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代償 ※強めの流血表現あり

※強めの流血表現、生首、嘔吐といった描写があります。苦手な方は閲覧をお控えください。

菱刈源兵衛が頼房の元を去ったのち、相良の軍勢は真幸院へと入った。九州有数の穀倉地帯であるこの土地は、広々とした田畑が印象的である。相良のご先祖を始めとした近隣大名がこの土地を欲しがるのも納得だ。

豊かな田園風景のなかを進む一行に心地よい日差しが降り注ぎ、何か起こる気配すらない。

「真幸院にはまだ島津の本隊から報せは来ておらぬようじゃ。このまま何事もなく球磨に帰れそうじゃな」

「まことでございまするなあ」

頼房が側にいる犬童休矣にそう問いかけると、休矣はのんびりとした調子でそう答えた。

そういえば、休矣の嫡男、軍七の姿が見当たらない。

「休矣、軍七はどうした?」

「ああ、(せがれ)めは気分が優れぬようでその辺りの家で休んでおりまする。しかし、殿にご心配をおかけするとは、倅めにはきつう言うておかねばなりませぬなあ」

休矣はそう言って朗らかに笑う。

すると、そこへ伝令がやってきた。何でも、真幸院の中心、飯野城より陣中見舞いが届いたらしい。

「陣中見舞いか。断るとかえって怪しまれまする。ここは、受け取って油断させる方が最善かと」

休矣の言葉に、頼房はこくりと頷く。

別に、島津と戦がしたいわけではない。ともかくも球磨に帰れればそれでよいのだ。

「よし、陣中見舞い、ありがたく頂こう」

*****

陣中見舞いを持って来た男は四十半ば程、どこかおっとりとした風情の男である。

「我が主に成り代わり、陣中見舞いをお持ち致しました。相良様には、是非ともお納め頂きたく」

「ありがたいことでございます。有川殿には、よしなにお伝えくださいますよう」

両者は立ったまま、お互いに軽く頭を下げる。その男の方が、頼房よりも頭一つ分ほど背が高い。

「失礼ながら相良様、此度は陣払いなどと、国元で何か起こったのでございまするか」

男は穏やかな口調ながら、頼房の目をしっかり見つめている。

「それは……」

頼房が口ごもった瞬間、頼房と男の間に、ゴトリ、という鈍い音を響かせて、何か重いものが投げつけられた。

*****

それが武者の生首であるとわかるのに、時間はかからなかった。

頼房は思わず息を飲み、その場に凍りついた。

初めて見る生首。自らの血の気が引いているのがわかる。誰の。一体何のために。頭の中で様々な疑問が渦巻き、ただ呆然と立ち尽くすしかない。

陣中見舞いを持ってきた男は首を見た瞬間血の気がザッと引き、後ろに二、三歩下がった。

「おや、この首に見覚えがおありか?」 

静まり返った場に、低音の美声が氷のように響く。

「軍、七?」

そこにいたのは、体調を崩して民家で休んでいるはずの、犬童軍七であった。

「偵察がてらこの辺りを見回っておりましたら、この首の男以下数十名が茂みだの木の上だのに潜んでおるのを見つけまして。早速兵を繰り出し討ち果たしたところでござる。ところで、かような時に陣中見舞いとは、まことお人のよろしいことでございまするなあ」

冷たい声で皮肉を言い放った軍七を、男は鋭く睨み付けた。

「戦を目前にしての陣払いなど、裏切り以外に考えられぬ。裏切り者をおめおめと通すわけがなかろうが」

「裏切り? 何を(たわ)けたことを。相良の先々代さまを死地に追いやられ、散々苦労させられた借りを返すだけのこと。相良は鎌倉以来の御家柄、島津の命にはもう従わぬ」

軍七が高らかにそう言い放つと、男は軍七から視線を外し、頼房を憎しみに染まった凄まじい顔で睨み付けた。

「おのれ、小倅(こせがれ)えええぇぇぇ!!!」

男は、おっとりとした雰囲気などかなぐり捨て、刀をサッと抜き頼房に斬りかかってきた。

刀の動きが、ゆっくりと見える。

――ここで死ぬのか。

頼房は、漠然とそう思った。

*****

とっさに目を閉じた瞬間、頼房の顔に、生暖かい(ぬめ)りのある液体が降りかかった。

頼房がゆっくりと目を開けると、そこには胴を袈裟に斬られ、大量の血を流して息絶えている男の姿があった。

「我が殿を、貴様ごときに小倅呼ばわりされる覚えはないわ!!!」

血の(したた)り落ちる抜き身の刀を持った軍七が、男の亡骸に向かってそう言い放つ。

頼房は頬にそっと手を当てると、その手には赤い血がべっとりとついていた。

「はっ、はあ、はあ……」

頼房は、熱に浮かされたようにその場を見渡す。気分が悪い。吐き気がする。震えが止まらない。

男の従者たちも、兵の手によって、次々に血を吹き出し倒れていく。そして、手際よく胴と首が切り離されていく。

「関白殿下に、よき手土産ができましたなあ、殿」

軍七のその言葉も、どこか遠くで言っているように感じる。

「申し訳ありませぬ、お顔に血が……。殿? 殿! こちらへ、早く!」

軍七がぎょっとしたように頼房を見て、どこかへ連れていこうとする。頼房は何も考えることが出来ず、されるがままになっていた。

*****

どこをどう通ったものかは覚えていないが、頼房はどこかの茂みの中へと連れていかれた。

「殿、ここならば、お吐きになられても、この軍七以外に人はおりませぬ」

その言葉を聞いた瞬間、頼房は胃のなかを洗うように、嘔吐を繰り返した。

――苦しい、悔しい。情けない。

頼房は、吐きながら涙を流した。吐くのが苦しくて泣いているのか、そんな自分が情けなくて泣いているのか、もはやわからない。

吐けば吐くほど、自らが必死に取り繕ってきた殿様としての虚飾が剥がれていく。兄と父の姿を真似、必死に殿様として振る舞ってきた。皆を失望させぬよう、仕えるに値する当主だと思ってもらえるよう。

だがそれも、人の死を初めて目の当たりにして、脆くも崩れた。

阿蘇家との戦も、島津に協力しての大友家との戦も、頼房は本拠にいて直接人の死を見ることはなかった。首も、わざわざ険しい山々を越えてまで持ち帰ることはない。

大将ならば、武家の当主ならば、どのような状況でも平然としていなければならない。そうでなければ、兵が不安がる。

……なのに。

生首と血を見て怯え、こうして無様に吐いている。もはや自分は、相良家当主四郎次郎頼房ではなく、全ての虚飾を失った十四の子どもであった。

頼房は、吐くものが無くなるまで吐いた。唾液が糸を引いている。

「はあっ、はあ……」

苦しい。上手く呼吸が出来ない。

「落ち着かれましたか、殿」

犬童軍七は、頼房が落ち着くまで背中をさすってくれていた。そして腰の竹筒と黒っぽい弾薬を差し出す。

「吐き気を抑える薬でございます、お飲みくだされ」

頼房は水と薬を受けとると、それをぐいっと飲んだ。

少しぬるめの水が、胃に染み渡る。

だいぶ、楽になった。

「情けない姿を見せてしもうたな、軍七」

思ったよりも、弱々しい声が出る。

「いいえ。この犬童軍七、一生の不覚。誠に、申し訳ございませぬ」

軍七は、そう言って頭を下げる。

「何故謝る、わしの命を救ってくれたではないか」

頼房の言葉に、軍七は言葉を返そうとしたが、口ごもった。

「大将なれば何事にも動ぜず悠然と構えておかねばならぬところ、よりにもよって家臣に無様な姿を見せてしもうた。誠に、不甲斐ないことじゃ」

「いいえ。……殿は、あまりに大人びておられまする故、御年未だ十四であられることを失念しておりました。十四の殿に、首だの何だのを見せるなどという何とも酷なことを……。それに、この犬童軍七、他の方々と比べて情が薄いようで。故に御主君がお優しい方が、ちょうどようございまするよ」

軍七は、少し照れたように顔を背けてそう言った。

軍七の言葉に、ふと笑みがこぼれた。おそらく慰めの言葉を言うことなど慣れてはいないだろうが、必死でどうにか慰めてくれようとしている。

「そうか。……では、そろそろ戻らねばならぬかの」

頼房が、フラフラしながら立ち上がるのを、軍七が支える。

「ところで、殿。父上には内緒にして頂きたいのですが」

軍七が、耳元で囁くように言う。

「この軍七頼兄(よりえ)、実は初めて生首を見た時、あまりの恐ろしさに人目を忍んで吐きまして。……水俣城籠城の折、この軍七が十四の時でございます」

そこまで言うと、軍七はふいっと顔を背ける。

「殿以外には話したことはございませぬので、どうか内密に」

軍七の話を聞いた頼房は、ついいたずらっぽく笑ってしまった。

「心得た」

頼房は、吐き気もだいぶ治まり、どうにか気力も出てきた。いつかきっと、自分も生首や血に慣れる日がくるのだろうか。それがいいのか悪いのかは、今の頼房にはよくわからなかった。

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