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初恋(弐)

――気まずい。

秋月種実の娘、あやめと海岸に二人だけで残された頼房は、高鳴る心臓の鼓動と緊張で何を話したらよいかわからず、黙りこんでいた。

「相良様。その辺りにちょうどいい岩がありますゆえ、座られませぬか」

「あ、ああ。かたじけない」

気まずい沈黙を破ったのはあやめの方からであった。

あやめが案内したのは、平たく高さも腰掛けるのにはちょうどいい大きめの岩である。おそらくは、自然に出来たものではあるまい。

頼房は、あやめと遠からず近からず、といった位置に腰を下ろした。波の音だけが響く、静かなところである。

「姫は、何をなさっておいでで?」

ようやく少し落ち着いたところで、頼房はあやめに声をかけた。

「貝を拾っておりました。父が釣りを始めましたゆえ、わたくしも何か始めてみようかと」

そういうと彼女は、華やかな花柄の巾着から掌に乗るくらいの真っ白な巻き貝を取り出した。

「耳に当てると、波の音が聞こえるのですよ」

そう言って、あやめは真っ白な巻き貝の殻を頼房に差し出した。

「波の音? まさか……」

頼房は半信半疑で貝を受けとって耳に当てると、頼房の耳に、ザアッ、ザアッ、という波のような音が聞こえてきた。

「まことに、波の音が聞こえまするな。……お恥ずかしい。(それがし)は球磨の山育ち故、何も知りませなんだ」

「わたくしも秋月の山育ちでございます。海の広さも美しさも、この日向に来て初めて知りました」

そう言うと、あやめは海に視線を移した。

「これほどよき地に来ても、父上は秋月の地を忘れがたく思っておいでです。秋月は、これまでの父上の全てでこざいましたゆえ」

「……そうでございましょう。父祖伝来の地を追われるは辛きもの。その上、秋月殿は一代で筑前の大領地を築かれたお方」

するとあやめは、ふと我に帰ったようにあたふたし始めた。

「わたくしとしたことが、相良様につまらぬ話を……。申し訳ございませぬ」

「何の。むしろ、あれこれ話していただけた方が嬉しゅうござる」

話していくうちにすっかり緊張も解けた頼房は、あやめにニコリと笑いかけた。

「秋月殿はよきお方でござる。この頼房は八つの時に父を亡くしましたが、秋月殿と話していると、どこか実の父と話しているような心持ちになり申した」

「……この日向に来て、父上は随分と穏やかになられました。以前は父と兄――わたくしにとっての祖父と伯父を攻め滅ぼした豊後の大友家を滅ぼすことのみを生き甲斐にし、ぎらぎらした目で戦と(まつりごと)に励む父上は、なんとも恐ろしいもので」

するとあやめは、いたずらっぽく笑った。

「実は、父上の気を引こうとすぐ上の姉とこっそり城を抜け出したり馬で遠乗りに行ったりしてみたことがあるのです。すぐに見つかって連れ戻され、こっぴどく怒られると思っていたら秋月の娘はそれくらいお転婆な方がよいと逆に褒められて拍子抜け致しました」

頼房は、先程秋月種実があやめに対して『お転婆が治らぬ』と言っていたことを思い出した。

「ああ、だから秋月殿はあの時……」

「はい。お転婆娘を演じていたはずが、止めどきを見失いまして。それに、城をこっそり抜け出すのもなかなか楽しゅうございますよ」

――お転婆娘を演じていたというより、それが本分なのかもしれない。

頼房は、なんとなく察した。

「……ここに来て、父上と過ごす時間が随分と増えました。祖父と伯父を攻め滅ぼした大友宗麟も既に亡く、人生を大友家を滅ぼすことのみに捧げてきた父上のお心が折れてしまわないかと心配しておりましたが、今は憑き物が落ちたような、穏やかな顔をされておられます。このような顔をされるお人だったのかと驚いたものです」

あやめは、そこで言葉を切る。

「高橋の兄などは、父上がすっかり気落ちして抜け殻のようになってしまわれたと嘆いておりまするが、わたくしは、今の父上の方が好きでございます」

頼房が見た限り、かつての目をぎらぎらさせた秋月種実など想像もつかないが、あやめの言うことに間違いはあるまい。

「……相良様には、余計な話ばかりお聞かせして申し訳のうございます」

「何を仰います。この頼房、姫と話せて楽しゅうございました。……そろそろ、父君も戻ってこられましょうか」

実のところもっとあやめと話していたかったが、さすがに時間も経っているし種実たちと合流せねばなるまい。二人が立ち上がって砂浜を歩き出した、その時。

あやめが石か何かを踏んだのか、ふらりと平行を崩し、後ろに倒れようとした。

「危ない!」

頼房は、咄嗟に身を乗り出し、あやめの体を抱き止めた。

――華奢な体だ。

一瞬そんなことを思ったが頼房はすぐに我に帰った。

「こっ、これは失礼を」

「い、いいえ。ぼんやりしていたわたくしが悪いのです」

互いに顔を真っ赤にしながら、頼房はあやめを立たせ、すぐに手を離した。

――顔が熱い。気まずい。

頼房は、そのままあやめと目を合わせることができなかった。

「相良殿、そろそろ城に戻られぬか」

そんな折、秋月種実と犬童頼兄たちが絶妙な頃合いでやって来た。天の助けとばかりに、頼房は思わず心のなかで手を合わせた。

「あやめよ、相良殿に失礼はなかったであろうな」

「……はい、父上」

あやめも気恥ずかしいのか、そのまま目を合わせてはくれなかった。

そして二人は、そのまま城へと帰ることになったのである。

*****

「軍七よ。わしは、秋月の姫に会うてから何やらおかしい。姫のことが頭から離れぬ。姫のことを考えるだけで熱があるかのようにぼうっとする。胸が苦しい。どうすればよいのかわからぬ」

城へと戻った頼房は、頼兄と二人きりになった時に頭を抱えてそうこぼした。あやめのことを知っているのは、頼兄以外にいないからである。

すると軍七頼兄は、何やら悟ったようにふうっと息を吐いた。どこか、困ったような顔をしている。

「……それはまさしく、恋というものでございましょう」

「恋……?」

――恋。物語や和歌の世界でしか知らないもの。自分には、縁がないものだと思っていた。

「わしが、恋……? 相良家当主たるこのわしが……?」

そもそも大名の結婚に、恋だの何だのは存在しない。結婚は、家と家との結びつきを強める政略の一種だ。頼房には、その認識が染み付いているはずだった。

「殿……。女人にご興味お有りだったのですな」

頼兄が、意外そうな顔をして頼房を見つめる。

「どういう意味じゃ」

頼房は、我に帰って思わずつっこんだ。

「どうもこうも。城内には殿のお側にお仕えするために領内から見目麗しき者や気立てのよい者を選りすぐって集めておりますのに、殿は一切興味をお示しにならず、かといって小姓を寝所にお呼びになっている訳でもない。故に、そのようなことにはご興味がないものとばかり」

「そうなのか?」

そう言われてみればそんな気がしなくはない。小姓たちが誰それが美人だの気立てがよいなどという話をしていた気がする。たが、大名の結婚は政略と割りきってきた頼房はさほど興味もなかったし、さらにいえば、目の前にいる無駄に顔がいい男とほぼ毎日顔を突き合わせていたから美の基準がはね上がって興味を持てなかったのかもしれない。

それにしても、日々真面目に政務と勉学に励み、丸目蔵人の容赦ない剣術の稽古に疲れ果てて夜は即寝所で眠りにつく日々を送っていたら、まさかそのように思われていたとは。何とも酷い者たちである。

「そうとわかれば頑張ってくださらねば。我が父など、お世継ぎの顔を見るまでは死ねぬと張り切っておりまするゆえ」

「……そこは孫の顔を見るまでは、ではないのか?」

「孫の顔よりもまずはお世継ぎでござる。まあ、あの調子ならば向こう十年は問題ありますまい」

そこで、頼兄は一度言葉を切った。

「秋月の姫ならば、殿のご正室として申し分ありませぬ。……ただ」

頼兄は声の調子を落とし、頼房の側へと寄ってきた。

「秋月様は、関白殿下に全力で刃向かわれたお方。関白殿下のお心を見極めねばなりませぬ。お決めになるのは、まだ早い」

頼兄は扇で口元を隠しながら、頼房にそう囁いた。

「……奥向きのことは、台芳尼様が取り仕切っておられる。わし一人で決められることではない」

頼房は、それ以上のことを言うことが出来なかった。

*****

その夜、秋月種実は頼房たちのために宴を開いてくれた。さすがは海のすぐ側というべきか、海産物が新鮮でたいそう美味である。

「飫肥の伊東殿のところへ寄られた後は、我が次男のところへ寄られる予定でござろう?」

種実は頼房の盃に酒を注ぎながら、頼房に問いかけた。種実の次男、元種(もとたね)は幼少の頃に筑前の高橋家に養子に出され、現在は日向の(あがた)に領地を貰っている。関白秀吉の九州平定の際には実父種実と兄、種長に従い全力で関白の兵に対抗したが、降伏後は兄の種長とは別家扱いで日向で一番広い領地を与えられた人物である。

「はい、そのような手筈になっております」

すると種実は、自らの盃の酒をぐいっと飲み干した。

「我が次男九郎元種は、若い頃のわしに似て、ちと血の気が多い男でござる。なれど悪い男ではありませぬゆえ、歳も近いことであるし、仲良うして頂けるとこの種実も嬉しゅうござる」

「もちろんでございまする」

頼房がそう答えると、種実は嬉しそうに笑った。

「……ところで相良殿。相良殿には、許嫁(いいなずけ)などはお有りか?」

頼房は飲みかけた酒をむせこみそうになったが、なんとか耐えた。

「……い、いえ、まだそのような……」

一瞬、あやめの顔が頭に浮かんだが、こればかりは自分の一存では決められない。

「まあ、相良殿もお若いことであるし、焦る必要はありますまい。この種実にも娘が多くおりますゆえ、頭数の一人にでも入れて頂けると嬉しゅうござる」

種実はそう言うと、何事もなかったかのように酒を勧めてきた。

無論頼房は、その後思考停止して食べた気も飲んだ気もしなかったのである。

*****

翌朝、旅支度を整えた頼房一行を、秋月種実が城門まで見送りに出てくれた。

「名残惜しいが、道中気を付けて参られよ」

「秋月殿にはたいそうお世話になり、ありがたい限りでございまする。……まこと、六の姫ともお話出来て楽しゅうございました。姫には、よろしくお伝えくだされ」

「娘まで気にかけていただいてありがたきことでござる。またお会いできることを楽しみにしておりまするぞ」

頼房は、あやめへの感情を押し殺しながら、大名としての旅に戻った。

次は伊東家の飫肥、そしてその次は秋月種実の次男、高橋元種の縣だ。

「……また、会えるであろうか」

頼房は、輿の中でポツリと悲しげに呟いた。

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