第二話『ゲイル』(五)
タイトルを変更しました。
王国騎士団はマイン領の西側に展開していた。この領地は北を大河、東を大河から繋がる海、南を魔物の支配する大森林に囲まれている。
西にのみ戦争に適する平野が広がっており、あの戦争があったノビ平野もこの平野から続いていた。
「王国軍の数は」
司令部の天幕で、傍らのミグロウに尋ねる。俺はマイン私兵団団長として、マイン候騎士団を含む全軍の指揮を任されていた。
「騎士は三千程。傭兵を含めた兵士は一万人を超えてるね」
ミグロウはどんな時でも明るく話す。そんな絶望的な報告さえもだ。
「……こっちは私兵団十人に騎士団三百だぞ。どうすりゃ良いんだ、こんな戦力差」
「うぅん、傭兵を集められなかったのも痛いねぇ」
傭兵組合には王家から手が回っていたらしい。要請は全て断られた。
「マイン候は」
「……逃げようもないからね。館でゆっくりしてる」
「まあ、候は前線で指揮を上げるような方じゃないからなぁ」
白銀の右腕で頭を掻く。候の性格を考えりゃ、怖気付いた訳じゃねぇ。何より適材適所を重んじる候は、自分はこの戦場では役に立たないと考えたんだろう。
俺は天幕に集まる私兵団に向き直る。
「みんな、マイン候のご指示は覚えているな」
ミグロウを含めた私兵団全員に語りかける。私兵団十人は皆、マイン候が手ずから集めた人間達だ。
研究が量産段階を前に露呈し、王国がそれを是とせず潰されそうな今、マイン候はこの戦争に対しある指示を出した。
「……マイン候も損な役回りですねぇ」
ミグロウは明るく、とても残念そうに呟く。マイン候の指示。それは戦争に勝つ事ではない。
王国の戦力を削ぐな。
王国に魔法を使う必要性を学ばせろ。
その言葉に込められた遺志に、私兵団は全員気が付いている。
「俺達も同じようなもんだ」
何故か少し嬉しく感じる。何時の間にか、俺はマイン候への忠義を強く持っていたらしい。
始めは騙されたかのように私兵団に入った。マイン候の人の道を外れたような研究も聞いた。
しかし付き合うに連れ、マイン候の人となりを知るに連れ、俺は評価を改めていった。
俺のいた傭兵の世界じゃ人の命は軽い。そりぁそうだ。雇われりゃ何でもしなきゃならねぇ。戦争になりゃ、昨日酒を飲み交わした仲間でも斬り殺す。偶々自分でなかっただけで、明日は我が身だ。
そんな俺にマイン候は死ぬ事を許さなかった。俺だけじゃねえ。私兵団、騎士団、果ては領民全員、極力死なねぇように立ち回っていた。
後から聞いた話だが、ノビ平野の戦争もそうだ。
相手貴族はどうしようもない奴だった。圧政に重税、聞けばあの貴族は狂っていた。
その領民は瘦せこけ、反乱一歩手前だったらしい。戦争自体は俺の所為で負けちまったが、領民が暴徒となる前に、反乱罪で皆殺しになる前に、マイン候が立ち上がった。
その領民からしたら、信じられなかっただろう。自分達とは関係のない貴族が、自分達の現状に怒り、戦争になったんだ。
領民は理解した。誰に付いて行けば良いか。直後から脱領が続き、今では多くがマイン領民だ。
勿論、貴族同士の諍いで戦争は起きる。
大森林の魔物も討伐しなきゃならねぇ。
人が死ぬ事に困らない。普通は当然と納得すること。しかし、マイン候はそれを良しとはしなかった。
マイン候は、王国自体が変わらないといけないと考えていた。私利私欲の為に王国民に仇なす貴族を放置し、魔物への抜本的な解決策を見いだせない王家に対し、変化を強要すべきだと考えた。
勿論、初めから実力行使をしようとした訳じゃねぇ。でも然るべき手順での陳情は、王家には届かなかった。俺は力で示した方が、解りやすくていいと思うがね。
「良いか、お前ら。この戦争の大事なこたぁ勝つ事じゃねえ。況してや王国騎士団をぶっ殺す事でもねぇ。まあ、まず勝てねぇしな。あの一万三千の軍勢に死ぬ程の恐怖を与え、死ななくて良かったと明日の朝を迎えさせることだ」
自分で言ってて荒唐無稽だ。笑っちまいそうになる。
「それじゃあ世界で一番優しい蹂躙を始めようじゃねえか」
マイン領西部に陣取ってから、王国騎士団に動きはない。
領内に入ってから、暫く経っている。粛清にしろ、使者を送り、これこれの理由でこれから攻めますってな話をするのが普通だ。
俺達は相手方から見える位置でマイン領側に陣取り、天幕を張っている。街まで攻め込まれることはないと思うが、どう転ぶか分からねぇ。
俺達が前線であり、最終防衛線だ。
「彼奴ら動かねぇな」
「様子を伺ってるみたい。援軍でも来るのかな」
「既に四十倍以上の数だぞ。魔法使いの情報があったとしても、やり過ぎだろう」
「騎士三千なんて、これ以上は王都の護りがままならなくなっちゃうか」
ミグロウも不吉な事を言う。
「街の避難は」
「斥候が戻って直ぐに候が指示したからね。もう終わってる筈だよ」
それでも領民の住む街を破壊される訳にはいかねぇ。絶対に守り切る。
「あとは暴れるだけか」
「ゲイルが暴れちゃうと王国騎士達が死んじゃうんじゃない」
「しっかり訓練してりゃ、たいして死にゃあしねぇさ。それでも死ぬような騎士なんざ、居るだけ無駄だ。王国の戦力が削がれることにゃなんねえよ」
しっかり恐怖を植え付けてやんねぇとな。
そう考えると、目撃者が多い方が目的は達成出来るか。そう考えると援軍が来るのも悪かねぇ。
夕暮れ、王国騎士団が動き出した。使者は来ていない。
騎士道もなにもあったもんじゃねえ。問答無用で叩き潰す気らしい。
王国騎士団は全軍で進行してきた。一万三千に対して、俺達はマイン領騎士団を合わせ三百。虎の子の俺達私兵団が居るにしても悪夢のような人数差だ。
それでも圧倒的な戦力を見せるしかねぇ。
「俺ら私兵団が先頭だ。騎士団は後に続け」
俺は私兵団の内七人を引き連れ、騎士団全員と侵攻する。
傭兵が居ないのがこればかりは良かったのがしれない。私兵団、騎士団の全員が騎馬しているので、前進の速さが違う。
総大将の俺が前線というのも馬鹿げているが、この戦争の勝利条件は敵を倒す事じゃねえ。最大戦力は先頭に集中させる。
私兵団の他二人には別働隊を任せた。たった二人だが、彼方はミグロウがいるから如何にかなるだろう。
王国騎士団は地響きを上げながら、左右に広がる陣形を取り、こちらに向かって来る。接敵と同時に左右翼を先行させ、数で不利な俺達を包囲するつもりか。
「人数が足りねぇ。横には広がるな。このまま中央突破して、敵を分断すんぞ」
分断後はそのまま突き抜けて、片側だけを相手取る。併殺されたらたまんねぇ。
王国騎士団の先頭部隊が弩を構えた。人数差を考えたら接敵前に全滅しかねねぇな。
俺は右腕に力を込めた。太く大きくなり赤黒く変色し始める。
「弩だ! 両軍の接近速度からして二矢目の装填はねぇ。死ぬ気で撃ち落せ!」
敵軍から発射の号令が聞こえ、数百はある矢の雨が降り注ぐ。それを合図に戦争が始まった。
「おらぁ!」
膨れ上がった右腕で力任せに空を斬る。剣圧で発生した衝撃波は何十もの矢を跳ね返した。近くでも私兵団が各々魔法で矢を落としていく。
残りが友軍に到達したが、騎士団も盾で守り、殆ど被害はねぇ。
進軍再開だ。俺達は馬の腹を蹴り、拍車を掛けた。
両部隊が近づく。
剣の間合いにはまだ数歩あるが、関係ねぇ。膨れ上がったままの右腕で力を乗せて剣を振るった。
「があっ!」
獣のような咆哮を上げる俺と異形の右腕を見て、王国騎士団が怯む。まだまだ胆力が足んねぇな。
振り抜いた剣は衝撃波を生み、先頭の騎士団に襲い掛かった。接敵数を稼ぐ為衝撃波の幅を広げている。鎧に守られてりゃ死ぬような衝撃じゃないが、幾人かが吹き飛ばされる。落馬した騎士は後方からの味方に踏み殺されないよう、必死に避けている。
あれじゃ暫く戦力にはならない。
やっぱり胆力が足んねぇ。
これで騎士団の先頭は無力化した。乗り越えて来る後続を相手にする。
「足を止めんなっ。目の前の敵を倒しながら進め!」
しかし合わせて一万三千からの大部隊。出鼻の数十人倒しても、壁のような圧は未だ健在だ。
「次だ! 吹き飛ばせっ!」
今更だが、私兵団は全員が魔法使いだ。
俺の号令に合わせ、左右を並走する団員が掌を前に突き出す。
二人が力を込めるように唸った後、掌の皮を突き破り、巨大な圧縮した空気の渦が飛び出した。それは竜巻になり王国軍を襲う。
「うああっ!」
「な、なんだぁ!」
王国軍の先頭が竜巻に吹き飛ばされていく。果敢に突っ込んで来た数十人が餌食になった。
これは殺人向日葵の空気袋を移植した魔法。見えねぇ空気の攻撃に俺も苦しんだもんだ。
王国軍は思うように俺達の足止めが出来ず、全体の進行が遅くなった。
「後続を近づけるな! 火炎竜、頼むぞ! 周囲を焼き払えっ!」
次に控えるのは私兵団最強の魔法使いだ。
一年程前、この世で最も危険と思われる魔物討伐、ドラゴン討伐を行った。奇跡的に討伐は成功したが、ある村を守ろうとして当時の団長、オルグが死んだ。
回収出来たドラゴンの火炎嚢に適性を持った人間が村で唯一の生き残りである少年だったのは、運命の悪戯か。
ドラゴンの火炎嚢を腹ん中に移植した少年は、名前を捨て、私兵団に入った。オルグに借りを返す為らしい。
俺達全員に認められたら、オルグの名を継ぎたいそうだ。
既に俺を除けば誰も勝てねぇがな。
俺達は少年の成長を見守りつつ、火炎竜と呼んでいる。こいつには、この戦争で死なねぇで欲しいもんだ。
火炎竜は息を大きく吸い込み、灼熱の炎を胎内に宿す。
「いけっ!」
俺の号令と共に、火炎竜から紅蓮の炎が吹き出される。
炎は、竜巻で吹き飛ばされて出来た防壁の穴を埋めようと殺到していた騎士団を、容赦なく蹂躙した。
「ぎゃあぁっ!」
それまでは怯みながらも果敢にも前進を続けていた王国軍であったが、これには悲鳴を上げた。
そんな叫びを掻き消すように、放射され続ける火炎は周囲の敵軍を舐める。
ドラゴンの火炎放射といやぁ、本来なら消炭になるような熱量だ。然し、移植の為に威力を抑えているので、火炎竜にそこまでの熱量は出せない。
ただそれは、王国騎士団と傭兵にとって不幸な事だった。即死しない火炎を受け、顔は爛れ、手足は水膨れのような重度の火傷を負っている。
特に金属鎧の騎士達は、今尚高温に熱せられたままの鎧に包まれ、終わらない苦痛を受けていた。
敵軍は躊躇し、今度は完全に進行が止まった。
「よし、今の内に中央を突破する!」
俺達は機を逃さず、突撃に掛ける。
後方の王国軍は火炎が止んだ事に、胸を撫で下ろしている様子だ。
俺達が手を抜いているなんて思ったかもしれねぇ。
だが、火炎竜による攻撃を続ける事は出来ない。魔法も万能じゃねぇ。人間の身体にはドラゴンの力は負担が大き過ぎて、濫発は出来ないのだ。
「後方から包囲されます!」
出し抜けに、後詰めに控えていたマイン領騎士団が叫んだ。
俺達が先行し過ぎて、背後を王国軍に押さえられそうになっているようだ。
王国軍の鬨の声が聞こえた。
「ばらけず迎撃だ! 私兵団は、氷柱で騎士団を援護しろ!」
今の私兵団には、ローミーンと同じ氷結蜥蜴の氷柱が使える魔法使いがいる。
俺との模擬戦ではローミーンと一対一でやったが、本来は後方支援の方が向いている魔法だ。
事実、氷柱の支援を受けたマイン領騎士団は、敵軍の接近を許さない。
「全軍! 駆け抜けろ!」
俺達は敵軍の真っ只中を一本の槍の如く突き抜けた。これで敵勢力を南北に分断した形だ。
すぐに次の号令を出す。
「片側……、北だ! 北の王国軍を凍らせろ!」
凍結仙人掌の冷気嚢を移植した団員に命令する。両手から噴き出した絶対零度の風が北側に分断された王国騎士団と傭兵を襲う。
「ひゅ、がっ……」
突然吹き付けられた凍える風を、まともに吸い込んじまったようだ。喉と肺が凍り、何人も窒息している。そのまま全身が凍り付き、文字通り俺達への壁になった。
動けなくなった前衛が邪魔になり、進軍が止まっている。
「これで北からの進軍は少し時間を稼げる! 南の敵軍に集中するぞ!」
それでも片側で六千人以上。俺達の二十倍だ。
まだまだ戦力差がある。
マイン候の指示は恐怖を植え付けることだが、俺達はそれが出来ているだろうか。前線の敵は充分な攻撃を受けている。
しかし数で尚勝る敵軍全体から見れば、俺達は依然極小軍でしかねぇ。
「おら!」
衝撃波で前方の敵を吹き飛ばす。段々と力の差が理解出来てきたのか、傭兵を中心に逃げ出す奴が出始めた。
だが、数で優る安心感は絶大だ。少し攻撃の手を休めれば、すぐに勢いを盛り返してくる。
「このまま闇雲に攻撃しても、効果は薄いかもしれねぇ。大分王国の戦力を削ることになるが、どちらかの南の軍を全力で潰すか……」
「……団長」
南の王国軍に仕掛けつつ、俺がどうしたものかと悩んでいると、団員の一人が話し掛けてきた。
「どうした」
振り返って顔を向ける。モリオという私兵団では裏方仕事を多くこなす男だ。
「確かに正面からぶつかり合っても、いずれ消耗でこちらが潰れるだけです」
魔法を使う欠点の一つに継戦能力の低さがある。魔法を使う事で体内の気、魔力を使うが、これは時間を掛けて徐々に回復させなきゃならねえ。
「そうなんだよなぁ。悪いな、取り敢えず突っ込みゃどうにかなるかと思ったんだが。やっぱり俺は団長なんて器じゃねぇな」
「いえ、敵を分断する手際は見事。ただ、僕達が全力で特攻玉砕して、王国軍まで半分になったら、王国戦力への影響が大き過ぎます」
「そうだよなぁ。何か良い考えはねえか」
「考えではないですが、一つ気になることが」
「この際なんでも言ってみてくれ」
モリオは裏方だけあって、戦場全体を俯瞰するのに優れる。
「この王国騎士団と傭兵の侵攻、指揮官が不在の様子です」
「隊長格のような奴ぁ何人か居るようだが?」
傭兵達は見分けが付かねえが、騎士団は隊長と平騎士では装備が違う。見渡しても何人もそれらしい奴がいる。
「いえ、斥候の際と先程の突撃時、二回我が魔法を使いましたが、何処からも全体への命令が飛んでいない。あの中に総大将は居ません」
モリオは聴力強化の魔法が使える。大梟の器官を移植しているのだ。
確かに北側の軍は立ち塞がる味方の氷像の前にどうしていいのか分からないようで、右往左往しているし、南はいくら吹き飛ばされても、相変わらず突貫を繰り返すのみだ。しかし。
「指揮もなくて、どうやってこの大軍を動かしてんだ? 開始の陣形だって間違った選択じゃなかったぞ」
「戦力差は双方斥候で把握出来ていた。戦術だけ伝えて戦場に出てないのでは」
「戦術だけ……」
「勿論、広い範囲では何処かにいるかもしれない。でも攻撃を受けない距離を保ってるんじゃないかと。そうであれば、ここまで変わった戦況に対応策を出さないのはおかしいです」
「こんだけの戦力差、そこまで警戒する必要は……」
そもそも魔法が未知数とはいえ、マイン候は一地方貴族だ。ここまでの大軍が必要だったのだろうか。
「……ミグロウの別行動が役に立ったな。ミグロウ達に総大将を探させろ!」
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