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後継者

 ――あれは、骨が軋む様な寒い夜だった。


 そんなに遅くまで起きていたのも初めてで、何処までも落ちて行きそうな夜空の黒さがひどく恐ろしかったのを覚えている。

 毎日見ているはずの場所なのに、大勢の人と、揺れる大きな篝火と、聞き慣れない雅楽の音が、まるで知らない場所の様に僕に境内を感じさせていた。

 寒くない様にと厚着をさせられて、異様な空気に、ひし、と母にしがみついて。

 何が起こるのか、どうしてその場に居るのかも解らずに、ただ、辺りをきょろきょろと落ち着きなく見回していた。


 ――どん。

 と、腹に響く音が鳴った。

 

 観衆の視線が、僕の目が、一斉に音の方を向いた。

 そこには一人の女が居た。そして、傍らに立つ、白い顔に厳つい髭の男。

 今でこそ、あれがスサノオノミコトとクシナダヒメだと理解できるが、当時は厳つい面がただただ恐ろしかった。

 能面なんて見るのも初めてで、普段見る事のない物、聞く事のない音、嗅ぐ事のない臭い。

 それらに圧倒されて、僕は泣きだす寸前だった。


 ――どん。

 どんどんどんどんどんどんどんどんどん、どん。


 暗がりの中、山々を模した植え込みの上を、崇敬者会の役員たちが黒子となって太い縄を引きまわしていく。

 頭の数は八つで、それが束ねられて一つになったのち、細く後ろに抜けていた。

 ヤマタノオロチだ。

 幼い僕にはそれが本物に見えた。

 怪物だ。

 どうにも出来ない。

 神話などまったく解らないが、あの女の人が食べられてしまうんだ、と言う事は理解していたと思う。

 やがて場面はヤシオリの酒でオロチを酔い潰す所まで来た。

 正直に言って、そんなものでどうにかなる物ではないと思った。

 山ほど大きい。スサノオの仕草から、それが見てとれていた。


 ――どん。雷が落ちた。

 僕はそう思った。


 スサノオの手に刀が握られていた。

 ぎらり、ぎらりと篝火の明かりを跳ね返すそれ。

 どん、と太鼓が鳴る度に、雷が落ちる様に刀が煌めく。その度にオロチの首が一つ、また一つと切り落とされていく。

 訳が解らなくて僕は泣いた。

 それが僕の一番最初の記憶。

 生まれて初めての感動であり、僕がこの神社を継ぐことに決めた理由でもある。



  ※※※



「お前、来年から神楽やれ」

「えっ、いいの」


「二十歳になったからな」父はそう言うと、どこか照れくさそうにそっぽを向いた。

 高校を卒業した後、山陰地方の本社にある神職の学校に入った僕は、二年間の課程をそこそこの成績で修めて地元に戻ってきていた。

 いわゆる神社本庁とは違い、教派神道(神道十三派)の一つである僕の家は、そこを卒業して初めて後継者足れると言う。

 制度がきちんと定められたからは、僕で五代目だった。

「しまってある場所は解るよな」ひとり言のように、しかし確かに僕に声をかけつつ、父が拝殿の奥から古い桐の箱を抱えてきた。風呂敷でくるまれた箱の表書きには『御神刀』とこれも相当に古い字体で記されていた。


「手入れの仕方は解るか」

「一応、見てたから」

「じゃあもっかいみとけ」


 そう言うと、父は神職らしい勿体ぶった動きでもって、桐箱を開け、刀を取り出した。

 刀を手入れする動きはどこかぎこちなく、力みがある。

 無理もないと思った。

 それだけ抜き放たれた刀は重く、歴史を感じさせている。


「いいか、組み立てる順番は、(はばき)切羽(せっぱ)大切羽(おおせっぱ)(つば)、大切羽、切羽、柄の順だからな」

「はい」


 父の手は震えを帯びている。決して老いの為ではない、そんな歳でもないし、慣れていない訳でもない。ただ、人に対して不器用でぶっきらぼうな人間が、一生懸命解りやすく伝えようとしているため、力んでしまっているだけなのだろう。


目釘(めくぎ)はきちんと押し込んでおけよ、爺さんの時はすっぽぬけて境内の松に刀ぶっ刺したからな」

「あっそれ本当の話だったんだ」

「振り下ろした時に飛んでって大変だった」


崇敬者(すうけいしゃ)さんの肩を掠めてな」と、父は若干青ざめながら当時の様子を語った。

 それから太刀緒(たちお)を用いて身に着ける所まで解説すると、一旦元に戻した後に「それじゃあやってみろ」と言った。

 胸が熱くなった。

 ずっと見ていた。

 やっとだ、やっと触れられる。熱い何かに突き動かされる様に、袴の裾を捌いてにじり寄った。さあいよいよだ、桐箱の蓋を開け、何かの遺物の様な袋を解き――


「おい、先に外装をばらしておかないと手間取るぞ」

「……なるほど」


 ――気が逸り過ぎた。

 言われてみればその通り、先に外装からつなぎの竹光を外し、組みやすい様順番に並べておく。

 刀に触れる事が初めて許された。それでこれだけ舞いあがってしまうとは。

 僕の一族は代々この社を守っている。その当主は、一度神事を継承すると、次の世代に受け継がれるまで、ずっと刀の相方として伴侶の様に寄り添うのだと言う。六百年前からずっとそうだったと言う。

 これは山陰の本社には無い風習で、近隣でも珍しいものだ。元々は武家であった家門が神職に転向し、歴史の中で作り上げられた伝統だろうと、文化財指定の書類には記されている。

 いよいよだ、いよいよだ僕がこの刀を抜く時が来た。鞘を握り、柄を握り、いざ――!

 ……いざ?


「おい副長どうした」

「……教会長どうしよう。抜けない」


 ざっくりした物言いの父と、刀の抜けない僕が凍り付いた。

 実に間の抜けた絵面である。

 一応神事の継承中であるので、父と僕とはお互いを役職で呼んでいた。

 神道でこそあるが、この派は宗教法人として、神社本庁から独立している。あ特徴として、神主や宮司ではなく教会長と呼び習わし、氏子の事を崇敬者と言う。

(どうしよう、抜けない。なんだこれ、固いって言うか、木刀じゃないかってくらい抜けない……)


「鞘が締まってるかな、かしてみろ」


「まだ寒いから締まってんのか」と小さく呟きつつ、受け取った父は、何事もなく僕が抜けなかった刀を、それこそさほどの力みも見せずに抜いて見せた。

 あまりにも軽く抜けた事に拍子抜けしたのだろう。力みが入っていた肩がびくりと動く。同じように僕もびくりとした。腹の底に重たい物を抱え込んだ様な気がした。


「……特に問題ないぞ?」

「ぐむ」


 再び鞘に納まった刀を手渡される。

(これは……どういうことなんだ?)

 やはり抜けない。

 父があれほど容易く抜いた刀だと言うのに、僕が抜こうとするとまるで接着されたかの様だ。

 悪戦苦闘する僕に、片眉だけ上げて父が言った。


「ああ、解った。副長は抜こうとし過ぎて力が入ってんだな。そのくせうっかり抜けると勢いがついて怖い。いっぺんにやろうとしてるから、半端な力になってんだ」

「……どういう事?」

「びびってんだよ、副長」

「びびっ、いや、びびってない、よ?」

「ああへいへい。いいかぁ? 固いのは最初だけだ。こうやって、鯉口を切る瞬間だけ手を締め込むんだよ」


 父は此方の言い分を聞き流すと、鯉口を切る動作をやって見せた。

 なるほど、時代劇で見た記憶がある。と言うか、むしろ毎年見てきている。

 言われた通りにやってみると、まるで『僕には資格が無い』とでも言わんばかりに抜けることを拒んでいた刀が、簡単にその姿を見せた。そのまま一気に抜こうとして、今度は腕の長さが足らずに途中でつっかえた。


「ほれ左手伸ばせ、胸はれ」


 必死だ。まさか抜くだけでこんなにつっかえるとは。


「鯉口から切っ先落とすなよ、先が欠けるぞ」


 まともに返事も出来なかった。僕はどうやら抜き差しならぬ状態らしい。



  ※※※



 悪戦苦闘の後、やや疲れも覚え始めた頃には、五分で終わる作業に二時間が費やされていた。後はこれを繰り返し行って、神事までに体に馴染ませる。結構な労力に感じたが、それもじきに馴染むだろう。

 しかし。しかし、だ。

 僕の記憶にあったそれと比べて、今のこの刀は随分と見劣りする気がしていた。

 ひどくくたびれて見えるのだ。

 はたしてこんなものだったか。いや、実際眺めて見てこうなのだから、間違いは無いのだろうけど。


「どうした」


 訝しんでいると、不審に思ったのか父が眉根を寄せて言った。


「いや、教会長、この刀こんなだったっけ?」

「ふむ?」一拍置いて父は言った「一年ほったらかしだったからな、油錆でも浮いているかもしれん」

「神職としてその台詞はどうなのさ」


 僕の言葉を笑って聞き流すと父は言った。


「良い機会だ、これからお前がそれを研師に出して、綺麗にすれば良い。この県にも居るが、隣の件であれば名人が居るそうだぞ」



  ※※※



 日本刀の所持には登録証が必要だと言う。

 研師の先生はそう言っていた。父に訊ねても「ほう、そうだったのか」だなんてあっさりとした返事しか返ってこなかった。仕方がないので所轄の警察署に事情を話す。電話口での対応は、こちらもあっさりとしたものだった。

 我が家が神社ということもあってか、手続き自体は署まで行かずに済んでしまった。

 同じ頃に、父が県の教育委員会と、文化財課に話を通してくれていたらしい。第四週の土曜日に登録審査会があるとの葉書が届いた。

 登録審査会当日、ラミネート加工された真新しい登録証が、同じ桐箱の中に納められた。

 これが売買や譲渡の場合、同時に、所有者変更手続きなるものもあるそうなのだが、今回は新規登録となるそうだ。名義は実家の宗教法人を指定した。

 団体の所有にしておけば、もし、この刀が非常に高価だったとしても相続税の課税対象外になるとの事。これは父の入れ知恵だった。



  ※※※



 再びの訪問で、初めて研師の先生は刀を抜いて見せた。

 ――なるほど、流麗である。

 無駄は無いし、一々動作が決まっていてかっこいい。何処をどれだけ動かすか、何を何回行うかがきちんと型にはまっていて、つい見惚れてしまう。

 刀の何もかもを見透かそうとするように、研師は食い入る様に、あらゆる角度から刀を見詰めていた。

 長い様な短い時間が過ぎ、やや緊張から胃に痛みを覚え始めた頃。

 難しい顔をして「この刀は研がない方が良いでしょう」と研師は言った。


「それ、は、どうしてですか?」

「はい」少し言いよどむと、伝えにくそうに目の前の職人は言葉を探した「こちらの太刀は、実際に何かを切るのにお使いですね」

「ええ、はい、そうです。神楽の最後にオロチに模した藁の綱を切ります」

「もし研いでも一度切った瞬間に研ぎが駄目になるでしょう」

「どういうことですか? 切れなくなると言う事ですか?」


 つい失礼な事が口をついて出た。

 研師は怒ることなく、ただ悲しそうな顔をして言った。


「いえ、切れるのは最低限の条件ですから。そう言う事では御座いません。……まあ、とにかく一度ご覧になってください」


 研師は刀を鞘に納めると、金庫から一口(ひとふり)、別の刀を取り出して見せた。


 丁寧に油を取り去った後、研師は「これが私の仕事です」と言った。

 差し出された刀を、習った作法に従って受け取る。

 姿を、と、かざした瞬間に「あっ」と声が出た。

 背筋に稲妻が走った気がした。

 それは最初の記憶に残る稲妻に似て、微かに違う感動を僕にもたらしていた。


「……なんですかこれ、すごい」


 とにかく違った。何もかもが自分の頭の中にあった物と、大きく違う。

 これが刀なのか、いや、そもそもこれは鉄なのか。


「姿は直せます、地鉄も細かく、美しく出来るでしょう。当然刃文も明るく冴えた輝きを取り戻します。ですが」一拍置いて研師は続けた「その仕上げは、一度使えば失われます。日本刀の仕上げとは、鉄の表面を微細な凹凸と、光の反射で美しく見せるものです」


 それまで、刀の研磨とは鏡の様なものだと思っていた。

 とんでもない思い違いだ、まったく別の物だった。

 磨き込まれた棟や鎬地も、そのそこに鍛えられた鉄の細かな硬度差による模様が見えている。品の良い床柱に浮かぶ木目の様なそれが、青黒くしっとりとした輝きを帯びていた。

 地鉄はどうだ。丁寧に地肉を整えられたそこは、鎬筋から刃文の縁に向かうに従い、少しずつその色の深さを増している様だった。微塵を散らした様な、微細な硬軟が研ぎだされた鉄。平面であるのにまるで刀の裏側を見せているかの様にも見えた。清流の水底を覗く様な、秋の夜空の高さの様な、不思議な奥行きが感じられた。無限に奥へと続いている様だった。

 対照的に刃は白い。しっとりと白いそこは、どのように仕上げられた物であるのか。しかもただ白いだけではなく、その縁には複雑で、まるで山にかかる雲の様な、はたまた稲妻の様な強い動きが見えている。

 なんだこれは。

 これが刀なのか。

 鉄ってこんなになるのか。

 僕は言葉を失った。


「切れと言われれば鉄でも切れるでしょう、縄程度であれば余程切り損じない限り何度でも切れるでしょう。ですが、その美しさは損なわれます」


 幾度も刀と研師を視線が往復する。

 何を問えばいいのか解らないし、どう話しかければ良いかも解らなくなってしまった。


「刀はですね、抜いた瞬間に全てを終わらせなければならないんですよ。私達が目指している所はそこなんです。例え戦場の真っただ中でも、この一口が抜き放たれればそれだけで戦が終わってしまう。目にした人間が、刀から目を離せなくなってしまう。そんな研ぎを我々は目指しているのです。切れるだけであれば包丁の様な研ぎでいい、そうでしょう? ですが、そんな研磨では文化として後世に伝えられない。日本刀は刃物です、武器です。言ってしまえば人殺しの道具です。しかし現代でそれは赦されないし、過去においても厳しい制約が課せられていました。だったら我々は肉でなく魂を切ることを目指さないと。日本刀の文化とは、如何に日本刀が使われずに済むかを考える文化なのです。一口の刀を千年先まで残すために」


 そう研師は言った。

 使えば刀にはそれが如実に現れる。抜かせてみれば使ったかどうかは一目瞭然だ。

 かといって、仕上げを施さない白研ぎは、過去も現在も法が禁じている。


「此処まで仕上げるのに早くても十日、そちらの刀であれば、二、三週間はかかるでしょう。かつ、外装に関しては白鞘、鎺の新調に、それぞれ一週間ずつは見ておきたいところです。鎺に八万五千、白鞘に五万から八万、研磨に、状態からすると三十万は頂きたい。四十数万は確実にかかります……ところが、そうして丁寧に仕上げられた表面も、一度物を切れば確実に横ずれが入ります。そうなると全体の調和が失われてしまう。武器としての精度こそ落ちない物の、観賞に際してはその価値を損ないます。刀の表面はですね、ミクロの凹凸と、一定方向に整えられた研磨痕によって、どの方向に、どれだけの光を反射させるか、その反射させる光の色は何色か、そう言った、長年積み重ねた技術と検証の積み重ねの上に作り上げられた光の芸術です。なによりも――」一度厳しく唇を引き結ぶと研師は続けた「それだけ入念に研ぎあげた品物が、一振りで傷だらけになる。私はそれが非常につらい」

「う……その」

「その一太刀、綱を切るその一閃に、それだけの価値がありますか」


 それは違う。

 確かに存在する。

 声を大にして言いたかった。だが、言葉はカラカラの喉から出てこない。

 既に押し負けていた。

 この先生が言うことはもっともだ。そう、まず僕自身が納得させられてしまっているのだ。

 現代において、抜き付けあって斬り合いをする、なんて事態にはまずならないし、例え、この国が戦争に巻き込まれたとしても、主要武器の座に返り咲く事は決して無いだろう。

 日本刀は、既に武器としての存在意義を失って久しい物だ。

 これでもかと叩き付けられる研師の言葉には、万感が篭められていた。刀の世界の外側から来た価値観、一度失われた存在意義を、いかにして刀剣に携わる職人たちが、必死の思いで再び築き上げてきたのかを理解させられてしまった。


「切るだけなら相応の研ぎをすれば良いんですよ。曲がりを直して、刃先を通して、それから寝た刃を引いてあげればいい。いわゆる急刃です、刃先だけを鋭くして。そうすれば損耗も少なくなる。兜だって叩き割って来た刃物です。正しく使えば間違いなく世界に冠するでしょう。しかしですね、使うと言う事は傷が付く、刃が零れると言う事で、刃が零れたとなれば研磨すると言う事で、研磨を施すと言う事は刀を減らす事に他なりません。一度減らした鉄は戻らないんですよ。痩せた刀は姿が悪くなります。地鉄は荒れ、刃は滲みます。場合によっては刃文が無くなってしまう個所も出てくるでしょう。さらに言えば、この刀はとても古い、見立てが正しければ、南北朝時代の初期まで時代が上がるでしょう。ざっと六百五十年前の代物です。これから先も、可能であれば千年先まで貴方と貴方の一族が伝えていく物でしょう。つまり貴方だけの持ち物ではない。だったらなおさら減らさない方が良い」


 そこまでを一気に言うと、研師は一度茶に手を伸ばした。


「これはこのまま御神刀として納め、研磨その他に当てようと考えた予算で新しい刀を買った方が良いのではないでしょうか。日本美術刀剣保存協会の鑑定書が付いていない刀であれば、古い物でもそれなりのものが安く手に入ります。出来れば現代工の作をお勧めしたいところですが、それでは逆に高くついてしまうでしょう。抜刀道の方々が使う様な刀となると……最低でも七十万からはするでしょう。それ以下では付け焼刃の摸造刀を掴まされる可能性もあります。その場合は外装も新調することになるでしょう。現在の拵えでは、反りが合わず新しい刀は決して収まりません。」


 明確な拒絶の言葉だった。

 耳元で聞こえる鼓動が嫌にうるさかった。息が荒く、浅くなっている。

 叩きつける様な正論だった。

 研師の語ったそれは、まったく反論の余地のない理屈であり、僕の心を確かに納得させてしまっていた。

 だからこそ、僕は姿勢を正して畳に額を擦りつけた。


「確かにおっしゃる通りです。ですが、ですけども――」

 

 それこそが、かつて見た神事の威厳だったのだ。

 澄み切った冬の大気の中、かがり火に照らされて、神職たる父が抜いた太刀を大上段にかざす。あらゆる視線がひきつけられ、同時に振り下ろされた刃に一年の穢れが纏めて切り離される。

 みだりに抜かれる事は無く、しかし一度抜き放たれれば、罪咎悪業まとめて切り祓われる絶対の一。

 話を聞いて、なおさら目の前の男に研いでほしいと願った。

 価値観が違うのは百も承知だ。

 研師は『刀の為の仕事』をする。

 僕は『神事の為の刀』を求めている。

 そしてそれは新しい刀ではいけないのだ。この太刀で継承されるから意味があるのだ。


「お願いします、その研ぎがほしいんです。お願いします!」


 理屈ではなかった。ただ必要だと血が叫んでいた。

 文化と文化のぶつかりあいだ。

 研師が刀を大事にする様に、僕は神楽を優先させる。その為に、なんとしてでもこの誇り高い職人を説き伏せねばならない。

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