3
エカテリーナはその日、講義がなかったので、学園のカフェテリアでお茶をしつつ本を読んでいた。
共同研究者のセシリア・メイヤーと待ち合わせをしていて、時間を潰していた。
ふと手元に影が差し、エカテリーナは顔を上げた。
エカテリーナの横に、可愛らしい少女が立っていた。
ストロベリーブロンドのセミロングの髪、若葉色の瞳、可愛らしい顔立ちの少女。
「こんにちは」
「………………」
少女の挨拶に、エカテリーナは応えなかった。
無表情に少女を見る。
何故なら、エカテリーナは人見知りだったからだ。
少女は気にせず話し出す。
「フィツェラ侯爵令嬢様、ですよね?」
「…………ええ」
エカテリーナの返事に、少女はにっこり笑った。
「特に、用事はないんです。ただ、確認したかっただけ」
そのまま、少女は去って行った。
なんだったのだろう?と、エカテリーナは首を傾げつつ、お茶を飲んだ。
そして、倒れた。
(うわぁお!!あれ、あの子、ヒロインちゃんだったんだ!)
エカテリーナは青くなって口元を両手で押さえる。
「あ、ああ、わたし、」
「エリー?!」
「あの子に」
「大丈夫だ、エリー。もう二度とエリーに近づけさせない」
ルードヴィヒが強く抱きしめてきて、エカテリーナはその腕にすがる。
(また死ぬところだったんだ。…………また?)
「…………ルー」
「っ!?エリー?」
(この世界を漫画で読んだのは、前の生。ああ、わたし、一度死んだのね。でも、漫画のストーリーと違う。わたしは第二王子を好きじゃないし、わたしが好きなのは)
エカテリーナはルードヴィヒを見上げる。
ルードヴィヒは無表情だが、目は真摯にエカテリーナを見つめている。
「思い出した。わたし、あの日、セシーを待っていたの、カフェテリアで。そうしたら、あの子が近づいて来て、わたしの名前を確認した。ただ、それだけ。でも、その後にお茶を飲んだら」
「わかった。もう話さないでいい」
もうこれ以上は無理じゃないかというくらい、ルードヴィヒは隙間をなくすようにエカテリーナを抱きしめる。
エカテリーナはルードヴィヒの腕の中で、震えた。
今になって、死んでいたかもしれないという恐怖が襲ってきたのだ。
「学園に、行かないと」
「エリー、駄目だ。あいつ等がいる」
「でも、わたし、もう婚約破棄したし」
「……………」
「論文、セシーにばかり任せておくのは」
「…………わかった。ただし、俺がずっと側にいる。心配だから、クリフにも言っておく」
「あと、お父様達にも」
「エリー」
ルードヴィヒの眉がやや下がった。
どうしたのだろう?とエカテリーナがルードヴィヒを見上げていると、ルードヴィヒがエカテリーナを抱き上げ立ち上がり、座っていた椅子に座らせる。
離れてしまった温もりをさみしいと思い、エカテリーナは軽く首を振る。
ルードヴィヒは、椅子に座るエカテリーナの前に膝をついて、エカテリーナの左手を取り見上げてきた。
「エリー」
「ルー?」
「俺は心からエリーを愛している。俺と結婚してほしい」
「っ?!!」
ルードヴィヒの求婚に、エカテリーナは声にならない悲鳴をあげた。
(ヤバイヤバイ!!イケメン怖い!けど、嬉しい!!あああ!!どうしよう?!)
真っ赤になって固まったエカテリーナに、ルードヴィヒは苦笑する。
「今すぐに答えなくていい」
「……………ない」
「エリー?」
「嫌じゃない、嬉しいの」
エカテリーナの目から、涙が零れる。
すぐにルードヴィヒがエカテリーナを抱きしめた。
「それは、承諾という事?」
「ん、うん。わたしも、ルーが好き」
「エリー」
その後、どれだけルードヴィヒがエカテリーナを好きかと語られて、エカテリーナ的に何かが削られていく感じだった。
ただ、前の生での自分も似たようなものだと、夜になる頃には菩薩の様な遠い目をしていた。
そこから、また一週間かけて王都へと戻り、フィツェラ侯爵家に到着したら、すぐにルードヴィヒがエカテリーナの両親に婚約の報告をした。
エカテリーナの両親も、遠い目をしていた。
それはそうだろう。
第二王子と婚約破棄したばかりの娘が、またすぐに婚約するとか、なんの嫌がらせか。
しかし、基本的には、両親は喜んでくれた。
ルードヴィヒになら安心してエカテリーナを任せられる、と。
どういう意味だ?と、問い質したいのを、エカテリーナはぐっと堪えた。
クリストフにもすぐに知らせた。
フィツェラ家に来たクリストフは、やはり遠い目をした。
そして、なにやら頷いて、ルードヴィヒの肩を軽く叩いた。
ルードヴィヒもこくりと頷く。
男同士の訳のわからないやり取りに、エカテリーナは首を傾げた。
「ルー?クリフ?」
「いやいや、エリーの記憶が戻って良かったな」
「うん。ごめんなさい、クリフにも心配かけて」
「ほんとにな。…………こんな箱入りの人見知りなエリーを嫉妬で殺そうとするとか」
「ああ。明日、学園に行く」
「はああ?!」
「決着を。明日、潰す」
「ほどほどにしとけよ。相手、一応王族だし」
エカテリーナは二人の会話を聞いていなかった。
学園に何を持って行くか、確認していたから。
次の日、学園の門を通ると、遠くから呼ばれた。
「エリー!!」
遠くから少女が走って来る。
そう、貴族の少女が、走って来るのだ。
近くにいた者達はぎょっとした顔で、少女から距離を取る。
淡いふわふわの金髪、水色の瞳、小柄な可愛い容姿。
セシリア・メイヤー伯爵令嬢。
「エリー!良かったわ、元気になったのね!」
「うん。心配かけてごめんなさい、セシー」
セシリアに飛び付くように抱きしめられて、エカテリーナは苦笑いする。
セシリアは、出会った時から奇抜な少女だった。
しかし、人見知りなエカテリーナが、唯一友人になれた同性だ。
セシリアはエカテリーナの左手と手をつなぎ、歩き出す。
「あ、クリストフ様、ルードヴィヒ様、ごきげんよう」
おざなりに挨拶するセシリアに、クリストフは微笑み、ルードヴィヒは無表情に頷いた。
「エリー。エリーが休んでいる間に、だいぶ実験が進んだのよ。論文にするには、あともう少し実例がほしいところだけど」
「そうなの。セシーに任せてしまって、ごめんなさい。えと、魔石に魔力を充填出来た、のよね?」
「そうそう。あ、エリーに見せたい物があるから、先にカフェテリアに行ってて」
「わかったわ」
セシリアは手を振ると、元気に走って行った。
「ふふっ。相変わらず可愛いね、セシリア嬢は」
「ええ、可愛いわよね」
クリストフの言葉に、エカテリーナは大きく頷く。
三人はカフェテリアに向かった。
カフェテリアに着いてすぐに、三人に近づいて来た人物がいた。
第二王子とフロリア・サンタリア男爵令嬢。
エカテリーナは顔を強張らせ、ルードヴィヒとクリストフがエカテリーナのやや前へ踏み出した。
第二王子は黄色っぽい金髪をかきあげ、茶金色の瞳で鋭くエカテリーナを睨んだ。
フロリアは第二王子の斜め後ろにいる。
「よくも、のこのことやって来られたな、エカテリーナ」
「……………」
返事をしないエカテリーナを、第二王子が更に睨む。
「なんだ、返事もしないとは、失礼な奴だな」
「とう!」
突然、第二王子とフロリアの前で何かが爆発して、白い煙が溢れる。
「な?!なんだ?!」
「あらー?ごめんなさい。手が滑ってそちらに飛んでしまいましたわ」
振り向くと、セシリアがにやりと笑って立っていた。
「ごほっ。お前の仕業か?!」
「あら、申し訳ございません、第二王子殿下。実験中の魔道具ですわ。害はありませんの。ほんの隙をつくる為の小さな爆発です」
「…………まあ、いい。エカテリーナ、お前の悪行はわかっている。フロリアを殺そうとした事も。お前との婚約を破棄する!」
「「「「え?」」」」
格好つけたらしい第二王子を、エカテリーナ達四人はぽかんと見てしまった。
「ぶふぅ!」
セシリアが令嬢にあるまじき声を出す。
「あの、第二王子殿下は、ご存知ないのですか?」
「なんだ?言い訳か?」
「いえ、あの」
「お待ちください、殿下。エリーがそちらのフロリア様を殺そうとした証拠はあるのですか?」
「当たり前だ。フロリアはエカテリーナによって階段から突き落とされたのだぞ」
「それ、いつの事です?」
「三日前だ。見ろ、フロリアの綺麗な手に傷が付いているだろう」
第二王子はフロリアの手を取って、見えるように出す。
しかし、セシリアはまたもや吹き出した。
「ぐふぅ!」
「あはは。どうしようか、ルード」
クリストフが苦笑いでルードヴィヒを見る。
「すごい稚拙な自作自演!笑える!」
「侮辱するつもりか?!」
「エリーに彼女を階段から突き落とす事は無理ですよ。エリーは、三週間前に毒殺されそうになって、ずっと療養していたんですから。三日前は、馬車で移動中、かしら?」
「そんな事は?!」
「だから、証拠を出せと言ったんですけど?まさか、彼女の証言だけ、とか言わないですよね?」
セシリアはにこやかに告げる。
「大体、第二王子殿下とエリーは、既に婚約は破棄されてます」
「「え?!」」
第二王子とフロリアが目を丸くする。
「あら、国王陛下からお話があったはずですけど?」
「聞いてないぞ!」
「聞いてないんじゃなくて、記憶力の問題ですね。貴方の勘違いでエリーを責めないでくださいな」
取り乱す第二王子の横で、フロリアがエカテリーナを睨んだ。
エカテリーナがびくりと身体を震わせると、ルードヴィヒがエカテリーナの腰を抱き寄せる。
セシリアはフロリアに近づいて、ぽんと肩を叩いた。
「ねえ、フロリア様。貴女、貴族や王族の婚姻について、ちゃんとお勉強しました?」
「どういう事?」
「王族は、基本的に伯爵家以上の家柄の者と婚姻を結ぶのよ。何故なら、それより下の家柄の場合、王族になれるような教育を施せないから。家柄やそれぞれの家によって教育も違うでしょうし」
「だから、何?!」
「男爵令嬢は、王族との婚姻など、無理なのですよ」
「嘘よ!」
「あら?殿下はちゃんと彼女に説明しましたか?フロリア様。貴女と第二王子殿下が結婚するには、ふたつしか方法がありません」
セシリアは指を二本出す。
「フロリア嬢が、伯爵家以上の家に養女にいき、そこから王家に嫁ぐ。もうひとつは、第二王子殿下が王族でなくなる事です」
フロリアは第二王子を見る。
第二王子はこくりと頷いた。
「じゃあ」
「ああ。貴女が養女に行くには、相手の家にメリットがなければ、受け入れられません」
「王子の妻になるのがメリットじゃない」
「王族に嫁ぐという、確たるものがあれば、ね」
フロリアは勝ち誇ったように笑った。
「なら、それは決定だもの、どこかの家に養女になれるわね」
セシリアは、くるりとルードヴィヒとクリストフを振り向いた。
「だ、そうですよ。どうぞ」
クリストフが苦笑いで頷く。
「ああ、君が大体言ってくれたから、あと少し、かな?第二王子殿下」
「なんだ?」
「貴方とフロリア嬢の婚姻は認められました。こちらが、陛下からの証明書です」
「フロリア!ついに認めてもらえたぞ!」
「ええ!」
クリストフが出した紙を見て、第二王子とフロリアは手を取り合う。
「それと」
クリストフがもう一枚紙を出した。
「第二王子殿下を王族から除籍する、と」
「は?!馬鹿な!」
「王命です」
クリストフから紙を奪い、第二王子は隅々まで見て、膝から崩れた。
「良かったですね。フロリア嬢が養女に行かなくても、結婚出来ますよ」
クリストフがにっこり微笑んだ。
「………結婚は、たぶん無理だぞ」
「「え?」」
ルードヴィヒは、フロリアを睨んだ。
「その女は、エリーを殺そうとした。犯罪者だ」
「な?!」
「証拠でもあるの?!わたしはその人と、ほぼ初対面よ!」
「ほぼ。ほぼ、ねえ」
セシリアがスカートのポケットから、何かを取り出した。
親指の爪くらいの大きさの石だ。
「こちら、わたしが研究開発した魔道具です」
セシリアはエカテリーナに近づき、エカテリーナの首に下がっているネックレスに触れた。
ネックレスには、セシリアが言った魔道具と、もうひとつ石が付いていた。
「ここに、同じ物が付いてます」
「あら、そういえば、忘れていたわ」
「んふふー。エリーのそういうところ、可愛いわよね」
そして、セシリアはエカテリーナのネックレスに付いている魔道具を外した。
「これ、エリーの前方の景色を取り込み続けています。有効期間は、そうですね、約三か月ですね。で、エリーが毒殺されそうになった時の事も、取り込んであります」
フロリアが青くなって座り込んだ。
「いいですかー?映しますよー?」
セシリアが魔道具に触れると、白いカフェテリアの床の上に映像が映し出された。
エカテリーナに近づくフロリア。
エカテリーナの前のカップに、何か液体を入れるフロリアの手。
カップに口をつけ、倒れたと思われる、ぶれた映像の後の地面の映像。
「はい。どうですか?これが、フロリア様がエリーを殺そうとした証拠です」
第二王子は、信じられないというようにフロリアを見る。
フロリアは力なく首を振る。
「エリーを殺そうとしなければ、ちゃんと第二王子殿下と結婚出来たんですけどね。あ、元王子殿下でした」
「だ、だって、この人しかわたしを好きになってくれなかったんだもの!ルードもクリフもフィルも、簡単に攻略できるはずのトムも!なんで?!なんでわたしを好きにならないの?!」
ダン!とセシリアがフロリアの横の地面を蹴りつけた。
「アホらしい。そんなどうでもいい理由で、エリーは殺されかけたの?」
「こんなはずじゃ、わたしはヒロインなのよ!」
エカテリーナは戦慄した。
(まさか、ヒロインちゃんも転生者?!)
震えるエカテリーナを、ルードヴィヒが抱きしめた。
それにセシリアが指を差して注意する。
「そこ!いちゃつかない!」
「……………」
「うわあ、無言で抗議するとか、おかしいんですけど」
カフェテリアに騎士が数人やって来た。
第二王子とフロリアを立たせて、連れて行く。
「あ、これ証拠です」
セシリアが騎士の一人に魔道具を渡していた。
ルードヴィヒはエカテリーナを近くの椅子に座らせる。
「えと、ありがとう」
エカテリーナが三人に頭を下げた。
「エリー」
「いいのいいの、エリーは友達だろ。誰だって友達が殺されかけたら、犯人が許せないさ」
「そうよ。わたしなんか気を付けてないと殴りそうだったわ」
「セシー。女の子がそんな事したら、駄目よ?」
エカテリーナが困ったように眉を下げると、セシリアは肩をすくめた。
「だって、まるで男性みんながあの人を好きになる、みたいな事言うから、頭がおかしいのかと思って」
「そうね。ルーやクリフも、フロリア様と仲が良かったの?」
「いや」
「全然!ある訳ないじゃん!」
ルードヴィヒは無表情に否定し、クリストフは頭をぶんぶん横に振る。
「良かったわね。これで、エリーも安心して学園に来られるわね」
「ええ」
読んで頂きありがとうございます。
第二王子の名前が無いのは、わざとです。
名前が無くてもどうでもいい存在、という意味を込めて。