四郎次郎頼房
四郎次郎が人質となり薩摩へ赴くのは年明けの二月と決まった。人質として滞在するのは出水、島津家が滞在のために新しい屋敷を用意するとのことである。
何とも気前のいいことだが、生憎とそれに手放しで喜ぶものはいなかった。人質は人質、相良が島津に背こうものならその態度はあっという間に変わる。
それまでの間、人質として滞在するための準備と共に、秘密の計画もまた着々と用意されていた。島津に知られぬよう、一部の者たちが密かにその段取りを整えていく。
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年が明け、天正十年正月。
四郎次郎は、一族と重臣たちが居並ぶ前で、元服の時を迎えていた。今回は、島津の使者はいない。島津には知らせず、相良家だけで元服の儀を執り行うのだ。
四郎次郎は、美しい紋様が入った真新しい直垂を着て、その時を待っていた。実母の了心尼は、兄の時と同じく、涙を浮かべてその様子を見ている。
四郎次郎の前髪が落とされ、烏帽子が被せられる。直垂も烏帽子も、みな相良家で用意されたものだ。
「これより、そなたに新たな名を与える」
上座にいる当主忠房が、紙を広げる。
「これよりは、『相良四郎次郎頼房』と名乗るがよい」
「頼房」。亡き父、義陽の最初の名。
頼房は、紙に堂々と書かれた「頼房」の文字を、食い入るように見つめた。
「わしの、そなたへの贈り物じゃ。父上の名に恥じぬよう、生きよ。期待しておる」
そして、忠房は大きく息を吸った。
「我が相良家は、鎌倉以来の御家柄。たとえ島津の配下になろうとも、それは変わらぬ。よいか、頼房。どこにおっても、相良の矜持を忘れるな」
――相良の、矜持。
その言葉が、頼房の心に、深く響いた。
「御意」
その短い言葉に、万感の思いを込めた。
「皆の者。これよりは、我が弟、四郎次郎頼房がこと、よろしゅう頼む」
一族郎党、幼当主の言葉に皆平伏する。
この時より、頼房の波乱の生涯が本格的に幕を開けたと言えるのかもしれない。