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御刀様

 抜かれ舞われ仕舞われる。

 時に研がれ仕舞われる。

 ある時期より、私が戦に佩かれる事はなくなった。今にして思えば、私を切り詰めた四代目も、蓮之露を大切に扱っていた部類であろう。

 外装を、休め鞘を新たに調え、名を新たにしたのは武の(うつわ)に寄り添おうとした結果であった。

 そうは言えども、当然の様に(ぬし)の代替わりにも心が動く事は無い。その(ことごと)くに私の姿は見えず、当然の様に声も届かなかった。

 男の玄孫(げんそん)、初代より数えて来孫(らいそん)にあたる六代目の時代。この日ノ本(ひのもと)が二つに割れたと後の世に言われる乱が勃発した。

 大乱であった。

 (みやこ)灰燼(かいじん)に帰し、(ちまた)には(むくろ)(あふ)れたという。

 後にして思えば、火種は始終そこかしこに(くすぶ)っていて、いつどこから火が付くか解らない程に怨嗟(えんさ)(つの)っていた。

 世が乱れば武家の習いとして、当然の如く十束一党も何処(いずこ)かの勢力に組する必要が出てくる。

 結果として、当主は致命的な政情の読み違いを犯した。党首及びその傍役(そばやく)の判断が(ことごと)く裏目に出てしまったのであった。

 最初の判断が如何にも(まず)かった。一度敗軍となれば、そこから如何に尽力しようとも、小さな勝利を積み重ねようとも勝鬨への道が閉ざされてしまう。戦巷(いくさちまた)には多々ある事であった。

 最後は惨敗である。それなりに数を増やしていた御親戚衆(ごしんせきしゅう)は全滅、守り肥やしてきた祖来の土地田畑も奪われた。()り所を失っては御家来衆(ごけらいしゅう)も養う事は叶わず、当主の血筋が無事であっただけでも運が良かったと言えよう。

 僅かな身の回りの(とも)と、息子夫婦と孫。妻はとうに亡くしていた。十にも満たぬ一行は持てるだけの金子(きんす)を担ぎ、山陰を目指した。

 歯を食いしばり、(いわお)を踏みしめる男の判断であった。

 最早武門としての家名は残す事叶わず。ならばせめて神職として血を残さん。

 (わず)かに残った一族を気遣(きづか)う男の腰には、私が()かれていた。



  ※※※



 旧暦十月(きゅうれきじゅうがつ)神無月(かんなづき)。男は目的の地に足を踏み入れた。

 この地方では神有月(かみありつき)と呼ばれる時節であった。



  ※※※



 家名(かめい)を告げると、目通(めどお)りは容易(たやす)くなされた。

 男の一門は元来この地方の出事である。その(むね)を告げると、一行の持つ、薄汚れてはあるが立ち居振る舞いに残る品の良さも手伝ってか、然程厳(さほどきび)しき詮議(せんぎ)もなく国内に入る事を許された。確認の為、宗家の御蔵(みくら)より引き出された古き神職の一覧にも、確かに氏素性(うじすじょう)が記し残されていた。



  ※※※



 神職(しんしょく)としての知識は十束の一族より失われて久しい。

 会見の際、男は厚かましいと罵られるのを覚悟し、宗家に願った。


(おそ)れ多くも願い(たてまつ)りまする、此度大社(こたびおほやしろ)へと奉職(ほうしょく)を願い奉り申す者の中に、何卒(なにとぞ)、何卒我が名を加え下さいますよう御願い奉り申す」


 叶わなければそれ迄よ。

 一族郎党離散の責を負い、男は腹を切る所存であった。

 だが果たして、血の()をこの地に(もたら)して良いものか。男の頭には迷いが残った、それは土地への、神々への畏怖そのものである。

 神域に死の()を落として良いものか。切るならば遠く離れて一人果つるべきか。

 宗家はなかなか口を開かなかった。ただ男の緊張だけが高まって行く。頬から顎にかけてぬめりの強い汗が伝った。

 宗家はただ、何もかもを見通す様な目をしていた。

 まだ申す事残りあろうと、その涼やかな顔は言っていた。

 男は傍らに置いた桐の箱をそっと押し出すと、再び額を床に付けて言った。


「これなるは我が家門に伝わりし太刀に御座りますれば。(さかのぼ)ること五代前、当家始祖たる十束逸寧(とつかのはやね)が当地の鉄 炭、人の手により鍛えさせた物。これ(まで)幾度も当家の危急(ききゅう)を救い(たもう)た名物に御座れば、どうぞ御納め下さいますよう」


 宗家の男は、老いた党首と、桐箱と、次いでしかと私の目を見て言った。


御身(おんみ)の申し出、確かに聞き入れよう。然れども、これなる御太刀を納むらるるは不要ぞ」

「ははっ」

「ただ神有月に一柱(ひとはしら)がおくにがえり下さいましたという事ぞ。御身も(これ)より後、身につける内に意味を悟ろう」

「それは……いや、有難き幸せに存じ奉り申す」

「先ずは直階(ちょっかい)の下で学ばれよ。御師(おし)となった(のち)は、御祭神(ごさいじん)の一柱としてしかと御祀(おんまつ)り奉る様」


 励まれよ。

 短く言い残して、宗家は座を立った。


 これより丁度百年の後、十束一族はこの地より遠く武蔵國に根付く事となる。

 そして、御祭神の一柱として数えられ祀られた私も、長き眠りにつく事となった。



  ※※※



 ――火の気配がする。

 遠くたゆたっていた自我が呼び起こされた。


 あれから如何ほどの歳月が過ぎたのか、茫漠と人の世の営みを、晦日(みそか)神楽(かぐら)でのみ俯瞰(ふかん)してきた私である。それもこの数十年かはなりを潜め、ただただ祭殿(さいでん)の結界で祭主(さいしゅ)の移り変わる様を眺めていた。

 がらがらと鳴り物を打ち鳴らす音。けたたましく耳障りだ。むっとする暑気は夏場のそれで、それでも先程迄は涼やかさを感じ始めていたと言うに。遠くから聞こえて来た鳴り物は、少しずつだが近付いてきている様子であった。

 否、およそ馬よりも速くその音は近付いてきている。

(何事であろうか)

 かろうじて(さび)ついてこそ居なかったが、上身(かみ)には(すで)油曇(あぶらくも)りが厚くへばりついていた。

(何事であろうか)

 数百年にわたり何事にも関心が向かなかった。ただ、この夜だけは胸が騒いだ。かの時と似ているからか、はたまた、遠く聞こえる祈りの声が我が身を呼び覚ましたか。

 知ろうにも、鋼の身では動きようもない。私は久方ぶりに人の姿を()すと、そっと御簾(みす)を潜り、祭主の脇を抜け表を目指した。

 火の気配はますます強くなってきている。

 これほどのものを感じたのは、建速(たけはや)と出会った日以来であろう。懐かしくも忌まわしい炎の臭い、ただ、かつて知ったるその香りよりも、今感じるそれはひどく鼻をついた。

 多くの人が焼ける臭いであった。

 表に出た私の目に、()が焼き付いた。

(なんだこれは、どうしたと言うのだ)

 街並みは遠く(いらか)の波よ。そう思ったのも今は昔、現在は高い建物も石で出来たそれもあると言うに、その全てが炎に包まれていた。

 業火であった。

 (あかあか)と燃える街並みからはどす黒く太い煙が壁の如く立ち上り、舞い上がった炎は(にえ)を求めてのたうつ竜巻を生じさせている。まるで赤黒き腹を晒す大蛇(おおくちなわ)であった。図った様に太き八、細き一が緩やかにだが確かに此方へと揺らめきながら進んで来ている。空には轟音を立てて飛ぶ黒い鳥、ひどく不吉な気配のそれが、腹から何かをばらまいている。鳴り物と思ったのは、それが地上に降り注ぐ音であったか。

 これが戦であろうことは、すぐに察しが付いた。しかしなんという規模であろうか。これまでに私が経た戦など、これに比べればままごとの如きものであろう。等しく死があった。逃れられぬ死が、此度も我が身に這い寄って来ていた。


『火だ』


 久方ぶりに音に出して呟いた。木の爆ぜる音、懸命に生きようとする気配、断末魔。

 温もりと言うよりは痛み、圧倒的な熱は畏怖をまず覚える。たらふく餌を与えられた火産霊が、火之夜藝速男神が笑っている。

 生まれ出でてよりこの方、これほどの気配を感じた事は無い。

 火神は我等が父祖である。鍛冶の祖神であるが、それが味方するのは生まれ出でるまでのこと。火産霊は焼く。何もかもを焼く。そこに境は無い。

 ――否。

 断じて否。

 あれは火産霊ではない。あれなるは、顕世(うつしよ)に生まれ落ちた当世(とうせい)八岐大蛇(やまたのおろち)に他ならぬ。

 ぞう、と。胸が苦しい程に騒いだ。

 この地に素戔男尊(すさのおのみこと)は居らず、大蛇を討ったと伝わる剣もない。

 否、それも否。

 我と我が身は十束一党(とつかいっとう)の太刀。

 雄々しき神を太祖と祀る、神職の末が求めし鋼。

 言霊(ことだま)が、我が身を縛り昇華する。

 然らば我が身は神代(かみよ)より、この地この時に授けられし十束劔(とつかのつりぎ)に他ならぬ――


「御祭神さま……」


 はたと気が付いた。

 振り返れば多くの黒頭(くろかぶり)、その場に(つど)った多くが本殿(ほんでん)を向いて手を合わせている。

(ばかな、何をしている、何故逃げぬ)

 人々は一心に祈りを捧げていた。誰も彼もが逃げようとせず、ただ我が身ではなく我が親しき人を護り給えと祈っている。

 本殿からは、高らかに祝詞(のりと)が聞こえてくる。

 恐ろしかろう、辛かろう、逃げ出したかろう。そんな人として当たり前の弱さを押し殺して、真摯に祈りを捧げる声がする。


「――幽世(かくりよ)大神(おおかみ)、憐れみたまい恵みたまえ。幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)、守りたまえ(さき)はえたまえ」


 ぞ、と、存在しないはずの血が逆流する。

 茫漠(ぼうばく)としていた意識が、落雷の鋭さを以て覚醒する。

 時だ。

 その時が来たのだ。

 瞬間、“運命”という、定めと言う言葉が頭を過った。

 遠きのたうつ炎に目を据えて、歯を食いしばって考えを打ち捨てる。


『何をたわけた事を』


 建速は懸命に生きた。

 懸命に生きて、懸命に死んだ。

 十束一党の者者(ものもの)は全て懸命に生きて死んだ。

 それは必然ではない。偶然、偶さかの積み重ねだ。懸命に生きた結果、あらゆる結果を引き寄せたに過ぎない。

 なればこれも偶然の事。

 懸命に生きた六代目が招き寄せた、子孫を助ける偶然に他ならない。

 あなや、十束逸寧が我が身を鍛えさせた事も。


『十束の(すえ)よ!』


 精霊とでも呼ぶべきか、あはれにも我等には器としての力しか宿らぬ。

 一度形を生した我等は太刀の言霊に縛られる。

 しかし、器として、祭器として人々の祈りを溜め続けた私であれば話は違う。

 

 ああ全く然り。

 担う者が望めば天地陰陽森羅万象遍てんちおんようしんらばんしょうあまね(ことわり)全てを断って見せよう。

 天地の業火すら断ち切り滅ぼして見せん。

 我と我が身はそれしか出来ぬ物であるが故に。


『十束の末葉(まつよう)よ!』


 張り上げた声に通力が宿る。

 開け放たれた障子を越え、一心に大麻(おおぬさ)を振っていた当主の肩がびくりと跳ねる。

 構わずに吼えた。

 かつて力を持たなかった頃とは違う、今であれば、定めすら変えて見せよう。


『我を解き放て!』


 からりと大麻を取り落とし、視線を彷徨わせていた男が勢いよく肩越しに此方を振りかえった。


「……御祭神様?」


 茫漠とした声が口から漏れる。囁くようなそれであったが、爆炎の音轟く中でもそれは叫びの如く境内に沁み渡った。

 耳聡く聞き付けた群衆から、どよめきが起こった。


「御祭神様?」

「御祭神様だと?」

「本当に?」

「御救いください」

「御祭神様」

「どうか御救いください」

「御刀様」

「御刀様?」

「御刀様」

「御刀様」

「どうか」

「どうか――」


『私を抜け! 建速の末葉!』


 立烏帽子(たてえぼし)より垂らした我が後ろ髪が、風を(はら)むようにざわりと広がった。


『聞こえておろう! 私を抜け!』


 ぐびりと当主の喉が鳴った。初めて目の当たりにした恐るべき災厄と、その前に立ちはだかるあり得ぬ神威に当てられて、目を丸くしていた男の意識ががちりと切り替わった。

(その目だ)

 懐かしい顔立ち。男と愛しき背の君との共通点。脈々と受け継がれてきた力ある瞳に、自然唇が綻ぶ。

 桐箱の中だと言うに、空気はからりと乾ききり、それに留まらず、熱過ぎる気温が黒塗りの漆をひび割れさせていく。

 対照的に私の体はしっとりと(つゆ)を帯びていた。鉄は鞘木よりもまだ冷えている、まるで我が名そのものを顕す様に。

 意を決した様に、当主が祭壇に祀られた私の箱を乱暴に開いた。袋の紐を解こうとするが、大麻を振り続けた指は言う事を聞かない。

 男は歯を食いしばると紐を引きちぎった。

(それでいい)

 今は何をとやかく言う場合でもない。

 呪わしくも忌まわしい煙が漂う。同時に色濃い人の死が匂う。甘くもなければ好ましくもない、ただただ死は厭わしい穢れとして漂っている。

 当主の呼吸は荒かった。藁にもすがる思いであろう。

 

「――幽世の大神、憐れみたまい恵みたまえ。幸魂奇魂、守りたまえ幸はえたまえ」


 最後にもう一度祝詞を唱えると、男は古びた柄糸に封じられた柄を掴み、鯉口も切らず一息に引き抜いた。



  ※※※



(ふる)え!』

(しか)と!」


 慣れ親しんだ神楽の太鼓は無い、ただ、どん、と踏み鳴らされた武者の歩みが私に宿る。

 一口に言うならば拙い舞いよ。だが、その動きは建速のそれが伝えられしもの。

 幽世(かくりよ)顕世(うつしよ)を繋ぐ力の道を、眼前に切り開く常世(とこよ)の舞よ。

 振るわれる太刀が風を切る。踏み鳴らす音が、太刀風が鳴る度、炎の首がその威を弱める。

 一振り毎に蓄えられた通力が、祈りが()()()と失われて行く。

 力の配分は我が意ならず、折からの風に煽られて、火炎旋風あかはらのおほくちなわが此方を目指す。

(――あと五振り、あと四振り、ああ困った。尾まで断つだけの力が足らぬ)

 まるで足らぬ程ではない、ただ、僅かに足らぬ。

 人の手で起きた厄災なれど、神威すらその威は凌ぐと言うのか。

 紅蓮の圧に我が身が軋む。

(だが、負けぬ。負けられぬ――!)

 後、一振り。

 だが。

 力。

 が、足りぬ。


 全霊を振り絞った。その場に居合わせた崇敬者の祈りも、懸命に太刀振るう祭主の願いも、あらゆる力を束ねて一刀にした。

 然れども、大蛇の断末魔。

 尾の一撃は防ぎ切る事が出来ず、紅蓮の一撃は歴史が記された社の蔵を強かに焼いた。

 そして――


『あ――ぐ――』


 き、と、鋼の割れる音。

 私はその身に、足らぬ力の対価を刻まれていた。

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