第二話『ゲイル』(六)
ミグロウは洞窟蝙蝠の中でも最大級の大きさを誇る、竜蝙蝠の羽を移植している。
あいつの妙に長い腕の中には、折り畳まれた羽が入っているのだ。
広げた幅はミグロウの身長の悠に三倍。ひと一人なら運べる位の揚力がある。
一緒に別行動を取らせているのはホルン。ヨルンという私兵団の片割れだ。
二人には帝国蟻という人程もある蟻の、特殊な感応器官が移植されている。
この器官を使うと離れていても意思疎通が出来る。どこまで届くか昔試したが、少なくとも王国内なら大丈夫そうだ。
今回みたいな部隊を分けた作戦では、もはや切り札になっている。
戦争開始直後から、二人には上空に上がり王国軍の脱走兵を監視して貰っていた。捕まえる為じゃねぇ。確実に逃す為だ。
恐怖に駆られて敵前逃亡した奴なんざ、植え付けた恐怖を拡散するのに持ってこいだからな。
「ヨルン、ミグロウに総大将らしいやつか、その天幕を探させてくれ」
俺は後ろに控えていたヨルンに命じた。
「了解しました」
ヨルンは眼を閉じ黙り込む。
少し時間を置き、ヨルンが眼を開いた。
「周囲を旋回しながら捜索するそうです。少し時間が掛かるかもしれません」
「よし、その間にひと暴れしとくぞ。南の敵軍を蹂躙する!」
俺達はまた敵軍に突撃していった。
魔法ってのは強力な武器だ。直接的な攻撃利用だけでなく、戦術の幅も広がる。
以前、何で王家に報告して本格的に研究しねぇのか、マイン候に尋ねたことがあった。
マイン候の王国に対する忠義は大抵だ。まあ、王家にというよりは、王国民に対してだったが。そんなマイン候が国益になるだろう魔法使いを隠す道理はないように感じた。
あれはマイン候の私室だったか。俺も大分打ち解けて、酒を酌み交わしていた時だ。
「ゲイルよ。王家がその権力を維持出来ているのは何故だと思うね」
「そりゃ偉いからでしょう」
「何故偉いのか、ということだよ。何故、私達貴族は、王国民は、王家に逆らわないのか。その理由だ」
俺が聞いたのに、逆に質問で返されちまった。
「そりゃ、逆らったらどうなるか分かりやせんからねぇ」
「そう。まさにそういうことだよ。私達と王家には、簡単にどうにかされてしまう程、圧倒的な力の差があるのだ」
マイン候は少々暗い表情をしていた。
「王国騎士団のことですかい」
「そうだね。彼等は王国中から特に能力の高い兵として集められている。それも何十年、何百年に渡って。建国当時からの慣わしだよ」
「建国って、三百年以上前ですぜ」
「それだけ掛けて集めているんだ。騎士団は既に血筋なんだよ。優秀な者から優秀な子が産まれ、騎士団は更に強力になっていく。だから王国内最大数の騎士がいる王国騎士団は最強なのさ」
そういえば、マイン候は会ったばかりの頃、私兵団に入るのに出自は関係ない、とか言っていた。これを意識しての事だったのかもしれない。
とはいえ、今の俺なら騎士相手でも負けることはねえだろうが。だからそう言った。
「まさにそうなんだよ。魔法はね、今迄騎士に縁のなかった者達が、騎士達に勝てる有効な手段なんだ。そうするとこれまで王国が持っていた騎士の数による優位性が覆される事になる。私は、王国がこれを懸念して魔法研究を認めない可能性がある、と考えている」
「色々面倒な事でさあ。傭兵だったら強くなるのに手段なんて選ばねぇんですがね」
「市井に強過ぎる戦力があるというのは、支配者側からしたら頭が痛いのさ」
ははは、と乾いた笑いを上げる。
事実、マイン候が魔法の事を王家に仄めかすと、確かめもせず廃領に動きかけたそうだ。
だから研究を完成させてしまいたい、とマイン候は言った。
「周知の事実となってしまえば、王国はそれを否定する事は出来ない。王国全体で見れば戦力底上げにもなるからね」
「どうして候はそこまでして、この国の力を上げたいんで」
「ふむ……。この国は地理的に、外交的に恵まれた場所にあったんだ。……ああ、諸外国の情報は無くて当然だよ。意図的に王国が市井には開示していないからね。まあ水面に程良い距離感で木の葉が浮いていると想像したまえ。このカトレア王国は、その中でもどことも接しない、良い場所に浮いていたんだ。然し、もう十数年前になるか、この水面に巨大な石が投げ入れられた。その波に揺られ、王国の周りに木の葉達が集まってきている」
「はあ。解るような、解らないような。その木の葉に対抗するって事ですかい」
「反発するのか重なるのか、分からないがね。どちらにしても巨大な石はまだ水底に残っている。国力は大きい方が良い」
巨大な石ってのは何の事だろう。そんな事件は記憶にない。
「石については、その内明るみに出る事だよ。今は知らなくても大丈夫だ」
「へぇ、解りやした」
良く解ってないが。
「騎士団の他にも王家の隠し玉はあるがね。……ところで、君の器官移植についてだが」
「駄目でしたねぇ」
「その右腕が邪魔しているのかな。大抵は一つの器官を移植するのが限界だから、既に定員という事なのか」
「この右腕は移植した訳じゃあないんですが」
右腕を撫でる。その感触には全く違和感は無い。
「明らかに人外ではあるからね。同じ事なんだろう。ゲイルくん、君の右腕は充分な力を既に持っている。それで王家の眼を覚まさせてやってくれ」
まあ、やれるだけやってみます、と答えるとマイン候は嬉しそうに頷いていた。
敵陣南側をある程度蹂躙していると、ヨルンに、ホルンからの連絡が入った。
「……総大将らしき者がいる天幕を見付けたそうです。数十人の小隊で陣を張っている模様。ここから更に南方向に少し行った所ですね」
丁度良い。俺達はまさに分断した南側の部隊を攻撃している。
「よし、このまま自然に見えるように戦闘しつつ、移動するぞ」
南に流れながら、戦闘を続ける。
それにしても流石は王国騎士団。人数差があるとは言え、傭兵を含め戦線が瓦解しない。こちらも私兵団は別にしてマイン領騎士団に被害が出始めている。
「そろそろか……。戦線を離脱して、一気に南に進行するぞ!」
俺達は王国軍と目的の場所の対角線上、真南に移動していた。
こういう時は人数が少なく小回りが利く、俺達が有利だ。くるりと向きを変えると、私兵団を殿にして南下する。
「土産だ。貰っとけ!」
右腕の力で衝撃波を数度放つ。続いて仲間からも竜巻が飛んで行った。
「ミグロウ達を呼び戻せ。合流する」
合わせてヨルンにも指示を出す。私兵団を揃えて袋叩きだ。総大将に極上の恐怖を持ち帰って貰って、有終の美を飾ろうや。
少し馬を走らせると、小高い丘があり、越えると直ぐに天幕が見えた。成る程、戦場からは見えない巧妙な場所だ。それこそ空からでもないと発見出来ねぇ。
「ゲイル!」
ミグロウが上空から、こちらに向かって降りてきた。
「良くやったぞ。ミグロウ、ホルン」
「全く人使い荒いよ。これ終わったら奢ってよね」
「ああ、生きてたらな」
言う程疲れてるようにも見えないが、戦闘開始から飛び続けてたのだ。相応の疲労はしているだろう。
「あれだな」
前方の天幕を睨みつける。
「ゲイル達が向かって来るのを見たら、みんな天幕に引っ込んで行った。それから出て来てないよ」
俺達は馬を降り、天幕の前まで進む。すぐに天幕に飛び込めるようにだ。
マイン領騎士団には後ろで追い掛けてくる敵軍の相手をしてもらう。
「出て来いっ、卑怯もんが!」
俺達私兵団だけなら、たとえ天幕から弩が飛んで来ようとどうにかなる。身構えつつ、近づいていく。
「出て来なければ天幕ごと攻撃する!」
背後からは大軍が迫っている。あまり時間はねえんだ。
「ま、待ってくれ!」
天幕の入り口が開き、初老の男が顔を出した。続いてまだ少年とも言える歳の子供が出て来る。
「セルロイ! お前がここは安全だと言ったのだぞ! どうにかせんかっ」
少年を守るように数十人の騎士が出てくる。この少年が総大将なのか。
「何でこんな所に餓鬼が居るんだ?」
つい呟いてしまった。
「が、餓鬼ではない! 余は第三王位継承権を持つ……っ」
慌ててセルロイと呼ばれた初老の男が、餓鬼の口を塞ぐ。
「殿下! 敵軍に身分を明かしてはっ」
成る程、王家の者が直接指揮していたか。
マイン領軍の戦力に対し過剰とも言える大軍を率いて来たのは、この餓鬼に確実に箔を付けて凱旋させる為のようだ。
「ええいっ、手を離せ! 護衛、たったのこれだけだ。皆殺しにしろっ」
「はっ!」
周囲の騎士達が命令を受け、こちらに突っ込んでくる。だが俺達は既に臨戦態勢だ。絶対零度の風と竜巻を受け、騎士達は砕け散った。
「な、何だと! 王国でも腕よりの騎士達だぞ……」
「そ、そんな、馬鹿な……」
餓鬼と初老の男は、目の前の光景に固まっている。だが時間もねぇんだ。
「さあ、覚悟しやがれ」
丁度良い宣伝をしてくれそうだ。死なない程度に遊んでやる。
「ゲイル、待って。様子が変だよ」
見ると餓鬼改め、殿下が不敵な笑みを浮かべている。先程迄の動揺は何処へやらだ。
「ふん、貴様らが報告のあった魔物の魔法を使う人間達か。何と醜い。強さに溺れ人であることを辞めた痴れ者共が!」
元傭兵の俺からしたら、あまり受けた事のない評価だった。強い事を羨まれることこそあれ、卑下されるとは。
ただ、あまり良い気分ではない。
「やっぱり殺しとくか」
魔法使いの強さを身体に刻み込んでお帰り願おうと思っていたが、マイン候を侮蔑されたような気分だ。生かしておく気が起きない。
俺は右腕に力を込め、剣を構えた。
「そ、そんな脅し効かんわっ。これを見ろ!」
殿下は少し怯んだが、懐ろから奇妙な色の宝玉を取り出して掲げた。
「っ、殿下! それは宝具っ! いつ持ち出されたのですかっ!」
何なのか分からない俺達よりも、セルロイとやらの方が仰天している。
「このような危ない目にあっているのだ。陛下もお許し下さるに違いない」
「そのようなことっ」
「ではお前がどうにかしてくれるのか? あの化け物どもに勝てると申すかっ!」
「それは……」
「黙って見ておれ。余が王家の威光を示してやろう」
宝具か。どんな力があるのか分からないが、殿下はあれで何かしようとしているらしい。
「何か分からねぇが、やらせるかよっ」
一足飛びに踏み込み、全力で斬り掛かる。
然し、刃が殿下に届く前に、硬い壁を斬ったように剣が弾かれた。
「なんだっ?」
俺が全力で斬れば、金属鎧でも両断出来る。これはまるで魔法だ。
「地方貴族の分際で……、王家に楯突いた報いを受けろ!」
宝玉から光が迸る。あまりの眩しさに手を翳して見ると、殿下の前で宝玉が浮いている。
突然、頭の中に声が響いた。あの時の、夢の兜みたいな、不明瞭ながらはっきりと意味の取れる不思議な声だった。
『貴方の願いを』
殿下は狂ったような笑みを浮かべている。
「ふ、ふふふ、やったぞ。やっぱり王家の血筋に反応するのか。ははは、お前らは終わりだ! 宝具よ! 余に仇なすこの者達に死を与えろ!」
殿下は俺達を指差して、一気にまくし立てた。
『その願いであれば、対価はこの国の民六千人で実行可能です。実行しますか?』
「た、対価? 対価を取ると申すか! 余は第三王位継承者、」
『願いには対価が必要です』
なぜか時が止まったように動けない。まるで自分の身体ではないようだ。殿下と宝玉の問答だけが続いている。
『願いの軽重により、必要数の対価が発生します。実行しますか?』
殿下は、宝具とやらの事をあまり知らないらしい。セルロイが喚くように殿下に縋る。
「お辞め下さい、殿下! 逃げましょう! すぐに馬に乗れば逃げ切れます!」
俺達からしたら、それでも良い。元々皆殺しにする気もなかったのだ。王都で満足な報告をしてくれるだろう。
だが、殿下はそれを良しとしなかった。
「余に逃げろだと! たかが地方貴族の反乱に! そんな事が出来るかっ」
反乱なんてした覚えはないが。
だが逆に殿下の意思は固まったようだ。
「宝具! やれ! 六千人くらいくれてやるわっ」
『承りました。それでは貴方の指揮下の人間六千人を消去し、願いを実行します』
宝具が一際輝く。光が溢れ、周囲を飲み込んでいく。光に包まれた瞬間、強力な悪意が身体を突き抜けて行った。
「殿下! ……っ」
突然、セルロイが胸を押さえ蹲る。くの字に折れ地面に突っ伏し、そのまま動かない。
「セルロイ?」
殿下がセルロイの身体を揺する。
既に事切れているようだ。反応はない。
「……何かにつけ突っ掛かりおって。良い気味だ」
光が収まり、やっと動けるようになって後ろを振り返ると、迫って来ていた王国軍が折り重なるように倒れていた。皆、セルロイと同じように苦悶の表情を浮かべて死んでいる。
周囲六千人の生命は、一瞬にして捧げられたのだ。
「これも魔法なのか?」
傍らのミグロウが答える。
「違うんじゃないかな。こんな魔法を使う魔物は聞いた事がないし、威力が強過ぎるよ。正確な数は分からないけど、本当にこの一瞬で六千人も殺したなら、魔物の魔法なんて超えてるよ」
ドラゴンの火炎でも、それは無理だろう。
「あの宝具ってやつが問題みたいだな」
「持ち出したって言ってたね。王家の隠し玉かな」
隠し玉。マイン候が言っていたやつか。
「それで、これからどうなるんだ」
「え、僕も知らないよぉ」
これほど呆気なく人を殺せるなら、俺達に向けりゃ良いものを。
いや、やられても困るが。
光が収まった宝具は殿下の掌に戻った。当の殿下は焦点の合わない眼でこちらを睨み付けている。
「俺達の死が望みだったよな。元々生き残れるとも思ってなかったが、あんな感じで即死しちまうのか」
動かなくなったセルロイを見遣る。
「嫌だねぇ。こんなんで王国は魔法の重要性を学べてるかな」
ミグロウも普段の明るい声を落としている。自分の死について悲しんでんじゃねぇ。マイン候の期待に応えられない事を嘆いている。
「あんだけ大軍で来られちゃあな。前線だけしか伝わってねえんじゃねぇか」
「ほんと損な役回りだよ」
「マイン候にも申し訳が立たねぇな。よし、お前ら死ぬ前にもうひと暴れすんぞ!」
私兵団を見渡す。皆、覚悟を決めた良い顔をしていた。
『対価が支払われました。力を貸与します』
再び宝具が輝き始める。ふわりと宙に浮き、おびただしい瘴気を帯び始めた。
『召喚を申請。承認を受けました。続いて具現化工程に入ります。成功しました。具現します』
輝きが宝具の一点に集約する。あまりの光に、世界が暗転してしまったようだ。光の収束が徐々に薄れ、影が人の形を作り始める。
「召喚って言ったな」
「うん、この瘴気の濃度といい、高位の魔物を呼び出すのかな」
まあ、ドラゴンでも出てくりゃ、俺達も無事じゃ済まねえな。
「王家の隠し玉か。魔法使いなんて目じゃねぇな」
俺達よりよっぽど危険だ。六千もの命と引き換えに、何が出てくることやら。
「は、はは、ひは、ひひひっ」
その時、一言も発さず突っ立っていた殿下が嗤い出した。
「お、お前らもう終わりだっ。さあ神よ!この者達に死を与えろ!」
殿下の精神も大分参っているようだ。
「あいつ、神って言ったぞ」
「神様? 実在するの?」
「いや、知らん」
教会を敵に回すつもりはねぇが、夢物語でしか聞いた事がない。
まあ、祈祷で奇跡を起こせるらしいから、居るんだとは思うけども。
「まだ姿がはっきりしねえな。どう思う」
「本物の神かなんて分からないけど、重圧はもの凄いね。ドラゴンなんて目じゃないかも」
「今の内に潰しちまうか。よし、火炎り……っ」
其処まで言った時、人型に成ろうとしている靄から、光の線が瞬時に伸びた。
光は正確に火炎竜を撃ち抜いている。
「火炎竜!」
胸に風穴を開け、力無く火炎竜が崩れる。
即死だ。
「……ドラゴンは野蛮だから嫌いなの。心配しなくても、他の子達はちゃんと遊んであげるわ」
影が完全な人型になった。妖艶な笑みを浮かべる褐色の肌をした女だ。絶世の美女と言って良いだろう。こんな美人会ったことねぇ。
「てめえが神か!」
「あら貴方……。まあ良いわ。私のことを神? と呼んでいるのかしら。私はミリャト・リカルミス。短い付き合いだと思うけど、よろしくね」
ミリャトと名乗った女は、値踏みするように俺達を見渡す。
長い金髪が風に靡く。
申し訳程度の面積しかない革鎧を身に纏っている。隙間から豊満な乳房が覗いており、下は太腿が露わになっている。
ミリャトの瘴気が膨れ上がった。これまで感じた事のない圧倒的な力の差を感じる。気を強く持たないと見られているだけで気絶しちまいそうだ。
「ひ、ひひふっ」
ありゃあ殿下、漏らしてんな。全身を小刻みに震わせながら泡を吹いている。自ら呼び出しておいて、無責任なことだ。
「貴方達が対価の代償ね。全員で来なさい。それならば少しは愉しめると思うから」
ミリャトの端正な顔に、獰猛な笑みが浮かぶ。
「さあ、楽しみましょう?」
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