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初陣

「初陣!? 島津は負け戦続きというではありませぬか、この期に及んで殿の初陣などと……」

後見を務める台芳尼も、頼房の初陣の話を聞いたときは驚きを隠せなかった。側に控える実母の了心尼に至っては気の毒になるくらい血の気が引いている。

「太守様の命にございますれば、致し方ないことでございましょう。そこで、でございまする、台芳尼様、母上」

頼房は、育ての母と実母をじっと見つめる。

「この初陣をもって、相良は島津を身限りまする。我らは、関白殿下にお味方致す。このことは、深水宗芳と犬童休矣も承知の上でござる」

台芳尼も了心尼も、目を大きく見開く。

「長寿殿は、薩摩に人質に行っている藤千代殿をお見捨てになるおつもりか?」

了心尼は、震える声で頼房に問う。三人の子の内、最愛の長男を失い、その上幼い末の子まで失うなど、この優しい人には酷なことである。

「藤千代……佐三郎を、見捨てるつもりはありませぬ。まずこの頼房が犬童休矣らと共に日向へ出陣し島津を油断させ、その間に深水宗芳が佐三郎を取り戻し関白殿下に謁見、報せが届き次第我らは日向より兵を引く手筈となっておりまする」

「首尾よくいけばよいが、もし失敗すればどうなされます」

台芳尼が、心配そうに問う。 

頼房は、諦念の入り交じった笑みを浮かべた。

「その時は、この頼房が相良家最後の当主となることでございましょう」

*****

出陣の日がやって来た。

齢十四の若当主頼房は、初めて甲冑を身に纏い、家臣たちの前に姿を現した。

頼房の体に合わせて作られた甲冑は、殿様の甲冑らしく細部まで作り込まれた逸品で、糸の色も真新しい。

だが、身体中にずしりとした重さを感じるし、何とも動きにくい。

家臣たちの視線が、頼房へと集まる。甲冑が重く感じるのは、甲冑自体の重さだけではあるまい。

「殿。よき若武者ぶりでございますぞ」

深水宗芳が、目を細めて、頼房を見ている。

「まことに。亡き父君がご覧になられたらさぞやお喜びになられたことでございましょう」

犬童休矣も、涙を流さんばかりに感激している。先だっての傷も、だいぶ癒えたようだ。休矣の嫡男軍七は、一瞬目を見開いて驚いた顔をしたが、すぐにいつもの無表情に戻った。

「殿。御武運を」

台芳尼を始めとした、女たちも頼房に頭を下げる。皆一様に青ざめているような気がするが、敢えて気にしないことにした。

「かたじけない。宗芳。留守を頼む」

頼房は、宗芳に視線を向ける。

関白に寝返る手筈になっていることは、限られた者しか知らない。

『留守を頼む』。

この一言に、すべてを込めた。

「御意。犬童殿、殿を、お頼み申す」

「心得た」

二人の家老が、意味ありげに視線を交わす。

「これより、太守様をお助けするため、日向に参る! 皆の者、よろしゅう頼む」

頼房が、声変わり前の高い声を張り上げると、家臣たちは(とき)の声を上げる。

今日は、珍しく霧もなく晴れている。太陽の光が、頼房には何とも眩しかった。

*****

相良の軍勢は険しい山道を通り、日向へと向かう。

行く先々で、領民たちが平伏している。思えば、本拠人吉から東の方角に向かうのは初めてである。

領地である球磨郡は、頼房の想像よりもずっと広い。行く先々で景色が違うのだ。山の中で木を伐る者もいれば、棚田で田を耕す者もいる。十四の頼房にとって、何もかもが新鮮だった。

「殿、背が曲がっております。民が見れば不安がりまする故、しゃんとなされませ」

犬童軍七が、近寄ってきてそっと耳打ちする。軍七の馬術の腕はなかなかのもので、馬を自在に乗りこなしている。

「うむ」

頼房は、軍七の言葉に素直に頷き、曲がっている背中をぐいっと伸ばす。

頼房にとって、甲冑を着て馬に乗ることは思っていた以上に辛かった。股も痛ければ背中も痛い。重労働もいいところである。

その上行く先には険しい山々が待っている。

頼房は、待ち受ける山道を見て、深々と溜め息をついた。

*****

ようやく日向に着いたのは、四月九日のことであった。秀吉の弟、秀長の軍勢はかつて島津が大友を散々に破った耳川を渡り、島津家家臣、山田有信が籠る高城を包囲している。

また高城の南にある根白坂(ねじろざか)にも砦を築き、島津の来襲に備えているようだ。

この戦には、島津義弘や家久はもちろんのこと、当主義久までも出陣してきていた。まさに、島津の総力を上げた戦である。

島津義弘の元に派遣していた内田伝右衛門、菱刈源兵衛、岡本河内守の三人も頼房の元へと戻ってきた。義弘の元で多くの手柄をあげたが、今後のことを考えるとそれも心苦しい。

頼房と犬童休矣は、深水宗芳からの使者を今か今かと待っていた。およそ二万の島津の軍勢はぞくぞくと集まっている。期を逃せば、頼房の命は、ない。

「殿、深水宗芳様からの使者が参りました!」

犬童軍七が、息を()ききってやってきた。普段冷静沈着な軍七も、この時ばかりは顔を紅潮させている。

「来たか」

頼房の心臓が、どくどくと音を立てているのがわかる。

この報せに、相良の命運が、かかっている。

*****

「申し上げます! 深水宗芳様におかれては、出水におられた殿の御弟君、佐三郎長誠(ながまさ)様をお助けし、関白殿下に謁見なされたとの(よし)!」

「でかした!!!」

使者からの報せに、頼房は思わず床几(しょうぎ)から立ち上がった。

これで、相良家存続の道が開けた。もう、島津の幕下ではない。

頼房は、犬童休矣と目配せし、頷きあった。

「これより人吉へ陣を引く! 我らは、関白殿下にお味方致す!!!」

頼房は居並ぶ家臣たちの前で、そう宣言する。

あっけに取られていた家臣たちは、我に帰り島津に悟られぬよう、控えめに鬨の声を上げる。

そして、犬童休矣の指揮の元、慌ただしく撤退の準備が進んでいった。

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