:青の中心命題(3)
「……うそだろ、いつの間に」
ロレンツォは大扉に手を当てた。さっきまで開いていた大扉は固く閉ざされている。
アレッサンドロが屈んで、大扉の間から漏れたであろう土砂を手にとった。
「こ、この土、入る前はなかった! む、向こう側の土砂で閉まったのかも……」
エレナは頭をひねって考えた。テレマ研究施設で、ゴハンがどうこの扉を触っていたか記憶を巡らせる。
「ええと……テレマ研究施設だと、確かここあたりに開閉ボタンがあったはず」
言って、ヤモリのように壁にくっつく。壁伝いの縁に小さなカバーを見つけ、しめたと蓋を開けた。
中には古い携帯電話のようなパネルと、番号が割り振られたボタンがあった。そして、右下に〔OPEN〕と書かれたスイッチを見る。
「あっこれかも」
ためらいなく押して、一拍間があった。
目覚めるように小さな機械音が響くと同時、〔パスコードを・入力してください〕と乙に済ました電子声が響く。
「えっパスコード?」
3人は言って、同時に顔を合わせた。
「こ、これ以上触らない方がいい気がする……」とアレッサンドロ。
同意にロレンツォが頷いた。
「ああ、間違えると危険なやつだ」
エレナも頷いた。
「そうね、別のルートを探しましょう」
そのエレナの声に重なって、乙に済ました電子声が響く。
〔エラー。ボイスキーが適合しません〕
3人は見合った。
アレッサンドロが一気に青ざめ、口を金魚のようにパクつかせる。ボ・イ・ス・キ・イ? と。
ロレンツォが蒼白まま、口元に指でバッテンを作った。エレナも汗一筋に頷いたが、いかんせん遅かった。
とたん耳障りなアラートが鳴り響き、遠くのダムの音が、急にどんどん近くなる。
近くなって……上部の鉄格子のあちこちから、水が一斉に噴き出した。
「げーーっ!」
一同驚愕に叫びあがる。とんでもない放水量は、あっという間に足首まで水面を持ち上げた。
アレッサンドロが放心に硬直する隣で、エレナは貧血を起こしそうだった。
パネルやボタンを叩いても、うんともすんとも言わない。大扉は紙一枚の隙間なく口を閉じ、エレナの頬に脂汗がわいた。
水位は無情にも、膝近く上がっていく。
「っ……出口! A、脱出ルートを検索!」
『北北西、斜め下45°に、排水スイッチがあります』
「北北西はどっちだっつってんの!」
ロレンツォはとっさに屈んで、水にライトを当ててみた。小魚がおっかなびっくりに流されていく。
そのまま水があふれる給水口を見た。
「この水は藻や小魚までいる。放水の勢いからしてダムの水だ!」
その声に我に返ったアレッサンドロとエレナが、ロレンツォを見る。水位はすでに腰もとまできていた。
弾けたように顔を上げたロレンツォが、大きな声をあげる。
「構造的に排水口は足元にあるはず、そこが脱出口だ! ……部長サン、これ借りるぞ!」
ロレンツォは言いもってエレナのリボンを外し、水に流した。
リボンは水中で踊り、引き寄せられるかのようにタイルの隙間に張り付く。
ロレンツォが大きく息を吸って潜った。リボンが張り付いた付近の壁を掻くと、壁の一部が開き、大きなボタンが現れる。
(しめた! 排水ボタンだ!)
横目、アレッサンドロの足が浮き、エレナの足がもがくようにばたつく。
ロレンツォが全力でボタンを叩いた瞬間、床底が大きく抜けた。
(げっ! こんなでかい穴なのか?!)
一瞬にして洗濯機のような渦が巻き起こり、まるでブラックホールに呑み込まれるかのような引力に世界が廻る。体が引き千切られるかのような感覚と、水の静寂が一瞬あった。
そしてすぐ、水の爆音とともに、世界がうんと広くなった。
『脱出口。目的地に到着しました。案内を終了します』
Aの事務的な声が水音にかき消される。
エレナ達が排出されたは、ダムの内部だった。外界の明るみに、巨大な配管や通路が照らされている。状況はまるで、ウォータースライダーだった。巨大な管に滑り台のように流されていることに気付いたロレンツォは、同じく旋回ままに流されるエレナを掴み、抱き寄せる。
「ぼえっ」
エレナの口から小魚が飛び出る。盛大に咳込んだエレナは、ロレンツォにフジツボのようにしがみついた。ロレンツォはエレナをかたく抱きしめ、同じく流されるアレッサンドロに声を上げる。
「グレーチング(網)はない、このまま出るぞ!」
放流口の外界の光がみるみる大きくなり、世界が真っ白になった。
近辺のマンホールがぶっ飛んだのと、エレナ達が空中に舞ったのはほぼ同時だった。宙を舞うエレナ達にミシェルが声をあげる。
「うわああっエレナーッ!」
岩壁の放流口からぶっとんだエレナ達は、素っ頓狂な声を上げながら、近くの池にダイブした。
大きな水柱がミシェルを洗い、ついでに応援に駆け付けていた桜蘭もとばっちりをくらって盛大に水をかぶったのだった。
……・……
明杰(ミンジェ。桜蘭の付き人)の車から降りた一行は、湖畔公園で手を庇にダムを見ていた。
さっきからパトカーやTV局の車がひっきりなしに通り過ぎていく。水浸し一行はその様子を人ごとのように見送り、さてとアレッサンドロに向き合った。
「依頼通り、レディオに会えてよかったわ」
「あ、ありがとうございました……! これ、こ、今回の依頼金です、水浸しですけど……」
封筒を差し出すアレッサンドロの後ろ遠くで、合いの手をうつようにダムが決壊する。一拍遅れて地響きひとつ、野次馬たちが大きな声をあげた。
「いいのよ、レディオの体をみつけに行くんでしょ? 路銀は多いにこしたことないわ。何かあったらいつでも連絡してね」
その言葉に、アレッサンドロは胸の奥が打ち砕かれた。大事に抱えたレディオをぎゅうと胸に、えもいわれぬ感情に涙がせきをきる。
「っみ、皆さん……ぼ、僕……今日の事、一生忘れません! ……レディオの体をみつけたら、必ずご報告します、ほ、本当にありがとうございましたっ……!」
走って帰りたい気分だから、と手を振るアレッサンドロを見送ったミシェルは、はたと桜蘭と見合った。
「アレッサンドロは暗い印象だったけど、なんだか雰囲気が変わったね」と。互いに言ってふと、どこかご機嫌のエレナを見る。
CDケースのような金属板を持つエレナは、ロレンツォと犬猫のようにじゃれあっていた。
「おいおいおい、お前それ、金属板じゃないか! いつの間に?」
「だってこれ1枚ですっごい値打ちよ? 土砂で埋めるくらいなら有効活用すべきなの!」
それにミシェルが肩をすくめて桜蘭を見た。桜蘭はお上品に口元に手をやって笑う。
くすねた金属板をしめしめ鞄に納めたエレナはふと、どこか気まずそうなロレンツォを見た。
エレナの視線に気付いたのか、ロレンツォはやや申し訳なさそうに首の後ろをかく。
「あのさ……」
「なに?」とエレナ。
「リボン、悪かった。流しちまって」
エレナはまばたきひとつ、軽く肩をすくめてみせた。
「いいよ。私こそごめん、安易にボタンなんか押したから」
「何言ってんだよ、誰だって開錠に心当たりがあったらチャレンジするっての。だからその、ええと、その、流しちまったリボンなんだけど……」
「センタープラザで、可愛いヘアアクセのお店があるの」
「そう、そこで」「じゃあ週末でいい? 運転お願いね」
エレナの一枚上手なデートのお誘いに、虚を突かれたロレンツォが思わず頷いた。
ふと、桜蘭のわざとらしい咳に振り返る。ミシェルが桜蘭を「邪魔しちゃ悪いよ」と肘でつついていた。
エレナはややギクシャクまま仕切り直しの咳払いをひとつ。桜蘭を見て、ミシェルを見て、ロレンツォを見てしっかり頷いた。
示し合わせたわけでもなく、それぞれ軽く手をあげる。そして、4人で大きくハイタッチをした。
「エイリアン・バスターズ、今回の任務も完了ね!」
……・……
ダム近隣の湖畔公園で、アレッサンドロはマウンテンバイクを停める。小鳥のさえずりが平和を謳っていた。
バットレスダムの決壊は、過剰な森林伐採による土砂崩れが原因として、地下空洞の件は一切報道されなかった。
あの日のできごとはまるで夢のようだったが、アレッサンドロのストラップネックレスには、スマホ面したレディオがぶら下がっている。
アレッサンドロはレディオを手に、爽やかな風を胸いっぱいに、静かに空に囁く。
「……し、出発前にダムを見たかったんだ。さあ、君の体を探しに行こう、レディオ」
首からぶら下げた相棒レディオが、頷くように太陽に輝く。
抜けるような風が吹く青空の下、マウンテンバイクをこぐアレッサンドロ達を見送るように、芝生が穏やかに波打っていた。




