよ」と。

それに厳つい手下が言葉を呑んだ。小娘の凄みではなく、本気が見えたのだ。


エレナはトンファーを回した。

「夢幻ビルのオーナー、高橋。あなたは金銭目的で、罪のない人達を〔思考転写型伝送機〕で傷つけたわね」

高橋にトンファーを向け、盛大にサムズダウンする。

「でもそれもここまでよ! 地球の管轄が緩いからって、好き放題はさせない! このエイリアン・バスターズが、あなたを強制送還するわ!」


その言葉に高橋が豆鉄砲を食らった顔でエレナを見た。

「え! エイリアン・バスターズ!? 噂には聞いていましたが、本当にこんな女の子が……」


ふとエレナが消えたと思った瞬間、高橋は大きく殴り上げられた。よろめく隙の一切ないトンファーの嵐に平衡感覚を失う。

「ちょ……待っ! 待ってくださ……」

反撃の隙はなかった。エレナは急所を的確に打撃し、高橋が反撃をしようもそれよりも早い追撃が急所に入る。踏みとどまろうも追撃に崩れ、ダウンしようにも打撃で体を無慈悲に起こされた。


「うああっ高橋の兄貴ィっ!」厳つい手下の悲鳴が遠くに聞こえる。


高橋は歯を食いしばった。このままじゃ擬態が壊れてしまうと判断した高橋は、とっさに擬態を解除する。

とっさにトンファーで防いだエレナだったが、衝撃波に大きくふっ飛びコンテナに大激突した。とんでもない音とともにコンテナが大きくへこみ、エレナは力なく膝をつき倒れ込む。

伏せるエレナの口と耳から、ドス黒い血がどろりと流れた。


高橋は瞬く間に人間に戻り、ガッデムに頭を抱えた。

「しまった……やりすぎたッ!」

言って、自らの手首を噛みつつ大慌てで駆け寄り、手首から流れる血を絞りつつエレナに落とす。


厳つい男が転がるように高橋達に駆け寄った。

「あ、兄貴……!?」


高橋の血を受けたエレナは、たちまちに血が止まり、頬にほんのり赤みがさした。ドス黒い血も湯気のように消えていく。

それに高橋は安堵に深呼吸ひとつ、自らの手首を手で抑えた。抑えて1秒、手を放す。手首の傷は手品のように消え失せていた。


「ああ! ワテらはマーフォーク(人魚)でっから、血が効きまんなぁ! でも兄貴、このゾハルの女の子どうするんでっか」

かけつけた厳つい手下に、高橋はニヒルな笑みを返す。

「……ヤス、このお嬢ちゃんは味方です。エイリアン・バスターズといえば、憎きバーディアン共からマーフォークの卵を奪還し、俺たちの元に返還してくれている自警団ですよ。俺はそんな恩人を殺してしまうところだった。

どうするも何も……バーディアンの悪行をいさめてもらいたいもんですがね。情状酌量を願いますよ」


厳つい手下ことヤスが、それに大賛成に頷いた。

「それにしても随分可愛らしいお嬢さんでんなぁ。こないな女の子がゾハルの持ち主やなんて、なんや気の毒な話ですわ」


その時だった。


「その子に手を出すなッ!」

通った声に、高橋とヤスが夜空に顔をあげる。とたん夜闇から何かが矢のように落ち、ヤスを蒟蒻のように一刀両断した。

肩から脇腹までざっくりと斬れたヤスが、血を吹き膝をつく。


ヤスの返り血を盛大に浴びた高橋は、とっさに両手を挙げた。

「うわあ、待った待った! 俺たちは敵じゃありません、エレナさんに是非を!」



降り立ったミシェルは獣のように唸り、大きく刃をかまえる。その姿は無敗の剣豪のようだ。

合いの手を打つように、目覚めたエレナがミシェルの背に声を投げる。

「……あっミシェル! 彼らがマーフォークよ! 夢幻を開発していたのは、マーフォークだったの!」

それにふと動きを止めたミシェルは、怪訝な目を高橋に向けたまま、静かに刃をおさめた。斬り捨てられたはずのヤスはもうすっかり回復し、あわててロレンツォの縄をほどきに向かう。


それでもミシェルは一歩前へ、高橋の目をじっとみた。

「エレナに手を出したな。根絶やしにするだけじゃ足りない」


まるで獣のそれだな、と高橋は思った。ミシェルの眼光は、人工生命体特有の幼い光を宿している。高橋は頬をかいて、軽く両手を広げて見せた。

「いやあ、噂はかねがね……、いずれご挨拶にと思っていたところです。でもエイリアン・バスターズにしちゃ、1人足りなくないですか?

金髪のエレナ・モーガンさん。黒スーツのバーディアンのミシェル・ダルシャンさん。あと1人、トライアド頭目の桜蘭さんの3人で1セットでしょ」

それにミシェルはかぶせるように告げた。

「それより誰がバーディアンだ、あたしはフェザーチャイルド。一緒にしないで」


なるほど、と高橋はグラサンを下げてミシェルを見た。ミシェルは思わずその目に息をのむ。

高橋は、はるか太古から歴史をみてきた鯨のような目をしていた。深い海色の闇をみたミシェルは、バツが悪そうに視線をさける。マーフォークの歴史は、人類よりもうんと長いのだ。

服を払ったエレナがどうどうとミシェルの肩を叩いた。それでやっと、ミシェルは落ち着きを取り戻したようだった。


エレナはさてと仕切り直す。

「マーフォークの高橋とヤス。私達エイリアン・バスターズは、次世代ゲーム夢幻を諫めに来たの。人類には早すぎる技術なのよ。あとはあなたの出方次第」

言って、しずかにレンズを揺らして見せる。


安堵の溜息をついた高橋は、両膝に手をつき、深々と首を垂れた。

「どうもすみませんでした。跋扈(ばっこ)するバーディアンをおさえるには、どうしても資金が必要でして。結果として、恩人の命を絶つところでした。ゲームの開発は打ち切ります、どうかそれで手打ちというわけにはいきませんか」


エレナとミシェルは軽く見合って。高橋に頷いたのだった。


……・……


目前に広がる海が夜空に溶けていく。星だけが明るく輝いていた。


エレナは突堤で海風になびく髪を手でおさえた。地面に横たわるロレンツォは、まるでボクシング敗者のようだった。頬や目元は痛々しく腫れ、口元は真っ赤に切れている。

「早く治してあげて」


高橋はひとつ頷き、自身の血を数滴ロレンツォに落としてやった。ロレンツォの傷は手品のようにたちまち消え失せ、エレナは安堵のためいきひとつ。労わるように、ロレンツォの癖っ毛を撫でた。

「……1人にするんじゃなかったわ、私の判断ミスよ。素人が首を突っ込むとロクなことにならないって、わかってたのに」

奥歯を噛んで、そう口の中で重く呟いた。痛かったろうに、怖かったろうにと。


高橋はそんなエレナをじっと見ていた。まるで恋愛映画を観るような目でじっと。

マーフォークは、こと人間の恋愛に大変興味があるのだ。いつのまにか夢幻ビルの黒服たちもそぞろに雁首そろえ、恋愛映画を見る目でエレナにじっと注目している。


そんなエレナ達を遠巻きに、ミシェルは突堤から離れたコンテナに背をあずけ、静かに腕を組んでいた。

銀色の瞳が月に光る。


そそと駆け寄ったヤスが、およそ本題がある様子で、手をそわつかせていた。

言おうかな~やっぱやめとこうかな~といった目だ。ミシェルがちらとヤスを見る。ヤスはやっぱり言うことにした。

「……あの、イルミナのジャッド・ダグラスって男をご存知でっか? マーフォークの先代女王を娶ったニンゲンですわ」


ミシェルはちょっと面食らってヤスを見た。百も承知にヤスは言い添える。

「エレナはんはイルミナ前会長の愛娘さんやから、ご存知かな思て。あの男、生きてるんでっしゃろ?」


ジャッド・ダグラス。エレナの父の親友であり右腕でもあった彼の存在を、ミシェルはよく知っている。ピッシリと着こなした軍服に黒髪が映える、鋭い刀のような男だ。

確信めいたヤスの問いに、ミシェルは「さぁ」とだけ返した。


賑やかな造船所を見つめるように、穏やかな波音は子守歌のように揺れていた。


……・……



遠い入江の光が、裏門をうっすらと照らす。


すっかり夜闇に包まれた〔綿津見(わたつみ)造船〕の裏門で、一行はさてと向き合った。

「……それで結局、さっきの高橋ってヤクザ達と話はついたのかよ?」とロレンツォ。


それにミシェルが頷いた。

「とりあえずはね。顧問、エレナを頼んだよ。あたしはこれから、夢幻ビルで高橋達と話がある。今回の依頼はこれで完了だ」

ミシェルはそう言って、高橋の車に乗り込んでいった。乗り込んですぐ、ひょっこりと顔を出す。

「エレナを無事に送り届けて。変な気を起こしたら、首を飛ばすだけじゃ済まないよ」とミシェル。自分の額に指先をやって、ピっとロレンツォに向ける。

「起こすかバカ」と、ロレンツォは呆れに手をひらつかせた。



闇に消えるテールランプを見送って、ロレンツォはヤスが運んでくれた愛車に安堵の溜息をもらす。

駐車料金はとんでもない額になっていたはずだが、随分と気前がいい事だ。


ロレンツォが運転席に乗ってふと、助手席のエレナがすっかり寝入っている事に気付いた。

まったく呑気なものだと思いつつ、やや覆いかぶさる体勢で身を乗り出し、リクライニングレバーをゆっくりと引いてやる。

そしてふと、エレナを見下ろした。

車内灯が無垢な寝顔を照らしている。いつもの小生意気なエレナとは違って、年齢相応の可愛らしい顔だ。

ロレンツォはまるでお姫様を見ているような気分になった。すぐに払拭するように頭を振って、自らの上着をエレナにそっとかけてやったのだった。


……・……


エレナはそっと薄目を開けた。いつの間に眠っていたのだろう、とまばたきひとつ。

ハンドルをきるロレンツォと、ネオンまみれの繁華街が見える。エレナはぼんやりその様子を見ていた。


氷が溶けるように、意識が目覚めていく。

あたたかい上着は、ロレンツォのにおいがした。薄く香水が残っているのか、緑の匂いが心地いい。

夜のネオンが車内に色とりどりの光をおとしていく。エレナは上着であくびをかくし、ロレンツォの腕をツンとつついた。


「おお、起きたか。気分は?」とロレンツォ。

エレナは寝起きの顔まま、小さなアクビひとつ頷いた。それとない会話を交わすうち、エレナはすっかり目を覚ましていった。

2人を乗せた車が高速を上がる。遠くなるビル街の明かりは、派手なスパンコールのようだった。


エレナは、ロレンツォがヤスにタコ殴りされていたことを思い出していた。思い出して、胸が苦しくなった。

〔綿津見造船〕の入り口で、殴ってでもステイさせていれば、痛い思いをさせずにすんだのだ。

なのにロレンツォはいつものように怒る事も咎める事もしない。それどころか、どこか晴れやかな横顔だ。

エレナの心にかげがさす。もしかして完全にあきれて、顧問をやめる決意ができたのかもしれないと思った。

(でもその方が、いいのかもしれないわ。エイリアン・バスターズの活動は危険と隣り合わせだし)

思ってふと、なぜか鼻の奥がつんと痛くなった。


「……あのね、センセ」

「ん?」

「ごめんね……」

まさかの謝罪にロレンツォは大仰天まま、急ブレーキを踏みそうになった。

今にも泣きそうな声音に、ロレンツォは冷水をかぶったような感覚を覚える。前方後方に注意し、ちらとエレナを見た。エレナはしょぼくれていて、上着で半分顔を隠し、睫毛をやや伏せている。


ロレンツォはまるで崖から蹴落とされたような気持ちまま、流れるようにサービスエリアに滑り込んだ。すぐにサイドブレーキをかけ、とっさにエレナに向き直る。

「な、なんだよ急にしおらしくなって。さてはまた何か企んでんじゃないだろうな?」


エレナは上着で顔をすっぽり隠していた。

「……センセーがヤスにぼこぼこにされたの、私の責任かなって思って」


ロレンツォははたと目を丸くした。丸くして、気抜けの溜息ひとつ。バツが悪いと顔を隠すエレナの様子に、幼い姪っ子を思いだした。

「暗闇で不意打ちをくらっただけだっての。怪我だってしてないだろ?」

「ステイさせてれば痛い思いをさせずに済んだの。ちゃんと躾できてないのは、飼い主である私の責任」


ロレンツォは軽く頭をかいた。てっきり自分が何かしてしまったのかと思ったからだ。

上着のせいでエレナの顔色はうかがえない。だが悪いと思っている様子はひしひしと感じとれた。


「犬扱いするなっていってるだろ。別に気にしてないし、怒ってもいない。ったく何事かと思ったぜ」

とんだ肩透かしに、上着ごしに鼻をつまんでやる。エレナがフガッと声を漏らし、やっと上着をおろした。


ややバツが悪そうにも笑顔を見せたエレナに、「やっと笑った」と綻びそうになったロレンツォは、思わずその言葉を飲みこんだ。

払拭するように意識を逸らし、ギアを入れる。

「あーぁ、もうすっかり夜だ。帰ったらちゃんと宿題しろよ、でないと部活動禁止にするからな」

「あら、テスト満点なら文句ないでしょ?」


調子が戻ったエレナに、ロレンツォは「へ」と軽く笑い返す。

背のビル街が遠くに輝いていた。

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