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刀剣研師

 電話があったのは、十月も終いに差し掛かった頃であった。

 おずおずとした、躊躇いがちな声が受話器から聞こえてきた。


『あの、こちらは刀の研師さんのお宅でしょうか』

「はい、そうですよ」


 短く応えると、ほっとしたような気配が伝わって来た。

 どうやら新規のお客様らしい。


『刀の事で相談したい事がございまして、お伺いしたいのですが御都合はいかがでしょうか』

「そうですね、この週末はいかがでしょうか」

『大丈夫です、時間は?』

「午後でしたらいつでも大丈夫ですよ」

『解りました、では十四時頃お伺いします。住所は××市××、×の××の×であっていますか』

「はいそうです、来宅は御車ですか」

『はい』

「では近くまで来たら御連絡いただけますか、弟子に駐車場まで案内させますので」



  ※※※



 週末、仕事をしている所で電話が鳴った。

 時計を見ると十四時少し前、先日電話があった彼か、などと思いつつ、仕事の手は止めずに、弟子が応対しているのを聞くとなしに聞いた。

 受話器の口を押さえて弟子がこちらを向いて言った。


「先生、近くまでいらしたそうです。道路に立ってますか?」

「そうだね、駐車場に御案内さしあげて」


 わかりました。短く言うと彼は外へと向かった。同時に、もう一人の弟子が茶の用意をすべく台所へと向かう。じきにやってくるだろうお客様を迎えるために、濡れた右の爪先を拭うと、私も手を洗うべく仕事場を出た。

 インターホンが鳴ったのは、ついでに洗った顔をタオルで拭った時だった。

 いつもながら騒々しい音だ。

 来客や電話の応対は基本的に弟子に任せていた。

 荒い砥石を用いている際は、どうしても音が聞こえ辛くなる。彼等が仕事場にいる際、聞き洩らしを防ぐために、我が家のそれは()()やかましい代物であった。

 こわばった肩を回して解しながら玄関へと向かう。丁度弟子が引き戸を開け、お客様をお迎えしているところだった。

 彼は私に気が付くと「先日お電話さし上げたものです」と、かちこちの肩に漲った緊張を隠さずに言った。

 否も応もない、私は彼を招き入れた。



  ※※※



 茶を勧めた後、持参したという刀を拝見する運びとなった。

 神社の名前と紋が染め抜かれた風呂敷が、微かに埃を舞わせながら解かれていく。長い年月を経て染み付いた色。手脂とそれ以外のなにかで真っ黒に煤けた、古い桐箱の蓋が持ち上げられる。ふわりとまず黴臭さが、ついで酸化した油の饐えた臭いがした。

(刀の状態は期待できないだろう)

 ぼろぼろの刀袋は、ところどころほつれ、いや、むしろ破れていると言うべきだろうか。あちこちに開いた口から中を覗かせていた。そこから僅かに見える鞘を一目見るだけで、持ち込まれたそれが相当に古い物であると感じ取れた。

 白鞘、休め鞘と呼ばれるそれだが、造作が古い。文字通り、刀を保管するためだけに用いられていた時代の代物だろう。ごろりとして太い、かつ、角ばっている。

 桐箱には、一緒に外装も納められていた。勿論と言うべきだろうか、こちらも使いこまれて柄糸(つかいと)が黒光りしていた。

 眉間に入る力を感じつつも、視線を、染みだした丁子油(ちょうじあぶら)と手あかで黒光りする鞘に滑らせる。これまた古い時代のものであろう鞘書(さやが)きも見受けられた。

 墨で鞘に書かれた文字は、例え千年が経過しようとも消える事がない。そこには墨痕(ぼくこん)も鮮やかに、自分の流派において近代の名人と呼ばれる人物の名が記されていた。

 ふるり、と、腕が微かに震えた。

 なるほど。まだ受けるかどうか決まった訳ではないが、名人の研磨が施されている可能性がある。もしそうであれば、これは勉強であり、勝負でもあった。

 前の研ぎの方が良かった、などと言われてしまっては、その晩にでも首を括らねばならないだろう。

 ざっと箱の中に視線を走らせて、必要なものが見当たらない事に唇を引き結ぶ。外装の周辺にはなく、梱包材の奥にもない、これで古ぼけた刀袋と、鞘の間に挟まっていないのであれば、問題が生じる。

 早速袋から取り出そうとした青年を抑えて、必要な事を確認することにした。


「こちらの登録証は?」

「登録証ってなんですか?」


(――おっと、まずそこからか)

 この業界に居ると当たり前になってしまう事であるが、刀を所持するのに何が必要で、どのような手続きを踏まなければならないのか、というのは、一般常識とは言い難い。

 とくに、古い神社や、寺に由来の刀剣では、登録証が行方知れず、あるいはそもそも存在しない事がままあるのであった。

 性質の悪いものになると――これは一時期流行ったデマであるが――奉納する際には登録証を破棄する。というものがある。まったくの事実無根であるが、どういう訳か全国で根深く信じられていた。

 数年前、北海道における所有者の意識調査を行った際など、ごく当然の事として語られて眩暈を覚えたものだ。

 また、古くから所有されていた奉納刀の場合、そもそも登録が必要だと知られていなかった。あるいは、登録されているものだと思っていた結果、無登録が発覚した。などという事態はよく耳にするところであった。


「登録証と言うのはですね、言うなれば……刀の本籍証明みたいなものですね、都道府県教育委員会で発行しています。ご存知ではないですか?」

「え、と、必要……なんでしょうか?」

「ええ、必要です」

「無い場合は、研げない、んですか?」

「はい。本来であれば、発見後十日以内に速やかに警察に届け出、発見届を作成した後に都道府県教育委員会の催す登録審査会に持って行き、そこで発行する流れになりますね」

「無い、と」

「これは銃刀法違反、と呼ばれる状態になります。発覚した場合、警察に没収されて溶鉱炉だそうですよ」

「え、いや、まずいじゃないですか!」

「そうですね、これはどちらにありましたか?」


 ざっと音を立てる様に青年の顔から血の気が引いた。真正面からその視線を受け止めつつ、用意しておいた登録までの手順を記した書類を彼に差し出した。

 青年は、書類と私の顔へと交互に視線を投げつつ、慌てた内心を丸出しにして言った。


「あの、これは我が家に、あ、ええと、僕の家は神社なんですが、そこに伝わっているもので、ずっと神事に使って来たんです。まさかそんなものが必要だなんて……」

「落ち着いて、その神事は無形文化財に指定されていますか?」

「ええ、はい」

「なら大丈夫、それほど問題にならず登録はできますよ」


「これが新築の家から出てきた、なんてなると難しいんですけどね」そう続けた私の言葉に、青年はきょとんとしたまま耳を傾けた。

 無論、おこごとの一つ二つは頂戴するであろう。だが、警察とてむやみやたらに没収をしたい訳ではない。

 知人の警察官に言わせると、教育委員会に回すよりも、破棄する場合の方が二三仕事が増えるそうだ。

 そも日本刀、どれだけ古くとも状態が悪くとも、文化財の一つには違いない。

 さらに言うならば、警察には剣道の有段者が多く、当然の様に、日本刀となれば他の刃物とは扱いを別にすると言う。

 普段置かれている場所に一度戻し、警察に連絡をする。始めるのはそこからだ。

「登録証の無い刀がありまして、お手数おかけしますが都合の良い時に一度確認をお願いできますか」こう言うだけで対応する人間の温度がまるで違うものになる。場合によっては現場を確認することなく、電話だけで対応が終わる事もある。おそらく、今回もそうなるだろう。

 青年の所在は、他県の神社ではあるが、私でも名前を聞いた事のある神社だった。地元の警察であればなおのことだろう。

 今日はこのまま持ち返って頂き、後は最寄りの警察署にて、発見届の発行をしてもらえば良い。警察から都道府県教育委員会に連絡が行き、そこから登録審査会の通知はがきが届く。

 あとは指定された当日、審査会に刀を持参して、手数料の六千三百円を印紙で支払うだけだ。


「本日は一旦このままお持ち帰りください、そして、帰宅したらすぐに所轄の警察署に連絡を。内容はこうです『神事に用いる刀を研ごうと思ったら登録証が無い事に気が付いた、どうすれば良いでしょうか。選択無形民俗文化財の登録名は――』とこんな具合にお話し下さい、すぐに手続きできますよ」

 


  ※※※



 十一月に入った頃、再び青年が訪ねてきた。どうやら無事に登録手続きは済んだらしい。


「寒くなってきましたね」

「そうですね、本当に」


 来客の予定が入ってから部屋に暖房を入れる様になっていた。

 ただ、冬場は金庫の中と上手く温度の釣り合いをとらないといけない。

 古い家なだけあって、この時期になると、しん、と冷え込む。刀も室温と同じだけ、むしろ、その時期の最低気温と同じ温度になっている。それを暖房の利いた部屋で抜けば、たちまち結露してしまう。当然そのままではまともに油を引く事も出来ないし、纏った湿気が錆を呼ぶこともあった。

 かといって、急激に温度を変えれば、続飯(そくい)で張られた鞘木が反りかえり、刀を納めたままで割れてしまう。

 気を使う時期であった。

 机越しに向かい合うと、青年は捧げ持つように包みを差し出した。


「改めて見て頂けますか」

「拝見します」


 両手で受け取ると、まず一礼する。くるまれたぼろを丁寧にはがし、がたついた鯉口を切った。掌に感じる湿ったべたつきに、微かに苦笑する。

 同時に、頭の中で見積もりを始めていた。

(拵袋新調、八千。柄巻き直し、五万。白鞘新調、五万。鎺新調、身幅(みはば)が広いな、金着(きんき)太刀鎺(たちはばき)で八万五千。研磨――)

 ずり、と、刀身と鞘が当たる感触を感じた。三寸ほど抜いたところである、同時に錆も確認できた。この時点で最低でも棟鎬は備水(びんすい)(下から二番目に荒い)砥石、棟の(いおり)鎬筋(しのぎすじ)を通し直さなければ、新しい鞘でも同じところが当たってしまう。そうなればせっかく研いでもすぐに傷物となるし、最悪当たった個所から錆を吹く。新しい鞘でも錆が染み込めば古鞘となんら変わらない。それでは意味がなかった。

(研磨で二十八から三十万、しかし、これは――)

 ――古い。相当な時代物だ。

 若く見積もっても南北朝時代後期、あるいは鎌倉時代の作に近いかも知れない。

 身幅広く、(かさ)ね薄く、鎬は高い。薄く、とは言うがその身幅と鎬の高さで平べったい印象はまったく受けない。どっしりとした重さを腕に感じていた、断面は菱形に近いものになるだろう。元幅先幅(もとはばさきはば)の差はあまりなく、腰反(こしぞ)り寄りの鳥居反りに、大きく伸びた切っ先。

(時代の特徴は良く出ている)

 目釘を抜き、柄を外した。黒紫色の良い錆地、しっとりと落ち着いて朽ち込んだ錆も見受けられない。目釘穴は四つ開いていた、そのどれもが元穴(もとあな)ではないだろう。おそらく、古い時代に相当な長さを磨り上げている。忠尻(なかごじり)を握って姿を確かめた、おそらくこの拳の下に刃区(はまち)があったであろう。

(……磨り上げてもざっと刃渡り二尺四寸、もともとは三尺四、五寸はあったであろう大太刀だな)

 上身のところどころに(ほま)(きず)、確かに実戦を潜りぬけてきた証が、棟鎬に深く刻まれていた。

 じっと、荒れた地肌の奥を透かし見る。長年の手入れの結果、細かい地鉄は潰れ、荒い鍛え肌だけが表面に自己主張している。

 一口に打粉と言うが、あれは内曇砥石の微粉末だ。あくまでも研磨剤の一種に過ぎない。どれほど細かいものであろうと、繰り返し用いれば、当然の様に表面の仕上げ研ぎを損なってしまう。

 仕上げ研ぎとは、いわば表面研磨による光反射角の調整である。棟鎬は磨き潰して柔らかな正反射、地鉄は細かい硬軟を研ぎ出して冴えた正反射、刃文は(にえ)――一般的には(にえ)と書く、マルテンサイト(急冷によってできる鉄の結晶構造)と化した部分――を研ぎ出して柔らかく白く乱反射。これらの反射の調整により、それぞれの部位を際立たせ、メリハリのある状態を醸し出す。

 後は美学の問題であった。反りはどの程度か、鎬と地の幅は、きっさきのふくら(刃方三(はかたみ)(かど)から先端までの丸み)は、小鎬(こしのぎ)()(がしら)から先端までの鎬筋)の反りは。地鉄の細かさは、それと対応した刃取(はと)り(刃文に施す化粧、焼き刃は硬く、そのままだと黒く沈むので乱反射させることにより白く際立たせる)はどうするかなど。千年の間に積み重ねられてきた美学の、その最先端が現代の刀剣研磨であった。

 そして、打粉も用い過ぎるとこれらの全てをのっぺりとした、一定の正反射に変えてしまうのだ。

 じっと観察する中、研師はてらてらとてかりを帯びてしまった表面の、その内側に確かに引き出せる鉄のポテンシャルを感じていた。

(まごう事無き相州物、これだけ研ぎ減っても此処までの地鉄が残っているのか)

 刀身に浮いた錆は既に(なかご)と同じ色を帯び始めていた。鉄の強い証だ、黒錆を吹く刀の鉄は総じて粘りがあり錆に強い。上身に吹いても決して深くならず、それ以上朽ち込む事は血錆でもない限りはまれ――鼠の小便などで塩分による害を受ける可能性はある――であった。

 内心感嘆しながら、観賞用のレフ球を刀身に映す。強い光が薄錆とヒケ傷に隠されている刃を輝かせた。微かな唸りが男の喉から漏れる。明るい刃だ。明治以降のそれとは一線を画する。のたれ仕立ての乱れ刃が、元から先まで何とも表現の難しい、だが、大荒れに荒れた海原を思わせる力強さで、七百年近い度重なる研磨を経てなお主張していた。

 抜群の出来である。

 間違いなく名刀であった。誰の作かと問われれば、相州上工の名を躊躇わずに上げるだろう。志津か、はたまた秋広、広光か。

 此処までは。

(帽子だ、帽子はどうなっている?)

 湧き上がる好奇心に、刀身を引き寄せた。切っ先を、そこにある筈の焼刃を見れば作者の特定に近くなる。

 だが。

(小鎬が先に突き抜けている――)

 覗くまでもなく舌打ちしたい思いを感じていた。

 本来小鎬は、切っ先の刃方三つ角と最先端の長さに応じてその位置を決める。だが、この刀の場合は、むやみと先端に向けて小鎬が長かった。鎬が高い――断面がひし形に近い――刀でそうなっている場合、考えられる可能性は二つしかない。

 研師が下手を打って、当て損ねたか。

 先が折れた結果、先から詰めた場合のどちらかだ。

 前者であってくれればまだ手の施しようがある。だが、後者であった場合、そもそもの焼刃自体が残っていない可能性がある。状態から察するにもし残っていても毛筋の様に錵粒があるかないかだろう。

 祈る様な、否、実際に祈りながら切っ先を覗き――激しい落胆と共に目を瞑った。

 もう一度塵紙で丁寧に刀身を拭うと、一礼する。鎺を通し、柄に忠を納めた。そっと鞘に刀身を納めると、捧げ持つように持主に刀を返した。

 きょとんとした青年に、なんと言ったものか。

 苦い物を噛む心地で私は彼に告げた。


「……この刀は研がない方がいいでしょう」


 切っ先に焼刃は残っていなかった。荒いナルメ艶砥で、ざっと白く利かされているだけであった。

 青年の持ちこんだそれはのっぺらぼうの刀であった。

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