5-1:ラペリーノ&ラペリーノ
『センセ、デートしよっか』
その電話に、カップ麺の蓋を開けたロレンツォは溜息ひとつ。
「……部長サン、今日は何の日か言ってみろ」
エレナの悪びれのカケラもない声が返る。
『天気のいいお出かけ日和』
「に・ち・よ・う! 顧問も教師も休日だっての。何がデートだ、お前らどうせまた足にする気だろ」
ここ最近エイリアン・バスターズの足になりっぱなしのロレンツォにとって、やっとの休日だった。
活動内容もオカルトめいたものばかりで、やれ本が増え続ける図書館の探索に、枯れ井戸の泣き声の調査などなど……他にも上げればキリが無い。そんな毎日でようやく得た休日なのだ。
『今何してるの? さてはとなりで彼女でも寝てたりして~』
ロレンツォはフォークで麺をつつきつつ言った。
「ああ、そうそう。だから邪魔してくれんなよ? じゃあな」
言うなりスマホを切ってベッドに投げ、カップ麺をすする。箱買いしたものの安売りだけあって美味くもなく、すっかり飽きてしまったカップ麺だ。
ロレンツォはふと、アウルエッグの時のエレナを思い出した。思い出して、払拭するように首を振る。
(生徒相手に何を考えてんだ、俺は……)
ロレンツォは溜息ひとつ、フォークを回した。
そんな溜息を見計らったように、玄関のチャイムが鳴った。宅配だろうと、ロレンツォはカップ麺片手にやおら玄関を開ける。
開けて、豆鉄砲をくらった目でエレナを見た。
大きなポニーテールを揺らしたエレナがまばたきひとつ。「なあんだ、やっぱりひとりじゃない」
「はぁ?? なんでお前がここにいるんだよ」
「エイリアン・バスターズに休暇はないのよ、セーンセ」
言い分ともかく、ロレンツォはエレナの格好に思わずドキリとした。
エレナはミニのホットパンツに、胸がパツパツのチビTだ。健康的な脚線美も直視もできないが、胸元に目線もやれない。こんな格好で街中をうろつくなんて、最近のガキには色魔も真っ青だろう。
「……お前な、もうちょっと学生らしい格好しろ。親が泣くぞ」
ロレンツォは咳払いし、視線をどこふく風にそらした。「せっかくの休日を邪魔されてたまるか。帰れ帰れ」
シッシと手を払うロレンツォかまわず、エレナはツイと背を泳がせ部屋を見た。ビールの空き缶が転がっている。ゴミ袋も置きっぱなしだ。男やもめにうじが湧きとはよく言ったものだ。全体的に花がない。
エレナがふと、ロレンツォの手元のカップ麺を見る。
「……えっ、カップ麺が朝ごはんなの?」
哀れみというより驚きの目だ。
「悪いかよ」とロレンツォ。
「悪いわよ」とエレナは言って、当然のように上がりこむ。その手元のスーパーの袋に、様々な食材を引っ提げて。
ロレンツォは大慌てで回り込み、大きく通せんぼした。
「こらこらこら勝手に上がるな! 誰かに見られたらどうすんだ……!」
こんなエロ……もといセクシーな格好をした教え子を部屋に連れ込んだとなると、クビになるどころの話ではない。
なにより年頃の小娘が野郎の一人暮らしに上がりこむなんざ、食ってくださいといってるようなものだ。まったく男扱いされてないとはいえ、それとこれとは話が別なのだから。
エレナはハイハイと流しもってスーパーの袋をキッチンに置き、ロレンツォの手のカップ麺を無慈悲に捨てる。
「エイリアン・バスターズは体力が基本なのよ、こんなカップ麺で体力つくと思ってるの? ちゃちゃっと作るから、イイ子にお座りしてて」
そうは問屋がおろさぬ顔で、ロレンツォはエレナに指をさす。
「お前な、年頃なんだから異性の部屋にホイホイ上がりこむな。不用心にもほどがあるんだよ、襲われてからじゃ遅いんだぞ」
「あら、随分な自信ね。やってみる?」
はたと見合う。ボブの惨劇を思い出したロレンツォは、軽く両手を上げて大人しくシット(お座り)した。
エレナはご機嫌にウインクひとつ。つるりとした光沢のある爪が、可愛らしいエプロンの紐を綺麗に結う。ロレンツォは頬をかいた。
誰かの包丁の音なんて、本当に久しぶりだった。
ロレンツォは、ふと元カノを思い出していた。流行りものと買い物と外食が好きで、球学研究センターをクビになったとたん手のひらを返し〔あなたに将来性を感じない〕と、さっさと鞍替えしたしたたかな女だ。
エレナのツンと上がった形のいいヒップを見る。無駄のない綺麗なラインの身体つきに、若さというのは眩いモンだなと一人納得した。
「……宿題終わったのか? ワークとプリントの両方」
「余裕よ」
おいしそうな音とともに、さっそくいいにおいが漂ってくる。座ってろといわれたロレンツォだが、ちょっと気になって覗き込んだ。
まな板の上のトマトより先に胸元に目が行き、思わずフライパンへ目をそらす。みじん切りのにんにくと細切りベーコンが、オリーブ油の中でいい音を出していた。ちょっと焦げそうだったので、ロレンツォはついそばのヘラで混ぜる。
キッチンに並んだロレンツォに、エレナが嬉し気にふった。
「毎日ろくに食べてないんだってね、センセ。担任が言ってたわよ、私が面倒みてあげないと~って」
「勘弁してくれ、ほんと大きなお世話だ……」
それにエレナは声を出して笑って、刻んだトマトをフライパンに入れた。タイマーをつけ、そばの鍋にパスタをいれる。そして、待ってましたと言わんばかりにゴミ袋を広げた。
「さーて! 空いた時間を有効に、もエイリアン・バスターズのモットーよ」
陽気に言って、さっさと掃除を始める。さすがのロレンツォも大きく首を振った。
「いいって、掃除は自分でやるから結構だ」
止めようとした矢先、エレナが掃除ままにベッド付近のゴミ箱から落ちたティッシュをつかむ。それにロレンツォがぎょっとした。
「おいおいおいおい勘弁してくれよ……!」
エレナの手には、男ならおなじみの恥ずかしいティッシュが掴まれてある。ロレンツォは大いに言葉に詰まった。言っちゃなんだがそのティッシュはフレッシュなのだ。
それにエレナはきょとんとした顔で、手元のゴミ袋に放り込む。
「ゴミ袋がティッシュでぱんぱんだから落ちちゃうのよ、毎日まとめないの?」
けろりと返すエレナに、ロレンツォは愕然とした。使用済みティッシュを事ともしないなんて、最近のガキは進んでるという世論もあながち嘘ではないらしい。
(そりゃそうか、彼氏とかで慣れてるよな普通……)
落ちるように納得してすぐ、胸の奥に穴が空いたような気持ちになった。思わず深呼吸で気を逸らす。ロレンツォは考えなかったことにした。
ちゃっちゃと掃除するエレナがふと、ベッドの下から引っ張り出した本を落とす。巨乳な女の子のセクシーショットなページが広がった。
「……うわ、センセー、こういうの好きなんだー……」
半笑いというかゲンナリというかドン引きというかなんとも例え難い表情で、エレナが成人本から視線をそらした。
「だから掃除はいいって言ってんだろ」
ロレンツォは言って、本をひったくってゴミ箱に捨てる。
ちょうどその時だった。キッチンタイマーが鳴り響き、エレナはそそとキッチンへと戻っていく。
ロレンツォはバツが悪そうにため息をついた。エレナはキッチンでパスタの湯きりをしている。どこかちょっとぎこちない様子だ。
(……さっきの感じ、ちょっとどころか、かなり引いてなかったか?)
使用済みティッシュは平気で成人本はアウトとか、まったく基準がわからなかった。
……・……
綺麗になったデスクに、エレナがどうぞと皿を突き出す。トマトパスタのあざやかな赤に、ロレンツォが思わず感動の声をあげた。
爽やかなトマトとバジルの香りに腹が鳴る。何を隠そう、トマトパスタは大好物なのだ。
「どーぞどーぞ、食べてみて」
エレナの言葉を合図にありがたく口に運ぶ。エレナ特製のトマトパスタはニンニクがきつく、トマトもやや痛めすぎていて一般的にはあまり美味い部類ではなかった。それでもロレンツォには、とんでもなく美味しく感じた。手料理は実家に行った時でしか食べないせいか、フォークが止まらなかった。むしろちょっと癖になる味だと胃袋も大歓迎を始める。ロレンツォはごくりと飲み込んで思わず声をあげた。
「うまい……! これはうまいぞ!」
次々と口に運んではうまいうまいと頬張るロレンツォを、エレナは肘をついて見つめる。もりもり食べる姿が可愛くて、つい笑みがこぼれた。多めに作ったにも関わらず、トマトパスタはあっというまになくなったのだった。
ご満悦のロレンツォが大きく一息つく。
「あーうまかった~! こんな旨いトマトパスタ、初めてだよ! サンキュ!」
それにエレナが皿を下げ、魅惑なウィンクひとつ。
「よかった! じゃあお礼に今日の調査に来てね、セ・ン・セ」
してやったりのエレナの笑みに、ロレンツォが一瞬フリーズし、がくりと肩を落とす。
「……ハメやがったな。ぁあ、俺のせっかくの休日が……」
……・……
準備するから先に出てろと言われたエレナは、駐車場で小石を蹴っていた。
それとなくロレンツォのオンボロ車を見る。改めて見ると、かなり古いが丁寧に手入れされた車だ。先日、ロレンツォが実家でジャンカルロと修理していたことを思い出す。
エレナはふとエレベーターの音に振り返った。面倒くさそうに頭をかきながら、ロレンツォが階段を降りてくる。
「ったく、せっかくの日曜なのによ……。送迎だけだからな、どこまで行くんだ?」
エレナは鳩が豆鉄砲をくらったように目を丸くし、とたん小さくふきだした。準備とはなんだったのか、ロレンツォは寝癖のついた髪に無精ヒゲのままだ。ヨレたTシャツにスウェット、ダサいサンダル姿のロレンツォに、エレナは指先をくるくると、上から下までさす。
「んー、その格好も可愛いけど、今回の計画には不向きね。とりあえず行き先まで向かって? お買い物がしたいの」
朝の爽やかな空気が心地よく、確かに天気のいいお出かけ日和だった。
エレナはご機嫌に風を感じている。まるでドライブデートのそれに、ロレンツォはすっかり手の上で転がされてるなと思った。
エレナはやたら助手席に座りたがる。〔だって隣が喋りやすいもの〕とご満悦な笑顔を向けられたら、素直に嬉しいものだ。
走ることしばらく。ナビはとりあえずの〔行き先〕前で終了し、ロレンツォがあんぐりと口を開けた。
「……はぁ? おいおい、冗談だろ……?」
一瞬、どこかの城と思った。青いとんがり屋根に、大きな旗が穏やかに揺れている。威厳があるというか、貧乏人なら見ただけで死にそうなほど荘厳な佇まいだ。
そんな城門のような入り口の上には、〔ラペリーノ&ラペリーノ〕の文字が輝いている。男の憧れ、いわずと知れたイルミナ直営の最高級ブランドだ。ネクタイ1本でパソコンが買えるし、スーツだけで車が買える。もちろんロレンツォとは一切無縁の世界のテイラーだ。
「……はぁっ!? ラペリーノ&ラペリーノッ!?」
〔ラペリーノ&ラペリーノ〕の入り口で、エレナが軽く手招きする。まるでスーパーにでも入るかのような気軽さだ。
「センセ、あんぐり口開けてないで早くおいでー」
「ま……待て待て、何言ってんだ、ここはダメだ! こんなところで買い物できるわけないだろっ」
残念ながらロレンツォのポケットには、昨夜コンビニで札を崩した残りぽっちしかない。しかも裸銭だ。
そんな心情を知ってか知らずか、エレナは肩をすくませる。まるで動物病院を拒絶する犬のようなロレンツォの襟首を掴み、半ば無理矢理に入店したのだった。
ロレンツォはまさか自分の人生において〔ラペリーノ&ラペリーノ〕に入ることがあるなんて、夢にも思っていなかった。
だだっ広い店内は呼吸するにも金がかかりそうなほど美しい。声も届きそうにないほどクソ高い天井にシャンデリアが輝いている。点在するガラスケースにおさまったスーツに値札はない。
執事のようにクソ決まったクールな店員が、ロレンツォの風貌に少しも顔色を変えず、乙にすましてこう言った。
「モーガン様、ようこそいらっしゃいませ。本日はどのようにお召し換えなさいますか?」
それにエレナが及び腰のロレンツォを、熨斗をつけてくれてやるかのように突き出す。
「上から下まで適当に全部揃えてくれる? 髪も髭も整えてね。なるはやでお願い」
それからはあれよあれよと進行した。
別室で8人がかりの採寸、バスルームではクリームやらでケアされる間、チョコレートとシャンパンが出た。
下着までクールでかっこいいものに新調され、美容師が髪どころか眉や髭までカットする間にネイルリストが手や足の爪の手入れをし、終わる頃には大きな鏡の前にシャンとすましたスーツがあったのだ。財布ももちろん新調され、中にはピン札がきっちり収まっていた。
スーツに袖を通し、ロレンツォは大きな鏡を見た。まるで勝ち組エリートな自分に物怖じする。
執事のようにクソ決まったクールな店員が、「お待たせいたしました、よくお似合いです」と綺麗なお辞儀でロレンツォを見送ったのだった。
…
一方、エレナは別室でのんびりと紅茶をかたむけていた。
ふと扉が開かれ、スーツをまとったロレンツォがなんとも言えない顔でエレナを見る。今にもストレスで死にそうな面だ。
エレナはご満悦に大きく頷き、肩を軽くたたいてやる。
「お疲れさま! うんうん、馬子にも衣裳ね。なかなかキマッてるわよ、センセ」
「うるせ。……おい、会計どうするんだよ。こんな高いの絶対払えないぞ」
蒼白に声をひそませるロレンツォに、エレナがおかしげに笑んだ。
「この程度なら部の経費で落ちるわ。男なんだから一張羅くらい持ってれば?」
「冗談だろ?」
さすがセリオン学園と驚くロレンツォに腕を絡ませ、エレナは店員に軽く手を振り専門店を後にした。
「さ、お次はハイウェイオアシス(サービスエリア)で打ち合わせよ。高速の料金所をいくつか越えるから、運転頑張ってね!」
まるで恋人のように腕を絡まれたロレンツォが、犬の散歩のようにひっぱられていく。
にこやかな笑顔で見送った店員が、笑顔を崩さずそばの部下に耳打ちをした。
「……マリア様にご報告を」