note3 仕事は真面目にやりましょう
note3
夏も折り返し地点を過ぎ、暑さはピークを迎え始め、張り込みに厳しい季節となった。
だがそんな心配など杞憂に終わるほど、三ヶ島探偵社は今日も今日とて暇である。張り込みをさせてくれと、こちらからお願いしたいくらいだ。思えば、note1以来収入らしい収入を得ている描写がないので、読者の皆さんもご心配のことだと思うが、安心してほしい。僕が一番心配している。この事務所の将来を。
そんな危機的状況にもかかわらず、ソファでは1組の男女がおおっぴらにイチャついて、事務所の室温を上昇させている。
「速水さん、それなに読んでるんですか?」
「女にはわかんねえ漫画」
「意地悪しないで教えてくださいよー」
そう。前回の一件以降、すっかり事務所に入り浸るようになった千晴さんと、彼女のアピールを華麗にかわす速水君である。
あれ以来、千晴さんはすっかり速水君にお熱らしく、夏休み中であることも手伝って、何かと理由をつけてはここに顔を出している。今は所属する美術部の課題である絵を描きながら、速水君と談笑しているというわけだ。まあどうせやることもないので遠慮なく遊びに来てもらってかまわないのだが、娘に近づく男を絶対抹殺するマンこと浪川が絶えず殺気を放っていることに早く気づいてくれ。
まあ、そんな感じで多少の変化はありつつも、相変わらず平和すぎる三ヶ島探偵社だ。
だがそんな平穏は、突然のノックによってあっけなく砕け散ってしまうことになる。
はあい、と僕の返事を待たずにドアは破られた。普通に静かに開けられたはずなのに、なんだか蹴破られたような気分がした。
現れたのは、薄緑を基調とした着物に身を包み、大きな風呂敷を背中に背負った、痩身の和風美人。切長の目で事務所をぐるりと見渡すと、ソファで寝っ転がって漫画を読む速水君をひと睨みする。
「あらぁ、楽しそうなお仕事じゃない、翔」
凛とした鈴のようなその声を耳にして、ようやく速水君は顔をあげた。声の主をその視界に入れた瞬間、元々大きな目が更に大きく見開かれた。
「………和音」
「お仕事中に堂々とサボりなんて、あなたいつからそんなに偉くなったの?」
こんな挑発を受けた時、普段なら憎たらしく皮肉で返していることだが、今回はどうやらそういう相手ではないらしい。口をつぐんで、睨みながら黙り込んでしまった。
速水君だけじゃなく、僕までその雰囲気に圧倒されてしまう。
………どうやらまた、一波乱やってきそうな予感である。
荷物を下ろし、小さく折り畳まれるようにソファに腰掛けた和音さんというその方は、僕が冷たいお茶を用意している間に、涼やかな声ですらすらと事情を説明していた。
「突然押しかけてしまって申し訳ありません。私、翔の姉で速水和音と申します。いつも弟がお世話になっています」
「は、ハヤミンのお姉さん……?」
そう息を呑む所長の気持ちが手にとるようにわかる。大丈夫、僕も同じ気持ちです、所長。
何が言いたいかと言うと『姉ちゃん、意外過ぎだろ……』ということだ。
あいつの姉と言われれば、なんというかこう、金髪にスウェットのマイルドヤンキーとかを想像してしまう。まさか、こんな楚々とした和服美人だと思うまい。
突如現れた意外な来客に、僕よりも戸惑っているのは千晴さんだ。突然の想い人の親族登場に、意味もなく緊張の汗を流している。
というかこの方、いるだけで無意識に周囲を緊張させる、独特の雰囲気を持っている気がする。
僕も緊張させられている一人なので、物音を立てず厳粛にお茶とお菓子を差し出した。
「あら、お気遣いいただきありがとうございます。玉露かしら」
「あ、いえ、ただの煎茶です」
「そうでしょうね」
ん? 今、一瞬違和感が迸ったが、気のせいだろうか。なんかこう、ナチュラルに見下された気がする。が、和音さんは何事もなかったかのように、またすらすらと話し出した。
「今回お邪魔したのは、他でもありません。私の愚弟、翔を実家に連れ帰ろうかと思いまして、参った次第です」
感嘆符や、息を呑む音で、ここにいる者達がそれぞれの驚きの反応を見せた。ただ、当事者である速水君だけは無言を貫き、特に驚いた様子を見せていない。
「弟は……翔は、はっきり言ってボンクラです。中学の頃から人と喧嘩するばかりで勉強も家の手伝いも何一つしなかった。警察に補導されたことだって、一度や二度じゃないんです。その上、勝手に高校を辞めて家を飛び出したと思ったら、上京して探偵をやってるなんて言いながら毎日だらだらと過ごしている……もう堪忍袋の尾が切れました。この子を一度連れ帰り、いちから性根を叩き直してやろうと思っています。そちらにはご迷惑をおかけしますが_____」
「おい待てや」
流水のごとく吐き出された言葉の数々を、それまで無言で膝に頬杖をついていた速水君が遮った。いつになく恐い顔をして姉を睨みつけている。
「いきなり来て勝手言ってんじゃねえぞ。誰があんな家の手伝いするかよ」
「……あなた、そういうところが子供なのよ。足りない脳みそで少しは考えなさいな。家族の反対を押し切って上京して、やっていることがこれ? 仕事らしい仕事なんて、揃いも揃って誰もしていないじゃないの」
耳が痛い。今日ばかりは暇すぎて浪川ですら仕事がなく、所長が鑑賞するドラマを皆で横からぼんやり眺めていたのだ。全く、悪いタイミングで現れてくれたものだ。
「とにかく、これ以上時間を無駄にするなら問答無用で連れて帰るわ」
「………今抱えてる案件があるんだよ」
「嘘よね」
大芝居をうって撃沈した。よくそれでいけると思ったな、後輩よ。
わかりやすく項垂れる速水君を心の底から見下す和音さん。その二人の間に割って入るように、所長が身を乗り出した。
「ちょ、ちょちょちょお姉ちゃん待って! 確かに今日はみんな暇してただけど、普段は違うの! ハヤミンは若いし体力あるからよく肉体労働してくれてて、本当に助かってるの! サボりばっかじゃなくて、ちゃんと仕事してくれてるときもあるの!」
ときもある、という表現が良くなかったかもしれないが、所長が言っていることは紛れもない事実だ。サボり魔で居眠りばかりだけど、考えるより体が先に動く、そんな速水君の長所を、僕たちは少ない武器のひとつだと考えている。
だが、和音さんは話にならないとでも言いたげに、無言で首を振った。
「どこまで本当なんだか……まあ、御社の社長さんがそこまで仰るのなら、確かめさせていただきますわ。この子が本当にここで必要とされているのか、なにか人様のお役にたつことができているのか、私が東京に滞在する7日間、この目でしかと見届けさせていただきます。結果次第では、考えを改めるかもしれません」
「それでいいよ」
和音さんの突然で無茶な提案に、速水君に代わって所長が返事をしたので、本人は不服そうに所長を睨んだ。だが、この場ではそう言うしかないことも分かっているはずだろう。
「では、今日のところは翔の部屋に荷物を置きに行きますので、これにて失礼いたします。また明日、伺いますわ。翔、鍵」
「俺んち泊まる気かよ……」
吐息を多めに含んだ独り言を漏らしながら、部屋の鍵を和音さんに向かって放り投げる速水君。少しとりにくい、意地悪な投げ方をされたにも関わらず、和音さんは事も無げにキャッチする。
「しっかり仕事するのよ」
そしてそれだけを言い残して、幻のように無音でこの事務所を去っていってしまった。
残された僕たちは、まるでそれまで呼吸できなかったかのように全員で大きな深呼吸をしたのだった。コミュ力だけが取り柄の所長も流石にどっと疲れたようで、ゆったりとソファに体を沈める。
「ふー……久々に緊張したぁ」
「…………」
そんな所長を横目に、速水君は気まずさからか沈黙してしまう。千晴さんは心配そうにその横顔を覗き込んでいるが、所長はその「逃げ」を許さなかった。
「ハヤミン、何があったか話してくれる?」
往生際悪く尚も沈黙を続けるので、浪川も加勢した。
「速水君、所長命令だから」
そこでようやく観念したのか、長く深いため息をつき、拳をぎゅっと握り締めながら、速水君は言葉を紡ぎ出した。
「別に……そんな深い事情があるわけでもないっすよ。和音の言ってることは本当です。俺んち、群馬でばかでかい温泉旅館やってて、俺は5人の姉貴の下に生まれた唯一の男だから、将来を期待されてて……それが鬱陶しくて、毎日家にも帰らず喧嘩ばっかしてたんすよ。だから、親に合わせる顔なくて、ずっと実家と連絡取らずにいたんすけど……多分、そのせいで心配した和音が様子見に来たんだと思います。粗探しして何かと理由つけて、実家に連れ帰って旅館で働かせるつもりなんでしょうね」
ひと息に全て喋ってしまった後、気遣うように千晴さんのほうを一瞥し、また途方に暮れる速水君。僕も家出同然の身分なので気持ちはわかる。実家に帰りたくないのだろう。
だが、少し考えてしまう。彼はまだ18歳だ。若く貴重な時間を、こんな事務所でモラトリアムに耽っていたずらに浪費するよりは、そのどでかいという実家の旅館で汗水垂らして働く方が、人として真っ当な道なのではないだろうか?
ホテル街で何時間も張り込んだり、調査対象を尾行したり、未成年の彼にとって健全でない業務も多々押し付けてきた。そんな仕事を、会社を、家族はやはり良く思うことはできないのだろう。どちらが彼の将来にとってより良いのか、この場にいる成人の全員が、漠然と理解していただろう。
そういった様々な事情や、思いや、感情を飲み込むかのように所長は喉を少し鳴らして、言葉を紡ぎ出す。
「そっか……じゃあ、和音ちゃんに、ちゃんと働いてるよって言えるように頑張らなくちゃだね」
驚くほど明るい声が出たので、驚いて速水君は顔をあげる。
「だってハヤミン、まだここにいたいでしょ?」
少しも迷いのない、心からの笑顔を浮かべる所長に思わず目を伏せたものの、彼の口元は微笑んでいた。
「………はい」
「決まりだね。絶対和音ちゃんにいいとこ見せて、納得してもらおうね」
「はい」
こうして、速水君にとって最も長い7日間が始まった。
………世の中そんなにうまくいくわけないだろ。
昨日依頼がなかったからといって、今日こそあるだろうと思うのは甘い考えだ。今日も来客一人来ないまま、正午を迎えた。
よって、することがないので、本来であればいつも通りぼうっとしたり談笑したりするのだが、和音さんの監視の下ではそうはいかない。
手持ち無沙汰の僕は早々に給湯室に引っ込み、昼食の支度に取り掛かる。その間、所長は僕のデスクに座り、普段なら触ろうともしない調査報告書のファイルを意味もなく眺め、なんとなく仕事しているふり。浪川はPC業務をしていると見せかけつつ、小さく開いたウィンドウで映画を観ていることを僕は知っている。
なんとも奇妙な光景だ。この中で仕事をしている人間など誰一人いないのに、何の偽装工作もできなかった速水君だけが時間を持て余している。姉の見ている前でいつものように漫画を読むわけにはいかず、自分の靴先と睨めっこをする羽目に陥っていた。
「……あなたたち、毎日こうして無意味な時間を過ごしているの?」
浪川と所長の背中がかすかにぴくりと動いた……気がする。走る衝撃。仕事しているフリだって、やはりバレていたか。
「ん、んー、いつもはもっと忙しくって、全員が事務所に揃うことなんて難しいんだけどね! 今閑散期だからね!」
「あら、探偵さんに繁忙期と閑散期があったなんて知らなかったわ」
大胆な嘘をつくな。光の速さで看破されただろうが。いつも事務所に全員集合して桃鉄やったりしてるだろうが。
もはや和音さんに嘘など通じようはずがなく、ボロを出さないように全員口を固く閉ざすことを決意したようだ。丸いすに腰掛けた和音さんにじっと見つめられながら、皆一様に下を向く。
そんな様子を時折振り返りながらも、昼食が出来上がったので配膳。サバの塩焼き、豚汁、ご飯、しいたけと高野豆腐の煮物、家で漬けてきたきゅうりのぬか漬け。以上。
「和音さんもよかったらどうぞ、作りすぎちゃったので」
「あら、ありがとう。いただくわ」
和服を着こなすだけでなく、食事の作法ひとつとっても雅な和音さん。ガサツで早食いな速水君と同じ家で育ったとはにわかに信じがたい。
同じくお行儀悪い勢の所長は、沈黙が苦手な性分なので、元々高いテンションを更に高く維持して和音さんに質問をポンポン投げかける。
「か、和音ちゃんてさ! 普段お仕事とか何してんの?」
「実家の旅館……すず屋というんですけれど、そこで若女将として雑用を」
「大変そうですね。じゃあ、弟さんを実家に連れ帰ったら、そこで仕事をさせるんですね?」所長がコミュニケーションに苦慮しているのを見て、浪川も加勢する。
「ええ。まずは下働きからだけど……ゆくゆくは、社長に就任してもらおうと考えているわ」
「は、速水君が社長ですか……」
キレやすくて喧嘩っぱやくて怠惰で、漢字が苦手な社長……和音さんの方が絶対に有能そうだ。
「私だって、この子に期待なんかしていないわ。私の方が絶対向いているもの。でもね、そういうわけにもいかないのよ。この子は、男の子だから」
箸置きにそっと箸を置いて、優雅な仕草で麦茶を喉に流し込む和音さん。その瞳は、怒りのような、かつ哀れむような複雑な感情を込めて弟を見据えていた。
「速水家はね、代々不思議な“呪い”を受け継いでいるの。それは、何人子供をもうけても、女の子しか生まれてこないということ。創業以来300年間、ずっと女の子しか生まれてこなかった。私もその一人よ。だから私たちの先祖は、生まれた女の子に婿をとらせて、その婿を旅館の主に据えることで、その血を繋いできたわ」
「そ、そんな偶然……」
あるの、と所長が言いかけたところで、和音さんがぴしゃりとその発言を遮った。
「偶然じゃないわ。これは“呪い”よ。そして、速水家に伝わる“呪い”は、その一つだけじゃない」
「もう一つの、呪い……?」
「ええ。それは……婿に来る男たちが、揃いも揃って全員ボンクラだということよ。私のお父様もお祖父様も、それはそれはどうしようもない経営者だったわ。お父様はちょっと目を離すと金庫からくすねたお金で競馬や競艇に出かけてしまうし、お祖父様は仕事をサボって飲み屋にキャバクラにストリップに遊興三昧……もう、我が家の女たちは爆発寸前だったの」
「親父とジジイ、昔っから結託してサボってたからな」
速水君のこぼしたこの発言で苦い記憶が蘇ってきたのが、殺気を増幅させる和音さん。
「そのようね……でもそんな時、私たち5人姉妹に弟が生まれたの。すず屋開業以来初の男児誕生よ。みんな大喜びで、その子に翔と名付けて、宝物のように育ててきたわ。速水家に生まれた男児なら、きっと真面目に働いて旅館をさらに大きくしてくれるはずだからって。で……その結果が、これよ」
切長の目をすっと細めて、眼前で豚汁をかきこむ「これ」を睨みつけた和音さんは、再び茶碗を手に取って食事を開始した。
「とにかく、私はお祖母様やお母様のためにも、この子をなんとしてでも連れて帰ります。それが嫌なら、せいぜい私に仕事ぶりを見せつけることね」
「…………」
少しの沈黙が食卓を薄い膜のように覆い尽くし、それ以降は無言で銘々が銘々に箸をすすめた。
……まあ、とりあえず営業から頑張ろう。
姉の心中を耳にして、やはり何か思うところがあったのか、それからの速水君のやる気っぷりは凄かった。入社以来初めて、就労意欲らしいものを見せたのだ。
町中の法律事務所や司法書士事務所への営業に行き、今までほぼ使ったことのない名刺を配り歩いた。浪川に名刺の渡し方なんかを教わったりもした。
「名刺を渡すときはね、この向きでこう、名刺入れの上に乗せて、相手より低い位置で……」
「自分より格下のやつだったら上から渡していいんすか」
「そんなわけないから黙って言うこと聞いてね」
またある時は引っ越し業者に、盗聴器発見はうちに依頼してください、と営業の電話をかけた。
「相手が出たらまず所属と名前を名乗って、挨拶な。『三ヶ島探偵社の速水と申します』。はい、復唱」
「……なんか、そういう喋り方したことないんで拒否反応で蕁麻疹出てきそうっす」
「あとでオロナインやるからちゃっちゃとかけろ。今日中にそのリスト全部な」
またある時は、チラシ作りなどにも協力した。
「んー……今までのチラシだと正直マンネリだし、もう少しポップなポップにしないと見てもらえないよねえ」
「年相応の親父ギャグやめろ」
「ポップって、例えばどんなのがいいの? キャラクターとか?」
「そうですね、可愛いイラスト的なのがあれば……って、速水君何描いてんのそれ」
「や、説明イラストっす。仕事内容の」
「上手くはないけど下手でもない味のあるイラストだねえ……こんな特技あったんだ。いいよこれ。六木君と所長は、カードゲームのクリーチャーみたいなイラストしか描けなかったから助かるよ」
「誰の絵がクリーチャーだコラ」
そんなこんな、なんやかんやで、苦労を重ねつつも営業漬けの日々は過ぎて行った。
ほぼ埃を被りかけていた事務所の電話機をフルで活用し、あちこちに営業電話をかけまくる僕。HP作成やチラシ作成など、デジタル面で支える浪川。それから、
「ちょっとチラシ配り行ってきます!!」
と、たった今元気一杯に出て行った速水君。3人ともなんとか客を呼び込もうと必死に仕事した。所長は和音さんの視線があるせいでサボることができず、半ば本業と化しつつある副業の司法書士業務に励んだ。
和音さんが帰る日にちは明日だ。それまでに、解決は不可能であっても依頼が舞い込むところくらいは見せて、納得してもらいたい。
そう意気込んで、事務所で一人電話に張り付くも、名乗って数秒で切られてしまい、また架電リストにバツ印をつけた。そんな僕に、今日もじっと僕たちを観察していた和音さんが言葉を投げかけた。
「……思ったより、大変なのね。探偵さんって」
「え? ああ……そうですね。離婚率が高まって需要は増える一方ですけど、儲かるのは一握りの大企業だけですからね。僕たちみたいな中小企業は毎日ヒイヒイ言ってますよ」
「そう………」
和音さんは伏し目がちに俯いたかと思うと、膝の上に置いていたがま口のバッグを開け、1枚の紙切れを取り出し、僕に差し出した。
それは写真だった。お祭りの日の一コマらしく、浴衣姿の少女5人と、甚平を着て綿菓子を口にする、5歳くらいの小さな男の子が写っている。
「弟……翔と、私の妹たちです。手を繋いでいるのが琴音と鈴音の双子……次女と三女。仏頂面なのが四女の清音、大口開けて笑ってるのが五女の静音。姉弟6人で夏祭りに行った日に撮ったの」
よく見ると、一番年長と思われる少女に和音さんの面影が見える。藍色の浴衣を着て、四女の清音さんとやら以上に仏頂面だが、しっかり弟の手を繋いでいる。
「この子、この日も土壇場でお祭りに行きたくないなんて言い出して、そのせいで両親とケンカして……私が必死に止めたのよ。だから、翔も私もこんな難しい顔しているの」
「こうして見ると、似てますね、二人。やっぱり姉弟ですね」
「そうね……でも、10歳も離れた姉弟だから、姉というより母親みたいな感じで接してしまうの。男の子だからって親戚中がちやほやして、あの子を甘やかすから、私なりにあの子のことを思って厳しくしてきたのに、結果があれじゃあね……お笑い草だわ」
恐らく宝物にしているであろう、懐かしい写真を白い指先で撫でながら、半ば独り言のように和音さんは呟き続ける。
「どうしようもない弟だけど、私、これでもあの子を応援していたのよ。姉や親に甘ったれて、悪さばかりしていた翔が、家出みたいな形ではあったけど東京に出てちゃんと働いて幸せにやっている。私は、それ以上を望む気はないわ。ここでの仕事にも本当は不満なんてないの。でも、お祖母様が許さないって……」
「……和音さん、本音は“どう”なってほしいんですか?」
「どう? どうって……そりゃあ、翔が好きなことをして、笑っていられればいいわ。それ以上に何も望まない」
「じゃあ、和音さんは“どう”なりたいんですか?」
「どうって、何、あなた……」
「速水君を連れ帰るために東京に来たのは、おばあさんの命令。速水君の仕事に反対しているのも、おばあさんが反対しているから。じゃあ和音さん自身は、どうしたくてどうなりたいんですか?」
「それは……」
どんなときでも優雅で気丈でやや毒舌で、凛とした和音さんが、この事務所を訪れてから初めて動揺した様子を見せた。逃げ道を作らないように、じっとその瞳を見つめる。
「……本当は、翔じゃなくて私が旅館を継ぎたいと思っているわ。お祖母様はいつも男だから女だからって言って、翔にばかり期待を寄せるけれど、私だって努力しているのに……」
「それ、弟さんとおばあさんにそのまま言えばいいんじゃないですか」
はっとした様子で和音さんが目を見開いた。いつも人をからかうような、不敵な笑みを浮かべている彼女だが、こうしてありのままの感情を曝け出した姿の方が、より美しく見えた。
「和音さんだってわかってるでしょ。あいつは、実家に引きずって連れて帰ったところで、その日の内に脱走するか、不貞腐れて部屋に籠るかのどちらかですよ。僕だってあいつの先輩を1年やっていますからね。それくらい想像がつきます」
「……………」
「だったら、適材適所がいいんじゃないですか。探偵を続けたい速水君はこのまま現状維持、経営者になりたい和音さんはおばあさんに相談する。そうしたら二つの呪いとやらも問題じゃなくなるじゃないですか。何も無理やり、やりたくない仕事をそれぞれに続けさせることはないでしょう」
「…………ふっ」
あ、笑った。愛想笑いか嘲笑しか見せてこなかった和音さんが今、本当の意味で笑った。吹き出すように、愉快そうに笑った。
「あなた、髪型以上に面白いことが言えるのね。なかなかやるじゃない、もじゃもじゃ。男のくせに」
父と祖父が原因なのか、男に厳しい和音さんを見ていると、なんだか実家の妹を思い出す。
「お褒めにあずかり光栄です」
「もしこの会社が潰れたら、私の下で雇ってあげないこともないわ」
「あははー」
もしそうなったら、僕は旅館で働くどころか、父の言いなりに生きる生活に逆戻りするかもしれないな、わはは。
「さてと、そうと決まれば、早速帰ってお祖母様と修羅場を一芝居演じてみるわ。もじゃもじゃ、翔が戻ってきたら私は帰ったと言っておいてちょうだい。それから、頑張りなさいとも」
「え、帰るのは明日じゃ……もう少しいても」
「生憎だけど、私、やることがたくさんあるのよ。いずれすず屋を支配する女社長になるんだから。それじゃあ、弟をよろしくね」
最初から最後まで、何をするにも唐突な人だ。こちらを一度も振り返ることなく、草履ばきの足ですたすたと歩みを進める。
だけど、どこか吹っ切れたような表情で、大きく一歩を踏み出した和音さんは、少し表情が柔らかい気がした。
嵐のようにやってきた和音さんが、同じく嵐のように去っていって数分後、外回りに(ついでにアイスも買いに)出かけていた所長、浪川、速水君の3人が帰ってきた。
「和音いるかぁ!! 依頼、1件とれたぞ!」
この炎天下の中よほどあちこち駆けずり回ったらしく、額に汗を流しながら駆け込んできた速水君。姉の姿が見えないことを確認すると、呆然とした顔になった。
「和音さんならたった今帰ったよ。頑張りなさいだって」
「は……?」
頼まれた言伝以外は何も言うまい。いずれ修羅場とやらを乗り越えた和音さんの口から、ことの顛末を聞かされるだろうから。ここはまず先輩として、一歩成長した後輩を褒めるにとどめておこう。
「でも、本当に頑張ったじゃないか。依頼1件とれたんだろ?」
「はい、チラシ見た奴からメールが来てて、一度面談したいって」
毎日ソファで寝っ転がって、昼寝をするか漫画を読むかの2つしか行動パターンがなかった速水君。そんな男を例え一時でもやる気にさせてくれた和音さんに、感謝しなくてはいけない。
嗚呼、これで全員のモチベーションが上がりに上がり、仕事も真面目にこなすようになって、我が社も人気探偵事務所の仲間入りが………
できるわけがなかった。和音さんが帰ったとわかった瞬間、手にしていたチラシを投げ捨て、ソファに倒れ込む速水君。馬鹿でかいため息をついた。
「はあぁーーーーーーー和音がいないだけでこんなに心やすらかに昼寝ができるとはな………」
「そうだねえ。僕も新作映画チェックしようっと」
「私はドラマ観るぜーーーー!!!!」
「…………………」
和音さん、今すぐ戻ってきてくれ。そしてこいつらまとめて群馬に連れ帰ってくれ。
【探偵ファイルNo.3】速水翔
三ヶ島探偵社最年少の新米探偵
運動神経抜群のため、頭より体を使って仕事をする
群馬の老舗旅館に生まれ、5人の姉に囲まれて育ったため、女性に対する免疫が異常
【年齢(生年月日)】2月14日 18歳
【趣味】昼寝、野球、漫画(ヤンキー漫画が好き)
【特技】どこでもすぐに寝られる、着物が着られる
【苦手】家事全般、勉強