フェイク
私、園崎恵理はネットという存在が嫌いだった。いや、SNSが嫌い、という方が正しいのかもしれない。
まるでそれが当たり前かのように国、団体、はたまたは個人に対してまで誹謗中傷を行う。
人気の話題に群がり、ブームが去ったらイナゴが食い散らかした田を放置して次の田に移るかの如く、また次のなにかを祭り上げる。
そのような行為が日常的に多数行われているSNSは私にとっては野蛮人の巣窟のように感じられた。
そんな地獄に私が招かれたのは夏の暑さが先取りされた高校一年の六月の中旬のことであった。
丁度、その日はテストが終わり昼飯前には帰ることができたため、他の人たちはカラオケに行くやら、映画を観に行くなどと様々な娯楽を行おうとしていたのだが、私はいつもと何ら変わらず一人帰路についていた。私はすでに習慣とかした一人下校に対してなにも感じ無くなっていた。
私がこうなることは、言わば必然だったと言わざるをえない。
山の中にある村の、実質小中一貫校
で全校生徒六十人、一クラス六人という過疎コミュニティ学校で育った人と接することが苦手な田舎女が金銭的な事情とはいえ、公立高校へ通うとならば当然のことだった。
さらに私以外の同世代のクラスメイトは皆農家を継ぎ、数少ない村の外の知り合いは他の高校へ進学したので、誰一人として知り合いがいない高校へ人見知りが激しい田舎娘が入学することになったのだ。
学校の中ではいくつものグループができている。
初めは同じ中学だった人と、近くの席の人と、話したり昼食をとったりと、ある程度はふわついているのだが、1ヶ月も経つとグループが定められ、基本的に皆同じグループ内のものとしか関わらなくなる。
私はそのグループの輪に入れなかった。もちろん、誰とも喋らなかったというわけでもない。
後ろの席の子にお昼を誘ってもらったし、近くの子たちのグループにも入れてもらったりもした。
だけど、わたしはそのグループを抜け、再び一人で食事をするようにした。
なにか、どこか、気を使われている感じがしたからだ。
私は基本喋らないで彼女らの話に対し破顔の面を被り耳を傾けているだけであった。そして私がたまに喋ると会話のリズムが一瞬崩れるような気がしたからだ。
それ以来、私に話しかけてくる人はいなくなり、ただ一人クラス内の"いないもの"になったのだ。
駅に着くといつも通り改札にテイキをかざし、10分に一本来るという、私の地元であったら夢のような電車に乗るため階段を少し駆け足で降りて行く。
あいにく電車は出発してしまったようだった。
電車が来るまで特にやることもないので、高校生だからと親に無理を言って買ってもらった携帯をいじる。
画面に集中していると肩を叩かれたような感触がしたので振り返ろうとしたが、首は完全に回りはせず、代わりに私のほおに人差し指が突き立てられていた。
「アッハッハ!ほんっと相変わらずだなぁ!」
振り返ると、今にも転げ回りそうなぐらい両手で腹を抱えて笑っている、金髪を携えた色白の少女の姿がそこにはあった。
「えーと...、どちら様でしょうか?」
自分で言うのもなんだが、成績がそこそこ良く、おとなしく、ただでさえ知り合いが少ない私には、こんなわざとらしい金色に髪を染めあげ香水をつけるような知り合いはいない。
「えー!?えっちゃんマジでうちのこと覚えてないの?マジでショックだわー」
えっちゃん。私、園崎恵理をえっちゃんと呼ぶ人物は一人しかいない。
だが、脳裏に浮かび上がった人物と、今目の前で騒いでいる人物はどうしても一致しなかった。
それでも私は相手が自分の返答をきらびやかな目で待ち望んでいるのを感じたので、一か八か、思い浮かんだ言葉を呟くように口にだした。
「相川...さん?」
かつて同じ塾に通っていた少女、相川静葉の名前を呼ぶ。
「あったりー!久しぶりだねー」
予想していた答えが返って来たが、それでもなお信じられない。
成績優秀黒髪眼鏡でひざ下まで伸びた学生服を着ていた模範的優等生と、今私の目の前にいるこの少女をとてもではないが結びつけることは出来なかった。
「えっと…ずいぶんと何というか、変わられましたね?」
「えー?そんなことないよー?うちはうちのままだよ」
キャハハと彼女が笑うとガチャガチャと彼女の服についている金属が音を立てる。
その音はどこか彼女のことを飾り立てているかのように思えた。
「まだ電車来るまで時間あるしLINE交換しない?」
ライン。LINE。ライン。久し方聞いたその名の正体を記憶の底から引きずり出す。
「あー。あれ使い方がちょっとよくわからなくて」
「マジ?現代JKが使えないってヤバくない?ちょっと貸してみてよ」
言われるがままレアメタルが詰まった宝箱を彼女に渡す。
彼女はポケットから自分のスマホ(私のと違って色々な装飾が施されている)を取り出し、何やら操作するとスマホを返してくれた。
「はい!これでオケ!ところでえっちゃんはツイッターとかインスタとかやってないの?」
ついったー。いんすた。私は再び脳内辞書に検索をかける。どこかでチラリと聞いたことはあったが、それがどのような意味を持つものかまでは分からなかった。
「あー、その感じじゃやって無さそうだね」
「ちょっとそういうのには疎くて…」
「でもまあ、やってなきゃダメ、とかいうのでもないし?気が向いてみたらやってみたらいいと思うよ?」
彼女がそう言い終わるのと同時にまるで見計らったようにアナウンスが流れる。どうやら反対路線の電車が間も無く到着するようだ。
「あ、もう電車来ちゃうみたい!えっちゃんは確か反対側だったよね?じゃあここでお別れかな?」
「そうなっちゃうね」
「うーん。そうかー。私これから忙しくなって来るからこの時間に帰れなくなるんだよねー。でもLINEも交換したし大丈夫か。それじゃあ、っと」
何が起こったのかわからなかった。柔らかい、暖かい、いい匂い、そんな断片的な情報が私の脳内を駆け巡る。彼女の私を抱きしめる力が強くなるほど
、なぜか私の胸の高鳴りが自分を欺けないものへと変わっていく。それは私が家族以外の相手と抱擁をしたことがなかったからなのか。はたまた相手が女の子で私に以外な趣味があったのか。それとも相手が相川さんだったからなのか。そんなことを考えるが、どうもふわふわとして思考がまとまらなかった。そんなこんなで人形と化していると、
「…ありがとう」
「えっ?」
ふと私が顔を上げるとそこには私がよく知る中学時代の相川静葉の顔があった。
「ううん。ごめん、なんでもない。じゃあねー!またいつでも電話でもLINEしてねー!」
と言い彼女はやって来た電車に乗り込んでしまった。
一人残された私は相変わらず人形のように立ち尽くしていた。まるで私が初めからそうしていたように。私だけしかここにいなかったかのように。
夢だったのだろうか。
微かに残った彼女の香水が私の鼻へと誘われて来た。
それはどこか大人びていて、どこか少し悲しそうな感じがした。
私は家に帰るとすぐさまツイッターのアカウントを作った。
メールアドレスとパスワードを入力するだけなので5分ほどで作ることができた。
「作ってみたはいいけどこれ何をすればいいの?」
とりあえずいろいろな場所をポチポチといじってみるとオススメのトレンドというものが出てきた。
どうやらネット上での話題のあるニュースたちがまとめて載せてあるらしい。
しかしながら乗っている単語も#やらぶつ切りの単語ばかりでイマイチ要領を得ない。診断メーカーとは一体なんなのか。○○の日とは一体なんなのか。
「ん?」
ある程度スクロールをしていくと私にも知っている単語が出てきた。
#山見高校
山見高校とは今現在世間ではお茶の間やワイドショーを賑わせている非常にホットなネタである。
ある高校生が自殺してしまいそれを高校側が必死に隠そうとしたのだが、数日経ってから彼女の友人が彼女の遺書を警察に提出したことによって、教師陣もグルであった事が判明した事件だ。
その事件の事をタップすると事件に対してはいろいろなコメントが書かれていた。
曰く学校は信用できないだの、今の若い世代は終わっているだの、いじめを行った奴らを晒せだの。
本当に様々な意見があったがそれに対してもいろいろな意見が寄せられていた。大半はその意見に対して賛同するものが多く見受けられたが、やはり一定の否定派や全く論点が異なる事を言っていた。だが最後の少数者達以外は同じことに対しての論争を繰り広げいた。
多くの人の個人的欲望が一つの大きな波を形成していたように思えた。
「ん?」
その中の一つに私の目を見張るものがあった。どうもそれを見ると『いじめられた方に問題がある』という意見が展開されていた。こちらに対しては先ほどよりも否定的な意見やどっちつかずの意見が多かった。
いじめられる方が悪いわけ無いじゃないか。その思いが私を突き動かし、文字の列を形成していく。普段では喋る事が出来ないような事が意図も簡単に浮かんでくる。そして何より指が勝手に動いた。
書き終えたその文章を見るとかなりの文字数になっていた。何度も文にミスが無いかを確認し、送信ボタンを押す。
するとさも初めからそこにあったかのように私の書いた文章が表示されていた。確かに便利であったがどこか少しだけ怖くかった。
寝る前にもう一度だけツイッターを開いて見ると右下あたりのベルのようなものがとても強調されていた。するがままにそのボタンをタップすると『いいね』というものが35件ほど溜まっておりフォロワーというものも3人増えていた。その数字が大きいかも小さいのかもよくわからなかったのでその日はそのまま寝ることにした。
翌日ツイッターのことなどは頭からすっぽりと抜け落ちていた私はいつも通り家を出て、いつも通りの電車に乗り、いつも通り授業を受けていた。午前中までは。
昼放課になり、昨日の夕飯が当たったのか突如腹痛に襲われた私はトイレへと駆け込んだ。
私がじっとお腹を押さえていると、外から複数の足音が聞こえてきた。
「でさー、そのときさー」
「わかるー!チョーやばいよね!」
「ほんそれ!マジヤバイ!」
どうやらうちのクラスの特に目立っているグループの方々だった様だ。どうやらトイレにたむろをしに来たようだ。
少しだけどういう会話をしているか気になりそちらに意識を向ける。
「でさー、園崎とかいうやつちょっとなんかムカつくことね?なんか私はできる子ですよー、みたいな感じでスカしてるような感じがするんだけど」
「あーちょっとわかるかも。あの子他の子達にも誘ってもらってんのに、いつも一人でいるしねー。高嶺の花っていうやつ?気取ってるよね」
寒気がした。明らかに自分自身の事を言われていた。私自身は気取ってるわけでも無いし、普通に過ごしていた。
いや、そうしているつもりだった。何故そんな事を言われないといけないのかもわからなかったし、集団である彼女達が関係のない私個人の事をどうしてそんな風に言うのかがわからなかった。
その後も彼女達は何か言っていたが全く耳に入って来なかった。
頭の中で彼女達の言葉が駆け巡る。彼女達の言葉が耳から離れない。
吐いた。吐かざるをえなかった。
彼女達はすでに出て言っていたが出来るだけ静かに。音を出さないように。
彼女達が居なくなって数分してから私はトイレを出た。
あたりを警戒する姿は側から見ればとても異様であっただろう。でも私にはそんなこと関係なかった。ただ聞いていた事がバレたくなかっただけだった。
午後の授業はまさしく地獄という言葉がふさわしかった。
私は後ろの方の席なので度々ニヤニヤとしている彼女達が視界の端々に入る。その度に体が震えてしまうのであった。
またいつも本を読んでいる放課の時間はとてもでは無いが読むことなど出来なかった。人の目が、目が私を追っているように感じた。いろいろな話し声が私を罵倒しているように感じられる。
そんなことはないと自分に言い聞かせても、体の震えは止まらずどうすることもできなかった。
家に帰り布団に包まった私は携帯を取り出した。普段ならスマホなどはあまり使わない方なのだがどこか現実から目を背けたかったのかもしれない。
なんとなく一番最初の画面に出てきたツイッターを開く。
すると昨日のごとくまたベルのようなものが強調されていた。ただ一つ違ったのはその数字が2桁から4桁に増えていたということだろうか。
「なにこれ...。『いいね』が2700!?なんかフォロワーも100人単位で増えてるし...」
私がこれを世間でいうバズりということだと知ったのはだいぶ後になってのことだった。
ただこの時はいきなり見たこともない人たちから反応されることに少し戸惑いを覚えながらも、どこか自分の意見に賛同してくれる人がいるという事実に嬉しく思っていた。
その日から私の行動はどこか変わった。
学校は行きはすれども授業外のコミュニケーションは完全に排除するようになり、授業が終わると真っ先に家を目指すようになった。
そして家に帰ると毎日ツイッターで数時間を過ごすようになっていった。
その日のトレンドを調べ、私が嫌だと思ったようないろいろなことに対して批判的な意見を述べていく。
そうすることで一定数のフォロワーを獲得する事が出来た。
いつしか私のツイッターライフはフォロワーといいねとリツイートを増やす事が目的となっていた。
そんなサイクルを繰り返すうちに私はいつしかネット情報で多大なる発言力を持つようになっていた。
多くの信者もでき、私が黒と言えば全てが黒となった。それだけの力を持った。静葉ちゃんからもいろいろな事を教えてもらい、フェイスブックやインスタも始めた。
こちらはツイッターの影響力もあってか驚くほど簡単に人が集まった。そして各界隈に手を伸ばし、それこそ芸能人と張り合えるほどのネットコミュニティを形成した。
「うーんじゃあ次はこの人かなぁ。アイドルが未成年に手を出すって馬鹿だなぁ。とりまこわーいお姉さん方に任せればあとは燃えるでしょ」
「あー、このイキリムカつくし晒すか。こんだけいろんな人に迷惑ふっかけとけば勝手に潰れるけど、先に潰すか」
「こいつなんか最近粘着気味でキモいし潰すか」
全てが私の思うままに動いていく。
そして皆が私の次の発言に期待している。何を言うか、次はどんな奴が標的だ。一語一句聞き逃さぬよう通知をオンにして。
そんな事を考えるとどんどん書き込みたくなる。
次はどんな事を書こうか?
アイドルの枕か?馬鹿な政治家を燃やしてもいい。昔クソリプしてきたあいつを晒し上げるか?
集団で叩けばどんな奴でも白旗を上げる。
そんな事を考えていると画面が黒く染まっていた。
どうやら充電が切れていたらしい。
モバイルバッテリーはどこだと探していると、ふと充電が切れた携帯が目に入った。
そこには私の嫌いだった女子の顔が写っていた。