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夢現




 ――苦り切った表情で。

 その刀には刃切れがあると研ぎ師が言った。



  ※※※



 言葉の意味は知っていた。この半年、ただ体を作るだけではない。刀と向かい合うために、最低限の知識は学んだつもりだった。

 そこに用語として書かれていた欠点の幾つか。中でも根本から刀の価値を損なう傷であると、複数の本に刃切れは記されていた。

 刃切れは、刀剣としての機能を著しく損なうと。

(それは、つまり、それは――)

 全身が冷や汗に濡れていた。脂汗と言っても良い。顔を洗いたくなる様な、不快な臭いを纏っている。

 使ってはいけない。そう研ぎ師に止められていた。しかし、使わなければ神事は取り行えない。或いは、崇敬者のみなさんから御浄財を募り、新たに刀を仕入れるべきか。

 いや、そうすべきなのであろう。ただ、それにしても厳しい。

 外装付きの太刀、八百万は下るまい。何しろ実際に使える事が前提条件だ、健全な状態の代物でなければ新調する意味がない。そう考えると新作刀の方が良いのか。しかし、実戦投入可能な出来栄えとなると、作れる人間は数を絞られる。国内には現在十人程居た。美術刀剣としてだけではなく、実用に耐えると謡う鍛冶師達である。

 問題はそこだ。刀を新調すれば拵も新調しなければならない。一振り一振り反りも捻じれも違う刀だ、別の刀の鞘に入れては必ず無理が出る。これも実用をとなれば、実際に用いられていた時代を研究している人間でなければ再現は出来ない。

 しかも太刀である、打刀を用いる現代剣術家の求めるそれとは違う。即ち鍛冶師も鞘師も勝手が違うと言う事であった。形だけであれば真似る事は容易いであろう。しかし、中身はどうかとなると確信は得られない。結果的には、古作で安い物を求めるべきであろう。新作は合計すると一千二百万は軽く超えるとのこと、とてもではないが御浄財で賄える金額ではなかった。

(どうしよう、どうすればいい)

 用いれば折れる。そう言われたも同然である。

 刀を折りたい訳ではない。むしろ、用いずに済むのであれば保管して展示しておきたい。

 ただ、そう考えた瞬間。猛烈な違和感が己の頭を襲うのだ。

(僕はこの太刀が振りたかったのであって、神楽をやりたかった訳じゃない)

 結果折れるのであれば、それもまた運命の様なものではなかろうか。


「おう、御帰り副長」

「あ……ただいま戻りました」


 ふと気が付けばそこは自宅であった、どう帰って来たのかは記憶にない。

 玄関に出て来た父が雪駄をつっかけている。煙草でも買いに行くのか、ラフな普段着でいるところを見ると、今日の仕事はもう切り上げたらしい。

 怪訝そうに眉を片方だけ跳ね上げて父は言った。


「なんかトラブルか? 仕上がりが良くなかったとか」

「いや、最高の仕上がりだよ」

「ならいいが、ぼーっとしてるから気になってよ。まあ良い出来なら良いんだ。後で見せてくれ」

「解りました」


 噛みあっているのか噛み合っていないのか、今ひとつはっきりとしないまま会話を切り上げた。



  ※※※



 纏まらぬ頭のまま、狩衣で端坐しする。

 青年は正面に置かれた“御神刀”と書かれた桐箱を眺めていた。

 時刻はそろそろ夜半を越えようかと言うところ。漂う六月の空気は湿気て生温い。

 胸の奥にわだかまる何かを吐き出す様に、太い溜息を吐く。

 組んでいた腕を解くと、そっと箱の蓋を開けた、紙一枚入る隙もなかった箱の側面に、すうっと一筋の線が走る。それが太くなって行くと思う内に、箱が外気を吸う音を立てて開いた。

 精度の高さにしみじみと感心させられる。工作機械は使っていないと言っていた、つまり、(のこぎり)(のみ)(かんな)だけでこれだけの精度を作り出しているらしい。

 桐箱は二重になっていた。外箱は県内の桐箱師がサービスで製作してくれたらしい。聞けば当社の崇敬者であったとのこと。有難いことだと思いつつ、今度は内箱に手を掛けた。かつては饐えた臭いを放っていた手垢じみた箱であったが、現在はその面影を歳経た重さに変えていた。丁寧に丁子油で磨き込まれたのであろう箱は、飴色に艶めき、かつてとは一線を画する見た目になっている。

 芳しい香りを胸に満たしつつ蓋を取る、内側は二列に仕切られていた。かつては緩衝材として古新聞が詰め込まれていたそこも、今は袱紗で覆われている。

 右側には二重亀甲に有の御神紋が散らされた拵袋。

 左側には正絹貝紫の白鞘袋に納められた太刀。

 一度長い溜息を吐くと、そこまでで動きを止めた。

 今、自分はどうしたいのか、どうすべきなのかが解らずにいる。

 頭の中はめちゃくちゃであった。

 だと言うに、体は自然と動いていた。まるで頭とは別に、なすべきを知っているかの様にも思えた。

 房紐(ふさひも)を解き、外装を取り出す。金銅の長覆輪で飾られた拵。かつて見知った姿とはまるで違えども、これが正しい姿なのだと不思議と納得させられた。

 目貫と一体になった目釘を抜く。そこは和ねじになっていた、洋ねじと違いさかしまに回して外す。

 目貫の意匠は二重亀甲に大と剣花菱二つが三つ連なったそれ。本社の御神紋であり、分社の中でも小規模な我が社には不釣り合いとも言える紋であった。

 継木を鞘から抜くと柄頭を握り、手首を拳で打つ。継木の忠は簡単に抜けた。柄を抜き、切羽を抜き、大切羽、鍔、大切羽、切羽、鎺と続けて抜く。

 それらを順番に並べ、今度は太刀に取りかかる。

 く、と。音にならない音を立てて鯉口が切れる。ぞくりと肌が粟立つのが、寒いのか暑いのかすら解らなくなる。水を注ぐように、はたしてそれより遥かに滑らかに、太刀は鞘から滑り出でた。

 ――蓮の露。

 研師はそう言って資料を見せてくれた。明治時代の本であり、旧字体の文はひたすらに読みにくかった。だが、間違いなくこの太刀である事は見てとれた。当時も作者の名は解らないが、号だけは判明したらしい。古い白鞘に書かれていた鞘書きの汚れ過ぎて読めなくなっていた部分に恐らくこの号が書かれているのだろう。


「――蓮の、露」


 口の中に音を転がした。

 幾度か、なつかしむように。まるで記憶にない音だった。だが、ひどく身に馴染む名であった。

 目釘を抜き、柄を抜く。古鞘とは違い、これも気持ちが良い程に切れよく抜けた。最後に鎺を外し、拵袋の上にこれも並べる。

 外装用の金具を一つ一つ合わせて行く。微かに響く金具の擦れ合う音が、まるで誰かの囁きの様に聞こえてならない。

 柄に忠を納め、軽く叩く。きちんと収まった気配があった。目釘を閉め込み、改めて外装に納めた。薄暗がりの中で、陽炎が立っている気がした。まるで内側から光る様に、裸電球の明かりを受けて外装が金色に輝いている。

 震える息で一度、深呼吸をした。

 太刀緒を解き、腰に佩びる。落とさぬ様にしっかりと結び立ちあがった。

 箱を建物の隅に寄せ、天井を確認する。問題はなさそうだ、跳びあがって振っても、ぶつける事はあるまい。

 そうして青年は緩やかに足を動かし始めた。青年の耳には己の鼓動だけが鳴り響いていた。



  ※※※



 ――その夜、夢を見た。

 さめざめと泣く女の夢だ。


『――済まぬな』


 声を掛けようとしたら、自然とそんな言葉が出た。

 女は一度此方を見ると、目を瞑って、微かに微笑んで首を横に振って見せた。

 その頬には、二筋の涙が光って見えた。



  ※※※



「蓮の葉、か。如何に思う」


 建速に似た、だが幾らか小柄な男が言った。

 男は夫の孫に当たるらしい。


「業物に御座りましょう。御館様の先々代様は、これなる太刀にて大蛇党と名乗った一党を、あなやただの一人で打ち滅ぼしたと伝え聞いておりまする」


 ――然り。

 思い出してまた涙が溢れた。鋼のこの身がいったい何を流していると言うのか。胸を引き裂くような痛みが蹂躙する、あの場で共に朽ちてしまいたかった。

 人の妻であるあの女とは違い、私は何も建速とあった証を残せなかったというに。


「……わしは眉唾物の話だと思うておるのじゃが」


 当主の言葉に、傅役と思しき老武者が額に青筋を浮かべて唾を飛ばす。


「滅多な事を申されますな! 拙の父が元服間もない若武者であった折、その戦にしかと参じておりまする。かの話も父より直に伝え聞いた事。それを作り話と申されれば、如何な御館様とて」


 武者の怒りは強かった。心に抱く武者の像が、建速その人であるのだ。


「ああ、言うな言うな。わしが悪かった」


 当主は如何にも煩いとばかりに老人を宥めた。

 未だ得心はいかねども、主の顔を立てたのか、再び胡坐をかいた老人が言った。


「御解り下さればそれで結構。晦日の神楽がその有様に御座りまするぞ」


 そうだ。かの戦働きは、確かに一党に伝承されていた。

 誇りとして、勲詩として、神代の記述に準えて、大蛇退治の神楽に化けて。

 私は、その度に建速を思い出すのであった。


「して、それを佩用なされる御積りに?」

「然り、しかし、些か以上に長い。わしが振るうには長物に過ぎる」

「全く然り。時代物に御座れば」

「……詰めるか」

「お待ち下さりませ、それなる太刀は十束一党御祖たる――」

「聞かぬぞ、当主の証足る太刀を佩かずして何を佩こう。してそれが無用の長物とあらばわしに合わせるまでよ。鍛冶を呼べ!」


 忠に鏨が当てられ、大鎚が振り下ろされる。

 かつて鎺元であった刃に鑢が当てられ、新たな磨り上げ忠が仕立てられる。

 こうして蓮の葉は、その名と鍛冶師が誰であったかを永遠に失った。


「これならば良かろう。今日よりこの太刀は蓮の露じゃ」


 私は新たな名を与えられた。

 涙は流れなくなっていたが、取り返しのつかない物を記憶の何処かに落としてしまった。

 切り取られた忠に残されていた、建速が掌の――

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