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頼蔵と頼兄

「加藤様はお若いながら人柄(こと)に優れ、忠義と自信に満ち溢れた堂々たる御方。当家も加藤様と縁を結べば間違いはありますまい」

深水宗芳の甥でこのほど後継に指名された深水左馬助頼蔵は、加藤清正について興奮ぎみにそう語った。

肥後国主、佐々成政切腹の後、加藤清正が肥後北半国と葦北郡、小西行長が宇土、益城、八代の三郡の領主として着任した。清正は隈本、行長は宇土に本拠を置くとのことである。

その双方と領地を接する相良家としてはひとまず着任祝いの使者を送る必要があり、深水頼蔵を隈本の清正へ、犬童軍七頼兄(よりえ)を宇土の行長への使者として立てたのだった。

「ほう、加藤殿はそれほど素晴らしき御方であるのか」

「まことよき御方でござる、早う殿にも()うて頂きたいもの」

隈本から帰った深水頼蔵はすっかり清正の人柄に惚れ込んだようで、頼房に是非とも仲良くするべきだと熱く語った。

「ところで、宇土の小西様の元へ行った犬童軍七はまだ帰りませぬか。いやはや、一体何をしておるのやら」

言葉に棘を含んで、頼蔵は頼兄の不在を責める。

「さて、何をしておるのであろうのう」

頼房は、曖昧に苦笑いをすることしかできなかった。

*****

家老二人が代替わりしてわかったことだが、先代と違って深水頼蔵と犬童頼兄はともかく反りが合わない。頼房の前ではさすがに二人とも抑えているようだが、その他のところでは顔をつき合わせる度に言い争いが絶えないらしい。

実のところ、深水頼蔵は人当たりがよく人望はあるが、よくも悪くものんびりした性格で、伯父の宗芳ほどの才覚には乏しい。逆に犬童頼兄は才気に溢れ、深水宗芳も実の甥より目をかけているくらいだが、こちらは人情味に欠け人望が薄い。

頼房はどちらかといえば犬童頼兄の方が年も近く頭の回転も速いので頼りにしているし、密かに頼兄の父親である犬童休矣(きゅうい)に頼兄を筆頭家老にしてはどうかと打診してみたのだが、断固として固辞され今に至る。

頼房は、休矣が前に言っていた『同じ家中とはいえ、互いに反りが合わぬものは合わぬ』という意味が身に染みてわかった。

おかげで、頼房は余計な心労を抱え込む破目になってしまったのである。

そう考えると、仲が険悪という話の加藤清正と小西行長に肥後を分割して与えた関白秀吉は、よほど二人を上手く使いこなす自信があるのかと思う。まだ十五歳の自分と関白にまで登り詰めた男を比較すべきではないと思うが、自分には到底出来そうもない。

――思えば、亡き兄、忠房が亡くなった歳を超えてしまった。

あまりにいろいろなことがありすぎて考える暇もなかったが、十四歳で亡くなった兄の年齢を、自分はいつの間にか超えてしまっている。兄ならば、深水頼蔵と犬童頼兄の対立を抑えられたのだろうか。

そう思うと、切なくて切なくて仕方がなかった。

*****

犬童頼兄が宇土から帰ってきたのは、その翌日のことであった。

「遅くなりまして、申し訳ございませぬ。小西様に引き留められまして」

「いや、よい。それで、宇土はどうであった?」

すると頼兄は、珍しく考え込んだ。

「……以前、小西様の弟を名乗る珍妙な男が来たことを覚えておられましょうや」

「ああ、あの御仁か。確か、隼人行景殿であったか」 

はっきりと覚えている。頼房が国衆一揆鎮圧の援軍に来た島津の軍勢を誤って足留めしてしまった時に、取次であった小西行長が心配して人吉に寄越した男である。

「左様。……あの御仁、誠に小西様の弟御でございました。しかも兄君は居られぬ時には城代を任せるつもりだと。あの珍妙なお人が城代、世も末でござる」

頼兄は、いかにも嘆かわしいといった様子で溜め息をつくが、どこか気安く身内を評するような言い方である。身内以外の者と接する時は一定の距離を置く男が、こんな言い方をするのは珍しい。

「小西様は、殿のことをたいそう気にかけておいでで。また是非ともお会いしたいとのことでござる。小西様のご領地はかつて我が相良の所領であったところが多く、相良を頼りにしておられるご様子。……これからは、小西様のような方が世に出ることになりましょう」

「そなたも、小西殿を気に入ったようじゃな」

頼房がいたずらっぽく笑うと、頼兄は意外にも素直に頷いた。

「実をいうと、よくわからぬのです。あの方は、どの大名とも違う。堺の商人の子に生まれ大名にまで登り詰めたこともそうでござるが、関白殿下への忠義一辺倒という訳でもなく、時にはその意に背くようなこともなさる」

「意に背くようなこと? まさか。殿下に大名にまで取り立てられた御仁じゃぞ?」

かつて頼房が見た行長は、そのような男には見えなかった。

「……小西様は、キリシタンでござる。小西様ご本人も、家中の方々の多くも」

「キリシタン!? まさか……」

スペインやポルトガルといった所謂南蛮からもたらされたキリスト教は、伝来から数十年で多くの信者を獲得し、莫大な富を生み出す南蛮貿易も相まってその勢力を急速に拡大していた。

かつて頼房の亡き父、義陽が肥後南半国を治めていた時代に八代へ伴天連(バテレン)と呼ばれるキリスト教の宣教師たちがやってきたという話は聞いたことがあるのだが、さほど広まっている様子もないところを見ると、父は布教の許可は出さなかったのだろう。

大名にもキリシタンとなる者が多く、長崎の大村純忠などは自らの所領である長崎の土地をイエズス会と呼ばれるキリスト教の教団に寄進していたのだが、それを九州征伐の際に関白秀吉が知り激怒、伴天連の国外追放を命じ、自らの家臣たちにも棄教を迫ったのである。

「小西様は表向きは棄教なされたとのことでございますが、伴天連たちは城内を悠々と闊歩し、家臣たちも隠れることなく彼らの神に祈りを捧げている。この状況でご主君たる小西様だけが棄教されたなどと信じる方が無理な話。……関白殿下は伴天連は追放しても南蛮との貿易は続けるおつもりのようでございまするが、布教と貿易はどちらか一方では成り立ちませぬ。殿下の命令は貿易のために骨抜きになりましょう」

行長の父は、泉州堺の豪商と聞く。そんな父を持つ行長ならば、南蛮貿易の重要性は嫌というほどわかっているはず。

「……小西殿も大それたことを」

頼房は、あの関白秀吉を欺くような所業に絶句した。

「南蛮の者たちと縁を結んでおけば莫大な貿易の利益が得られると思っておられるのか、キリシタンの教えを忠実に守ろうとしておられるのか。……いずれにせよ、あの方は関白殿下に心酔してはおられませぬ」

そこで、頼兄は一度言葉を切る。

「小西様のご主君は、亡き宇喜多和泉守様ただ一人」

――なるほど、そういうことか。

頼房は、その言葉で悟った。

小西行長の最初の主君、宇喜多和泉守直家。流浪の身から備前美作の国主に成り上がった稀代の梟雄。そして、商人であった行長を武士へと取り立てた人物。

頼兄と接するうちにわかったことだが、頼兄は亡き父、義陽に心酔している。故に、頼房に義陽の影を見る。いや、頼房を通して義陽に仕えているといった方が正しいか。

頼房としてはそれも仕方がないとは思うが、少し寂しい気もする。

「……まあ、小西殿には小西殿の事情があろう。ひとまず我らは仲良く付き()うていくだけじゃ」

亡き主君への思いが、二人の縁を結んだのだろうか。だが、行長と頼兄のそれはどこか違う。頼房は漠然とだが、そう思った。

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