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本日二話投稿してます。
エカテリーナ・フィツェラは、毒を口にして、五日も目を覚まさなかった、らしい。
深紅色の髪の青年は、ルードヴィヒ・デュセル。
青紫色の髪の青年は、クリストフ・へリング。
二人はエカテリーナの幼馴染みで友人、らしい。
目を覚まさないエカテリーナを、二人は毎日見舞いに来ていたようだ。
そして、ようやく目を覚ましたら、二人を知らないと言われ、ショックを受けた、そうだ。
ここまで説明されて、エカテリーナはベッドの上で頷いた。
起き上がれないエカテリーナを、ルードヴィヒが抱き起こし、背中に沢山のクッションを置いて、そこに寄り掛かる状態で話を聞いていた。
(エカテリーナ、ルードヴィヒ、クリストフ。やっぱりどこかで聞いたような、覚えがあるような)
エカテリーナは、何故かエカテリーナではない自分を記憶している。
ただし、名前も歳も職業もわからないが。
夢の中のもう一人の自分、くらいの感覚だ。
そして、エカテリーナとしての記憶が、無い。
だから、青年二人も覚えていない。
その事を、どうやって伝えようかと、黙って考える。
俯いたら、さらりと自分の髪が垂れてきた。
目に映るのは、キラキラした青銀色の長い髪。
「…………え?」
震える手で、自分の髪に触れる。
「か、鏡はありませんか?」
「鏡?えーと、手鏡でいい?」
「はい」
クリストフが部屋の中にある鏡台に近づき、そこから手鏡を持ってきて渡してくれた。
恐る恐る手鏡に自分を映す。
手鏡の中には、青銀色の髪に黒い瞳のやや青白い肌の少女が、いた。
「っ?!」
「エリー?!」
「大丈夫か?!」
倒れかけたエカテリーナを、二人が支える。
「ショックなのはわかるよ。こんなにやつれちゃって。五日も眠ったままだったんだし」
(そっちじゃない、そうじゃないんだよ)
エカテリーナは、震える手で自分の顔を覆った。
(なんだろう?この記憶。…………この世界が、漫画で、わたしは、悪役令嬢って、何そのテンプレ!!)
そして、ぎゅうっと胸が苦しくなるような感情。
(恋?え?誰に?………漫画の中の登場人物に?………この世界は漫画の世界で………って、ええええー?!)
記憶の中の自分は、この世界の漫画が大好きだった。
漫画の登場人物に、恋をしていた。
叶わないと知りつつ、その恋に一生を捧げた。
………………らしい。
(うわぁ。イタイよ、記憶のわたし。記憶の中では、それはオタクというもので、二次元の人物に本気の恋って、イタイ子だよね)
「エリー、少し、食事をしてみないか?五日も何も食べてないんだ。体力をつけないと」
ルードヴィヒに言われて、エカテリーナは手を退けて顔を上げた。
(はぅっ!!)
正面からルードヴィヒを見て、心臓が激しく脈打つ。
一気に顔が熱くなった。
「エリー?」
「まさか、また熱が出たのか?」
「大丈夫、です。食事、えと、何を?」
こてんと首を傾げたら、青年二人が目を丸くした。
「あ、おじ様とおば様に知らせないと」
今気づいたのか、クリストフが慌てて部屋を出て行った。
それを見送って、ルードヴィヒがエカテリーナを見つめる。
「ほんとに、覚えてないのか?」
「ごめんなさい。あの、自分の事も、覚えてないの」
「っ!………そんな、あの毒のせいか?やはり、もっとちゃんと調べて………」
「あの、毒を口にしたって、わたし、自殺しようとしたの?」
「いや、違う。事故だ」
「事故?毒を口にするのは、事故じゃないわよね?自殺か他殺かの、どちらかでしょう?自殺じゃないとすると、わたしは誰かに殺されそうになった、ということね」
推論を口にするエカテリーナに、ルードヴィヒは目を丸くした。
「記憶がなくても、そこまで考えるなんて、やはりエカテリーナだな」
「何を…………?」
そこへ、クリストフが中年の男女を連れて戻って来た。
男性は、紺色の髪に黒い瞳。
女性は、銀色の髪に緑色の瞳。
二人共、綺麗な顔立ちだ。
ベッドの上に起きているエカテリーナを見て、二人はエカテリーナの側へ素早く近づく。
「ああ!エリー!良かった!」
「身体はつらくないか?痛いところとかは?」
「…………えと、どちら様でしょう?」
エカテリーナの言葉に、二人は目を丸くして固まった。
(あ、さっきと同じ)
「なんて事!?エリーが、そんなっ!」
「わたし達を忘れるなんて………。エリー、可哀想に」
(おう。もしかして、両親かしら?)
「第二王子殿下との婚約は、破棄された。いや、こちらから破棄した。エリーは、気にせず、ゆっくり休みなさい」
男性の言葉に、エカテリーナはポカンとしてしまった。
「はあぁぁあ?!」
エカテリーナの反応を見て、四人は困惑する。
「エリーは、第二王子殿下が好きだったのかい?」
「でも、貴女、第二王子殿下とは、あまり会いたがらなかったわよね?」
「いえいえ、あの、それ以前に、わたし、自分が何者なのかさえわかってませんから。いきなり婚約だの、婚約破棄だの言われましても」
「ああ、そうだったね。エリーは、たぶん混乱しているんだ。落ち着いたら、記憶も戻るよ」
「そうよね。あら、そういえばお食事はどうします?エリー、食べられそう?」
「あ、はい、たぶん」
「では、食事を運ばせよう。わたし達はもう戻るよ。また来るからね」
男女二人は微笑むと、部屋を出て行った。
「…………済みません。あのお二人は、どなたですか?」
エカテリーナは、部屋に残ったルードヴィヒとクリストフに訊いた。
「あー、うん、エリーのご両親だよ」
「マルク・フィツェラ侯爵とオルフィーヌ・フィツェラ侯爵夫人だ」
「そう」
(ああ!ちゃんと思い出さないと!漫画の世界………エカテリーナ………婚約破棄………ん?)
エカテリーナは、記憶の中の自分が何回も読んだ漫画の内容を思い出し、青ざめた。
(そう!わたしは第二王子の婚約者で、ヒロインが第二王子と恋仲になった事に腹を立て、ヒロインをいじめまくり、断罪されて婚約破棄される悪役令嬢!)
そこで、はたと気づく。
(婚約破棄、しちゃってるわね。あれ?ヒロインは?あと、わたしに毒を飲ませて誰が得するの?)
ちらりとルードヴィヒとクリストフを見る。
(年頃の男女が、いくら幼馴染みでも、毎日お見舞いに来るかしら?この年齢、といっても正確な歳がわからないけど、男女の友情って、アリ?)
そこへ侍女らしき女性が、盆を持って入って来た。
「お食事をお持ちしました。お嬢様は、五日程何も召し上がっていらっしゃらないので、スープにいたしました」
「ああ、ありがとう。そこに置いて」
クリストフがベッドの横のミニテーブルを示す。
侍女はそこへ盆を置くと、一礼して出て行った。
「さ、エリー」
促されるが、未だ腕が震えてスプーンもうまく持てそうにない。
それに気づいたルードヴィヒが、盆ごとスープの皿をエカテリーナの膝に乗せ、静かにエカテリーナの横へ座ると、スプーンを持って、スープをエカテリーナの口元に運んだ。
「え?」
固まるエカテリーナとクリストフに構わず、ルードヴィヒはスプーンを持っている。
「エリー」
(おおう。食べないと駄目ですか?)
若干遠い目をして、エカテリーナはスプーンを口に入れた。
クリームスープの優しい味が口に広がり、エカテリーナはやっと笑った。
「美味しい」
「…………そうか」
「あー、えっと、エリー」
「はい?」
クリストフが言い難そうにしている。
「とりあえず、学園は休みでいいんだけど、どうする?」
「どう、とは?」
「だって、エリーが学園に戻るのは危険だと思うし」
「…………わたしが毒を口にしたのは、学園で、という事ですか」
「うん。まだ、誰がやったかわからないけど」
クリストフの言葉に、エカテリーナは考えた。
(不特定多数の容疑者、という事か。そうすると、学園?に行くのは確かに危険ね。人を殺そうとするには、何も毒殺だけが手段ではないし)
エカテリーナは、ずっと疑問だった事を訊くことにした。
「どうしてわたしは毒殺されそうになったの?」
「……………」
「……………」
「理由はわからない?じゃあ、わたしを殺して、誰か得をするの?」
「エリー」
答えない二人に、エカテリーナは溜め息を吐いた。
「今までの話で、予想出来る事はいくつかあるわね。まず、わたしが第二王子の婚約者だという事が許せない人物がやった。もうひとつは、わたしを疎ましく思った第二王子がやった。あとは、わたし自身が誰かになにがしかの恨みをかった。あとは、そうね、あなた達と仲が良いわたしを羨んだ人物がやった」
「まさか!?」
「………思い当たる事が?」
エカテリーナの並べた推察に、クリストフが声をあげる。
ルードヴィヒは無表情にクリストフを見た。
「あー、うん、その、たぶん?」
「………………まあ、わたしは死ななかったし、特に咎める気はないわ」
「エリー?」
「え?!いいの?許しちゃうの?」
「許せないわよ。ただ、相手にもそれなりの理由があるのだろうし、罰を望まないというだけ」
エカテリーナは肩を落として、俯く。
「大体、わたしは記憶がないの。この国の常識だってわからないのに、何をどうしろって言うの?」
呟いた言葉は、ルードヴィヒには聞こえたらしく、そっと頭をなでられた。
何故か、それだけで、すとんと安心してしまった。
「…………?」
「俺の家の領地で養生するか?」
「え?」
「気候はいいし、この王都から遠いからここより安全だ。それに………」
じっとルードヴィヒに見つめられて、エカテリーナは首を傾げた。
「いや、うん、お前の気持ちもわかるけどさ、おじ様とおば様の許可が必要だろ?まあ、すぐ許してくれそうだけど」
クリストフが緩く首を振って、しかし小さく何か呟いた。
「ま、いいや。僕は戻るけど、ルードはどうする?」
「侯爵に話をする」
「ああ、そうだね。僕も一緒に行くよ。じゃあ、エリー、ゆっくり休んで」
「あ、はい。ありがとうございます」
出て行く二人を見送って、エカテリーナは目を閉じた。
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