留守の間
※一部怪談風の話があります。
「二代続けての御幼君。この家は一体どうなるのじゃ」
「さあ……。そもそも、新しい殿がどのような方かも知らぬ」
「幼き頃は兄君にずっと付いて回っておられたのを見たことはあるが……。やはり四年も島津に人質に行っておられた方じゃ、この後も島津の言いなりであろうなあ」
三人の家臣たちがそう話しているのを聞いたのは、一人で城下の景色を見に行った帰りであった。弟を島津家へ人質に出して以来、時間を見つけてはあの懐かしい城の一角から城下を眺めるのが頼房の日課となっていた。近習の者たちにも付いてこないように命じてあるから、一人の時間をゆっくりと楽しむことができる貴重な時間である。
とっさに物陰に身を隠したからか、三人は頼房の存在に気づいていない。
心臓が、嫌な音を立てる。面と向かっては誰も言わないが、あれが偽らざる本音であろう。耳を塞ぎたいが、塞いではいけない。当主として、受け止めねばならないことだ。
「せめて兄君の四郎太郎様が生きておられれば、さぞや立派な……」
「方々。何をくだらぬことを話しておられるのですか」
低音の、美声が響く。
「おぬしは……犬童の軍七か」
三人は、声の主をギロリと睨み付ける。
美声の主は、家老犬童休矣の嫡男、軍七頼兄である。今年十八になる彼は、かつて隣国無双の美童と言われた美貌はそのままに、さらに凛々しさを増していた。長身で体つきもよく、頭も切れると評判である。
「御幼君なればこそ、我ら家臣一丸となってお支えせねばならぬものを。まったく、この軍七よりも年を食っておられるというのに、何とふがいないことでございましょうや」
「おのれ若造め、家老の息子だからと偉そうに」
「思ったことを言うたまでのこと。家老の息子だの何だのは関係ありませぬ。何なら、三人まとめてお相手致してもようございまするが」
軍七の飄々とした不遜な物言いに激怒した三人は刀に手をかけたが、城内で騒ぎを起こすことの重大さを考え、その手を下ろした。
「おのれ、いつか覚えておれ」
三人は、軍七を睨み付けながら、その場を跡にした。
「まったく、能のない者に限って血の気が多いものだ」
軍七は、疲れたようにため息をつきながら、隠れている頼房には全く気づく様子もなく、頼房がさっきまでいた城の一角へと歩いて行った。
頼房は、音を立てる胸を押さえ、深呼吸を繰り返した。激しく動いた後のように、心臓が音を立てている。けれど、先程のような嫌な音ではない。むしろ、どこか嬉しいような、暖かいような。そんな、何とも言えない幸福感に包まれていた。
*****
それから後、軍七を呼び出して話をすることが増えていった。最初は何故呼ばれるのか半信半疑の様子であったが、次第にいろいろな話をしてくれるようになった。あのときのことは特に話したりはしないが、何となく感づいている様子である。
冷たい美貌の持ち主で近寄りがたい印象の青年ではあるが、話せば話すほどその知識の深さを思い知る。きっとこの青年が、相良家の柱となっていくのだろう。
「恐れながら、まこと、殿は亡き父君に……玉井院様によう似ておられまする。恐らく、ご兄弟の誰よりも」
ある時、軍七が頼房の顔を見ながらぽつりと呟いた。
軍七は、きっと自分に亡き父の姿を重ねているのであろう。軍七の先々代義陽への敬愛は、たいそう強いものであると、頼房は知っている。それがあるかぎり、この青年は頼房を見捨てることはないだろう。
「みなそう言うてくれる。まだまだ、父上や兄上には遠く及ばぬがな」
頼房は、そう言って苦笑する。
「ところで、軍七。そろそろ聞かせてはくれぬか。わしが人質に行っていた、四年の間に起きたことを」
ずっと、気になっていたことである。だが、誰に聞いても教えてはくれない。みな、一様に口をつぐむのだ。
そして軍七も、他の者と同じく、凍りついたような表情をしている。
「それは、この軍七の口からは……」
沈黙が、落ちる。
「されど、しかるべき方に、ご相談して参りましょう。殿も、お知りになられた方がよいことでございまするゆえ」
*****
「長寿殿。よろしゅうございまするか」
頼房のことを、幼名長寿丸にちなんだ名で呼ぶ者は、片手で数えるほどしかいない。そのうちの一人、三番目の姉千代菊が、頼房の部屋を訪ねてきた。人吉にいる兄弟も、この四つ上の姉と頼房だけになってしまった。実母、台芳尼の出家前の名と同じ名を持つ彼女は、生来体が弱く、寝込んでいることの方が多い。しかし、今日は顔色がよさそうである。
「姉上。お加減は」
「今日は調子がようございまするゆえ、たまには長寿殿とお話でもと。……犬童軍七から、話は聞きました」
どくん、と心臓が音を立てる。頼房は思わず唾を飲み込んだ。
「家臣から話すことも憚られますし、子を産んだことのある御方が話すのも酷であるとのことで、この私が」
姉が話始めたのは、頼房が人質に行っていた間に起きた、湯山兄弟の謀反のことであった。
「湯山兄弟の謀反は、偽りであったのです」
「……偽り?」
当時、当主であった兄の忠房は亡き父義陽の弟、頼貞の謀反に加担したとの疑いをかけられた湯山兄弟を討伐をするように命じたのだという。当主として謀反を許しておく訳にはいかず、深水宗方と犬童休矣、二人の家老も同意見だった。
「謀反が讒言による偽りだと知った亀千代殿は、討伐を止めさせるよう使者を出しました。されど、使者は讒言をした者たちの謀にかかり、大酒を飲まされて寝入ってしまったのです」
それにより、討伐中止の命は届かず、兄の湯山宗昌は逃亡、弟の盛誉法印は読経をしながら斬られた。
「さようなことが……」
頼房は、自分が人吉にいない間に起こった大事件に、ただただ絶句するしかなかった。
「……話は、これで終わりではないのです」
「終わりではない?」
「はい。兄弟の母君が、息子が無実の罪で斬られたことを深く恨み、可愛がっていた『玉垂』という猫に自らの指を噛み切って流れた血を舐めさせ、息子を殺した者たちに末代まで祟りをなすよう言い含め、猫と共に淵へ身を投げ自害したのです」
それからである。盛誉法印の殺害に関わった者が、次々と奇怪な死を迎えたのは。
まず、大酒を飲み忠房の命令を伝え損なった使者は時を置かずに死に、盛誉法印を斬った男は狂死した。
そして。
「偶然かもしれませぬ。されど、亀千代殿……亡き忠房公の死も、この玉垂の呪いではないかと、言うものもおります。幾度となく黒猫の夢にうなされ、食も細くなり……。そして疱瘡にかかられた時の苦しみようは、まことに気の毒で気の毒で……」
千代菊は、袖で涙を拭う。
「兄上が、さように苦しまれていたとは……」
頼房の目にも、涙が伝う。頼房が知る兄は、いつも堂々と振舞い、自らの苦しさなど一切表さない人であった。その兄が。
どれほど辛かったことだろう。どれほど、苦しんだことだろう。
子を思う母の執念。なんとも恐ろしいことである。
確かに、実母の了心尼や台芳尼に語らせるのは酷な話であった。子を失った悲しみも、盛誉の母の無念も、きっと誰よりもわかっているだろうから。
そういえば、湯山兄弟の謀反の報が、人質として滞在していた出水の頼房の元へ入った時。確かあの時、頼房の元へ黒猫が来ていなかったか。
「姉上。玉垂とは、どのような猫であったのか、聞き及んでおられまするか」
「確か、すらりとした体躯の、たいそう美しい黒猫であったとか」
それを聞いた瞬間、頼房の身にぞっという悪寒が走った。全身に鳥肌が立っている。
偶然だと自分に言いきかせても、震えが止まらない。
一刻も早く供養をしなければならないとは思うが、当主が代わって混乱している折、そんな余力はない。
「私の夢に出てくることは今のところありませぬが、長寿殿もよく気をつけて……。長寿殿?」
姉は、頼房が顔面蒼白になっているのことに気がついた。
「何でもありませぬ、何でも……」
頼房は、それを言うだけで精一杯だった。




