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のっぺらぼう

 鼻から細く息を流すと、砥汁に濡れた切っ先を指で(はら)った。

 ――こうしたい。

 そう思い描く切っ先には程遠いが、これ以上当てても仕方がない。

 出来る限りの事はしたつもりだった。だが納得はいかない、砥石に切っ先を当てる(たび)、至らなさにいたたまれなくなる。

 おそらく死ぬまで納得する事は無いのだろう、入門の時に師から言われた言葉が心の奥底にある。

 曰く『この仕事は決して幸せにならない仕事だ』

『なれない』ではなく『ならない』なのがみそなのだろう。追い求め続けるから技術は伸ばしていける、何処かで満足してしまえば自分の研ぎはそこまでのものになる。これが最高だと思うのであれば、後は落ちるだけとなる。常に一歩先へと飢えていなければ足が止まってしまう。

 その為には幸福にならない事が、欲に塗れ続ける事が肝心となる。悟りとは無縁の世界であった。

 白熱灯の明かりに切っ先を透かし見た。全体に揃ってはいるが微かに反射光の流れが歪む切っ先だった。()が微かにへこんでいる。仕上がってしまえば気になる事はないだろう。だが、下地の段階では状態の悪さがはっきりと見える。腹の底に鉛を飲み込んで居る様な重苦しさを常に覚えていた、歯を食いしばり過ぎて顎が軋んでいる。

 気になると言ってもこれを直すとするならば、刀の中程から全体に鉄を研ぎ落さねばならない。それはただの無駄であった。この程度のへこみであれば、ナルメ(切っ先の仕上げ研ぎ)で解らない程度には誤魔化せる。無理をして刀を痩せさせる必要は何処にもない。

 如何に技術を凝らそうと、直らない物は直らないのだ。鍛冶師が鍛えた段階で、あるいは研師が研いできた歴史の中で。どこかで狂ってしまった肉置(にくお)きは、決して戻る事が無い。研磨とは減らす事で次に(つな)ぐ技術である。鉄は減らせば増える事が無いのだ。やがて痩せ細り消えていく定めであれば、せめて自分の代では無駄に減らしたくないと思うのが人情であろう。

 刀剣の下地研ぎとは、刀の生まれながらに持つ()()()じれを如何に全体に散らすか、如何に欠点を誤魔化すかが勝負と言っても良い。

 一面に揃えられた名倉(なぐら)の砥石目を睨むと、()裂手(さいで)(細工場で刀を拭うのに使う布)で磨く様に砥汁を拭った。

 一旦手を洗い、掌に残る砥粒(とりゅう)を丹念に洗い流す。それから細く畳んだティッシュに丁子油(ちょうじあぶら)を染み込ませると、鎺元(はばきもと)から先へゆっくりと油を馴染ませていく。全体に油が引けた事を確認して、細工場の刀立てに立て掛けた。

 伸びをすると背骨がぼきぼきと景気の良い音を立てる。時計を見れば、普段の仕事上がりよりは一時間ほど早かった。

 どうやら思ったよりも集中出来ていたらしい。

 この刀は明日、鎺師(はばきし)へと発送する予定である。下地の研ぎが一段落したところであった。寝るには些か早いし他にする事もない。酒でも飲むか? とも思ったが、先日来宅した友人が纏めて呑んで帰った事を記憶している。わざわざ買いに行ってまで呑む気もしなかった。

 藪睨みにしばし壁を睨むと、先日預かった刀を刀立てから引き出した。

 古刀である。さる武家の頭領が刀匠に頼み、以降断絶することなく続いた一族に伝えられてきたらしい。持主の語る伝来が正しければ製作より六百七十四年が経過している。所有者の家柄も加味して、県の文化財に指定されていてもおかしくない代物であった。

 それも含めて悩ましい代物である。

 鞘書(さやがき)はまぎれもなく流派の先人が書いた物であろう。ただ、そこから後に研いだ人間の腕が悪い。察するに地元の研師――恐らくは軍刀研師辺り――が機械に当ててしまった気配が残されている。まともと呼べる個所が一つとして残されて居ないのだ。あるいは鑑定だけして研ぎはしなかったか。その可能性もあるとひとりごちた。

 刀の古さと積み重ねて来た伝来、現状の(いびつ)さが躊躇(ためらい)に拍車を掛けた。

 さて悩みどころである、引き受けた以上はやるしかない。

(とは言えどの段階から始めたものか)

 一口に研ぎと言っても下地七段、仕上げ七段の計十四段階がある。その中を細かく分ければ二十工程にも及ぶ。それぞれにそれなり以上の時間が掛り、状態の悪いものほど下地に余計な時間が必要となる。

 これだけの時代を経た刀であれば、普段は余程の錆を帯びていない限りは荒い砥石を当てない。具体的に言えば、下地は飛ばして仕上げ直しの七段階九工程のみだ。

 だが(むね)を見て、確実に備水は当てなければならない事を飲み込んだ。

 研師の仕事とは意地の張り合いである。もし持主が誰かにその刀を見せ『これはあの人の仕事ですよ』と語ったとしよう。

 それが良い状態であれば良いだろう。だが、いい加減に、直さず、誤魔化しもせずにさらりと流してしまった仕事を、また研ぎの良し悪しが解る人間に見られでもしたら――それは想像するだけで羞恥心に殺される。

 一度瞑目すると身震いをした。考えたくは無い、だが、考えなければいけない。

 棟はがたがたになっていた。角度も丸さもばらばらで、一定してる所が見受けられない。仕上げでも恐らく死ぬほど苦労することになるであろう。減らさない事が第一である。しかし、この悪い状態のままを後世に残して良いとは到底思えない。

 顎に手を当てて唸り声をあげた。

(どうする、どうすべきか、この刀にとっての最善は何か)

 当てないとするのであれば、全体に細名倉(こまなぐら)でもかければ良い。錆も取らない、ヒケも取らない。ただ綺麗に見える様にするだけであればそれで良いだろう。そこから順に仕事をしていけば、仕上げで手間こそ掛るがまず一番減らさない仕事となる。

 ただし恥を被るのは自分で、しかも確実に十数年で錆を吹いてしまうだろう。

 神事に用いられる――(つな)を切っている――だけあって、刀身(とうしん)は元から先まであちこちで曲がりを帯びている。刀が表裏に()()()()()訳だ。即ち古鞘(ふるざや)でも新しい(さや)でも中で触れてしまう。そうなると、鞘木(さやぎ)に油を奪われて空気に触れる点が出来る。

 この場合は鞘木でも同じことだった。

 鉄の表面が油によって被覆されず、塩素、酸素、硫黄、その他微かでも大気中に含まれる鉄と化合可能な分子と接触した瞬間、鉄は錆と変じるのだ。つまり、曲がったままの刀はまたすぐに錆びる刀と言っても良い。

 それを知った上での知らない顔は出来なかった。

 ――つまり()()(刀の厚さに合わせた切り込みを樫の太棒二本に入れた道具、刀の曲がりを直す)からだ。真っ先に曲がりを直さなければならない。この時点で棟鎬平地の全体に強い横ずれが生じる。鍛えの状態によっては(しな)え(鉄の表面に寄る皺)と呼ばれる傷も生じる。それらを加味すると、やはり下から二段、備水は当てる必要に駆られる。

 問題は『それに刀が耐え得るか』であった。

 直らない刀は直せないのだ。

 地鉄の状態が悪ければ、恥を忍んで工程を上げる必要もある。だからこそ、細工場にてじっくりと刀を観察するがあった。

 地鉄の状態が如何に良いものに見えようと、美濃物や肥前刀の様に、皮鉄(かわがね)を薄くしか用いていない物もある。それらは荒い砥石に当てた瞬間に心金(しんがね)を露呈する事があった。心金が見えれば刀としての格は断然下がってしまう。皮鉄の厚さによっては、細名倉の一押しで無くなる事すらある。

 入念に観察する、特に忠尻(なかごじり)をじっくりと。()()げられたそこは刀身の断面構造が見える唯一のポイントだ。光の角度を変えながらじっくりと見詰め、時に油を塗り、時に水を塗った。

 眺める内にほんのりとであるが、錆の色がそれぞれ微かな違いを帯びている様に見えてきた。

 錯覚かもしれない。台所に足を運ぶと水を一杯飲んだ。ついでに顔を洗い、弟子に文句を言われながら細工場に戻った。

 一度刀と時間を置いて再び見詰めるのだ。

 今度は先よりも早くその違いが見えて来た。

 微かなグラデーションと言っても良い程度の差異ではあるが、確かに錆味には違いがあった。

(恐らくは四方詰、その上で、心金もきちんと鍛えられている様に見えるが……)

 鍛えの荒い鉄は錆も荒い。経験則である、だからこそ信用が置けた。

(――ざっと見た上身(かみ)に傷は無い)

 これだけ研ぎ減ってなおこの鉄の良さだ。腕は相当に良いだろう。しかし、観察する中に相州上工の特徴と言える姿の良さは無い。何方かと言えば武張った、田舎臭い実用刀の趣きがある。磨り上げのせいかとも思ったが、仕立て自体は決して下手ではない。元々の作り込みであろうと男は見当をつけた。

(……志津三郎包氏(しづさぶろうかねうじ)(大和の名工)か? ――いや、志津とは違う。志津と呼ぶには(にえ)が荒い。しかし明るい錵だ、劣ると言う訳ではないな)

 再び(なかご)に目を移した。舐める様にじっくりと錆の奥にある鉄の状態を観察する。肌理(きめ)の細かいみっしりと詰んだ鉄が鑢目の下に感じられる。眺めても触れても傷気(きずけ)は見当たらない。

(で、あればだ)

 それなり以上にいける。減ってはいても刃棟の(まち)は健在だ。これであれば(しっか)りとした姿を研ぎ出せるだろう。

 問題は切っ先であった。

 何しろ刃文がない。

 焼きが存在しないのだ。これが在銘(ざいめい)(忠に製作者名が刻まれている状態の刀)であればその作者の資料が幾らでも見つかるだろう。あるいは、帽子(ぼうし)(切っ先の刃文のこと)が残っていてくれれば、地鉄、刃文、帽子、時代の観点からある程度製作者を絞り込める。後は、その作者の長所を伸ばし、短所を隠して仕上げていけばいい。

 ところが決め手となる特徴が、どちらもこの刀には存在しない。

 なんとかならないものかと十数分観察し、手持ちの資料とも比較をし、充分に検討した結果『男の鑑定眼では解らない』が結論となった。

 ついつい渋い顔になる。

 この道に入って数十年、それなり以上の見識を備えている。しかし、世界に日本刀は数百万口あるという、その中で研ぎ師が生涯に研げる数など二千に届かない。観賞会、鑑定会、展示物等の見ただけを含めたとしても三千には届くまい。

 そうなると、その道の専門家に依頼するのが早道になるだろう。

 日本刀保存会か、日本美術刀剣保存協会か。日本刀文化振興協会は鑑定をしていない。全日本刀剣商業協同組合と言う手もあるが、今回の刀は個人の物である。商売の気配に近付けるのは気が引けた。

(そうなると日刀保、保存会ではちと弱いか)

 カレンダーに目をやった。

 そろそろ次回の受付が始まる保存刀剣の鑑定(真贋個名等の鑑定、国内で唯一と言って良い程信用がある)に出す、と言う手もある。だが、この刀の場合は帽子が無い。出したところで『美術刀剣としての価値はありません、よって鑑定の必要もありません』とすげなく突っ返されるのが目に見えている。それは刀に悪いし、何より金の無駄である。

 日刀保の鑑定は、合否に関係なく鑑定料を必要とするのだ。

(だったらあいつだ)

 男の脳裏に、一門の後輩でもある学芸員が浮かんだ。

 若い頃から鑑定に関して飛びぬけていた男だ。現在は協会に勤めている。見識眼はかつての比ではあるまい。それなり以上に恩を売っている相手でもあった。

 いっぱい奢るのを餌に頼めば嫌とは言うまい。

 彼であれば、この刀の正体が解るかも知れない。そうと決まれば話は早かった。早速受話器を持ち上げアポイントメントを取る。時刻は三日後の十五時、資料室にて。実際恩は売っておくものだ、律儀な奴はこれをきちんと返してくれる。

 それじゃあ当日、そう言って電話を切った。財布の中身は大丈夫だったか。一瞬心配になるが、先日仕上がった刀を納めたばかりである。そこまで金が無い、と言う事態にはなっていない筈だ。

 刀を握ると、腕を伸ばしてもう一度姿をじっくりと眺めた。

 正体を求めるのには理由があった。この切っ先には焼きが無い。つまり刀としての価値は既にない。最初に断り、次に伝えて断ろうとし、結局どうしても研いでほしいと言う青年に押し切られた。そうは言っても焼きが無いのだ。構わない。構わないって言われても此方が困る。そこをなんとか――。

 がりがりと頭を掻き毟った。まったく厄介な事だ。

 男は拗ねた色を唇に乗せていた。

 あるにはある、(つくろ)いと呼ばれる、いわゆる付け焼き刃の技だった。外法と言っても良い。価値の失われた刀を手間によって見られる状態に持ってゆく。研磨が着付けと美容院であるなら、繕いは美容外科手術である。

 詐術の一種であった。施して誇る技ではないし、決して流通させて良い刀では無くなる。

 ただし、光の当たる所に影が出来るように、外法と言えども光は当たる。

 売買を念頭に置かない、宝物として保存するのであれば、これは刀を再生させる手段となる。

 気は進まない、だが、引き受けた以上これだけはやらねばなるまい。 

 両手でがりがりと頭を掻くと、男は必要な道具と機材のリストアップを始めた。



  ※※※



 その晩、のっぺらぼうの夢を見た。

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