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神楽型

「……ところで教会長、今年の神楽どうしましょう。刀、研ぎに出してますけど」


 父は此方をちらりと見ると、筆を持った親指で顎を掻きながら、すぐに文机(ふみづくえ)に重ねて置かれた御朱印帳(ごしゅいんちょう)へと視線を落とした。

 表情は変わらない。何か考えがあるのか、判を押す手にも、筆を走らせる手にも動揺は無い。

 集中しているのか返事すら無かった。

 一通り請け負った分を書き終えると、右の首筋を揉みながら父は言った。


「そうかそうか。副長お前さん、なんも考えずに研ぎに出してたんか」



  ※※※



「おい、飯時にそんな不機嫌なツラで座ってんなよ、飯が不味くなるだろォ?」

「だれのせいだよだれの」


 考えて見れば当たり前の話ではある。この神社に刀は一口(ひとふり)しかない。それを暮れに差し掛かった頃に研ぎに出すとなれば、当然のごとく神事には差し支えが出る。

 心外だと言わんばかりに、キャベツの千切りを頬張って、ハムスターの様になりながら父は言った。


「お前だと思うぞ。だれのせいって、どっかの誰かさんが考えなしに出したからじゃねえか」

「考えなしって」

「どれくらい時間かかるか聞いたんだろ? その上で出したならお前の責任だろがよ」

「研ぎに出せって言ったのは親父だろ……」

「俺は来年神楽やれっつって、それに間に合う様に研げって言ったんだよ。人のせいにすんな」

「ぐむ……」


 違うか? と茶碗越しに父が眉毛だけで言う。

 トンカツを齧って僕は黙った。父の言う事ももっともである。

 いや、そんなのは言い訳だった。もっともなんてレベルじゃなく返す言葉が無い。

 登録を取ってすぐに持ち込んだ。その場で最低でも三週間はかかると言われたのが十一月の頭、そこからやって貰えば十二月の中旬には終わるだろう。

 そう考えていたのは事実だった。


「ところが先方の仕事の都合はサッパリ忘れていたと」


 ……その通りである。

 いや、後から考えれば、当然の事であるのだが。

 仕事は家からの物だけではない。現代において腕が良いと評判だと言う事は、日本中から仕事が集まってくると言う事でもある。場合によっては海外からと言う事もあるだろう。日本刀が好きなのは、なにも日本人だけではない。


「じゃあお前が不機嫌になるのは間違いじゃねえの?」

「……おっしゃるとおりでございます」

「だろォ? あ、カアさんおかわり」

「刀研ぐのって時間かかるのねぇ」


 母の言葉に大いにへこまされる。これも言われていた事だった。どれだけ頑張っても年間三十(ふり)は難しいと研師は言った、金庫にはそれだけ順番待ちをしている刀があり、どれだけ早くとも、出来あがりは来年の初夏か梅雨ごろになるだろう、との話であった。

 来年はお前が神楽やれ。そんな言葉に浮かれていた結果がこれだ。

 渋い顔で目を瞑る僕に、助け船を出す様に父が言った。


「仕方ねえから一度引き上げて来れば良いんじゃないか?」

「出来るのか――とりあえず聞いてみるよ」


 それじゃあ早速電話してみるか。

 そう考えた僕は、茶碗に残ったご飯を味噌汁でかき込んだ。



  ※※※



「――え、あ、そうなんですか? はい、はい、わ、かりました。よろしくお願いします」


 ざっと血の気が引くのを感じながら受話器を置いた。応対してくれたお弟子さんの言うところによれば『今やっています』との事だった。すぐに研師の先生に代わってくれたのだが、古い刀なのでじっくり進めたいとのこと。今更今年も使うので引き取りに行きたいとは言えない空気が流れていた。


「おう、どうだった副長」

「もう始めてるって」


 にかっと笑うと袖に腕を突っ込んで組みながら、どこかおどけた口調で父は言った。


「ほう! 随分と早く取りかかってくれたな」

「マズイ、マズイヨ」

「なーに泡食ってんだよだらしねえ」


 頭を抱える僕とは対照的に「男だったらどーんと構えておけよ」と言うと、父は(おもむろ)文机(ふみづくえ)からスマートフォンを取り出した。冠袍袴(かんむりほうはかま)近代機器(スマホ)の中年男性と言うのがなんともミスマッチな絵面である。


「ああもしもし? 俺俺。あのさ、先日話してた件だけど、やっぱそうなったからちょいと貸してくれよ。うんそうそう、家の(せがれ)がね。そーうそう、そうなんだよ。おお、年明けからそっち行かせっからさ、ちょいと揉んでやってくれよ」



  ※※※



 尻の座りが悪いのを感じさせながらも、時間は無情に過ぎていく。

「今年はまだ俺がやるから」と言っていた父の様子は例年通りだ。

 何を聞いても「まあ心配するな」と返ってくるのは、頼もしさも感じるが不安も同じくらい感じさせた。

 十二月、師走と言うのは元々師馳(しは)すと言ったらしい。何でも師僧が経を上げに東西を奔走する月との意味だとか。僧侶が走り回るくらいであるから、当然の様に神社にも仕事が舞い込んでくる。地鎮祭は当然として生誕祭から神葬祭(しんそうさい)(神道における葬儀)まで取り扱う我が社はてんてこまいの有様だった。

 揺り籠から墓場までクレイドル・トゥ・ザ・グレイヴ。それが当社のモットーです。

 目まぐるしく今日はあちらの現場、今日は此方の神葬祭、今日はそちらの生誕祭とこなしていくうちに、いつしか大晦日になってしまった。

 数年前から増えて来た、二年参りの参拝客を捌く支度を整えて一息つく。参拝客にお配りする予定の甘酒を、こっそり母に一杯貰って白い息を吐いた。

 神楽の支度は整っていた。

 大蛇綱は植栽に隠され、父も狩衣(かりぎぬ)に身を包んでいる。


「毎度不思議なんだけど、なんで筒袖(つつそで)(古墳時代の衣装)じゃなくて狩衣なんだろう」

「御先祖様が始めた格好だからじゃないの? その頃には考古学なんてないだろうし、わかんなかったんじゃない?」

「……そんなざっくりした理由でいいのかねえ」


 とは言ったものの、母が言った伝統への考証で恐らくあっているのだろう。我が家の祖は南北朝時代の武家から始まったと聞く。宮司(みやのつかさ)になったのは六代目、室町時代のことらしい。なるほど、その当時からすれば、ひいじいさんのじいさん、みたいな時代は立派な過去の事であろう。

 そんな事を考えつつ、ぐるりと辺りを見回すに、僕以外に気にしている人間は居ない模様。それならそれでいのかと、内心釈然としない物を感じながら甘酒を啜る。


「だってきちんと時代考証するなら直刀じゃないとだめじゃない」

「う、それもそうか」


 スサノオの時代と言えば、角髪(みずら)に筒袖で、しかも当時は太刀(たち)じゃなくて横刀(たち)の時代だ。刀身に反りはなく、あっても(つか)で反っている形式だ。そうなるとそもそも小道具が足りなくなってくる。

 力づくで納得まで持って行かれ「そんなものなのかねえ」とひとりごちながら父を見ると、更に意外な事に父は()()()()()()()()()。目を疑ったが、どうも見間違えではない。

 自然と眉根が寄った。

 狩衣に打刀(うちがたな)って……この神事は選択無形民俗文化財に指定されていたハズ。

 確かに自分の不手際が原因とは言え、そこまで適当で良いものなのだろうか?



  ※※※



 父の手にある刀、いつものそれとは違う。中身も外装も新しいそれ。

 神社の太刀と比べれば健全な姿をしていた。

(なんだろう、なんだかいつもとは全然違う)

 一口(ひとくち)でいえば上手いのだ。例年の動きよりもずっと、動き慣れた動きをしている。他人の刀を借りているからか、それとも別の理由があるからか。父の動きは例年よりも腰がしっかりと(すわ)っている印象を受けた。

 一振り一振りに気合が載っている。そのくせに勢いがあると言うよりは、使い慣れない道具に困惑している、力尽くで断ち切っているとの感想を僕に抱かせた。

 そしてその推測は間違っていなかったらしい。

 神楽自体は滞りなく終わった。

 しかし、裏手に引っ込んだ父は、例年になく息を乱していたのだ。


「その刀は?」

「おう、兄弟弟子から今回だけ借りた」


 誰それ。

 兄弟弟子ってなんだ。そもそも借りれるものなのか。やけにゴッツイけどその刀はなんなんだ。聞きたい事は色々とあるが、まずは何処から突っ込むべきだろう。

 視線に乗った疑問に気が付いた父は、母から渡されたペットボトルの水を呷ると、ぼりぼりと首を鳴らしてから答えた。


「道場の仲間だよ、年明けからお前の師匠になる」

「は?」


 道場ってなんだ。師匠になるってどういう事。

 疑問は減らなかった。むしろ増えた。話についていけずに疑問符を浮かべた僕を無視して、遠い目をしながら父は続けた。


「……先代が、刀すっぽ抜けさせた時によ。俺ァ思ったんだ。……そもそも刀使えない人間が刀振りまわしたらいけねぇ、これは大きな間違いだ、とな。だからお前もこれから道場通え」

「僕も?」

「そうだ。細かい事は後で伝えるから。俺は引っ込む、今夜は後任せた」


 それだけ言って父は母屋へと戻って行った。

 どうやら、話は僕の関わらない所で既に纏まっているらしかった。



  ※※※



 ジャージの入ったカバンを背に、向かった先は母校である小学校の体育館だった。

 一口に道場と言っても、平成の時代に自分の道場を持っている師範などそうは居ない。

 この団体も、夜間に近所の体育館を借りて練習している市民サークルと呼ぶのが相応しい風情だった。何しろ稽古着の人間が一人も居ない。刀こそ持っているが、どれも摸造刀らしきジュラルミンか亜鉛合金の輝きであった。

 どうやら抜刀道と言うらしい。テレビで見かける()(わら)を切っている人達がそれだった。

 しかしどうしたものか。挨拶をしたは良いが僕は道具を持っていない。今日の所は礼だとか、足運びだとかの練習なのだろうか。

 そんな事を考えていると、着替えた僕にの目の前に、弓なりに反った鉄筋がぬっと突き出された。ついつい受け止める様に握ってしまう。視線を上げるとニカッと師範が笑いながら此方を見ていた。


「あの、これは」


 恐らくは太刀を模したものだろう。反り具合なんかが一致していた、とは言え、まさかこれでやるのだろうか。そもそも何をすれば良いものか。

(ええと、振り方とか構え方とかまずはそっからなんじゃあないだろうか)

 そんな事を考えながら、所在なく視線をさまよわせていると手の甲を腰に当てて師範は言った。


「教会長から聞いてるよ、神楽やるんでしょ。それはお宅の太刀と同じくらいの重さだから、とりあえずそれで神楽の型やってみてよ」


 それから指導方法考えるから、と師範は言った。

 どうやら考え違いをしていたのは僕の方らしい。剣術を学ぶために此処にやられた訳ではなく、太刀をきちんと振れる様になるために此処に送られた様だ。

 なるほど、今まで型稽古(かたげいこ)で用いていた木刀とは訳が違うだろう。柄の長さはおよそ拳二つ半。鍔元(つばもと)と思しき辺りを右手で持ってみる。ずしりと手にかかる重量感、これだけで肩が悲鳴を上げた気がする。刃物ですらない鉄の棒を持っているだけなのに、いつもとは緊張感が段違いだった。


「じゃあやってみて」

「はい」


 神楽には神楽の型がある、当然のことながら、それに合わせて刀を振らなければならない。まずはそこに至るまでの一連の動きをなぞって行く。


 ――肥の川が奥、鳥髪に須佐之男降り。流れに箸流るるを見、川上に人あらんと知る。

 しばし川上りゆくに老夫與老女が童女を囲み泣くを見る――


 舞い始めこそ気恥かしさがあったものの、動いている間にそれどころではなくなっていく。太刀を模した鉄筋が重い。重心がぶれて動きにくいし、なにより帯で吊っている訳でもないから持ったままの左腕が辛い。

 やがて場面は八鹽折酒(やしほおりのさけ)大蛇(おろち)を酔い潰したところへ。

 いざ、太刀の出番である。

 しびれを訴え始めた左腕がやっと解放されると喜びつつ、鯉口を切る仕草から、抜いて真上に切り上げる……切り上げ……切り上げられない!


「う――ぬ――!」


 真上に上がらない!

 筋力が足りてない!

 振り上げようとしも腕だけが上がり、鉄筋がそれについて行かない。勢いよくと思っても、今度は勢いに体を持っていかれてしまう。

(なんだこれ、こんなにきついものなのか)

 掌が既に痛い。ぐりっと皮が変な風によじれたのを感じた。あの、マメが出来る時特有の妙なしびれが皮膚の下にある。

 嘘だろ、最初の見栄もはってないのにもう肩も腕もダルい。


「つ、次、一太刀目……ァアイッ!?」


 がごん、がらんがらんがらんがらがら、と大きな音を立てて、僕は鉄筋を取り落とした。

 振り下ろした鉄筋を保持しきれず、勢いに持っていかれて手の内で半回転したのだ。刃方(はかた)が床を向いているつもりで振っているから、反転すれば当然の様に鉄筋は床を派手に打った。

 懐かしい小学校の体育館に、今更ながら新しい傷が追加されてしまった。


「大丈夫かい? 気を付けて」

「……はい」


 周りで練習している人達の生暖かい視線が心に刺さった。

 小刻みに震える掌に目を落とせば、思った通りそこはマメだらけになっていた。

(痛い。泣きそうに痛い。なんだこれ。こんなに大変な思いをするものなのか)

 僕の中で何かが崩れていく音が響いていた。

 いや、実際の所自信があったのだ。

 この歳になって中二病もないものだが、きっと刀はすんなり抜けるし、当然の様に振るえる物だと心の何処かで信じていた。

 ところが実際は鯉口一つまともに切れず、同じくらいの重さと言われた鉄筋すら、しかもただの一度としてまともに触れないありさまだった。

 悔しさと恥ずかしさに、鼻の奥がツンと痛くなった。

(なんだこれは、これはなんなんだ。僕はなんなんだ)

 型自体はずっと練習してきた。それが、無駄だったとは思いたくない。

 だけれども、刀を振るとなると全身が貧弱すぎて話にならなかった。


「ふむ……よし、こうしよう」


 じっと僕を見ていた師範は、一つ頷くと背後に置かれた跳箱の上から何かを持ち上げた。

 きっと上げた僕の目には、恐らく涙が滲んでいた事だろう。

 とは言えそんな物も、師範の手にある物を見た瞬間に引っ込んでしまったのであるが。

 目を点にして僕は師範に問い掛けた。


「あの、それなんですか」

「単管です」


(いや、聞きたいところはそこじゃないです)

 師範の手に握られていたのは、一昔前まで工事現場の足場に用いられていた、太い鋼管だった。直径にして――500mlのペットボトルくらいはあるだろうか。明かに指が回りきらないであろうそれを、師範は掌に音を立てて打ち付けていた。


「まずは毎日、朝に二千、夕に三千の五千回。これを振りましょうか」

「死んでしまいます」


 震える声が僕の口をついて出た。



  ※※※



 外国人みたいな陽気な笑い声と共に手渡されたのは、長さ120cm程の鋼管だった。先程取り落としてしまった鉄筋よりもずっと重い気がするのだが。


「これ、随分と重たいですね」

「さっきの倍はあると思いますよ」


 つまり重量は2㎏弱あるとのこと。

 家の太刀よりもぶっちゃけ重い。

 なぜそんな物を渡されたのかと師範を見れば、顔に書いてあっただろうその疑問にも、師範は笑って答えた。


「これを自在に振れれば刀も大丈夫ですよ」

「いや、まあ、そうなんでしょうけど……」


 そうは言われたが太い。

 今では工事現場の足場を組むのにも使われなくなった様な鉄パイプだ。

 と、言うか、恐らくは使われていたのだろう。ところどころにペンキだとかセメントだとかがこびり付いている。そしてそれは先程の鉄筋と同じように反りがつけてあるのだった。つまり非常にバランスが悪い代物である。

 そんなものを五千回振れと言うのか、素人に。


「大丈夫、一分に六十回、十分に六百回。すぐ出来るようになりますよ」


 そう言うと、師範はその鉄パイプで風を叩く音を立てて見せた。

 なるほど、父が妙に筋肉質だった訳である。

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