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兄・忠房

相良家の方針は定まった。亡き義陽の長男亀千代は「四郎太郎」と名を改め惣領とすること。そして次男長寿丸は「四郎次郎」と名を改め島津家へ人質として差し出すこと。

これらの事項を島津家へ伝えたところ、島津家当主義久は、早速使者を寄越した。

「相良殿。この度は、父君がこと、心よりお悔やみ申し上げる」

「御使者殿には、お心遣い痛み入りまする」

当然のように上座に座った使者が型通りのお悔やみの言葉を述べると、当主亀千代改め四郎太郎が下座より同じく型通りの礼を述べ頭を下げる。

家老深水宗方、犬童美作を始め、面だった重臣たちと長寿丸改め四郎次郎、そして弟藤千代が当主の後ろで同じく頭を下げた。

一通りの挨拶が終わると、使者は本題を切り出した。

「さて、此度の相良家の御忠勤、太守・修理大輔義久公はたいそうお喜びでござる。そこで、相良殿におかれてはこの機に元服なされては、とのことでござる」

そう言うと使者はにこりに微笑んだ。

「恐れながら申し上げまする、我が主君四郎太郎は未だ十、元服はいささか早いかと……」

深水宗方が反論するが、使者は微笑んだままである。

「太守様におかれては、惣領となられた今こそ元服をなさるべきとのお考えでござる。それに、亡き御先代の忠義に報いるには足りませぬが、四郎太郎殿が元服なさる時の御装束、烏帽子に至るまで全てこの島津がご用意しておりまする。何も、心配することはございませぬよ」

そう言うと、使者は横に置いた小箱から一枚の紙を慎重に取り出した。

「故に、四郎太郎殿におかれては、元服を機に名を『忠房(ただふさ)』とされるがよろしかろう」

皆の前で、上等の紙に大きく書かれた『忠房』の文字を披露する。

「太守様御自らお考えになった名でござる。『忠』の字は島津家の始祖忠久公よりの島津の通字、そして『房』は亡き相良の御先代が初めに名乗っておられた『頼房』から頂き申した。この名の通り、島津家への『忠』、期待しておるとのことでござる」

「太守様のもったいなき御恩情、この四郎太郎忠房、骨身に沁みましてございまする」

上機嫌の使者に、四郎太郎は深々と頭を下げた。皆も、それに倣う。

「まこと、ありがたいことでござりまする。これよりは、相良の家臣一同、太守様への忠義、尽くして参りまする」

深水宗方がそう続けると、使者は満足げに自分に頭を下げる面々を見回した。

「御使者殿には、長旅でお疲れでございましょう。ささやかながら、一席設けておりますれば、ごゆるりとお過ごしなされませ」

四郎太郎の言葉に、使者はほっとしてような顔を見せた。

「それでは、お言葉に甘えると致しましょう」

案内役の家臣が、使者を迎えにきた。皆、使者が部屋を去るまで頭を下げ続けている。

そしてその場には、当主四郎太郎と二人の弟、重臣たちのみが残った。

*****

島津家の使者が去ったのち、皆が頭を上げる中、当主四郎太郎は頭を下げたままぶるぶると震えていた。

「何が、何が『忠房』じゃ。おのれ島津め、八代と葦北のみならず名まで奪うか」

怒りを込め吐き捨てたその言葉に、四郎次郎はびくりと体を震わせた。兄が、当主となって初めて己の感情を前面に出したことに驚きを隠せないでいるのだ。

相良家の歴代当主たちは、初代「長頼」の「長」と「頼」の二文字を通字としてきた。亡き父義陽が元服して初めに名乗った名は「四郎太郎頼房」であるが、その後足利将軍家より将軍義輝の「義」の字を賜り、「義陽」と名乗るようになった。

本来、名の一字を上位の家から与えられることは大変な名誉であるが、現在の場合、どう考えても家臣と同列の扱いの屈辱的なものであると、この場にいる面々には思わざるを得なかった。仮にも、つい数年前まで肥後南半国を治めていた家である。それを島津の家臣と同列扱いにされて屈辱を感じるなと言う方が無理な話であった。

「島津に忠義を尽くせ? 我が父を死に追いやっておきながら?」

その言葉に、沈黙が落ちる。誰もが思っているが、口に出すことをあえて避けていた本音。

「……お気持ち、お察しいたしまする。皆、同じ気持ちにござる。されど、今の相良に、島津に逆らう力は残っておりませぬ」

深水宗方が、いつになく暗い声でそうぽつりと呟いた。

すると四郎太郎は、頭を上げくるりと後ろを向いて立ち上がった。

「……わしは、御家のため元服して『忠房』と名乗る。されど」

そこまで言うと、兄は涙を溜めた目で四郎次郎をじっと見つめた。

「わが弟四郎次郎には、必ずや相良の通字を与える。薩摩へ人質にやる前に、元服させる」

皆の視線が、四郎次郎に集まる。

「皆、どう思う」

すると、重臣たちは、何も言わず、静かに頭を垂れた。

頭を上げているのは、四郎次郎と、藤千代のみ。

「よいな、四郎次郎」

当主たる兄が、じっと四郎次郎を見る。

「……御意」

四郎次郎は藤千代の頭を下げさせつつ、自らもゆっくりと頭を下げた。

元服。大人として認められるための、通過儀礼。

もはや、無邪気な子供ではいられない。四郎次郎はその言葉の重さを、不安と恐怖と共にじっくりと噛みしめた。


*****


当主四郎太郎の元服は、相良家の一族郎党は元より、島津家より遣わされた使者もやってきて盛大に執り

行われた。

島津の太守義久より「忠房」の名乗りを与えられた四郎太郎は、島津家より下された装束に身を包み、緊張した面持ちで座っている。

生まれながらの美童と名高い幼当主は、前髪を落とし烏帽子を頭に戴くと、さらに凛々しく、神々しささえ感じるほどの美少年ぶりである。

「相良殿。此度の元服、誠におめでとうござる。島津の太守様も、たいそうお喜びでございまするぞ」

「太守様のお気遣い、この忠房、生涯忘れませぬ。この後は、頂いたこの名のとおり、島津家への忠義、尽くして参りまする」

島津の使者の言葉に、忠房は深々と礼をした。相良家の一同にはまったく心のこもらない建前であることはわかったいたが、島津の使者はうんうんと満足げに頷いている。

「さてさて、母君も相良殿のこの男ぶりをご覧あれ。何とも凛々しいものでございまするぞ」

政には関わらず、亡き父の菩提を弔うため読経三昧の日々を過ごしている三兄弟の実母、了心尼は元服の儀が始まってからこのかた、ずっと法衣の袖であふれ出る涙を拭い続けていた。

「島津家の御使者様にはお恥ずかしいことでございまするが、亡き御先代様が、亀千代殿の烏帽子姿をご覧になられたらどれほどお喜びかと、そればかりを思うて涙が止まりませぬ、どうか、お許しくだされ」

「了心は生来より涙もろい女子でございまする故、どうか御気を悪くされませぬよう」

亡き先代義陽の正室、台芳尼と二人で頭を下げると、さすがに使者も慌てていやいや、と宥めるようなしぐさをした。

「これは無粋な物言いをして申し訳ない。それにしても、それほどに情の深き女人を母に持つとは、相良殿はよき男子になられましょう」

「御使者殿にはありがたきお言葉、この忠房、感謝の念に堪えませぬ」

本音を隠した建前だけの会話が続く。

了心尼が泣いていたのはどう考えても年端もいかぬ我が子が政の犠牲になることを憐れんでいるためであるし、島津の使者もそれをわかっているのかいないのか、型通りの言葉を並べていく。

めでたさの中に隠れたどろどろとしたものを見せつけられているようで、何とも居心地が悪い。

「では、これよりは宴会と致しましょう。今宵は、めでたき日でございますれば」

重臣、深水宗方の合図で、宴会の用意が整えられていく。だが了心尼はどうにも泣きやむことが出来ず、席を外したままであった。

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