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丸目蔵人

「そなたが、丸目蔵人(くらんど)か?」

犬童軍七が連れてきたのは、堂々たる体躯の四十過ぎほどの男であった。只者でないことは、膝をつき頭を下げているその佇まいだけで分かる。彼がそこにいるだけで、空気がピンとはりつめるような緊張感を感じるのだ。

「お初にお目にかかりまする、殿。丸目蔵人佐長恵(ながよし)にございまする」

彼に会うのは初めてだが、さすがに彼の名前は知っていた。天下に名高き剣豪、上泉伊勢守信綱の高弟で、数ある門弟の中でも四天王に数えられた人物。

かの上泉伊勢守の創始した新陰流を西国(さいごく)に広める任を任されるほどの剣の達人だ。

「この丸目蔵人、戦の失策にて殿の亡き父君の勘気を(こうむ)り、とうとう父君の生前にお目にかかることができませなんだ。どうか、かの蔵人めに今ひとたび汚名返上の機会を頂きたく」

「丸目蔵人殿は、我が剣術の師にございまする。上方にも名の知れた剣豪ゆえ、どれほど御家の為になりましょうや。恐れながら、この犬童軍七からも、丸目殿の勘気をお解き頂きたく、お願い申し上げまする」

そう言って、軍七と丸目蔵人は頼房に深々と頭を下げた。

――なるほど、そういうことか。

頼房は、すぐに合点がいった。犬童軍七の剣術の師ということは、軍七の父である家老の犬童休矣も承知の上での行動だ。

敢えて軍七を遣わしたのも、年が近い軍七の方が説得力があると考えたからであろうか。

「相わかった。考えておこう。それよりも、のう、軍七、蔵人。その話は後にして、まずは天下に名高き剣術を見てみたい。どうじゃ?」

正直なところ、蔵人の勘気を解く云々より、先程から天下に名高い剣を見てみたくてうずうずしていた。殿様といっても未だ十四の少年であるから、その辺りは他の少年たちと変わらない。もう(はら)は決めているし、せっかくの機会だ。

軍七と丸目蔵人は一瞬呆気にとられた顔をしていたが、蔵人の方はすぐに微苦笑を浮かべ、「御意」と言って頭を下げたのだった。

*****

技を披露する仕太刀を丸目蔵人、技を受ける打太刀を犬童軍七が務めることとなった。人払いをしているため、この場には蔵人、軍七、頼房の三人しかいない。軍七と丸目蔵人は木刀を持ち、正面から向き合った。蔵人の佇まいは、まさに「静」。蔵人がそこにいるだけで、静かな迫力に圧倒されそうになる。

蔵人が、右甲段に構える。その刹那、凄まじい気迫で木刀が振り下ろされた。軍七は、決して武芸の才がないわけではない。むしろ、若い家臣たちの中でも随一の腕前だ。胆力もあり、よほどのことがなければ動じることもない。その軍七が、蔵人の気迫に圧倒されている。

――これが、天下の剣豪か。

頼房は、目の前の光景を感嘆しながら見ていた。

すべての動きは、袈裟斬りに始まり袈裟斬りに終わる。実戦的でありながら、一瞬たりとも目が離せない洗練された美しさがある。

演武が終わると、二人は頼房の前に膝をついた。軍七は少しばかり息があがっているが、蔵人は呼吸一つ乱れてはいない。

「見事じゃ。さすがは天下に名高き剣豪、丸目蔵人佐」

頼房は、感心しきって蔵人を褒め称えた。

「これが、かの新陰流の(けん)か?」

「さにあらず。我が師、上泉伊勢守様の新陰流をも打ち負かすこの丸目蔵人が剣法、これ名付けてタイ捨流」

「タイ捨流……。そなたが編み出したということか?」

「さようにございまする」

蔵人は淡々と、だがそこに誇りを滲ませながら答える。

「あいわかった。勘気を解き、帰参を許す。これよりは、我が相良家の剣術指南役を務めよ」

とっくに肚は決めていたが、敢えて今決断したかのごとく、重々しく言葉を紡いだ。

「ありがたき幸せ」

蔵人は感極まった声でそう言うと、軍七共々頭を下げた。

「面を上げよ、蔵人、軍七。そうかしこまらずともよい。明日からはわしが蔵人に教えを請わねばならぬ身じゃ。……じゃが、蔵人。誠にわしの元でよいのか? わしはもう肥後半国の領主でもない、未だ十四の若造じゃ。そなたほどの剣の腕があれば、佐々、島津、大友は言うに及ばず、上方の諸大名にも引く手あまたであろうに」

頼房の問いに、蔵人はゆっくりと頭を上げて穏やかな笑みを浮かべた。

「お戯れを。確かに禄は多い方がようございまするが、この蔵人は球磨の地に骨を埋める覚悟なれば、ご心配には及びませぬ。……ところで、殿。今おっしゃった佐々でございまするが、いささか(あやう)うござる」

「危うい? 佐々(さっさ)陸奥守殿は歴戦の名将と聞いておるが……?」

球磨郡と天草を除く肥後の大部分は、関白秀吉が織田家に仕えていた頃の同僚で名将の呼び声高い佐々陸奥守成政が治めることとなった。ちなみに頼房は、その成政の与力を命じられている。いわば一蓮托生の存在である。

「どれほどの名将といえど、頑固者揃いの肥後を治めるのは至難の技。それに、佐々様と関白殿下の仲はそれほどよくはないとの風聞もござる」

「詳しいな」

頼房は、蔵人の持つ情報を興味深く聞いていた。

「弟子は各地に多くおりまする。噂話の類いは、よく耳に入ってきますゆえ」

「まあ、わしは佐々殿の与力じゃ。何事かあれば佐々殿にお味方するだけ。その前に、剣の腕を磨かねばな」

すると蔵人は、いたずらっぽく笑った。

「たとえ殿とて、容赦はしませぬぞ」

「望むところじゃ」

蔵人の帰参に安堵の息を漏らしていた軍七が、いささか引きつった顔をしていたのは気のせいだっただろうか。

「何事もなければようござるが」

軍七がささやくようにポツリと呟いたが、幸か不幸か、その言葉は頼房の耳には届かなかった。

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