来訪者
頼房は佐々成政の要請に従い、葦北郡に兵を出して肥後と薩摩の国境を越えようとする島津家の軍勢を追い返した。
その報告を受けた頼房は、大きく安堵の息をもらした。
「ようやった。これで佐々殿にも顔が立つし、亡き父上と兄上もお喜びであろう」
思えば父は島津に従ったせいで死んだようなものだし、兄は島津に頭を下げ続け、頼房自身も島津に臣従する屈辱の日々を送ってきた。その島津を大義名分を得て追い返したのだ、胸がすうっとする心持ちがするし、何とも言えない高揚感がある。
そんな頼房の元に、家老犬童休矣の嫡男、軍七頼兄が火急の用だと言ってやって来た。年は頼房より六つ上の二十歳ばかり、相良家きっての美形の男が鬼気迫る表情をしていると、なんとも凄まじい迫力がある。
「い、いかがした?」
頼房が頼兄の迫力に圧倒的されながら問うと、頼兄は苦り切った表情を浮かべた。
「城下にて、怪しき男を捕らえました」
「怪しき男? どのような男じゃ」
「年の頃は二十歳を幾分か過ぎたあたり、城下の民と歌留多なる札遊びに興じておるところを捕らえましてございまする」
「歌留多?」
「この頃民の間で流行っている南蛮渡りの札遊びだそうで。嘘か真か、そやつは上方より参った商人であるなどと申しておりまする」
『上方』と聞いて、頼房は先程の高揚感など一気に消え去り、顔から血の気が引いたのがわかる。
「いかにも怪しき男なれど、この軍七が家老の息子とわかると、殿に会わせろなどと世迷いごとを申しておりまして。……あの胆の座りよう、ただ者ではございませぬ。いかがいたしましょう」
「……わかった。会おう。深水宗芳とそなたの父、休矣も呼べ」
*****
頼房がいる広間の前庭に縄をかけられて連れてこられたのは、精悍な顔立ちの若い男であった。何やら見たことがあるような気がするが、どうにも思い出せない。
見たところ傷はなく、手荒な扱いはしていないらしい。
「わしが、相良宮内大輔頼房じゃ。わしに会いたいと申したのはそなたか?」
頼房がそう言うと、その男は顔を上げて頼房の顔をじっと見つめ、何やら意味ありげな笑みを浮かべた。
「いかにも。……いつぞやは、兄がお世話になったそうで」
「……兄?」
「ご挨拶が遅れてご無礼致した。小西摂津守行長が弟、隼人行景と申しまする」
男が何気なく言った言葉に、その場は凍りついた。さすがの深水宗芳と犬童休矣も呆気に取られている。
「嘘を申せ、仮にも大名の弟がかようなところに居るものか」
頼兄が男に短刀を突きつける。
「それならばこの場で無礼者として斬り捨てればよろしゅうございましょう。もっとも、もしも本物であった場合は言い逃れは出来ますまいが」
小西行長の弟を名乗る若い男は、喉元に突きつけられる短刀を泰然と見ている。
「……軍七。その御仁の縄を切って差し上げよ。確かに、どこか小西様に似ている」
宗芳の言葉に、頼兄はしぶしぶと言った様子で男の縄を切り落とした。
「いやはやありがたい。そちらは噂に名高い深水宗芳殿でござるな? やはり商人は手足が動かねばどうにもならぬ」
そう言うと、男は大きく手を上に伸ばした。
「……小西様の弟君では?」
頼兄が冷たく問うても当の本人はどこ吹く風、全く気にする様子はなかった。
「元は兄も手前も泉州堺の薬屋の倅でござる。それがいつの間にかお武家の真似事をすることになりまして。まったくもって、出来た兄がおると弟は苦労するもので」
聞いてもいないのに、何とも饒舌な男である。宗芳はかつて小西行長のことを掴みどころがないと評していたが、頼房は行長の弟とかいうこの男の方が何を考えているかわからなかった。
「……小西殿のご舎弟に、ご無礼の数々、お許しくださいませ。ささ、こちらへ」
頼房は庭から広間に上がるように促したが、男はそれを固辞し、そのままそこへ胡座をかいて座った。
「それには及びませぬ。兄より相良領内の様子を見てこいと言われて参っただけでございまするゆえ」
――何かが、おかしい。
頼房は、直感的にそう思った。何故、行長が相良領内の視察を弟に命じるのだ。
「……相良の領地はいかがでござる?」
未だに状況を飲み込めずにいる犬童休矣は、男にそう問いかけた。
「いやはや、噂に違わぬ山深さ。山は高く道は狭く険しい。どんな軍勢であれ、あの山を越えて攻めてこようとは思いますまいな」
なんでも葦北郡の方から来た彼は、まず険しく高い山々を見て途方に暮れたという。
「……なにゆえ、そこまでしてこの球磨に来られた。小西様は何をお考えか」
深水宗芳が問うと、男は呆れたようにため息をついた。
「それはもう、関白殿下の命に従って肥後の国境までやって来た島津様の軍勢を相良様の軍勢が追い返したと聞き及びましたゆえ、その真意を確かめるために」
その場は、冷水を浴びせかけたように静まり返った。
「我が兄、行長は和仁家の田中城攻めに参加しております。この度の一揆に関白殿下はたいそうお怒りゆえ、和仁の一族は良くて領地召し上げ、最悪の場合は一族郎党撫で斬りにされましょう」
撫で斬り――皆殺しという意味だ。
「さて、そのような時に相良様が島津様の軍勢を国境で追い払ったとの報せが入りまして。おそらく関白殿下のお耳にもすぐに入りましょう。……まあ、兄としては取次を命じられたからというより、単純に相良様のことを案じているだけでございましょうな」
行景は、表情を消して淡々と事実だけを述べていく。つまり相良家は、一揆に加担しているのではないかと疑われているのだ
「此度のことは、佐々殿に頼まれたゆえ兵を出しただけのこと。佐々殿に……」
「もしも私が佐々様であれば、関白殿下の命を受けた援軍を国境で足止めせよと命じたなどとは口が裂けても言えませぬな。そもそも、佐々様は今一揆の鎮圧でそれどころではございませぬ」
頼房の言葉に、男は何の感情も見いだせない声で答えていく。
「……なれど、この行景が見た限りでは、所領に籠って籠城しようなどという気配は欠片もないし、民にも戦が始まるという焦りも恐怖もない。何より、あの伏兵がどこに潜んでいるかわからない険しい山道を越えて領内に攻め込むなどいくら兵がいても足りない」
そこまで言うと、男はいたずらっぽく笑った。その顔は、兄であるという行長と、本当によく似ていた。
「御運がございましたな。この土地でなければ、きっと国衆たちを降した勢いのまま、大軍が攻め寄せてきたことでございましょう。関白殿下は、一度堪忍袋の緒が切れればどのようなことでもなさるお方ですゆえ」
そこで、男は表情を消して頼房の顔をじっと見つめた。
「手前は、物見遊山に参ったただの商人。人違いで捕らえられ、疑いが晴れて国に帰る。それでようございまするな」
――つまり、自分が来たことを口外するなということだ。彼にも兄の行長にも、己の立場がある。
「心得た」
頼房がそう答えると、男はふふっと笑った。
頼房がきょとんとしていると、男は先ほどのいたずらっぽい笑みを再び浮かべた。
「いえ、兄が相良様を気に入っている訳が何となくわかり申した。……それにしても、この行景を商人上がりだの七光りだのと馬鹿にはなさらぬようでございまするな」
似たようなことを、前にも言われたことがあるような気がする。他ならぬ、この男の兄だという人に。
「鎌倉以来の血筋には誇りを持っておりまするが、誇りとは他を見下して得るものではないと思うておりまする」
「ほう……」
男は、興味深そうに頼房を見る。
「確かに人ができておられる。……最後に、よきことを一つお教えいたしましょう。上方では、石田治部少輔三成様と言われる方が関白殿下の右腕として仕えておられる。たいそう頭のよい方で、我が兄行長とも昵懇の間柄でござる。いざとなれば、石田様を頼られるとよろしゅうございましょう。あ、そうそう、そこのお若い御仁」
男は、近くにいた頼兄の腕を引き寄せると、両頬に指をあてぐいっと上に動かした。
「何をなさいます!」
「せっかく元がよいのにそのような仏頂面ではもったいない。もっと口の端を上げて笑えばさらに……」
「余計なお世話でございまする!」
顔を真っ赤にして怒る頼兄に対し、男はさらに笑顔の指南をしようとする。
緊迫するはずだったその場は、二人の掛け合いのおかげで予定外の笑いに包まれた。
*****
関白秀吉から一通の書状が届いたのは、なんとも掴みどころのない妙な男が人吉を去ってすぐのことであった。




