一の姉、虎満
時が過ぎるのは早いもので、季節は春へと移り変わっていった。
国元からは、度々便りが届いた。主に家族からの見舞いの手紙である。一番上の姉、虎満は気候もよくなり少しずつ回復しているらしい。二番目の姉、千満は大隅の禰寝家に嫁ぐことになったとのことだ。
他の家族は変わりはないとのことである。
先日のような急を要する書状はほとんどない。島津家に疑われでもしたら大ごとだからである。この前の湯山兄弟の謀反の件は島津家も承知の上のことであったらしい。謀反の後に来た書状には、謀反は無事鎮まったため安心してよいとの内容が簡潔に書かれているだけであった。
どう考えても頼房に知らせていないことがたくさんあるようだが、それを知る術はないし、周りの者たちもいろいろと知っているようだが敢えて頼房に伝えることはなかった。
時が進んでいく中で、国元も大きく変わっていく。それを離れている故に自分だけ知ることができないのは寂しい限りだが、それが定めというものであろうか。
頼房の方も書状を出したいところであったが、島津の目もあるため当たり障りのないことを書いた。かな文字だけでなく漢字も大分書くことが出来るようになったので、勉学の成果を見せようと敢えて漢字を使ってみたりもしている。
島津の監視つきではあったが、たまには外に出て出水の城下を見ることもできた。
隣国とはいえ、山に隔てられた球磨と海に面した出水では随分とその様子も違っていた。出水へ来る道中でも驚いたが、球磨以外の寺社仏閣の屋根は茅葺ではないということを初めて知ったし、食事も当然ながら海の魚が多い。また人吉に比べて、霧の出る日は圧倒的に少ない。
そして球磨では鶴など見たことがなかったが、様々な鶴の大群を目にしたときは圧巻であった。その時は島津義虎が一緒だったが、そのいかめしい顔を綻ばせながら楽しそうに説明していた。
頼房はこのところ、島津家が父の戦死の原因を作ったという恨みと、人質としてではあるが丁重に扱われている嬉しさが相半ばして自分の気持ちがわからないでいる。
それなりの教育も受け武芸も学べているし、時には乗馬の稽古もしたりする。何故か島津家歴代の事績について学ばされることもあったりするが、思い描いていた人質生活と比べてたいそう充実している。
だがそれでも、故郷が恋しいのには変わりがない。
御供の者たちはこの暮らしに馴染んでいる者と、島津家への反抗心を内心に燃やしている者の二通りがあり、頼房は双方から話を聞かされていささか疲れている。このまま島津に馴染むことが御家の安泰につながると説かれたかと思えば、いつか島津に目にもの見せてやるという気概が大事だと説かれるのである。
「兄上、長寿にはどうしたらよいのかわかりませぬ……」
縁側で空を見上げながら、頼房はそう独り言を呟く。兄の苦労には遠く及ばないものの、人質の苦労もそれなりにあるというものである。
*****
季節は、夏になった。人吉も暑いが、出水も変わらぬくらいに暑い。蝉が、煩いくらいに鳴いている。
頼房は、筆を執ってみたもののあまりの暑さに勉学などやる気も起きず、障子を開け放って扇で自らの顔を仰いでいた。
「若様、若様! 一大事でございまする!!!」
頼房の身の回りの世話の一切を取り仕切る、中納言という局の声である。
頼房は慌てて居住まいを正すと、中納言は真っ青に青ざめた顔で頼房の部屋へと入ってきた。
「中納言、何事じゃ」
そのただならぬ様子に、頼房は不吉な予感を覚えた。
中納言は頼房の前に平伏すると、震える手で一通の書状を差し出した。
「国元より、火急の報せが参りました。……若様の御姉君、一の姫虎満様が、御亡くなりになられたとのことにございます」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「嘘を申せ、春には少しずつ良くなられておると聞いたばかりじゃぞ。姉上が亡くなられるなど、さようなことは有り得ぬ」
つい、声が大きくなる。嘘であってほしい。中納言の、勘違いであってほしい。
頼房は差し出された書状を、震える手で開いた。
*****
そこには、兄、忠房の筆跡で姉の訃報が記されていた。
天正十年八月二十七日、病死。享年十八。戒名は、享山英元。既に、葬送は済んでいる。
辞世の句は、「見馴棹 さしても浮ぶ 法の船 月のまにまに 至る彼の岸」
頼房は、書状の上にぽたぽたと涙を零した。涙で、文字が滲んでいる。
「姉上が、まことに、姉上が……」
いつも明るく優しい、一番上の姉。父と台芳尼の最初の子で、誰よりも可愛がられた、相良家の一の姫。
春に回復していると聞いて喜んだ。もし人吉に帰ることが出来たら、いつもの明るい笑顔で出迎えてくれると信じていた。
頼房は、いつも肌身離さず持ち歩いている、お守りを取り出した。人吉を発つとき、虎満が渡してくれたものである。がたがたに縫われた梅の花が、病床でどれほど必死に縫われたのかを物語っていた。
「まさかこれが、形見になろうとは……」
中納言が、そっと頼房を抱き寄せた。
「若様。ご無礼、お許しくださいませ」
温かい。久々に感じる、母を思わせる温もり。
「今日だけじゃ、今日だけ、一人の弟として泣かせてくれ」
「若様……」
中納言の胸の中で、頼房は泣いた。泣けば泣くほど、涙が溢れてくる。
「姉上、姉上……」
そんな頼房の頭を、中納言はそっと撫でてやった。
「よいのです、思う存分、お泣きくだされ」
それは頼房が、人質に来てから初めて見せた九つの子どもとしての顔であった。




