プロローグ
何かとても、悲しかった。どこかとても、辛かった。
硬い石の感触と、冷たく熱が下がっていく感覚。体の先端である指先から徐々に、熱を失っていく。
視界はぼやけ、思考は働かない。身体なんてもう、動く筈も無く。
ただただ、近付いてくる終わりの時を待つだけしか出来ないでいた。
「――、――――」
何かが、何かを、何かに、何か言った。
耳鳴りの中に、短く混ざった雑音。それが声なのか、音なのか、それすら解らない。
自分も何か言おうとするが、口が動かない。僅かに開いていた口からは、ひゅう、ひゅう、と渇いた音が鳴った。
「――――――」
また、聞こえた。
何かの音声。何かの物音。何かの、なにか。
聴覚は酷い耳鳴りしか拾わず、霞む視界は地面に広がる赤い液体を眺めるだけ。
このままでは、死ぬ。誰かに言われないでも、そんな事は自分でも解る。
けど、死ぬのはダメだと。ただ死を迎えるのだけはしちゃいけないと。
「――――……!」
声にならない声が、喉から出た。
まるで幼い子供が出来ない口笛の練習をしているような、心弱い掠れた空気の音。
震える膝。力が入らない腕。項垂れる頭。
まさに、文字通り。死力を尽くして、その頼りない四肢で立ち上がる。
大人しく死ぬのだけは、許されない。このまま冷たくなっていくのだけは、してはいけない。
――――死を待つな。殺されに行け。
腹から零れる赤い液体。感覚の無い片腕。引き摺られる片足。
訪れる結果が同じでも、迎える過程は変えられる。
五体不満足で走り向かう先は、もうろくに機能していない視覚に頼り。
かろうじて朧げに見える影を追って、数秒後。
「ご、ぶ……ぅ」
久々に聞いた気がした自分の声は、酷く汚らしく。
とろみがある鉄臭いものが、口から止めどなく溢れ。
あんなに血が出ていた腹には、風通しが良い穴が空けられていた。
「――――、――」
聞こえてきたのは、どこか聞き慣れた声。
意識が遠のいていくと同時に、頭の中が白くなって。
段々と、段々と。真ん中からじわじわと侵食されていく。
拡大していく白の感覚に、言い様のない不安と恐怖に心が煽られる。
それが何なのかなんて、もう、考える余力なんか無くて。残ってる感情は、悲しみと憤りの二つだけ。
でも、悲愴の中には、辛苦だけじゃなくて。微かに、でも確かに、希望があった。
ほんの少し、曇天が覆う闇夜の中で、僅かな隙間から。一つだけ光る星を見付けたような、小さな希望。
しかし、視界は徐々に暗くなって、もう全部が真っ暗になってしまって。
――――ぷつんと。意識が、消された。