2-3:暗渠
夕日はとっくに落ち、車のライトだけが細々と暗闇を裂いていく。
ナビがわりのスマホは鉄板のように熱くなっていた。
まるで同じ場所をずっと走っているかのようだった。どこまでも続くアスファルトの両脇を、鬱蒼とした深い森が閑静している。
追い越す車も、反対車線を走る車も無い。まるで世界の終わりから逃げるような、そんなもの寂しさがあった。
〔もうすぐ目的地です〕
スマホのナビが謳う。
やがてオンボロ車は、草まみれの路肩へと停車した。
一行は車を出て、あたりを見渡した。これまでの道路となんら変わりはないが、道路挟んで向かい側は削り取ったような崖がなだらかに続いている。
まるで火山石のように真っ白な砂利は、少し下ったところでちょっとした広場になっていた。石が特殊なのだろうか、白い砂利が敷かれた場所だけは、草木一本生えていない。
一行は道路からはずれ、下り坂というかほぼ崖に近い坂を慎重にくだった。
「……ここがグレムリンの巣に一番近い暗渠ね」
エレナはライトを手に、下水道入口を一瞥した。道下をえぐったような崖に添うように、下水道はぽっかりと口を開けている。
街から流れる雨水が細い川となり、中へ消えていた。
下水道の中は、大きなレンガの洞窟だった。大人も余裕でくぐれそうな大きさだが、その奥は闇そのものだ。
入ろうにも、鉄棒のように太い鉄格子が行く手をさえぎっている。
「ミシェル、お願い」
エレナの指示にミシェルが頷く。ミシェルは静かに、腰元の日本刀に手をかけた。右手がブレた瞬間、高い金属音が鳴り響き、いつの間にか抜かれた刀身が鞘におさめられる。
それに一瞬遅れ、鉄格子が棒菓子のようにばらばらと落ちた。居合い斬りのそれにロレンツォが感心に目を見張る。
変わった子だとは思っていたが、まさか居合の達人だったとは。
ふと、すえたような臭いにロレンツォが眉をひそめる。
「……なんだか生ゴミみたいな臭いがするな」
エレナ達は暗黙に目で合図し、ロレンツォを見上げた。
「ね、センセー。センセーはここで見張っててくんない? 中は私達がみてくるから」とエレナ。
「顧問は邪魔だから、先に車に戻ってな」とミシェル。
「お車の掃除をお願いしますわ」と桜蘭。
ロレンツォは待て待てと両手を上げた。
「お前ら一度に言うなっての。中で何かあったら誰の責任になると思ってんだ? 俺も行く」
エレナ達は見合って、軽く肩をすくませた。後悔すると思うけど、といった目だった。
一行はライトを照らしつつ、1歩踏み込んだ。足音が大きく反響する。
外とはうってかわって、下水道の空気は湿っぽかった。夏場の熱気と篭った空気を支配しているのは、ひどい臭気だけだった。
「……なぁ、ヤバい予感がするんだけど、引き返した方がよくないか?」
ロレンツォは嗅いだことのない異様な腐臭……本能が警告を出す臭いに眉をしかめていた。
下水の臭いを消し潰すほどの異臭が鼻孔を焼く。すえた生ゴミを凝縮したような、熱っぽい臭いだった。
「さっきのグレムリンを見たでしょ。繁殖の原因はここにあるわ」
エレナは言って、ハンカチを口元にあて先へと進んだ。
とんでもない数の蠅があちこち飛び交いはじめる。まるで煙のようだった。蠅はエレナのレンズの光を嫌い、うんと逃げ去っていく。
ロレンツォはちらりとエレナを見た。てっきり喚きたて踵を返すと思っていたが、エレナは眉をひそめてはいるものの、まっすぐ前を見据えている。
ふと足元の白い粒に目をやれば、米粒のような蛆がちらほらうごめいていた。
どんどん臭いは濃密になり、油のようなねっとりとした空気がまとわりつき、あまりの悪臭に踵を返しそうになった時のこと……エレナの足がぴたりと止まる。
遠くに照らされたライトの端が、誰かの髪を照らした。
タールのような真っ黒な液体に、茹ですぎた肉のように白い何かが照らされる。……死体だ!
「ッ見るな!」
ロレンツォはとっさにエレナの前に出て、背にエレナを隠す。
「邪魔」
エレナはかまわずそう言ってロレンツォを押しのけ、ライトを先の死体に向けた。
レンズをかかげ、死体を視る。おだやかにゆらめく虹色の先……死体には、黒い煙のようなものがまとわりついていた。
エレナは奥歯を噛んで、静かに踵を返した。残るメンバーも無言でエレナに続く。
外へ出たとたん、自分達がどれだけひどい臭いの中にいたか実感した。脂汗が滝のように流れ、森の空気が体を冷やす。
ロレンツォがそそと外れ、舌に残った臭いに口元をおさえ、離れの木に手をつきゲロを吐いた。
無理もないわね、とエレナは思った。真っ白な死体にかつてのジュリアを思い出す。
何度か大きな深呼吸をし、エレナは振り返った。……遠くの下水道入り口が、地獄の入口のようにぽっかりと口を広げている。
「レンズごしに黒い煙が視えた。……あれは、エイリアンによる殺人よ」
エレナは言って、ミシェル達と大きく頷いたのだった。
……・……
一行は警察の到着を待ちつつ、下水道から遠く離れたブナの木に避難していた。
日本刀を抜いたミシェルが、番犬のように周囲に目を光らせる。月光に光る日本刀は、荒ぶる獣の眼光のようだ。
座り込み首をもたげるロレンツォの背をエレナがさすった。「もう、だから言ったのに」とちょっと気まずげに。
一行の中で一番ケロリとしている桜蘭が、タイプライターのようにノートパソコンを叩く。
「エレナさんのおっしゃる通り、グレムリンはあの死体を食べるために一次的に集まってただけのようですわね」
そして、遠く口を開ける下水道を見た。まるでバス停に佇む淑女のように、おっとりと皆に向き直る。
「先ほど改めて見たところ、死体はやはり黒髪の女性でしたわ。10代か、20代前半か……下水で熱も下がりますけど、あの様子ですと死後さほど経っておりません。衣類についた腐臭は、いつものようにうちの薬品で綺麗に消せますからご安心くださいませ」
どうしてそんな事がわかるんだと思いつつ、ロレンツォは呻くように頷いた。異臭がまだ自分にまとわりついているようで気持ちが悪い。思い出しただけでまた戻しそうだった。
エレナはすっくと立ちあがり、暗渠を見て呟いた。
「……黒い煙か。黒って結構ヤバいエイリアンが多いのよね」
「お前、こんな時にエイリアンだのふざけるなよ……」
ロレンツォがうなだれるように言って、ふとエレナの目に気付いた。エレナはこれまで幾多もの事件を解決してきたという、自信と経験と知識のあるプロの目をしている。
「ねえ桜蘭。念のためさっきの条件で、直近の行方不明者を洗ってくれる?」
エレナの指示に桜蘭がひとつ頷いた。すぐさま、スマホを耳にあて中国語でペラペラと話し始める。
一連の会話の流れに、ロレンツォは愕然とエレナ達を見た。
ガキのお遊戯なんかじゃない。なにより、あんな死体を前にして物怖じもしない少女なんて、いるわけないのだ。
「……お前ら……、一体何者なんだ……?」
幻でもみているかのようなロレンツォの言葉に、狐の尾のように大きなポニーテールを揺らしたエレナが振り返る。
月明かりを逆光に、妖艶な瞳が光った。
「言ったでしょ、私はエレナ・モーガン。写真部兼オカルト研究部こと、エイリアン・バスターズのリーダーよ」
決意を秘めたその声に、ロレンツォは呆然と見るしかできなかった。
エイリアンを退治するエイリアン・バスターズ……。自分は、その顧問になってしまったのだ。
遠くから響くパトカーのサイレンは、まるでこれから先の未来を警告するかのようだった。