関白謁見 弐(※一部残酷な表現あり)
途中で一部残酷な表現があります。苦手な方は閲覧をお控えください。
天正十五年四月二十三日。関白秀吉が佐敷に着いたとの報を受けた頼房は、深水宗方と犬童休矣の二人の家老を従え、人吉を発った。
かつて島津の人質になるために通った道を、今度は関白秀吉に謁見するために通る。何とも不思議な心持ちである。
その日は、穏やかな春の青空が広がっている日であった。
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二日後、佐敷に着いた一行を出迎えたのは、年が二、三十ばかりの背の高い男であった。色白でいかにも聡明そうな顔立ちの男である。鮮やかな青の直垂を身に纏っているが、それがなんともよく似合っている。宗方とは面識があるらしく、互いに挨拶を交わしている。
「相良四郎次郎頼房にございまする。この度は関白殿下にお目通りを願いたく、まかりこしました」
頼房が小西弥九郎を名乗ったその男に挨拶をすると、彼はにこりと微笑み、頼房に礼を返した。
「ようおいでくださった。関白殿下もお喜びになられることでございましょう。只今、殿下におかれて軍議の最中でござる。申し訳なきことながら、しばしお待ちを」
弥九郎は、頼房たちを控えの部屋に案内すると、所用があるからと懇ろに言葉を交わして部屋を後にした。
頼房は、部屋を出ていく弥九郎の後ろ姿を目で追った。何とも颯爽とした立ち居振る舞いで、これが上方武士かとただただ嘆息するしかない。
受領名もなく、それほど高位の武士ではないと推測される彼でさえそうなのだ、なんとしても礼儀を失する訳にはいかない。
大名の子として生まれ、当主となって二年。礼儀作法は物心つく前から叩き込まれているが、それが関白に通用するか否か。
どこで聞かれているかわからないので、当たり障りのない会話をしながら、関白との謁見の待った。あれから一刻は過ぎているような気がするのだが、まだ呼び出しはない。
最初の胸の高鳴りもすっかり落ち着いた頃、小西弥九郎が頼房たちを呼びにやって来た。
「相良殿、大変お待たせ致した。関白殿下が、お会いになられるそうでござる」
頼房の心臓が、再び大きく脈を打つ。
――ここが正念場だ。
頼房は、自らにそう言い聞かせて、大きく息を吸った。
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相良の梅鉢紋があしらわれた紺色の直垂を身に纏い、烏帽子を被った頼房は、小西弥九郎の案内に従い、関白の待つ部屋へと進んでいく。胸の鼓動が、歩くごとに高まっていく。
「殿下。お連れ致しました」
一際広い部屋の前で、弥九郎が立ち止まる。
「おう、来たか。入れ入れ」
拍子抜けするほど軽い返事が返ってくる。少し高めの、初老の男の声である。
頼房は一礼して部屋へと入り、深水宗方と犬童休矣もそれに続く。
部屋には、年若い二人の近習と壮年の男数人が上座を挟んで両脇に控えている。案内をしてきた小西弥九郎は、その末席に連なった。
「相良四郎次郎頼房にございまする。この度は、関白殿下にお目通り叶い、恐悦至極に存じまする」
頼房は、緊張して少し上ずった声でそう口上を述べ、深々と平伏した。
「おお、知っておる知っておる。そう畏まらんでもよい。面を上げて顔をよう見せい」
存外に軽い声に、頼房は恐る恐る顔を上げる。
そこにいたのは、金と赤の派手な羽織を着た五十ばかりの小男であった。皺だらけで彫りが深く、どこか愛嬌を感じる顔である。これが天下を治めんとする関白かと、少し意外な感じがする。
その秀吉は、脇息にもたれ掛かりながら、頼房のことをじっくりと観察している。その眼光は鋭く、頼房は金縛りにあったようにぴくりとも動くことができなかった。
すると、関白秀吉はふっ、と表情を弛めた。
「ふむ、なかなかによい面構えじゃ。いくつになる」
「今年、十四になりましてございまする」
「ほう。……弥九郎よ、確か宇喜多の八郎が今年十六であったかな」
「さようでございまする。生年からすれば、豪姫様と同じであろうかと」
秀吉が小西弥九郎に話を振ると、弥九郎は淡々と答えてみせた。秀吉は豪姫という名を聞いて相好を崩す。
「そうか、そうであったな。豪というのはわしの自慢の娘でな。そなたも、幼少の身で当主となり、島津の元で苦労したであろうな」
頼房は、一瞬言葉に詰まった。島津に従わざるを得なかったとはいえ、関白秀吉の軍勢と戦ったことは事実である。
「この度は、殿下に弓を引き奉ったこと、誠に申し訳なく……」
「ああ、よいよい。手土産も受け取ったことであるし、そなたの忠義はようわかっておる」
手土産とは、先日真幸院で討ち取った有川家家臣の首、数十である。恐らく、この首の存在が、秀吉が会ってくれた要因の一つであろう。
「時に相良四郎次郎。そなた、大名に戻りたいか?」
秀吉が、頼房の目を覗き込むようにして問う。
――大名に戻る。それは、戦に負けて島津の配下となった、相良家の悲願である。
「はい。大名に、戻りとうございまする」
これが、秀吉の求めている答えなのかどうかはわからない。けれど、もはや、二度とないであろう大名に戻る好機である。これを、逃す訳にはいかなかった。
すると秀吉は、破顔一笑する。
「はははは、なんとも正直なことじゃ。わかった、そなたを、球磨一郡の大名に任じる」
頼房は、内心大きく安堵の息を吐いた。父と兄の時代に失った、大名としての座。島津に頭を下げ続けた日々から、やっと解放されるのである。
「そなたの父の代には、肥後の南半国を治めていたそうじゃが、わしも他の者たちに恩賞を与えねばならぬし、球磨一郡だけしかやれぬ。それでもよいか」
頼房の表情を満足げに見ながら、秀吉は声の調子を落とし、頼房をじっと見据える。
「殿下に弓を引いた罪をお許し頂いたばかりか、領国を安堵して頂きまして、まことにありがたきことにございまする。これ以上のことは、何も望みませぬ」
頼房は慌てて我に帰り、秀吉の問いに答える。
すると秀吉は再び満足げな表情を浮かべ、着ている金と赤の派手な羽織を脱ぎ、立ち上がった。
何事かと身を硬くしていると、上座から降り、それを頼房に着せたのである。
目上の者から服を賜る、これは大変な名誉であった。
「今日はよう参った。これはわしからの、そなたへのささやかな餞別じゃ。これより肥後は、わしの織田家に仕えていた頃の同輩、佐々陸奥守成政なるものに与えるつもりじゃ。そなたには、佐々の与力を頼みたい。よいな」
「ははっ」
頼房は、関白秀吉直々に服を賜った感激と、新たな時代の到来に、胸を高鳴らせた。島津の支配が終わり、関白秀吉の支配が始まる。そこに、なんとしても適応せねばならない。
すると秀吉は、上座へと戻ろうと立ち上がり、歩を進めかけたところで、後ろを向いたまま立ち止まった。
「そういえば、わしが若い頃、亡き右大臣信長公の命で敵将の嫡男を串刺しにして処刑したことがあってのう。ちょうど、そなたの弟くらいの年であった。それがなんとも気の毒で、そなたのように大名家に生まれたばかりに苦労しておる子どもを見ると、放っておけぬでなあ」
秀吉がポツリと言ったその言葉に、頼房は一瞬で全身に鳥肌が立った。
「これよりは頼むぞ、相良四郎次郎」
「ははっ」
秀吉が、後ろを向いたまま頼房に軽い口調で言う。
頼房は平伏しながら、冷や汗が止まらなかった。
――何があろうと、この男には逆らってはならない。
頼房は、そう心に堅く誓った。




