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白い部屋で安藤静香が来るのを待つ。先日初めて彼女と話してからあの小さい少女のような笑顔が頭から離れない。世間様と同じように私もあの連続殺人の犯人はきっととても綺麗かもしくは醜い顔をした人間だと思っていた。また性格も頭のねじが外れたような思考で、幼少期に家族からまたは周りから暴力を受けて家庭環境も最悪だと勝手に想像していた。しかし彼女は思考は少しずれているが至って普通の人間だ。容姿だって普通で相手に不快感を与えない清潔な恰好だ。
「入りますね。」
ドアの向こうから彼女の声が聞こえた。私は何も答えず、ただドアをじっと見つめた。
「失礼します。あ、井上さんでしたっけ?お久しぶりです。」
彼女は少し頭を下げてまた少女のような笑顔を見せた。そして警察官に案内されるままパイプ椅子に座り私をじっと見る。少しの不快感を抱きながら私も彼女の向かい側に座った。
「で、今日は何をお話ししたらいいですか?」
今からゲームを始めるかのようにわくわくしているようだ。
「…では、最初の殺人から教えてください。」
そう言うと彼女は少し困ったような顔になる。それから少し考えるように遠くを見てゆっくりと口を開いた。
最初に殺したのは確か男性、ほらあの大井太郎さん。何かスポーツをしているのか体格がすごく良くてなかなか手に持っていたナイフが奥まで刺さらなかったんだ。最初に不意を突いて喉を切っておいたから叫び声は上がらなかったけど、じたばた動いて抑えるのが大変だった。何回も叩かれそうになったけど、それを何とか避けながら、って言っても三回くらいは体に当たって痛かったけどね、何度も刺したの。人通りのない道だから目撃される心配は無いだろうし、それから私の家からも近いから服が血で汚れても何とかなるかなって思ったんだ。まあ彼を殺した時期は十二月の寒い日だったし、上からコートを着けたら血が点いているなんて分からないだろうし。
彼女は口を閉じて私を見た。
「…それだけですか?」
質問すると彼女はしっかりと「はい」と短く答えた。大井太郎の事件を思い出す。何度もナイフで刺されていた為復讐や恨みを買ったせいだと言われていた。その為一番疑われたのは彼の恋人の中山百合だった。中山百合は恋人に依存する気質であり精神面でも不安定なところがあった。しかしその疑いはすぐに晴れ、今度は仲が悪かった知り合いの一人が疑われた。そんな中第二の殺人が起こる。それが岡崎花だ。
「大井太郎さんについては体格のいい男性としか思わないですし、殺し方ももうニュースになっている通りですし、それ以外に話すことが無いんですよね。」
少し眉を下げ笑いながら言う。
「その時の感情とか、相手を刺している間はどうだったかとか、もしよければ話してください。」
すると彼女は少し考えこむように下を向いた。
「うーん、感情、思ったこと、ですか…難しいですね…。」
それを最後に彼女の口が閉じる。私は何も言わずただ彼女をじっと眺めた。彼女は口を開かない。無音の空間が私と彼女を包み込んだ。彼女は相変わらず考え込むように下を向いている。
「…じゃあ、質問します。」
この空間に耐えきれる思わず口を開いてしまった。なんだか負けたような気分だ。
「どうして大井太郎さんだったんですか?」
その質問を投げると彼女は私の顔を見てとてもキラキラした顔になり、綺麗な笑顔を私に向けた。その瞬間全身に鳥肌が立つ。嫌な汗が背中だくだくと流れているように気持ちが悪い。彼女の笑顔があまりにも無邪気でありなんとも言えない恐怖が私の中に広がる。
「それはね!彼なら殺せるってあの時思ったからだよ!」
声色までもキラキラと輝いている。鳥肌は消えない。私はただまっすぐに彼女を見てその嬉しそうな声で話を聞かなければならないのか。早く時間よ過ぎよと願いながら彼女の声に耳を傾ける。そんなことを知
らない彼女は嬉しそうに楽しそうに言葉を続けた。
私ね、鞄の中にいつもナイフを入れているの。でもそのまま入れていると不審者みたいだから鞄の底を二重にして入れてるんだ。裁縫が苦手だから鞄の底を二重にするのは大変だったな。何度も針で指を刺して指が絆創膏だらけになったんだ。…あ、この話はいらないか。まあ、彼を初めて見たのはあの近くの夜のコンビニ。彼女さんらしき人と一緒にいたんだけど、とても彼女さんへの扱いが丁寧だったなあ。その時はなんとも思わなかったんだけどね、次に彼を見たとき、電話をしながら夜道を歩いている彼を見たら思ったんだ、今ならできるって。そう、今しかない、って。
彼女は目を見開きそしてとても楽しそうに笑っていた。背中に流れていた汗は乾いて冷たくなっていた。彼女の息が少しだけ上がっている。
「…では、衝動的に大井太郎を殺したということですか?」
出来るだけ声を震わせないようにと言葉を繋げる。
「うーん、衝動的なのかな?衝動的っていうよりは、殺せるという確信があったから私は実行しただけです。もしそれが衝動的と言うなら、きっと私は衝動的に彼を殺したんだと思います。」
彼女の瞳はまっすぐと私を向いていた。彼女の瞳があまりにもまっすぐでその場から逃げたい衝動に駆られる。しかし逃げることなど出来ない。
「さっき、彼を殺すときの感情はどうだったか聞きましたよね?」
「はい。」
「思い出したんですけど。」
「はい。」
「ただ、体格が良くて刺すのが大変だな、としか思わなかったです。」
すっと彼女の声から顔から表情が消えた。
「…面会は終了です。」
ドアの近くに立つ警察官が言う。その声はかすかに震えていた。
「では、さようなら井上さん。」
彼女はその言葉と共に顔に笑顔が戻る。警察官が彼女を連れて白い部屋から出て行った。私はその背中を見ながら震える足をどうにか収めようと何回か叩いたがそれは収まることなく、私が椅子から立ち上がることが出来たのは少し後になってからだった。