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阿蘇家攻略戦 参

年は明け、天正十四年一月二十三日。

阿蘇家を攻略した島津家は、九州統一に向け豊後の大友家攻略に乗り出した。肥前の大勢力、龍造寺家を配下に置いた島津家にとって、大友家は最大にして最後の敵であった。

現在の当主は大友義統(よしむね)、かの大友宗麟の嫡男である。

大友家は宗麟の時代に九州六ヶ国を支配下に置く最大版図を築いたが、天正六年、日向において行われた耳川の戦いで島津家に大敗、配下の武将たちも次々と離反し、その影響力は大きく損なわれた。

その大友家攻略にあたって、相良家も当然の如く協力を求められた。いや、命じられたと言った方が正しいだろう。

ただ、一つ気掛かりがある。

「関白が島津に惣無事(そうぶじ)(大名同士の私闘の禁止)を命じた例の書状か……」

頼房は、新たな問題に頭を抱えていた。

天正十三年に関白の位に就いた羽柴秀吉は、元は尾張の農民の子とも足軽の子とも言われており、その出自ははっきりしない。だが、少なくとも武家の生まれでないことは確かであるらしい。その秀吉は、主君織田信長に気に入られ、信長亡き後は後継者争いに勝利し、現在は人臣位を極め、関白の地位に就いている。

畿内を平定し中国の毛利家を配下とした秀吉は、昨年四国の長曾我部元親を攻めこれを攻略した。次は九州に狙いを定め、九州統一のため勢力を拡大している島津家へ戦を止めるように書状で諭したという訳だ。しかも関白秀吉ではなく「(みかど)」の命という形を取っているため、これに逆らえば島津家は帝に逆らう賊となってしまう。

――だが。

『我が島津も相良家も、鎌倉以来の家でござる。どこの馬の骨とも知れぬ関白の命など聞けるものか。おおかた関白は、畏れ多くも帝に対し、ありもせぬことを並べ立て島津を貶めたのでござろう。されど我らが武勇を持ってすれば、軟弱な上方(かみがた)勢なぞ恐るるに足らず!』

書状の噂が相良家にも伝わった際、球磨へとやって来た島津の使者は威勢よくそう言って関白の命令など意に介さぬ様子であった。間違いなく、島津の家中も同じ雰囲気なのであろう。

「もしも関白が島津を攻めればどうなる、我らも共倒れではないか」

頼房は、最悪の可能性を考えて頭を悩まし続けている。

島津家の兵の強さは、これまでの経験上嫌というほど知っている。だが、関白の数万とも十数万とも言われる軍勢が攻めてきたらどうなるのだろうか。

「島津には弟君が人質になっておられまするし、こればかりはどうにもなりませぬ。されど、ひとまずは島津に睨まれぬよう、早々に高森城を落とさねば……」

阿蘇家攻略を一旦終え人吉へと帰ってきていた、深水宗方がため息をつく。

「深水殿。ご子息からの便りはございませぬか」

「未だござらぬ。高森も必死なのでござろう」

共に帰国していた犬童休矣もまた、暗い顔を隠そうとはしない。

阿蘇家を攻略した島津家に対し、阿蘇家の一族、阿蘇南郷(なんごう)の高森惟居(これおり)が居城に籠って頑強に抵抗し続けていたからである。

阿蘇家当主、四歳の阿蘇惟光は未だ見つからぬまま、大友家からの援軍の見込みもほとんどない。にもかかわらず戦い続ける高森城の兵はもはや死兵と言ってよく、文字通り死に物狂いで攻撃をしかけてくるので、さすがの島津でも落とすことができないでいた。

相良家からは深水宗方の嫡男、摂津介(せっつのすけ)を島津家への援軍として派遣している。摂津介は宗方の唯一の子であるため内心気が気ではないだろうが、頼房の前では平静を装っていた。

「殿、殿! 高森より知らせが参りました、一大事でございます!!!」

近臣の樅木宗兵衛が、息を切らして頼房の元へとやってきた。

「これは……深水様、犬童様」

宗兵衛の顔は、宗方の顔を見て一気に青ざめた。

「樅木宗兵衛か。何事じゃ、申せ」

宗方は、何かを察したのか、淡々とした声で宗兵衛に発言を促す。

宗兵衛は片膝をつき、何かを言おうとしたが、言葉が詰まって出てこない。

「申せ」

宗方が再び促すと、宗兵衛は、震える声で話し出した。

「申し上げまする。本日、高森城落城、城主高森惟居を討ち取りましてございまする」

宗兵衛はそう言って頭を下げた。

「そうか、高森が落ちたか」

頼房はほっと胸を撫で下ろし、安堵の息をついた。

「……それだけではあるまい。何を隠しておる」

宗方が、いつになく厳しい声で問い質す。

「恐れながら、申し上げまする。高森城総攻めの折、深水様の御嫡子摂津介様、お討ち死になされたとのことでございまする」

宗兵衛は、絞り出すように答え、深々と頭を下げた。

「まことか、何かの間違いではないのか」

「恐れながら、間違いございませぬ」

犬童休矣が問い詰めるが、宗兵衛は確かなことであるという。

頼房は、突然の知らせに絶句した。摂津介は、宗方の後継ぎにふさわしい、知略に優れた若者であった。その、摂津介が。

宗方は目を閉じて天を仰ぐと、頼房に深々と頭を下げた。

「殿。御家の兵を預かりながら、この度の(せがれ)めの不始末、どうか、お許しくださいませ」

「何を言う!!!」

頼房は、自分でも驚くほどの大声を出していた。

深水宗方のみならず、犬童休矣や樅木宗兵衛も驚いたように頼房の顔を見つめる。

「摂津介は、相良の為にようやってくれた。それを不始末などと言うな。(しば)しそなたには暇をやる、摂津介を、相良に尽くした我が忠義の家臣を、(ねぎら)ってやってくれ」

宗方は、頼房の言葉に、涙を堪えきれず、嗚咽をもらした。

「殿のありがたきお言葉、この宗方、生涯忘れませぬ。申し訳なきことながら、ありがたくお暇を頂戴し、倅めを弔ろうてやりたく存じまする」

*****

島津の猛攻を受けた高森城主・高森惟居は、再起を図り豊後の大友家へ向かう途中、家臣の裏切りによって島津の追撃を受け自刃(じじん)、その娘もまた、島津家の兵に斬り殺されたらしい。

この高森惟居の死により、島津家の肥後平定は完了した。

島津の幕下として行動することとなった相良家も、深水摂津介を始めとした多くの犠牲を出すこととなった。

頼房は、普段冷静沈着な宗方の涙を見て、改めて自らの地位の重さを実感した。ただ一人の子を失った宗方に対して、主君としてかける言葉があれでよかったのかは、わからない。だが、あれが頼房の心からの本心であったのだ。

この先は、いよいよ島津は大友を攻めるだろう。だが、上方の関白秀吉はそれを見てどう思うか。

そして、相良はどう動けばよいのか。

――わからない。

頼房は、当主としての岐路に立たされているような心持ちがしていた。

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