カルテNO.4 前田(魔法使い)9/10
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「……というわけで、前田さんの解離性健忘発症は、ダンジョンの中で破れてしまった服を見た時に、中・高時代のいじめの記憶がよみがえったためと考えられます」
医師は、念のためにと実施した四回目の催眠で、高校卒業後には極度の精神的なダメージがなかったことを確認し、前田に見解を述べた。
「そうですか……」
前田は医師の言葉を反芻し、理解しようと努めた。
「大学に入ってからは、あまりそれ以前のことを考えなくなっていたんですが…… 結局、私はいじめの記憶から逃れられなかったんでしょうか……」
前田は表情を曇らせて言った。
「前田さんのおっしゃる『いじめの記憶から逃れる』ということが、いじめの記憶を封印して『なかったこと』にするという意味でしたら、確かにそれは上手くいかなかったようですね」
医師が前田を見ながら言う。
「前田さんが受けたいじめは、『なかったこと』にするには、あまりにも過酷な物でした」
医師の言葉に、さらに前田の表情は暗くなった。
「しかし、前田さんの心は、つらい記憶と対峙することを選んだようです」
前田は、医師の言葉の真意がわからず、続きを待った。
「いくら健康な心の持ち主でも、度重なる非人道的な仕打ちに遭えば、心は疲弊していきます。そして、一時的に心を閉ざすこともあるでしょう」
医師は「そうして心のスタミナを蓄えるのです」と言って、微笑んだ。
「今回、忘れたと思っていた心の傷がよみがえったことで、前田さんはさぞかしショックを受けたでしょう。しかし、言い換えればその傷を受け入れられる、強い心が育ったのだとも言えるのです」
前田は「強い心……」とつぶやいた。
「人間の心を強くするのは、本人の努力や資質だけではありません。時には頼れる、信頼のおける仲間の存在が、つらい現実と対峙する勇気を与えてくれます」
医師は前田のほうに身を寄せ、「あなたが取り戻す記憶は、決してつらく苦しいものばかりではありませんよ」と言った。