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note1 これが本来の探偵です

もう十年近く前から応援してくださっているSさんに感謝を込めて

「今、何で声かけられてるかわかりますか」

 1秒で200個ほどの理由が思い浮かんで、僕の脳内を光の速さで駆け巡った。


 建物の影に隠れて、あるマンションの前をもうかれこれ1時間は凝視していること。右手に望遠カメラを持っていること。白い粉がピッタリ似合うアタッシュケースを傍らに置いていること。天然パーマなことなど。我ながら怪しすぎて笑ってしまうくらいだ。


 目の前の若い警察官も当然同じことを考えているようで、無線を使ってぼそぼそと僕の特徴を伝えた。お仲間をお呼びあそばされたのかもしれない。職務熱心な公務員の姿に、いち納税者として涙が止まらなかった。普通に嘘だが。


「ご近所の方から通報があったんですよ。まあ、物騒な世の中だから皆さん過敏になっていまして。一応、事情をお聞きしたいのですが、今何をなさっていたんですが」

「えっと……し、仕事です」

「し、ご、と……」

 一音一音に猜疑心をたっぷりこめて発音をされた。当たり前である。僕が警官だったら鼻で笑っていると思うので、笑わないだけこの青年は立派だ。


「お仕事中なら、身分証とか、ご職業がわかる名刺とかあります?」

「ええとですね……」

 名刺はご好評につき絶賛品切れ中のため、職業を証明することはできない。運転しなさすぎてもはやお飾りとなった免許証を財布から取り出した。


 姓は六木(ムツキ)、名は(ジュン)。平成◯年9月14日生まれ。23歳。親譲りの天然パーマが怪しさを二割増しにしている顔写真。

 免許証から読み取れる限りの僕情報を警察官は穴が空くほどまじまじと見つめ、またもや無線でごにょごにょ。それを見つめることしかできない僕。


 第一話の冒頭から盗撮魔容疑で職務質問されている主人公が見られるのは本作だけ!


 などと脳内ナレーションを流しながら、僕は相方の帰還を待っていた。

 張り込み中、飲み物を買いに行ってくると言って、近くのコンビニに出かけたあの男。奴は食べ物や飲み物を決めるのが異様に遅くて日頃から不満に思っていたのだが、それがまさかこんな形で僕を窮地に追いやるとは思ってもみなかった。

 浪川、頼むから助けてくれ。


 そしてその願いは史上類を見ない爆速で叶えられることとなった。

「六木くん、お待たせー。いやあ、年取ると微糖とか無糖とか細かい字が読みづらくってさあ、探すのに時間かかっちゃった。はい、微糖」

 老眼が進行しすぎて僕が職質されているのがわからないのか、こいつ。


 ともかく、空気も読まずにそんなことを間延びした口調で喋りながらやってきたのが、僕が待ち侘びた同僚の浪川である。

 少女漫画なら確実に背景に薔薇を散らせているであろう淡麗すぎる容姿は、とても老眼と腰痛持ちの中年男とは思えない。肌つやや髪はどう見ても2、30代のそれである。突然現れたファンタジーカテゴリの住人のような浪川に、男であるこの警察官ですら一瞬見惚れている。


「ていうか六木君、また職質くらってるの? ご苦労様だねえ……お巡りさん、この人僕の同僚です。これが僕たちの仕事なんですよ」

 はい名刺、と浪川は自分の名刺を差し出した。


『三ヶ島探偵社 探偵 浪川大助』と書かれた弊社のその名刺は、表面に事務所の電話番号とメールアドレス、裏面に業務内容が書かれている。


『あなたのお悩み解決します 浮気・素行・家出等各種調査、ペット捜索、ストーカー対策等 お気軽にご相談ください』


「あぁ、探偵さんでしたか……失礼しました」

「怪しいのでお巡りさんが声をかけるのも無理はないです。実は今、依頼されていた素行調査の最中で、張り込みをしてたんですよ。ほら、そこのマンションの7階に住む女性の婚約者がね、結婚前に彼女の素行を調べてほしいって言うものですから。嫌な時代ですよね」


 流石のトーク力と顔面力である。登場早々主人公以上に喋り倒し、警察官の警戒心を見事紐解くことに成功した。というか、ここにいたのが僕ではなく浪川だったら、そもそも職質すらされていないかもしれない。爽やか指数が違いすぎる。ついでに言うと髪もサラサラストレートだ。


 それからは早いもので、簡単な質問に2、3協力した後、近隣住民を不安にさせないよう気をつけてくださいと注意されただけで、あっという間に解放された。

「通報されちゃったし、今日はもう引き上げようか。マンションから出てくる気配ないし、証拠はもう手持ちので十分でしょ」

「そうだな、あとはSNSの投稿とかを印刷してまとめておくくらいでいいだろ。浪川、あと頼む」


 軽く伸びをしてカメラをしまい、アタッシュケースがきちんと閉まっていることを確認する。

 その一連の動作を目を細めて眺めている浪川。嫌な感じで目があう。


「……なんだよ」

「いや……いつもいつも職質される六木君を助けてきたけど、これで何回目かなって……」

 口元は微笑みの形を保ってはいるが、目の奥は笑っていない。

「コーヒー、今日は僕の奢りにしとくよ……」


 あまりに安すぎると苦情が寄せられたので、昼食もご馳走するという条件をつけることで双方納得し、事務所への帰途をとぼとぼ歩いた。


 僕たちが所属している「三ヶ島探偵社」は、社員わずか4名の零細探偵事務所である。雑居ビルの2階に居を構え、主に浮気調査や身辺調査、家出人探し、ペット捜索などを行っている。


 映画やドラマに登場するような探偵ではない。というかそんなもの存在しない。部外者の勝手な推理を傾聴して言うとおりに捜査する刑事なんて絶対に嫌だろうし、ましてや見た目は子供頭脳は大人の小学生に犯人を聞くなんてありえないだろ。

 僕は職業こそ探偵であるが、推理はしないし「犯人はあなたです」も言わない。犯罪を目撃したら普通に通報するし、死体を見たらビビりまくるだろう。


 ただひたすらに聞き込みして張り込んで、靴の踵をすり減らすサラリーマン。

 どうか皆さん、そんな僕をカッコ悪いと思わないでいてくれるのなら、そのまま読み進めてほしい。カッコ悪いと思った人は今すぐ閉じて、大ヒット小学生探偵漫画を読んでくれ。そっちのほうが絶対に面白いから。


 さて、ここから先は推理をしない探偵の話を読みたい奇特な方々のためにお送りする。

 皆さん、ここが我が社の事務所である。三ヶ島探偵社と書かれたドアプレートと浪川作成のチラシがかかった、すりガラスの扉。


 それを開けると目に飛び込んでくるのが、信じられないことに昼の1時から来客用ソファで惰眠を貪る社員2名。

 人が炎天下の中張り込みをして警察に職質されていた間に、こいつらは人の苦労も知らずクーラーの効いた室内でだらだらしていたとわかり、盛大なため息をついた。浪川は相変わらず感情の読めない微笑みを浮かべている。

 僕は浪川のように心が広くないので、まず所長のブランケットを剥ぎ取ることにした。


「所長! 仕事中になに昼寝してるんですか! 起きて調査報告書の作成手伝ってくださいよ!」

「うーん……今日は学校休みだよママ……」

「誰がママだ」

 ブランケットの下から現れたのは、三ヶ島探偵社「所」長、藤野美和。長い黒髪をそのまま背中に流し、白いブラウスと黒のタイトスカートを身に纏ったこの女性のことだ。永遠の25歳を自称する45歳、独身。浪川同様不老であるらしく、外見は二十代の時からほぼ変わっていない。ちなみに、中身は5歳児である。


「潤君もナミーも早かったねえ、ご苦労様……あー! なんかお昼寝したらお腹空いちゃったな。潤君なんか食べさせて」

「働かざるもの食うべからずって言葉を辞書で引いてからもう一度言ってください。浪川、なに食べたい?」

「僕が決めていいの? じゃあ夏だしやっぱり冷やし中華とかがいいな」


 そんな会話をしている内に、もう一名ものそのそと起きてきた。いつも目覚めが悪いため、起きてからしばらくはこうしてぼうっと一点を見つめている。

 徐々に意識が覚醒してきたのか、ようやく状況を認識して口を開いた。

「あ、六木先輩帰ってきてたんすね。浪川先輩も。あれっすか、またいつもみたいに六木先輩が職質されて張り込み中断したんすか」

「よくわかったねえ」

 寝ていたくせに勘のいい男だ。


 彼はこの事務所の最年少探偵、速水翔。寝癖のついた色素の薄い髪をぐしゃぐしゃにかきむしっている。口が悪くぶっきらぼうだが、顔だけは流行りのアイドルのように無駄に可愛らしい造形なのがまた憎い。単刀直入に言うと僕はこいつがムカつく。主にさらさらストレートなところとか。


「同じ仕事してるのになんで六木先輩ばっか声かけられるんすかね。やっぱ顔?」

「よーし、お前だけ昼食抜きだ」


 昼食は所長のわがままで僕が4人分を作ることに決まっている。昼食付きとはずいぶんな福利厚生だが、調理する僕にメリットはない。

 昼食を作っている間、浪川は調査対象のSNSを再度チェック。所長はTV鑑賞。速水君は漫画雑誌を読み耽る。完璧な布陣だ。どこが?


 いくら零細事務所と言えど、流石に職場で気を抜きすぎではないだろうか。仕事らしい仕事をしているのは実質浪川と僕だけである。

 こんな調子なので、この三ヶ島探偵社は年中暇であり、複数の案件を抱えるようなこともなく、こうしてサボり放題となっている。


 収入源が危ぶまれるかもしれないが、なんと意外なことにこのダメ所長が司法書士の資格を有しており『藤野司法書士事務所』もこの事務所内で同時に構えているため、そちらで十分すぎる報酬を得ているらしい。

 所長が気まぐれに損切りをし、探偵事業から撤退すると決めれば、僕たちはたちまち無職なのだが、今のところその傾向はないのが幸いだ。


 料理は得意なので、給湯室の台所を使って冷やし中華がすぐにできあがった。4人分どんとテーブルに出す。速水君が「俺冷やし中華にトマトはなし派っす」とぼやく。無視する。恒例のランチミーティングが始まる。


「素行調査も佳境ですし、報告書の作成は浪川にまかせて、午後からは例の猫探しを本格的に始めたいと思ってます」

「あー、あっふぁねえふぉんなほほ」

「口に物を入れて喋らない」


「それって確か六木君が昨日来客応対したやつだよねえ。認知症のお母さんが飼ってる猫が逃げ出したから探してほしいってやってきた息子さん」

「そう。保健所に届出はしておいたから、浪川には並行作業で悪いが、SNSで発見報告がないかチェックするのと、迷い猫のチラシ作成を頼みたい。僕と速水君でめぼしい場所を探してみる」

「えぇー俺っすか」

「午前中サボってたんだから午後からきっちり働け。食べたらすぐ支度」


 4人同時に食べ終わり、浪川はデスクへ、僕と速水君は外へ、所長は再びTVの前へ。それぞれの配置につく。もう、所長には何も言うまい。司法書士の仕事だけしていてくれ。

 炎天下の中向かうのは猫が住んでいた依頼人の母親の家だ。長い間飼い猫だったというので遠くに行く可能性は低い。案外近くにいることが多いので、まさに灯台下暗し、灯台の下を探すわけだ。


「捕獲用ゲージよし、おやつよし、捜査対象の写真よし……」

「いつになく気合入ってますね」

 速水君がそう言って呆れ顔をしたので、僕はそれ以上の呆れ顔を返した。妙な表情で見つめ合う男二人。


「君は何もわかっていないな……捜査対象の写真、ちゃんと見たのか?」

「いや、見ましたけど」

 ますますわかっていないようだ。今日2回目の盛大なため息をついて、鼻先に写真を突き出してやる。


「見ろ!! この七三分けみたいな頭の黒い模様、小さな鼻、つぶらな瞳、柔らかそうな肉球……天使以外に他ならないだろ!?」

「出た……猫変態」


 彼はこう言うが、僕は自分のことを変態だと思ったことなど一度もない。ただ、あまりにも愛らしい猫という存在を、ちょっと愛しすぎているだけなのだ。甘い鳴き声、気まぐれな性格、ふわふわの毛並み……猫こそまさに神からの贈り物、地球のアイドル。猫のためなら死ねる。そんな僕を変態と皆が言うのなら、どうぞ好きに呼んでくれ。


「いなくなったのは5歳の三毛猫、ミーコちゃん……今日用意したおやつが好物らしいから見つけたらそれを出してみよう。性格は臆病、特徴は気絶するほど可愛いところ……」

「おい最後あんたの所見だろ」

 うるさい。お前ももっと猫を愛でろ。


 そうこうしている内に依頼人宅に到着し、捜索開始。今回の場合、飼い主が認知症を患っているとのことなのでいついなくなったかはわからないらしい。様子を見にきた息子が気づいて失踪が発覚した。

 家の周りはぐるりと一通り捜したとは言っていたが、数日ふらりとどこかへ出て行って、戻ってくるなんてこともありえるので、どんなケースでも大抵は家の付近から捜索を始める。


「思ったよりでかい家っすね……ほんとにこれバアさん一人で住んでんのかよ」

 速水君がそうぼやくのも無理はない。家は古い木造の平家で、都心にしては庭がかなり広大だ。手入れが行き届いていないらしく草木は伸び放題で、塀にも穴が空いている。捜索するにはかなり大変な条件だ。これなら猫が脱走するのも無理はない。


「近々、息子が郊外の家に母親を呼び寄せるから、この家は引き払うそうだ。猫も一緒に連れて行きたいが、引っ越しの日取りがあるから早めに見つけて欲しいんだと」

「はあ」

 ため息なのか相槌なのか分かりづらい音を発して、ひとまず速水君は家の表…玄関付近の捜索に取り掛かった。僕は裏側から。


 今こうして僕が軒下を覗き込んでいる間にも猫ちゃんが寂しい思いをしているかと思うと、胸が締め付けられる。自然と裏庭を歩く足取りも早くなった。

 僕は猫のために探偵になったと言っても過言ではない。子供の頃、学校帰りに可愛がっていた猫が失踪した時、心臓が縮み上がるような感覚を覚えた。強い不安感と悲しみ、怒りにも似た感情だ。


 その後所長に出会い、そういういなくなった猫を捜し出す仕事があると聞いて、僕は探偵という職業に強い興味を示し、紆余曲折あって現在に至るというわけだ。

 まあ、実際はドロドロとした離婚訴訟準備のための浮気調査が大半だったりするのだが……


 閑話休題。ミーコちゃん捜しである。

 念のため捕獲用の罠をいくつか設置し、おやつで誘き出せるようにはしてあるが、聞けば臆病な性格だそうなので、もしかしたら警戒して引っかからないかもしれない。

 となると、不安や恐怖を覚えたミーコちゃんがどこに行くかというと……


「あ」


 軒下で丸くなるミーコちゃんと目が合った。七三分けに見える独特の模様。カットされた耳。間違いない。やはり戻ってきていたのだ。この仕事をしていると、捜すのをやめたときに見つかるなんていう話は、あながち間違いでもないと思えてくる。探偵に大枚叩いて依頼した直後にこれなのだから。


 だが、発見には至っても、捕獲への道のりは険しかった。ミーコちゃんは驚いたのか、軒下から飛び出して、速水君の足の間をすり抜けた後、なんと屋根に登ってしまったのだ。


「……これか」

 見れば、家の壁づたいに何の収納なのかわからないが木箱が積み上げられている。それがいい具合に階段の役割を果たして、ミーコちゃんが屋根を自由に上り降りできる環境を整えていたらしかった。

「もしかしたら、依頼人が探し回っている間、ずっと屋根の上にいたのかもしれませんね」

 僕の元に駆け寄ってきた速水君がそう呟く。


「いやあ、今の季節暑いし、それはないな。いろんな家の日陰になりそうなところをうろうろしてたのかもしれない。さて、どうするかな……家主にハシゴを借りるか、どうにかして降りて来させるか……」

「や、そういうダルいのは嫌いなんで、ぱっぱと終わらせましょう」

 どうやって、と僕が聞くより先に、速水君は行動に移していた。


 庭にある、生い茂りすぎてもうなんかブロッコリーのような大木にひょいひょいと登り、なんとそのまま屋根に飛び移ったのだ。お前はターザンか。

 彼は運動神経が非常にいい。スポーツ経験はないらしいが、なんでもヤンキー漫画のような高校に通っていたため、攻撃をかわしたり殴り返したりするために自然と身についた運動神経らしい。ガッツのある奴だ。


「落ちても労災下りるかわからんぞー。あと家主からクレーム来たらクビな」

「とんだブラック企業だなオイ!」


 顔は見えないが、屋根からそんな声が降ってきた。元気な男である。うちの事務所はPCに強い浪川のデスクワークと、粘り強く捜し回る僕の足と、荒事に役立つ速水君のパワーと、所長の財力で成り立っているのだ。なんとも絶妙なバランスである。


 さて。そういうわけで体力や身体能力の面では全く心配していないのだが、僕が心配しているのは速水君はまだ探偵歴1年と経験が浅く、その上単細胞なことである。

 ほら、案の定一直線に追いかけて逃げられてしまった。木箱を使って再び地面に降りたミーコちゃんは、伸び放題の雑草の中に身を隠してしまう。


「頭使えっていつも言ってるだろ馬鹿。そういうときはオモチャなりおやつなりを差し出すんだ」

「馬鹿ですみませんね馬鹿で」

 木に飛び移ってするりと降りてくるという人間離れした技を見せる馬鹿はひねくれてそう言った。仕方ない、先輩の僕がお手本を見せてやるか。


「まずはしゃがみこんで猫ちゃんとなるべく視線が近くなるようにするんだ。それからおやつなんかを見せて様子を見る。辛抱強く動くのを待つ。こちらに寄ってきたらすかさず毛布を被せて捕獲だ。やってみるか?」

 と、後進育成のため重要な仕事を譲ったまでは良かったのだが、この男、とんでもないことをやらかした。


「おーい、どこだー」なんて無駄にでかい声で茂みをあさり、ミーコちゃんを捜している最中に、なんと誤ってしっぽを踏んでしまったのだ。

 聞いたことのない奇怪な鳴き声をあげて飛び上がり、なんと塀の穴から逃げ出してしまったのだ。ああ、可哀想なミーコちゃん……


「あ、やべ」

「『やべ』じゃないだろ! 急げ! 追いかけるぞ!」

 もう二度とこいつに猫捜しは手伝わせない。堅く誓いながら敷地内を飛び出す僕と馬鹿1名。


 だが、時すでに遅し。なんとミーコちゃんはたまたま近所に停車していた水道工事業者の軽トラックの荷台に乗り込んでいて、あろうことかトラックが発車してしまった!

「そ、そんなことって……」

「えぇ……漫画かよ」

 言ってる場合か!


 全速力で依頼人の家の庭に舞い戻り、放置されていたボロボロの自転車を拝借。馬鹿速水は放置して、全速力でペダルを漕ぎ、トラックを追いかける。

「そ、そこのトラック! 止まって! 止まってください!」


 左の手のひらを口元に添えて叫んでみるが、音楽でもかけているのか一向に気づく気配がない。次の信号まで何としても離されないよう全力で漕がなければいけないだろう。

 荒い呼吸のせいで肺が痛い。足の筋肉が破裂しそうだ。

 それでも、諦めるわけにはいかない。ミーコちゃんには、必要としている家族がいる。


 交差点の信号が赤に変わり、トラックが徐々に減速を始めた。チャンスだ。ここぞとばかりに力を込めてペダルを踏み込む。あとは助手席を叩いて荷台からミーコちゃんを降ろさせれば……

 と、思っていたのだが考えが甘かった。


 なんとミーコちゃんはトラックが停車した瞬間に、自由を求めて再び道へ飛び出したのだ。

 見知らぬ場所にパニックになり、青信号の道路に走っていくミーコちゃん。

 このままだと交差点に突っ込む。


 あぶない、と口が動きかけたその瞬間、僕の左横を全速力で走り抜ける人影が、視界の端にちらついた。

 横断する自転車にぶつかりそうになったミーコちゃんを片手で掬い上げ、歩道に倒れ込んだのは……速水君だ。


「六木先輩、俺、頭は悪ィけど、こういうのは得意なんすよ」

「馬鹿……」

 お互い、息も絶え絶えで吐き出したそのセリフが、まともに聞こえたか今となっては怪しいが、ともかく、そうしてミーコちゃん失踪事件は幕を閉じた。



「それで二人とも泥んこなんだ! あははははは何かお疲れー」

 汗と土埃と泥に塗れて事務所に帰ってきたのに、ねぎらいや心配よりも先に爆笑されてしまった。誰かこのブラック上司に制裁を加えてほしい。お願い、神様的な人。


「大変だったねえ。おばあさん喜んでた?」

「ボケちゃってるんで、猫がいなくなったことすら忘れてたみたいっすけど……まあ、息子には感謝されましたよ……」

「悪かったな、チラシ作りまで頼んでおいて、結局見つかってしまった」

「見つかるに越したことないからいいんだよ。お疲れ様」


 その言葉を聞き終えるより先に僕と速水君は同時にソファに倒れ込む。

 さすがに今日は何もする気になれなかった。沼のように深い睡魔が僕の脳を侵食し始める。

 うとうとと心地よいまどろみの中で、思い出すのは猫ちゃんのこと。


 ミーコちゃん、可愛かったなあ……あの怯え方とか、毛並みとかひげとか歯並びとか、もう全部可愛い……やっぱり三毛猫っていいなあ……ミーコちゃん可愛いなあ……ミーコちゃん……ミーコちゃん……ん?


「ああぁーーーーー!!!!」

「うおぉ!!」

 僕の絶叫を聞いた速水君と所長が同時にそんな声をあげ、僕の方を振り返る。


「ど、どうしたの潤君?」

「み、ミーコちゃん……ミーコちゃんをもふもふさせてもらうの忘れてた!!! 1ミリも触れてない!!!」

「はあ………」


 目を細めてわかりやすくドン引きしてみせるこいつらにはやはりわからないのだろう。猫ちゃんの素晴らしさ、もふもふの中毒性、肉球の魔力。

 わかってもらわなくて結構だ。変態でもなんとでも言えばいい。僕はこれからも、仕事を通して猫ちゃんと触れ合いまくる。猫ハーレム王に僕はなる。絶対に。


 そんなわけで、三ヶ島探偵社は、浮気調査・家出人探し・ペット捜索などのご依頼をお待ちしております。

 特に、猫さがし依頼急募。




【探偵ファイルNo.1】

六木潤ムツキ ジュン

三ヶ島探偵社所属の探偵

猫をこよなく愛する猫変態のため、ペット捜索が得意

天然パーマがコンプレックス

【年齢(生年月日)】23歳(9/14)

【趣味】料理、猫いじり、節約

【特技】家事全般、地図暗記、ピアノ

【苦手】機械音痴、流行り物にうとい

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― 新着の感想 ―
[良い点] サカキショーゴさまの活動報告から伺いました~。 最高ですね。こういうの読みたかったのです~。 [気になる点] もふもふしたかった……( ノД`)シクシク…
[一言] サカキショーゴ様の活動報告から伺いました。 面白かったです。最後の方では心の中で「ねこー!もふもふしてないのー?ねこー!」となりました。猫探しなら、猫に触れる。確かに。 続きを楽しみにして…
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