第三話『ビトー』(二十三)
名前も知らない男に拾われてから、儂は木札への紋章彫りを毎日のようにしていた。何に使っていたかは、は当時考えないようにしていた。贋金作りなど餓鬼が思いつくような使い方では無かったが、そんな事よりも衣食住が保証されとるという方が、当時の儂には重要じゃった。
まあ、そんな犯罪行為、長く続く訳もない。
ある日、自分に充てがわれた部屋で寝とると、周囲が騒がしい。怒鳴り声や叫び声が聞こえてきた。とは言え儂は特に何をするでもない。何が出来る訳でもない。儂には物作りしか出来んし、その当時はそれさえ出来れば良かった。
別にこの組織がどうなろうが、安定した住処が無くなるとしか思わんかった。
怒号は段々と儂の部屋に近づいてきた。今更逃げられんし、この居場所が無くなってまた貧民街に戻っても明日も知らぬ身。結果は同じじゃろう、と餓鬼なりに達観していた。
扉が荒々しく開かれた。遂に儂の部屋まできたようじゃ。儂はといえば、いつもと同じく紋章掘りをしておった。何度も言うが、それ以外にする事はない。
部屋に入ってきたのは、警察隊の鎧を着込んだ男じゃった。やはりこの組織のは何かの犯罪行為を行なっていたのか。
男は儂を見ると、奇妙なものを見たと言うような表情で一瞬固まった。が、すぐに狡猾そうな笑みをその顔に浮かべた。
立て、と命令され儂は素直に従った。これから自分がどうなるか分からなかったが、まあ良いようにはなるまい。貧民街に戻るのと、そう違いはないじゃろう。
儂が使っていた机には、紋章を彫られた木札が散乱していた。男はそれを一つ掴むと、満足げに眺め懐に仕舞った。いくつかを同じように失敬すると、持っていた長剣で残りの木札を切り裂いた。
自分の作品を粉々にされ、刹那儂の脳裏に憎悪が浮かぶ。然しそれを表に出す前に、男に長剣の腹で叩かれ、意識を刈り取られた。
気がつくと簡素な寝室にいた。殺された訳ではないようじゃ。しかし投獄された訳でもない。
粗末なものであったが、寝床に横にさせられ、身を拘束するようなものもない。
覚めたか、と声を掛けられた。目を向けると儂を気絶させた警察隊の男が立っていた。鎧を脱ぎ、寛いだ様子だ。
男は紋章の入った木札を儂に見えるように掲げると、お前が彫ったのか、と尋ねた。今更隠すこともない。そうだ、と答える。
男は満足気に頷くと、木札をへし折った。床に散らばる木札を念入りに足で砕く。その姿に儂は気色ばんだ。
これで、と男は呟いた。
これで、お前が作ったものは残っていない。そう言うと男は儂に近づいた。儂は今にも殴りかかりそうな自分を抑え、男の言葉を待った。
何がしたい、と男は尋ねた。
何かを欲する事が産まれて此の方なかった儂は、すぐに答える事が出来ない。
お前の役割だ、と男は重ねた。
役割、と口の中で呟く。記憶を遡っても、原初は貧民街での生活。何かをする為に生きた事はない。生きる為に生きてきた。
なんの為に生きる、と男は儂の考えを読んだ。
組織での行いに善悪があるのであれば、間違いなく悪なのであろう。しかしそれを望まれている間、確かに儂は充実していた。
何かを望まれたい、と儂は呟いた。
手先が器用なのが取り柄のようだ、何かを望まれたままに作り上げたい。そう言うと儂は寝床から降り、男の前に立った。
生き永らえたいのではない、と儂は答えた。
男は何も言わなかった。
何かを欲したいのではない望まれたいのだ、と儂は重ねた。
望むものはないのか、と男は口の中で呟く。
望まれることを望む、と儂は男の考えを読んだ。
組織での生活に満足していたのは、衣食住が保証されていたからではない。望まれたことに答えている状況に満たされていたのだ。
お前には才能がある。男はそう言うと、羊皮紙を投げて寄越した。それを持って表に書いてある工房に行け。それだけ言うと、男は部屋から出ていった。
工房で羊皮紙を見せると、厳つい爺が出てきた。先代の親方だ。そこで儂は新たな役割を得ることになる。
・・・
主人を失った工房はひっそりと儂らの帰りを待っておった。
「師匠……」
「ムウルス達の真意は分からんが、儂らは職人。……やる事は変わらんじゃろうが」
爆発音の後、慌てて儂らが戻ると、広場は血肉の海になっておった。始末、と言っていたムウルスじゃ。なんとなく、どうするのか想像はついていたが、実際に目にすると衝撃は大きかった。
特段、仲間と思っていた訳でもないが、同じ職人としての矜持は感じていた。そんな奴らの選択に少なからず動揺した。
それでも。
弟子達の手前、儂が打ちひしがれている訳にはいかなかった。
「すぐにマイン達が合流する。先にミリャトに戻られると厄介じゃが、ゴルガン殿下とともに王都に向かった筈じゃ。暫くは戻ってこんじゃろう」
マイン達魔法使いの知識を参考に、勇者の武器を完成させる。今はそれが仕事じゃ。
「長旅の直後じゃ。少し休むが……、すぐに工房の整備を始めるぞ」
予想通りミリャトは戻って来なかった。マイン達は一日ほど遅れて集落に合流した。
「ここが魔族の集落ですか。先の襲撃では落ち着いて見る事が出来ませんでしたが……、人間とほとんど違いがないですね」
部屋の調度品を眺めながら、マインは呟く。
体から常に瘴気が溢れ出すマインは、集落の地下を住処としてた魔族の家に籠っている。地上にいられては、弟子達がぶったおれてしまうからの。
人間よりも長身が多い魔族の体躯に合わせ、椅子などの家具類や日用品は人間のものよりも大きく、使うには少々手間だったが、その生活は大して違いはない。
着いた当初、マインは興味深い様子で物言わぬ集落を見て回っていた。
「儂らもここで暫く生活していたが、不便は感じなかったのう」
「魔族と生活をともに……? なんとも身の毛のよだつ話ですが。しかし……」
マインは語尾を濁しながら、少し大きい器に入れられた水を口に含んだ。儂と弟子達だけじゃ、お茶などの高尚なものは出せん。
「しかし?」
「……いえ、私は魔族と暮らした事はないですからね。想像だけで不快感を口にしても、どれほどの意味があるのかと」
「儂は別に魔族に特に嫌悪も感じないからの。王都には住みづらくなってしまったし、ここの集落のやつらには助けられた」
だからこそ、仲間でなくとも、広場での出来事に感慨を得てしまっておるのじゃろうが。
「そのように、なんの含みもなく思えるのは、稀有なことだと思いますよ。魔法使いという人間を少し外れた存在の私達でさえ、思うところがあるのですから」
「……儂は人間、というものの方がよほど嫌悪感を持っているからのう」
「あまり深くは……、聞かない方が良さそうですね」
「特段、隠すような事でも……、いや不味いか。あまり話したくはないの。とにかく、儂は仲間と思った奴らしか、正直信用出来んよ」
よう考えたら、過去の犯罪歴をひけらかすようなもんじゃった。マインが王国と敵対しているので問題はないが、気軽に言うような話しではない。
マインは含んだ笑みを浮かべ、今一度水を口に運び、それを飲み込んだ。
「私も話したくない事のひとつやふたつありますから」
「別にあんたらのことを信用出来んと言うとる訳ではないぞ。儂らはあくまで」
「職人ですから」
マインが儂の言葉を引き継ぐ。
「依頼をされれば、なんでも作る、でしたね」
「そうじゃ。それが何に使われるかなぞ、興味はない。最高の一品を作ることにのみ執着しておる」
それでなければ、魔族の集落で魔族を滅ぼす武器を作ろうとも思わんじゃろう。
「私達はそれで構いませんよ。私達も率直に言ってしまえば、欲しいのは信頼ではない。魔族を滅ぼし得る力だ」
「……なぜそこまで魔族を?」
マイン領を滅ぼされた直接の原因がミリャトにあるのは間違いないが。
「そうですね。ここ数日、あなたに会ってから少し考えていましたが……。正直に言うと分かりません」
「分からない?」
「魔族という存在に危機感を持っている事は間違いないありません。領主だった頃も、魔族の国の存在は一部の支配階級には知らされており、王国の脅威だと考えていました。ですが、王国から離れた今、なぜ魔族を滅ぼそうとしているのか、自分でも正確には分かりません」
マインは手に持つ器を見つめ、呟く。
「なんの為に、というものがないのです。本能、というのでしょうか。そうしなければならないという感情だけが先行している」
「よく分からんの」
「私自身もそうですからね。迷ってしまっては部下達に示しがつかないのですが、どうにも答えが出ない」
マインなりの困惑があるようで、手の器で水面が小刻みに波紋を広げている。
「儂には分からんの」
「あなたは……、これは中傷ではないので、気を悪くしないでいただきたいのですが」
マインは言いずらそうに目を伏せた。
「自身の役割を第一順位にする事で、そういった迷いを吹っ切っているように感じますね。今回で言えば、勇者の武器を作ること、でしょうか。別にそれを悪いといっているのではありません。ただ、役割を演じることが、目的のように感じる」
「そりゃ、儂は武器職人じゃからの」
「……そうです。あなたの役割は武器職人なのでしょう」
そういってマインは器に残った水を飲み干した。




