豊薩合戦 参
戸次川の戦いの後、肥後国阿蘇方面から豊後へと侵攻した島津義弘・歳久の軍勢も豊後府内の家久の軍勢と合流した。
ひとまず大友の本拠を落とし、救援に来た関白秀吉の軍勢も打ち破った今、島津家の九州統一は目前に迫っていた。
だが、大友家当主義統を始めその父宗麟も自らの城に籠り抵抗の意を示しているし、岡城の志賀親次のように大友家へ忠誠を誓い、頑強に抵抗する者もいる。この岡城は勇将島津義弘をしても落とすことができなかった城で、さすがの義弘も攻略を諦めるしかなかったのである。
そんな中、島津の使者がまた人吉へとやって来た。
「この度の戸次川での大勝利、誠におめでとうございまする」
頼房は重臣たちと共に深々と頭を下げた。
「いやいや、相良殿にもご加勢頂きありがたい限り、太守さまもたいそう喜んでおられまする。……そこで、でごさる、相良殿」
使者はずいっと身を乗り出す。こういう時は大概厄介なことを頼まれるのだと、頼房はこれまでの経験から学んでいた。
「これよりは島津が手に入れた城を、大友や関白から守らねばなりませぬ。そこで、豊後の玖珠城と菅迫城の守りを深水宗芳殿と犬童休矣殿にお願いしたい。無論、島津家よりも人数は出しまする故」
頼房は、さすがにぎょっとして目を見開いた。家老を二人も城代に差し出す。阿蘇家攻略の際にも宗芳や休矣を出陣させたが、あの時とは訳が違う。すぐに兵を引き上げたあの時と違って、城代などいつ戻れるかわからない。それに、関白秀吉がこの度の敗戦に怒り更なる軍勢を派遣しようものなら、その軍勢とも戦わねばならない。
齢十四の幼君を戴く相良家において、経験豊富な両家老の不在は死活問題であった。
「恐れながら、この頼房未だ十四の若輩者にて……」
「太守さまの命でござる。相良殿は、それに背くおつもりか?」
使者はギロリと頼房を睨みつける。
「いえ、そのようなことは、滅相も……」
「では、それでようございまするな、相良殿」
使者はわざとらしくにやりと笑う。もはや、これまでである。
「太守さまの、仰せのままに」
*****
使者が帰った後、頼房は屈辱のあまりその場から動けずにいた。
「おのれ、若輩者だからと馬鹿にしおって……」
まるで、一家臣に対するかのような上からの物言い。いや、むしろ敢えてそうしているのだろう。島津家の九州統一を目前に控えた今、島津に逆らうことなどできはしないと、見せつけるため。
「致し方ありますまい。この深水宗芳、殿のお役に立てるならば本望でござる。のう、犬童殿」
「深水殿のおっしゃるとおり。それに、この休矣、籠城は水俣で慣れておりまする。ご案じめさるな」
頼房がくるりと後ろを振り向くと、当の深水宗芳と犬童休矣の二人は朗らかに笑っていた。
頼房は、二人の意外な反応に呆気にとられた。
「それに、我らのような老いぼれがおらぬ方が若い者たちもやり易かろうて」
犬童休矣の言葉に、他の重臣たちはどう反応してよいかわからず視線を泳がせる。
険悪な空気が、和らいだのがわかる。
皆不安なのだ。家老二人がいなくてもやっていけるのかどうか。それを、二人も見越しているのだろう。
頼房は、一度大きく深呼吸をした。
「宗芳、休矣。必ず人吉に、わしの元へ戻って参れ。そなたらには、まだまだわしを助けてもらわねば困る」
頼房は、宗芳と休矣の手を取った。すると二人は、目を潤ませながら、微笑んだ。
「御意」
*****
二人の家老は、豊後へと出立した。深水宗芳は肥後との国境に程近い伐株山の玖珠城へ、犬童休矣は未だ抵抗している志賀親次の支城、菅迫城へ在番することとなった。
天正十五年、二月上旬。府内を落とした島津勢の士気は高く、このまま都に攻め上って関白秀吉の首を取ってやろう、などという威勢のよいことを言う者もいるらしい。
その秀吉からは戸次川の戦いの後、木の実や山菜のみを食して修行する木食上人の応其なる僧侶が和睦の使者として豊後へと派遣されてきたようだが、勢いに乗る島津家は和睦を拒否、関白と争う姿勢は変わりがなかった。
頼房は、嫌な予感がしてならなかった。弟を人質に取られ、家老二人を城代として派遣している今、相良家は島津に協力する以外にないが、関白秀吉がこのまま引き下がるとは思えなかったのである。
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嫌な予感というのは、往々にして当たるものである。木食上人、応其による和睦交渉を拒否された秀吉は、本腰を入れて島津家討伐の兵を送り込むこととなった。
まず秀吉の弟、秀長を総大将に、中国の毛利、宇喜多を主力とする兵が豊前小倉へと上陸を開始した。大友勢と合わせて、およそ十七万とも言われる大軍である。
秀長の参謀は秀吉の名軍師と名高い黒田官兵衛、毛利家よりは当主輝元、並びに輝元の叔父で知将の誉れ高い小早川隆景が参陣している。宇喜多家当主秀家は齢十六、秀吉に可愛がられ、養子に準ずる立場である猶子となっている男である。
秀長の軍勢の上陸は、島津家優位の状況を一変させた。島津に味方していたはずの豊後の国衆たちが即座に豊臣勢に寝返り、今度は島津を攻撃し始めたのである。そもそも、大友家に仕えていた豊後の国衆たちは島津の勢いに抗いきれず、しぶしぶ従っていただけである。ゆえに島津への忠誠心など持ち合わせておらず、好機到来とばかりに長年の敵であった島津家を豊後から追い出すために動き出したのだ。
「申し上げます! 島津家の軍勢、三月十五日の夜中に豊後府内より撤退! 当家より内田伝右衛門殿、菱刈源兵衛殿並びに岡本河内守殿、殿をつとめられ無事に日向へ撤退なされた由!」
秀長の軍勢が上陸してからというもの、聞こえてくるのは島津が劣勢に立たされている話ばかりである。島津義弘の元へ派遣した三人が手柄を立てるのは嬉しいが、島津が負ければ手柄などないに等しくなる。
「三人は無事か?」
「はっ、お三方ともご無事の由にございまする」
「そうか……」
頼房は、ほっと息を吐く。家臣を亡くすのは、胸が痛い。自らの大切なものを、削り取られるような心持ちがするのだ。
「申し上げます! 三月十八日、豊後勢が一気に菅迫城へと攻め寄せ、ご城代犬童休矣様阿蘇郡坂梨へ撤退なされたとの由!」
次々と、伝令によって戦の報が入ってくる。その大概のものが、良くない知らせであった。
「申し上げます! 三月二十二日豊後玖珠城よりお味方阿蘇湯浦へ撤退! ご城代深水弥五郎様お討ち死!」
「弥五郎が!? まことのことか?」
頼房の顔が一気に青ざめる。
残った家臣たちの必死の交渉により、玖珠城代として派遣した深水宗芳だけは人吉に帰してもらえることになった。その代わり、宗芳の甥、弥五郎を名代として玖珠に派遣していたのである。その弥五郎が、死んだ。
すぐ側に座っていた宗芳は、目を瞑ってじっと何かを考えこんでいる。
嫡男のみならず、甥まで亡くした宗芳に、なんと言葉をかければよいのかわからない。
「殿。お願いが、ございます」
頼房は、はっと我に帰り、宗芳を見つめる。
宗芳は、強い意思を秘めた目で、頼房の顔をしっかりと見つめていた。




